- Amazon.co.jp ・本 (282ページ)
- / ISBN・EAN: 9784120048142
作品紹介・あらすじ
その路地は秘密を抱いている。ここは、「この世」の境が溶け出す場所。お針子の齣江、"影"と話す少年、皮肉屋の老婆らが暮らす長屋。あやかしの鈴が響くとき、押し入れに芸者が現れ、天狗がお告げをもたらす。
感想・レビュー・書評
-
その路地には秘密が漂っている――魚屋の次男・浩三は、同じ長屋のお針子・齣江を通じ、「いつかの人々」と出会うことに。
凄く良かった。霞がかった長屋に紛れ込んだよう。
齣江と老婆がなんだか奇しい感じなのだが何故かはわからないまま物語は浩三の日々で進んでいく。
やんちゃだけど聡い浩三と優しく儚さのある齣江の日々が浩三にある予感を芽生えさせる。
読み終えたときに哀しいと同時に暖かい気持ちに…
ちょっと時代がかった背景が素敵な作品にしていました♪
-
一昔前の日本のどこか、長屋でひっそりと暮らす人たち。
市井の人情話のような始まりですが、美しい幻想譚へと広がりを見せていきます。
温かく、切ないお話でした。
天神様の裏手にある狭い路地。
そこに面した古い長屋に住むお針子の齣江は、光の入る窓辺で、いつも仕事をしています。
30半ばにはなっているかという年頃の落ち着いた女性。
向かいに住む老いたトメさんは、何かと食べ物を分けてもらいに上がり込む。
魚屋の次男坊の浩三も、よく立ち寄っては昼寝をしたりしていました。
糸屋の若旦那は人造絹糸を売る話をしにきたり。
編笠をかぶった謎の人物が現れたり。
季節を感じながら丁寧に生きる庶民の暮らしぶりに、ほっとするような心地よさがあります。
齣江のしっとりした雰囲気と、浩三の無邪気な視線も相まって、一緒にずっといたいような気分に誘われますね。
「人にうまく伝わらないようなことばかり考えてる」
「そしたら、そこのところが、浩ちゃんなのね」
こんなことを言い合えるなんて。
まだ狐狸妖怪がいてもおかしくなかった時代の摩訶不可思議な要素がしだいに膨らんできて、トメ婆さんの正体?が現れるようなシーンも。
明かされる齣江の一途な想いが、こちらの心にもずっと残ったまま。
作品の魅力を伝える言葉が見つからなくて、もどかしい思いをしていました。
この優しい手触り、織り上げられた世界の柔らかでいて確かな空気感はぜひ、読んでみて、味わってください。 -
浩三の言葉を借りれば、
どこからか芯のしっかりした
それでいて儚い光を伴った粒子が集まってきて、
一つ一つの物語を私に見せてはまた散っていく。
とてもきれいだった。
どの話もみとれてしまった。
一昔前の、ある長屋に住んでいる人々の連作短編集。
読んで改めてこの本との縁は…と思いをめぐらします。
とどまることなく流れていく時間の中、
周囲が変化しても時代が変わっても
自分の粒子として持つべきものが
きれいな情景の中にぽつんぽつんと置かれてました。
トメさんの言葉が粋です。
読書ノートはほぼ、トメさんの言葉です。
「能」には全く興味なかったですが、
『花伝書』に挑戦してみたくなる一冊です。
難しいですけど、「色即是空」の言葉も
もっと深められるようにならないと
いけないなと思います。
夏が過ぎる前に、夏の見送り方を知り
今年からそうせねばと気合い入りました。
大好きなお話ばかりでした。見つけた感が半端ないです☆ -
