NOVEL 11, BOOK 18 - ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120047121

作品紹介・あらすじ

この世で最も素晴らしい幸福とは短い幸福であるということが、ビョーン・ハンセンには心の底でわかっていた。ノルウェイ文学界の最も刺激的な作家ソールスター。巧妙なストーリーテリング、型破りな展開、オリジナリティ際だつその小説世界を村上春樹が初めて日本に紹介する-

感想・レビュー・書評

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  • とにかく不思議な小説。翻訳した村上氏もあとがきで書いているが、こんな物語を読んだのは初めて。だから最初に読んだ時の驚きを今でもよく憶えている。すげぇーと。
    この小説は、主人公と関係のある人達との物語と言える。愛人で後のパートナーとなるツーリー・ラッメルス。主人公の一人息子のペーテル・コンピ・ハンセン。親友のヘルマン・ブスク。後に彼の奇想な行いを手伝うメッツ医師など。他者と自己との関係を通して主人公の思考や思いが浮き上がる。物語の後半で主人公の奇想が実行に移されるのだが、この不思議な物語を通すとそれほど奇抜に思えないのだ。そのように帰結することに、読者はふっと投げ出されるも、投げぱっなしとならない妙な納得を覚えてしまう。

  • ビョーンという男の人生を描くノルウェー文学。ほとんど大したことは何も起きないのだが、不完全な人間の生活が淡々と描かれている感じ。オモロイかというとよくわからないが、一気に読めちゃう。
    前半は主人公が不倫相手を追って妻と息子を捨てて、新たな街で暮らす編、後半はその街に大学生になった息子がやってきて共に暮らす編。最後は事故で下半身麻痺になったフリをするという謎の作戦を決行する。

  • 斜め読み
    で、
    いったいナニが起きるんだ?
    と、
    ラストまで。

    「何かあと戻りできないこと」
    達成できたわけだ。
    続編は、、
    いいや

  • 話の筋立てもオチもないのに何やら読み終えた不思議な物語。翻訳者の村上春樹さんによれば続編があるらしく、確かにこの後がどうなるか気になるところであるが、この作家が話を収拾できるとは到底思えない。でも続きや別の作品も読んでみたいと思わせるということは間違いない。73

  • 訳者の村上春樹が後書きで語っているように、「よく訳がわからない。けれどとにかく面白い。」小説でした。主人公は社会的にはエリートなのに、簡単に妻や幼い子供を棄てる。二十歳になった息子と再会し、父親としてはズレた視線で自分とよく似ている息子を観察する。そしてとても普通の人は考えない事をして人々を欺く。かと言ってたいして後悔しているようにも感じられない。これは犯罪だよなぁ。それにしても動機がわからない!

  • 文学

  • 夢中になって読んでしまった。
    奇妙な小説であることは確かだが、
    なんと言えばよいのか、
    訳者あとがきで村上春樹さんが「コンサバな衣をまとったポストモダン」とおっしゃっているが、
    うまいこと言うな、さすがだな村上さん。
    こんなにおもしろいのに、
    この作者の著作は日本にはまだ一冊も紹介されていない、
    この作品が初めての日本語訳。
    ノルウェイ語からの日本語翻訳者ってそうはいないだろうな。
    今回英語からの重訳に二の足を踏んでいた村上さんに思い切ってもらえたおかげで、
    本書と出会えたことに感謝。
    続編もあるらしいが、英訳すら出ていないらしい。
    日本語訳はいつ読めるのだろう。
    待ち遠しい。

  • 章立てがなく、1冊切れ目なくつづくお話。

    なんとか読み終えたけど、ねじれながら「Life goes on」な話がとりとめなくつながっていく感じ。

    転帰も意外性は少なかったかも。

  • 初めて読むノルウェー人作家の作品であり、村上春樹による翻訳。

    前評判通り、読み終えた今感じるのはこれが非常に不思議な読後感を与えてくれるということである。その要因の一つは極めて心理描写の少ない叙述スタイルも相まって、登場人物のそれぞれが本心で何を考えているのかが全く分からず、かつそれが登場人物同士間でもそうである、ということである。主人公の50歳の男を中心として、その愛人、前妻との間の大学生になる息子、友人の医者が登場するが、そのそれぞれが固有の世界で生きており、同じ時間・空間を過ごしているはずなのにガラス板1枚を隔てたているかの如く、そこにはお互いの理解を拒む何かが存在している。そうした薄気味悪さにも関わらず、ここでの登場人物はそれを自明のことのように見なして生きていること、そこにこの小説の面白さがある。

