- Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
- / ISBN・EAN: 9784120043994
感想・レビュー・書評
-
幼少期の家庭環境が「ふつう」ではなかったと感じている智と泰子。
そのせいで自分は「ふつう」の生活が出来ないし、「ふつう」の関係を築けないと思っている。
智は一時同じ環境で過ごした泰子に救いを求め、泰子は直子と智が滅茶苦茶にした自分の人生から抜け出そうとしていた。
「あの時こうなっていれば‥」とか「あの人がいなかったら今頃は‥」とか、今の延長線上にいない自分を想像したり、今の自分を作った原因を特定しようとする泰子の気持ちは分かる。
自分の人生を変えた直子になぜ?と聞きたくなるのも分かる気がする。
知りたい、納得したい、あの瞬間分断された時間を繋げたいという欲求ではないだろうか。
本当はそんなことに意味なんてないことも知っているけれど、考えずにはいられないのだ。
でもそんな単純な話じゃなくて、全てが他人の影響を受けているし、自分が存在することで周りにも影響を与え続けている。
自分がこの世に生まれた理由すら誰も全貌を語ることは出来ない。
過去の目立つ出来事一つだけを取り上げて、あれこれ考えるのは無駄なんだ。
過去を悔やむのでもなく未来を空想するのでもなく、今を切り抜けていくということ。
言葉にすると単純なことだけど、私は出来ているだろうか?詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
不幸に追いつかれた、という感覚はわかる。自分も智に近い人と恋愛したので。はじめは、追いつかれないように逃げてみたりして、でもあまりに居心地がよくて。結局、一緒に過ごしてしまう。そんなに悪い人でもないし、人をだましたりする人間でもない。一緒にいると案外不幸でもなくて、でもなんかいなくなることが泰子にとって前提の、「生活」のできなそうな人。いますよね~~。そんな人とわかって、でもそれも含め智のところへ行くときめた泰子は、かっこいいなぁ。だれかに引っ張られているようでも、強引に動かされたようでも、結局私たちは自分で選んですすんでるんだなと思いました。
-
半分くらい読んだところで、この作品すっごく好きだ、と強く思った。そして、なんだか晴れ渡ったように、自分のこんがらがって見えた心をすっきりとできた。そして、力強いエネルギーが自分の内からみなぎるのを感じた。
人は「こうであるべき」とか、「このことをしたら次はこうするべき」とか「しなければいけない」とか、本当はそうでなくてもいいかもしれないことを「常識」とか「義務」とか「さだめ」とか「ふつうは」とか言った言葉に置き換えて自分の思考を行動をがんじがらめにしているのかもしれないってふと思った。そういうことにとらわれていない直子も智を見ていると、なんだか読んでいる私まで息を吸うのが楽に感じた。「みんなどこかでねじれている」っていう泰子の確信めいた言葉は、「そうか。私もねじれているんだ。人間はねじれているものなんだ」と私の肩の力を抜いてくれたように思う。
またいつか、読みたい。
星4.5 -
智はモテる。ただ関係を持続することがなぜかできずにいた。いつも女性のほうから別れを告げてくるのだ。
ちいさな頃に智と一緒に暮らした泰子もまた、同じように普通に恋愛できないことに悩んでいた。
泰子ちゃんに会いに行こうと智が思い立ったところから物語は転がり始め、出会ってしまった2人の人生は大きく方向を変えていく。
読んでいて本当につらかった。恋愛ってなんだろうかとぼんやり考えた。男と女を繋ぐものってなんなのだろう。-
通りすがりのコメントの巻
男と女を繋ぐもの・・・それはお互いが不足しているものを補うことで繋がっているのだと思うであります!通りすがりのコメントの巻
男と女を繋ぐもの・・・それはお互いが不足しているものを補うことで繋がっているのだと思うであります!2013/10/07
-
-
20191024
-
生活力のない3人・智と直子と泰子の群像劇。
男に拾われながら世を漂い、智を身籠もり、育ててきた直子。
そんな環境で育ってきた見た目の格好いい智は、生活感の無さからで彼女が出来ても長続きしない。
そんな智が自分の欠点を考えた時に思い出したのが、昔、直子が好きになった男の娘・泰子だった。
泰子もまた父が直子と出来たことで母を失い、普通の生活を奪われたトラウマと、逆に直子と智と過ごした一時の甘美な生活が脳裏にこびりついていた。
直子の存在によって人生の歯車が狂いだしたように感じる智と泰子であったが、泰子は生きる事に気付き始め、智はその意味に答えを見いだせない。
どこまでも延々に続く人生の無限ループは、儚くも深い。
それが「月と雷」というタイトルに風刺されているようである。 -
読みながら、八日目の蝉を思い浮かべていた。小説の設定に近似感があるというより、本書と八日目の蝉の登場人物には、失礼ながら(?)著者ご本人の、人が人として生きる前提、というか、根拠、みたいな部分はこう思っているんだよね、みたいなものが投影されているのでは?みたいなことを考えながらずっと最後まで読んでいた。
自己と自己以外の人間すべてとの関係。あるいは、自己とはいったい何か。あるいは他己とは何か、みたいなテーゼというか。
なんでそう思うかと言うと、どうも自分自身、自分とは何かについてはいつの頃からかずっと常にどこかで思い悩まさせられ続けている部分があるからだろうと思う。もうとっくにそんなことを考えるような歳でもないはずなのに。
いずれにしても、「ふつうの」人のようには生きられない登場人物たち。ああ、やっぱりそうなんだよね、自分もどうも「当たり前」のことが時々苦手で、だから登場人物たちに共感し続けてた。ああ、そりゃだめだ、そっち行っちゃだめなんだがな、でも、きっと行くんだよなって、思いながら。
泰子が、直子や智たちと「ふつうの」人たちとの中間で、翻訳者のように彼女を通じて「ふつう」じゃない人たちのことを理解できる。理解ってのも変だけど。
角田さんの他の作品もまた読みたくなった。