アーサーとジョージ

  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (491ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120048104

作品紹介・あらすじ

アーサー・コナン・ドイルは、医師から作家に転じシャーロック・ホームズを生んだ時代の寵児。ジョージ・エイダルジは、司祭館に育った生真面目な事務弁護士。活力溢れるアーサーと、実直さが取り柄のジョージ、異なる世界に生きてきた二人が出会うのは一九〇六年のこと。連続家畜殺しの罪を着せられたジョージの嘆願に応じたアーサーは、ホームズばりの観察力で潔白を直感し、真相究明に乗り出す-

感想・レビュー・書評

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  • ジュリアン・バーンズは『終わりの感覚』で衝撃を受けたので、次回作が刊行されれば読みたいとずっと思っていた。帯には“ヒストリーにしてミステリー”とあるが、確かにミステリーの雰囲気をまとってはいるものの、ほとんどがヒストリー。実在した人物による実際に起きた事件のお話なので、ヒストリー目線で読むのが好ましいのでしょう。

    2段組で約500頁なので相当のボリュームだが、さくさく読める。秀でた訳のおかげでもあるが、それでも簡潔で明瞭な筆致は相変わらず。タイトル通り、前半はそれぞれの人生が交互に描かれる。ふたりの出会いは中盤以降。それまでに多くのドラマが起きているので、読み手としてはアーサーとジョージにいろんな想いを乗っけてしまっている。そこからの真相究明なので、コナン・“ホームズ”・ドイルの捜査シーンは、チームの一員のような気持ちで無駄に緊張しながら読んでいた。そして意外とがっつり推理していたので驚き。

    史実なんだけれども、そこを、こうあったかも知れないと思わせる作者の手腕にきりきり舞い。事件後のふたりの人生も感慨深い。読後、ウィキペディアで再確認したらたちまち現実に引き戻された。実際のドラマは作中のようだったと思いたい。

  • 2005年発刊、ブッカー賞候補にもなった名手ジュリアン・バーンズの作品がようやく今翻訳されたのは、ドラマのシャーロックに始まるシャーロック・ホームズ人気のためだと推測する。シャーロックのお陰というべきだろうが、そんなことはいいから早く訳してくれというのが本音。
    シャーロキアンの端くれとしてドイルについての本やホームズ以外のドイルの作品を読んでいるが、本書のアーサーはイメージ通り活写されている。大柄なスポーツマンで、正義感の強い熱血漢。女性を大事にし社交家でホームズのことを疎ましくは思っているが名声は享受している。さらに、当時流行したが今となってはばかげているとしか言いようのない心霊術にはまる。
    エイダルジの冤罪を晴らすためにホームズよろしく活躍したのは史実で、そこらの推理小説より面白いのだが、推理が主眼ではない。そもそも彼らが出会うまでにページの2/3は過ぎており、物静かで地道なエイダルジとエネルギッシュなドイルという対照的な人物の人生と彼らを取り巻く当時の社会を描き出している。出会った後はエイダルジの口を借り、ドイルの行き過ぎた自己主張や心霊術の胡散臭さについて批判させるのも面白い。
    バーンズは「巧い」作家だ。冒頭と結びの呼応には感服。随所にドイルからの引用やオマージュを散りばめ(私には多少のホームズ関係しかわからないが)、なんと本物の書簡を利用しながら、たいへん面白い小説を生み出してくれた。

  • 素晴らしい。大変に素晴らしく、久々に本物の小説を読んだという感じ。

    訳者あとがきにもあるけれど、まず構成が美しい。アーサーとジョージの対照的な造型も、見えるものと見えないものの対比も、きれいに収まっている。最初と最後の呼応など、ため息の出るような仕掛けである。
    「作家」ならばここまで到達してほしい、というような技。お見事。

  • シンプルなタイトルが示しているとおり、英国小説ならではの評伝を踏まえたもの。丸谷才一氏に寄れば、何故か英国人という人種は、伝記の類を読むことを好むらしい。アーサーとジョージという二人の人物の少年時代からアーサーの死までを伝記風に追ったものである。交互に登場する二人の人物のうち、アーサーの方は、こう紹介されるのは本意ではないことはあくまでも承知の上で書くのだが、あの『シャーロック・ホームズ』シリーズの作者であるサー・アーサー・コナン・ドイル。ジョージの方は、この事件以外では無名の司祭館育ちの実直な事務弁護士ジョージ・エイダルジ。本来なら出会うこともなかったであろう二人の人生が、ある事件をきっかけに交差する。