  • ストレンジな小説。よくある不倫、離婚、不倫相手との結婚、その結婚した不倫相手の不倫、離婚、奇妙な共犯者(ヤク中医者)との出会い(ここらへんがファンタジーで、「現実との微妙なズレ」の一つの要因だろう)、元元妻との間の息子との共同生活(ここが一番面白い。ビョーンの目を通した、洞察した彼の息子の描写が)、共犯者と示し合わせた通り、下半身不随者のふりをした孤独な生活を送ろうとするところで終わる。奇妙なズレの感覚が、非常に心地よい。

  • 大まかに三部構成になってて序盤の第一部がなかなか取っつきにくくて苦戦したけど二部以降はだいぶ読み進めやすかった。続編が出たらやっぱり義務感から読んでしまいそう。

  • [どこまでも、どこまでも一人ぼっちで]妻子を捨ててラッメルスに対する破滅的な愛に身を投じたハンセン。そんな彼も、ラッメルスの老いとともに、彼女に対してかつて抱いていた感情が色褪せてしまったことを(身勝手ながらに)知る。これ以上の同棲は難しいと見込んだハンセンは彼女と別れ、人生を不思議な方向に導くある決断を下すのであるが......。著者は、本作でノルウェー文芸批評家賞を受賞したダーグ・ソールスター。訳者は、重訳でも良いからぜひとも本作を翻訳することを希望したという村上春樹。


    上手く形容する言葉が見つからないのですが、本作が醸し出すささくれ立った感覚がたまりませんでした。どこまでも交わらないハンセンと他者の関係を、どこまでも無機質的に描いていくソールスターの筆は、読む者までをも少し遠ざけてしまうかのようなツンとした張りがありました。


    ストーリーの展開もいくらかひねりが効いたものになっています。特にハンセンが下す決断とその決断がもたらすあるラストの展開にはぞくぞくとしたものを覚えました。評することがここまで難しい作品も久々なんですが、村上春樹の翻訳と相まってぜひとも一読をオススメしたい一冊です。

    〜彼を呑み込んだのは、ツーリー・ラッメルスに対する愛というよりはむしろ、冒険をしなくてはという強迫観念だった。その呑み込まれ方はあまりに強烈で、ほとんど息もつけないほどだった。それこそがまさに彼を魅了したものだった。この世で最も素晴らしい幸福とは短い幸福であるということが、ビョーン・ハンセンには心の底でわかっていた。〜

    ノルウェーの現代小説って初めて読んだかも☆5つ

  • なんとも不思議な小説。アヴァンギャルドでありながらもオーソドックスなというか。

    非常に音楽的な小説だと思う。

  • 妻子をあっさり捨てて愛人と暮らした男が14年後に今度はその愛人にも飽きて捨て、その上再会した息子にも否定的な視線を注いで最後は下半身不随を演じるってわけのわかるようなわからん話。個人的には不愉快な主人公だし、こういう人間はいわゆる幸せにはなれなくて当然、と思いながら読んだんだけど、まあ先がどんな展開なのか読めなくてそれなりに楽しめた。

  • 興味はあったけれど、どんな本かわからなかったので図書館に購入してもらい、一番に貸してもらった。
    すごくおもしろかった。
    なにがおもしろいのかは言えないのだけれど、
    中心となるテーマがあるわけではないし、
    なにか謎でずっと引張られていくわけでもないし(謎はあることにはあるが)
    でも、おもしろかった。
    なんだろう。
    52歳の男性が主役だけれど、そういうことって、そういう思いになることってきっとあるだろうなと(ノルウエーの田舎街の話だけれど)思わされた。パートナーの女性に関しても、14歳から会っていなかった、大学生になった息子と暮らすことに関しても、「冒険?」に関しても。
    もちろん、村上春樹の訳もよかった。
    こういう、考える人間が好きなのかもしれない。

  • ノルウェー作家の小説で村上春樹さんの翻訳。避けたかった重訳をあえておこなって紹介したかった気持ちがよく分かる不思議な面白さ。続編Novel17もぜひ読みたい。

  • 捉えどころのない小説。男が一つ所に留まらないように、語られる物語も結論めいたものは何も提示されないままに背後に押しやられる。そして再び語り直されることもない。そんな風にして幾つもの物語が男の前を過ぎ去っていく。そのどれもこれもが都市という舞台では起こりそうな物語である。但しその物語は全て一人の男によるモノローグで語られる。