木内昇の描く時間軸は案外としなやかで、過去と今が途切れなく繋がっていることをやんわりとした口調で思い出させてくれるのが常だ。それだから、過去の出来事を分かり易い形で切り取って芝居仕立てで語る歴史物とは一線を画していて、昨日も今日もなく日々の中に連綿と続く何でもない出来事が本当は奇跡のような出来事なのだという凡そ歴史小説からは味わうことのないよう感慨が湧く。例えば「茗荷谷の猫」で展開するような時間軸に沿ってのみ移動する視点は、過去と今との多重露出のような効果を生んで、重なり合う日常的な営みを否が応でも意識させる。しかし、それが、つまり一方向にしか流れない時間が、錯綜することがないことを読むものはどこまでも意識しないではいられず、決して直接触れ合うことはないという事実に哀愁を覚える。それがこれまでの木内昇の常套手段でもあったと思う。その意味ではこの本の木内昇はこれまでとは随分と違う。何しろ空想科学小説並みに時間の流れが淀むのだ。
とはいえ、いつもの木内昇の文章から受ける印象が大きく変わるわけではない。読むものは時間の流れの生み出す理不尽さをより強く意識するだけのこと。最終的に大きな流れはやはり不可逆的な事象なのだ。だからといって全てが虚しい訳ではなく、日常は日常として意味を失ったりはしない。全てのことに大袈裟な後知恵の理屈があるように思えたり、物事が必然的に展開するように見えても、歴史はそんな風にして作られるのではなくて、ひとつひとつの営みが大きな糸に束ねられるようにして流れて行くだけ。後から見える景色に真実がある訳ではない。その事はこの「よこまち余話」でもやはりしんしんと伝わってくる。
市井の営みに拘り続けるように見える木内昇の価値観にまたひとつ大きく頷く。 -
木内昇さん2冊目。『ある男』と同時代の設定?懐かしく面白く不思議で悲しい。梨木さんや森見さんが好きな人ならこの雰囲気にはまると思う。
-
今年1番の本に出会えた気がする。この本がどのように素晴らしく、どんなに感動したか、それを伝えたいのに口に出そう、文字に起こそうとなると言葉がはらはらと砂のようにこぼれ落ちていってしまう。未熟な私にはそれをカタチにできる力が備わっていない。だからといって恥ずかしい気持ちは微塵もなく、それ以上にこの本に出会えた喜びで満たされている。今いえることは、心の髄で感動し受け止められたということ。言葉として紡ぐにはまだ時間がかかる。生涯、わたしは何度も読み返すだろう。いつか自分の言葉で語れる日が来ることを信じながら。
-
ページを捲る毎に感じることになるだろう、上質の物語に触れる愉悦を。
そして読み終えて本を閉じるときに感じるだろう、読書という至福を。
傑作「櫛引道守」から3年…木内さん待望の新作は首を長くして待った甲斐のある素晴らしさ。隙のないきっちりとした連作短編、しかし読み進めるうちに一本また一本と糸がほつれていくような違和感を抱きながらもラストにはそのほつれた糸が美しい布に仕立て直されて…
具体的には何も語ることはしないでおこうと思う、真っ新な気持ちでお話に浸ることがこの本の真髄だから。
紛うことなき今年のマイベスト -
「よこまち余話」木内昇。2016年、中央公論社。
素晴らしかった。好きです。
木内さんは「茗荷谷の猫」がなンと言っても最高に好きだったのですが、上回りました。
「櫛挽道守」「光炎の人」「球道恋々」、近作全てハイクオリティですが、なかでも「よこまち余話」は、いちばん”匂い”があって、ここち良い”音”がする小説でした。
(好みによって、地味と言えば地味ですが)
備忘にメモっておくと、昭和初期なのか、大正なのか?くらいの時代の、恐らくは東京の下町辺りの長屋のお話し。
齣江さん、という訳ありげな40がらみの裁縫屋、向かいの長屋にする老婆、同じ長屋に住む魚屋の浩一と浩三(と、その母親のおかみさん)、あたりが主な登場人物。
ドウということの無さそうな、「繊細だけどこじんまりした、ウェルメイドな長屋ものか?」という風情を漂わしながら、「この世とあの世」なのか、時代の時間軸なのか、不思議な往来がミステリアスかつエンタメたっぷりに描かれつつ。