    その事件とは。一九〇六年ジョージの暮らす司祭館近くで、馬が腹を切られて死ぬという事件が立て続けに起き、その犯人としてジョージが逮捕される。無論、語り手はジョージの行動について、ジョージの側の視点で語っているわけで、ジョージは真犯人ではありえない。しかも、それ以前から司祭館の周りでは、不審者がうろつき、壁の落書きや脅迫の手紙などの嫌がらせが相継いでいた。ジョージの父である司祭は警察に被害を届けるが相手にされず、馬やポニーの腹が切られる事件が起きると警察はジョージを逮捕し拘留する。

    無罪の訴えも空しく、裁判の結果七年間の懲役刑が与えられ、ジョージは服役することに。理不尽な裁判に対し、支援者が声を上げたこともあって、ジョージは三年目に放免されるが有罪は変わらず、事務弁護士の資格は奪われたまま。冤罪の汚名をそそぎ、三年間の懲役に対し補償を求め、ジョージは雑誌に記事を載せる。当時、私立探偵シャーロック・ホームズの活躍を知る多くの読者が、難事件の解決に作者コナン・ドイルの登場を願う手紙を書いた。アーサーは、そのほとんどに秘書を通じて断りの手紙を書かせていたが、病気の妻を持つ身でありながら、ジーンという恋人が出来たことで悩み、意気消沈していたアーサーは、たまたま目にした事件の内容に憤慨し、自らが乗り出すことを決める。二人の運命が交差する機縁であった。

    交通手段が馬車から自動車に変わろうかという時代を背景に、シャーロック・ホームズの作者コナン・ドイル本人が、秘書で助手を勤めるウッドをワトソン役に、探偵役を務めるという魅力的な設定がある。自身が医者として勉強中、ジョゼフ・ベル医師の患者を見る観察眼の鋭さに驚かされ、眼科医となってからもそれを実地に応用したことが名探偵シャーロック・ホームズの登場シーンに活かされたというエピソードを地でいく鋭い推理による真犯人探しは、凡百のミステリの顔色なからしめる出来映え。

    さらには、無実の青年が悪意によるのか無知のせいか、明らかな証拠が無視され、被告側に不利な証言、証拠が列挙され、次第に追い詰められてゆく法廷劇の出来がまた秀逸である。自身が弁護士であり、鉄道に関する法律のガイド本の著者でもあるジョージは官憲や裁判所、つまり法の下の正義を信じている。自分を弁護してくれる弁護士二人は有能で熱心でもある。しかし、裁判自体は思うように展開しない。冷静で落ち着いた被告の答弁は、陪審員にはかえって被告の有罪を裏付けるものとしてとられるなど、すべてが裏目に出る。有能な弁護士が客観的に自身を被告とする裁判の過程を凝視する。事態がどんどんよくない方向に進んでいくのをあくまでも冷静に凝視するジョージという人物の創出が凄い。

    アルコール中毒で病院に送られてしまう父を見て育ち、自分が母を守ることを幼い頃から心に決めたアーサーは、騎士道物語を語って聞かせる母を愛する少年として育つ。長じて、学生仲間に自分が作った話を語り聞かせる人気者となり、クリケットやゴルフ、スキー、ボクシングとスポーツ万能の大男となっても、騎士道物語そのままに母や姉妹を守り、妻を大事にする家長となる。思いつきで書いてみた探偵小説が思わぬ人気を呼び、本来書くべきであった歴史小説より評価されるのは面白くないが、屋敷を建て、庭にモノレールまで敷設できるのだから文句はない。行動的でエネルギッシュなアイルランドとスコットランドの血を引き、母方の祖先はプランタジネット朝まで遡れる名門出身のアーサーは、自伝をもとにして描かれているのだろう、自分本位なマザコン男だが、どこか憎めない。ワトソン役のウッド、二度目の妻ジーンもいい味を出している。

    イングランド国教会の司祭を父に持つジョージは、自分では典型的なイングランド人だと思って育つ。しかし、事件が起きるようになると、父はパールシーの話を持ち出し、ジョージを諭す。パールシーとはペルシャ系のゾロアスター教徒のことであり、ジョージの父はボンベイ出身のパールシーであったが、スコットランド系の母と結婚し、自身もイングランド国教会の司祭となってこの地に赴任した経緯を持つ。肌の色のちがうこともあって、少年時代ジョージはいじめにも会っている。しかし、ジョージ自身はそれが人種による差別だとは微塵も気づかない。杓子定規に法の下の平等を信じている。賢い父と優しい母、しっかりした妹という家族に守られ、道徳的な若者に育ったのだ。