    男が語る男に見えている世界は現実を写したようでいて奇妙にねじれて非現実的でもある。それは世界が全て男の解釈だけで成立していることに対する小さな違和感。もちろんそんなことは全ての人に等しく起こっている現象だと理解しつつ、余りにその営みが外部から閉ざされた脳の活動のみで構築されているという印象が残る。それは、執拗に再帰的に重ねられる推論が生み出すもの。他人の内面で起こり得たかも知れない思いに対する推論。その中に登場する自分自身の内面に対する推論についての推論。相手がこちらをこう思っているとこちらが思っているから相手はこちらをこう思うだろうとこちらは思う。そんな決して結論の出ないジャンケンの手の内を読むような行為。それは出口もなく男を何処へも連れて行かない。その印象と男が最後に選択する生き方が重なり合い、読むものの身体も一つ所に縛り付けたような心持ちとなる。

    この物語に続きがあるとして、どんな展開があり得るのだろう。いやその前にどの物語の続きが語られ得るのだろう。起承転結の結だけが永遠に保留された物語。それはある意味で奇妙に現実的であると言えるのかも知れないけれど。

  • ノルウェー文学。翻訳の村上春樹の後書き通り奇妙な作品だ。村上訳でないと日本に紹介されなかっただろう。(空港で目に付いた英語の本を買って、面白かったから訳したなんてのが出版まで漕ぎ着けられるのは村上春樹だけだろう)
    オーソドックスな男女の話に始まるが、ラストはあっけにとられる。淡々とした日々の営みを送り、理路整然と行動しているようでいて、エキセントリック。男のみならず、愛人、息子、医師らの生き様もどこか息苦しい。
    全然毛色は違うが、自分の人生にうまく折り合いをつけられない 男の一生に「ストーナー」を思い出した。

  • どこへ行くのかという小説だったが、結局は「人生こんなもの」というのを表から見えない裏側から描いていて、今の自分の状況と心情に合っていた。
    中心的なテーマは欺瞞、特に自己欺瞞だろう。それが登場人物たちの関係性の中に見え隠れする。皆がそうだからこそ非を苛むという単純な話にはならずに、ただ流れるように話が進む。
    構成はおおまかに主人公の関わる3つの関係のストーリー(その3つの組み入れ方が分かりやすいのに巧いと思えるところに筆者の力量を感じる)。演劇的な自分に陶然とするパートナーとの14年、町の大学に入るためにやってきた息子としばし同居することになった数ヶ月、そして自分の人生に小径を作ろうと50歳をすぎた主人公が自身に対しておこなう「大いなる否定」の前後。
    それぞれ演劇的な欺瞞を持つ人々を主人公の視点から「ロジカル」に突き詰めていく(時間をかけながら)。最後は主人公自身の欺瞞を冷静に見つめることから、絶望はしなくても哀しみの底からもう浮上することはないのだなと思わせる、それだけに静かな雰囲気を湛える結末へ流れ着く。

  • 妻と子を捨て男は不倫相手にはしっていく。

    そんなありふれたイントロは、さっぱりとした文章でくどくど続き、到達点がわからないままに話は進み、そのまま終着へ。

    「肩透かし」
    そんな言葉が頭をよぎるノルウェイ発の物語。

  • とにかく不思議な話。
    離婚して田舎の街に引っ越して別の女と一緒になったと思ったら別れてという話を延々とする。
    その後別れた息子と一緒に住み始め、息子の話を延々と聞くと、どうも本人は仲がいいと思っているけど、実際はそうじゃないということがわかってくる。
    で、主人公は人生には冒険が必要だとかで、何故か下半身不随のフリをする。

    なんなんだ、こいつ。人生虚しいでしょうね。
    でも、村上春樹の作品と何処と無く通づるものがある。

  • 村上春樹さんが訳したということで読んでみた。
    あとがきにも書いてある通り、まさに呆然とするラストだった。
    ここまで読んできたのはなんだったの??という猛烈な肩透かし。
    全体の話の流れもとても不思議で、
    妻と子どもを捨てて選んだ女性との暮らしの話が延々と続き、
    そのあと医師とのある企みが仄めかされ、ついに物語が動き出す!かと思うと、
    10年近く会っていない息子と新生活を送ることになり、
    周囲と上手くやっていけない息子の話がこれまた延々と続く。
    そして呆然とするラスト。
    確かに話がどう転ぶか分からないスリルは味わえたけれど、
    正直図書館で借りて正解だった本かな(笑)
    続編はすでにノルウェーで発売されているらしいけれど、
    もし読んだとしても、この作者ならまたもや呆然とさせられるだけかも。

  • 著者は現代ノルウェイ文学界における最重要作家の1人とのことです。日本語訳は村上春樹さん(英訳版からの重訳)。
    なんとも不思議な雰囲気の小説だけど、とても楽しめました。村上さんの訳もよかったし、訳者のあとがきもいつもの通り、極上のエッセーを読んでいるときのように楽しめました。

  • 「訳者あとがき」で、オスロ滞在中に朗読会やったら、皇太子妃お忍びでやって来た…とかあって、何者⁈と思ったら… ハルキ・ムラカミやった (≧∇≦)

    前半(主人公が中央官僚の仕事と妻子を捨てて、父親の死を機に故郷へ帰る愛人を追いかけて地方に住み着いたものの、結婚もして貰えず、若い男を連れ込む黙認して道楽の演劇に付き合っているものの、結局破局)は面倒臭いんだけど。。。
    大学進学で同居することになった、息子が出てきてからが俄然面白いの‼️
    どうやらロクな友人もできないどころか、だいぶウザがられて、いいようにアッシーに使われたりしている様子にヤキモキ…お前にソックリやん (≧∇≦)

    また後半、父親ってば更に突拍子も無い行動に出る。
    日本の社会で実際にこんなことが可能なのかはさておき、なんて言うか… だいぶヘン、としか言いようがない。

    幸い、続編がノルウェイでは出てるそうなので、まあ、「ノルウェイの森」作者のノーベル文学賞候補者が絡んでるんだから、きっとそのうち英訳も出て、和訳もされるでしょう、楽しみ〜 *\(^o^)/*

  • タイトルからして異常な小説だが、本当にどこに連れて行かれるのかわからないままに話が進む。そこが魅力なんだとは思うけれど、本当にどこに向かっているのかわからないし、わからないままに終わる。

  • 舞台はノルウェー。オスロの郊外。主人公が前の奥さんを捨てるところから始まる。妻とは離婚して新しいパートナーの女性が生まれ育った街で一緒に住むことに決める。主人公は将来有望な中央省庁に勤務していたにもかからず、新しい女性の影響であっけなく地方の収入役(税金を取り立てる書類にハンコを押す責任者)を選んでしまう。

    新しい彼女は地元の演劇協会に属していて、主人公もそれに参加するようになり、そこで歯科医の気の合う友人もできる。その演劇グループではイプセン(ノルウェーの産んだ劇作家)の『野鴨』を上演しようと、わざわざ外部から演出家を連れてくるが、あっけなく失敗におわる。演劇クラブにおいて、パートナーの女性は快活で知己に富みリーダーシップも発揮していたが、主人公はある日ふと彼女の外見の衰えに気が付き気持ちが冷め別れを決める。ひどい。なんだこの話は。

    その後、先妻の息子が兵役を終えて大学に進学するというので父親である主人公と同居することになる。息子はいまひとつ社会と折り合いがつかないようで父としては不安が残る。

    息子は兵役で知り合った友人の影響で検眼士になろうとしている。ノルウェイでは検眼士(おそらく眼鏡つくるために検査してくれる専門家)になるために工科大学に行くのか。国家資格のようだ。(なお日本では、日本眼鏡技術者協会が認定する眼鏡士というのがある)

    不安定な息子もいつか父親の家をでていく。そこで主人公がかねてから温めていた計画を実行することになるのだが、さてこれがなんなのか。なんのためにそれをやるのか。読者にはよくわからないまま(もしかしたら主人公もよくわからないまま)結末へ放り出される。おしまい。なんだこれは。

    春樹がノルウェイに招待されたのを機に見つけてきた小説らしいのだが、春樹は原書のノルウェイ語はできないので英語からの重訳だそうです。独特な雰囲気に惹かれたというか、あとでじわじわ来る系の本なのかもしれない。
    エピソードが分断されているように見えるが、ものすごく書き込まれた部分もあり、そういうところが読ませるところでもある。どう面白いと感じるかは読者次第か。

  • 不思議な小説。
    くどい、改行すらない、延々続く、
    前半は眠たい。
    後半になると主人公に共感を覚えだす。

    それがなんなの。

    という本。
    でも最後はわかるぜ。

    あと、作者名と題名がカッコイイ。

  • 妻子を捨て、新しい土地で愛人と内縁の関係を結ぶが、やがて一人暮らしをし、成長した息子と二人暮らしをする男。残念な息子。
    やがて事故を偽装して半身不随のふりをして車椅子に乗る男。

    内容がどことなく不思議だけどグイグイ読んでしまった。読み終えた後も続く不思議感。
    村上春樹訳。

  • 自分自身しか愛せない男の話のような気がするけど、「なんなの?」感がすご過ぎて、よく分からない。章立てがないから、同じところを何度も何度も読んでる気がするし、どこで休憩入れていいか分からなくて疲れた。わたしも息子には相当イライラすると思う。唯一、そこがビョーンとの共感ポイント。