    三つ子の魂百まで、とはよく言ったもので、人は大きくなっても子ども時代の人格を保ち続ける。アーサーとジョージもその例に漏れない。アーサーの尽力により、真犯人らしい人物が割り出されるが、ジョージはそのやり方に、自身を犯人扱いした警察と同じ、思い込みにはじまる推論と不法な証拠集めを認めてしまう。直情径行で思ったら行動してしまうアーサーと自身に有利であっても法的に問題があれば認めようとしない、頑ななジョージ。この対照的な二人の人物像がこの小説を面白くさせている。

    ジュリアン・バーンズにしては、ずいぶん正攻法の小説に思われるが、時代小説として当時の出来事を絡めたり、アーサーの友人、知人にキプリングやオスカー・ワイルド、ウェルズなどの文士連中が顔を出し、楽屋落ちのような打ち明け話を聞かせるあたりにバーンズらしい工夫があり、愉しませてくれる。二段組で約五百ページという分量だが、少年時代を記す淡々とした文が、二人が成長し、アーサーは恋愛に夢中になり、ジョージは事件に翻弄され出すあたりから俄然筆が熱を帯び、二人が出会い、事件の解明が始まると手に汗握る面白さとなる。しかし、最後には静かな余韻を残し、小説は終わる。このリズムがなんとも心地よい。

    前作『終りの感覚』で打ちのめされて以来、ジュリアン・バーンズの次回作を楽しみに待ち続けていた。読後の印象は前作と比べようもないが、期待は裏切られなかった。オスカー・ワイルドが披露した小咄で、悪魔がなかなか誘惑に屈しない賢者に、友達が出世した話を耳打ちすると、賢者の顔が嫉妬で醜く歪んだ、というのが身にしみた。不意打ちのように襲い掛かってくる、この種の洞察にあらためてジュリアン・バーンズらしさを感じた。次の邦訳が待ち遠しい作家である。

  • コナンドイルと堅物のインド系の弁護士
    この弁護士の冤罪がうまく解決していないのを知ったコナンドイルが解決に色々打つ話。長い。おまけに、コナンドイルの不倫話が長く、そこが飽きやすくなるけど、弁護士の話はとても面白く、結局最後まで読みきりました。

  • 一九世紀末。バーミンガムのはずれ、グレート・ワーリーの司祭館の子として育ったジョージ・エイダルジは、些細な出来事をきっかけに、匿名の人物から悪意に満ちた執拗な嫌がらせを受けるようになってしまう。事態は年々エスカレートし、ついにジョージは家畜殺しの冤罪を被せられることに。事務弁護士の職に就いていたジョージは、大英帝国の法律が自分を守ってくれると信じていたが、警察の差別的で先入観に満ちた調査に基づく裁判によって、禁固七年を言い渡される。刑務所に入れられてから三年経ったある日、説明もなく唐突に刑を解かれ、帰宅を許されたが、名誉回復には程遠く弁護士の仕事に復帰できない。そこでジョージは、当代の大作家アーサー・コナン・ドイルに助けを求めた。「エイダルジ事件」として知られている史実に基づく歴史小説。