  • 誰もそのことによって傷つけられはしない(本人は別として)。それどころか、その行為に加担することで利益を得る者すらいる。しかし、道義的に見れば社会的に許されない行為であることはたしかだ。事実を知れば誰も彼を許そうなどとは考えないにちがいない。何が彼をしてそのような行動に駆り立てたのだろうか。それは自分の人生がかりそめのものでしかなく、人生そのものにもともと意味を感じられない男の考え抜いた果ての決断であった。

    オスロにある中央政府内の官僚ビョーン・ハンセンは三十代半ばの頃、妻子を捨て、情事の相手の故郷コングスベルグに居を移した。今彼は五十歳。女とはとっくに別れたが、市の収入役の仕事は続けている。週に一度はホテルで食事をし、休日には親友とハイキングを楽しみ夕食を共にする。優雅な独身生活を送る男が、女との過去の生活を回想したり、新しく同居を始めた息子との関係に心を配ったりする、事件らしい事件も起こらない身辺小説と思えたものが、最後にとんでもないサスペンスが待っていた。 

    フィヨルドで知られるノルウェイ南部に、古くから銀鉱山の町として開かれたコングスベルグ。首都オスロでキャリアを積んでいた男がどうしてすべてをなげうってやってきたのか。女は教職のかたわら、市の素人劇団の中心メンバーとして周囲の男を惹きつけていた。痩せ型の美人でコケティッシュな身ぶりが魅力的な女は見逃せば一生後悔する相手だった。将来を約束された暮らしより、魅力的な女との生活を選んだのは愛のためではない。それが証拠に、女のふりまくコケットリーが容色の衰えに連れて見苦しくなってくると、男の心は離れている。

    視点はつねに主人公に置かれている。小説はこの男が周りにいる人間を観察し、それに合わせて自分の動きを同調させてゆく様子を丹念に描く。事件らしい事件は最後まで主題にはならない。作者の興味関心はこの男の考え方や行動の方にある。そういう意味では、主人公に共感を感じることができなければ読み続けることができない。それでは、主人公ビョーン・ハンセンとは、どんな男なのか。

    一口で言えば、ビョーンは「危ない」人である。 人並以上に知的能力を持ち、人あたりもよく、社会にも適合することができるのに、ある期間それが続けば退屈を感じてしまう。何でも思うようにできることが、かえって彼に刺激を感じさせなくなってしまうのだ。何かを成し遂げるために努力しているときはいいが、いざそれができたらそこには退屈が待っている。彼はそれに長くは耐えられない。そこから脱出し、生きている実感を得るには新しい冒険に身をゆだねるしかない。 

    それによって自分の周囲にいる人間がどうなろうが正直なところ眼中にない、徹底したエゴイストである。ただ、積極的に相手を傷つけようなどとは思ってもいない。それどころか、金銭的な保証その他は手抜かりない。二歳の時に捨てた息子が同居を求めてきた時も気安く応じ、息子のために新しく家具を買い入れたり、部屋の模様換えまでしたりしている。しかし、そこには通常の父親らしい感情は感じられない。怜悧に観察対象である息子を観察し、その孤独に気づいても手を差し伸べることはしない。無関心ではないが不干渉の態度に終始する。

    自分の人生が、自分で考え、行動してきた結果として目の前にあると感じられる人には、所詮この小説は絵空事である。主人公は反社会的ではないにしても不道徳で非社会的人物として断罪されてしまうにちがいない。しかし、幾度か人生の岐路に立ったとき、そのときそのときの成り行きに任せて道を選んできた評者のような薄志弱行の人間には、主人公の生き方はさほど奇異なものには思えない。体の不調を訴え、診断を受けた医師との出会いがなければ、ビョーンの想念は想念のままで現実化しなかっただろう。あくまでもゲームとして始めたものが、しだいに抜き差しならない現実と化してしまう恐怖を描いたものとしてみるなら、この小説はかなり怖ろしい。

    訳者である村上春樹がノルウェイ滞在中の無聊を慰めるため、原著の英訳本を手にとり、タイトルの面白さにも魅かれ買い求めたのが日本語訳に手を染める契機であったという。原著はノルウェイ語で書かれているため、英訳からの重訳。ダーグ・ソールスターは、ノルウェイを代表する作家だが、外国に翻訳されるようになったのは比較的最近のことらしい。自他を問わず、人間を見つめる目のシニカルなところや、それでいて人の心の内奥にまで迫るような妙な親近感を感じる、斜に構えているようでいて、その実真剣すぎるほど真剣な文章が忘れ難い印象を残す。ちょっと癖になりそうな作家の登場である。

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