    ポストモダン的なメタフィクションのイメージが強いバーンズにしては、少し異色にも思えるような伝記的小説である。とはいえ、「子供は見たがるものだ。だからいつもこんなふうに始まるし、そのときもこんなふうに始まった。子供が見たがったのだ」という書き出しから、ドイル死後の交霊会に出席したジョージの複雑な感慨で閉じる最後の一文まで、切れ味の鋭さは尋常じゃない。
    ジョージとアーサーは「見られる人」であり、「見えないものを見ようとした人」だったところが共通項なのだと思う。アーサーは言わずと知れた有名人であり、病身の妻を持ちながら、若い愛人ジーンを連れ歩くのに細心の注意を払う。そして徐々に、心霊主義者として堂々と振る舞うようになっていく。彼がいつ、何をきっかけに心霊主義に嵌り込んだのか、本書が何か答えを用意しているわけではない。それは歴史上の人物を扱うに当たって、誠実であることに神経を配っているからだろうし、この小説全体がコナン・ドイルをドラマティックな人物として描くことに批判的だからでもあると思う。ここにいるアーサーは救いようがないマザコンで、マッチョかぶれの、尊大な英雄願望を膨れ上がらせた、わりとどうしようもない直情型の男である。それでも、二段組・五百ページ近くを読ませる魅力があるのも事実。私が思うに、アーサーは弱さを自分のものとして認めることができなかったから、心霊主義になったのだ。弱さゆえに見えるもの・見たいと願ってしまうものを、外部に実在するものとして自分から切り離してしまいたかったのではないか。
    アーサーにとっての心霊が、ジョージにとっての法律である。法律も結局は言葉によって成立しているだけのものと思えば、「見えないもの」ではなかろうか。キリスト教に改宗したインド人とスコットランド人のあいだに生まれたジョージは、その出自や外見から来る差別を、法律の名の下に一顧だにしないで生きてきた。どんな事件に巻き込まれようと自分の潔白は疑う余地もなく、法がいずれ真実を明るみに出すと信じていた。しかし、彼の逮捕、捜査、裁判、判決は偏見にまみれており、やがて真理や真実はたやすく現実に負けると知る。ジョージ視点で見るエイダルジ事件は、苦い敗北の物語だ。
    そして、ジョージもまた「見られる人」だった。それはアーサーが声をあげるより以前から、悪質な嫌がらせの被害者として、そして警察からの監視によってである。新聞がメディアの王者だった時代の個人を追い込む嫌がらせのやり口が本当に怖すぎる。本書に出てくる手紙や新聞の投書などは、全部史実上の本物を引用しているというから恐ろしい。匿名メッセージでもIPアドレス引っこ抜いて裁判に持ち込めるインターネットのほうがちょっとマシかもと思うくらい。
    本書の構成について書き忘れていたが、基本的にはアーサーの人生を追う断章と、ジョージのそれが交互に配置され、二人の人生が交わるのは第三章だけである。第三章に至るまでに、読者はこの二人が育ちから性格までどれほど異なる人間かを叩き込まれるのだが、だからこそ二人がはじめて顔をあわせた場面はそれだけで感動してしまう。特に、アイルランドの血を引くアーサーが、インドの血を引くジョージに「イングランド人はー本物のイングランド人はー騒ぎが嫌いだ。騒ぎは無作法だと思っていて、対応に困るのだ。しかし穏やかな理屈が効かなかったなら、私は騒々しい理屈を突きつけてやる」と言いのける姿は、そこまでのアーサーにしょうもねえやつと思っていても(笑)、少しは頼りがいを感じさせてくれる。
    後半はジョージの目を通したコナン・ドイル像が面白い。当時の世間一般の人々はシャーロック・ホームズに対する好意を作者ドイルにまでスライドさせてしまうのだが、ジョージはドイルの独善的でハタ迷惑な面を「ホームズのせい」と考える。もしかすると、ホームズを生み出したあとのアーサーを、ホームズよりも好ましい人物として評価したのは、ジーンとジョージだけだったかもしれない。結婚式でジーンがジョージにかけた言葉は、単に「アーサーの英雄願望を満たしてくれてありがとう」ということではなくて、「人間としてのアーサーを信じてくれてありがとう」という意味だったのかもしれない。
    とにかく長いので一言でテーマをまとめられるような小説ではないが、世界大戦へ進む世紀の移り変わりの時代を活写し、プライバシーを侵害する嫌がらせから、腐った権力構造まで、今現在の写し鏡のように感じさせる一冊だった。あとがきによってジョージはさらに第二次大戦後の一九五三年まで生きたことを知ると、「これから、何を見ることになるのか」という最後の一文がさらにずしりと重く響く。

  • 読むのに時間がかかる

  • ドイルが実際に解決したエダルジ冤罪事件の物語。最初はジョージ・エイダルジとドイルの幼少期からの伝記風な描写が交互にあり、事件マダー?っていう気分と人種差別の理不尽さで、つい途中放置していたけど中盤から乗ってきた。ドイルと2人の妻の話がとても詳しい。

  • シャーロック・ホームズを生んだアーサー・コナン・ドイルと、17歳年下で弁護士のジョージ・エイダルジという異なる世界で生きる2人を繋げたのはとある事件だった。1906年、無実の罪を着せられたジョージの潔白を晴らすためアーサーは、ホームズ張りの推理力と粘り強い調査で事件の真相に迫っていく。

  • 面白かった。
    最初は、アーサーとジョージのパートがあまりにも細切れで、且つ中々交わらないのにイラついたが。
    何せ、ジョージが冤罪にどんどん絡め取られて行くのに一向に二人が絡む様子はなく、とうとう有罪確定して投獄され、仮釈放されてやっとの接触だ。
    そこからの展開の鮮やかさはまあ、言うてみれば想定内ですが、瞠目に値するのはそこまで引っ張って行く両者の人物造形の豊かさだ。
    一歩間違えば、京極の榎木津になりそうな奇矯な一面も見せつつ、ギリギリの節度ある、ホームズの産みの親たる面目躍如の華やかな明晰さと行動力、自分の持つ地位名声を意識しながら、惜しげなく利用しつつ、周囲の思惑に惑わされることなくあるべき道へ進もうとするアーサーのひたむきさのチャーミングなこと!
    アーサーに較べれば地味ながら、インド系の容貌と司祭館育ちの生真面目さが独特の雰囲気と言動を醸し出す「NYの英国人」を彷彿とさせるジョージだって、中々昨今のフィクションでお目にかかれないキャラクターだ。

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