木内昇サンが凡百の作家と違うのは、そんなこんなが実に”凜として”背筋の伸びる上品さ。
それは、そんなエンタメの向こうに伝えたい”匂い”や手触りがはっきりしてるからなんでしょうね。
それぞれに、いわゆる現世で片腕をちぎられるような想いを残してきた名も無き女性たちの、その「片腕をちぎられるような痛みや悔しさ」を。なんというか、春まだ来らじ肌寒い朝の、圧巻な梅の匂いのような見事さで陶然と味わう読書の快楽。
本当に、心温もり泣けてくるとはこのことだ、というラストに脱帽。
と、言う感想も、もう若くない読者のみが感じるモノかも知れませんが…。でも、木内昇さんを同時代に読める幸福。本当にこの作家は凄いと思います。文章、言葉もタマりません。(もちろん、それがいちばんの要素なんですが) -
全体的にほのぼのとした文体で、精神安定剤のように読みました。 駒江さんに憧れます。最後、遠野くんの彼女の顔が見たかった。浩三くんの表情を見たかった。
-
ほとんどが、狭い路地の中、そこに並ぶ長屋を舞台に語られる。
よくよく思い出せば、学校や、ミカンが採れる暖かい土地なども出て来るのだが、それでも、読者である自分は不思議な閉じた世界に閉じ込められていて、どうやってもそこから抜け出せないという感じがする。
多分、登場人物も、そんな空間に囚われているようだが、ただ一人、糸屋だけが何も考えない無頓着さで、壁をぶち破って自由にかなたとこなたを往き来しているのである。
彼だけが、現実的で即物的で、悪気はないのだろうが俗物的だ。
路地には常に、黄昏の黄ばんだ光が満ちている気がする。
夏を語られていても、陽の光は低く差し込む。
時の流れがどうなっているのか考えると眩暈がしてくるが、後から思い出すと、なんとなく「そうなのかな〜?」と思いあたるふしがあったり。
例えば、齣江が、静岡らしきところに6日ほど滞在したのは、ちょうどお盆の時期だったのかな、とか。
もう一度読み返したい。
あちこちに不思議の種が転がっていそうだ。
鍵は『花伝書』なのだろうか。
夢と現(うつつ)に境目はないのだろうか。 -
彼岸とこの世の混じり合う間,古いものが息づいている長屋,不思議な空間時間を生き直している人たち.作者の優しい目は,疑う事を知らない浩三の目を通して暖かく注がれる.そして何より主人公達はもとより,糸屋のすっとぼけた若だんな,和菓子屋の親爺,質屋の親爺など魅力的な脇役が揃っている.
-
木内昇さん、初めて読みました。
読み終わってじんわりと心が温かくそして少し切なくなる物語でした。
神社の石段の近くにある、昔ながらの古い長屋を舞台に
登場するのは感性の鋭い人・鈍い人、頭の切れる人・ぼ~っとした人からこの世の人ともわからぬ人まで
皆が今日一日を大切に生きる愛おしい存在として描かれています。
物語が進むにつれ、薄紙を剥すように徐々に見えてくるのは
時空を超えるほどの、諦めきれぬ思い。
その一途な思いがまっすぐに読む者の胸に響きます。
お気に入りの作家さんがまた一人増えてとてもうれしい♪ -
粋で江戸の風情を漂わせる世界はますます洗練されていき、話芸のような、心地よいリズムに浸れました。ところが、なんの説明もなくふと紛れ込む世界が、またぞくぞくするほど新鮮で、鮮烈でした。
しかも、どれが現実のひとなのか、ここは異界なのか、現(うつつ)なのか、読み手は木内さんの思うがままに翻弄されるのです。その心地よさ。
木内さんのあたらしい世界に触れて、ますます楽しみな作家さんです。また、そこはかとない、でもニヤニヤしてしまうユーモアにもはまりました。
「少しずつ姿を変える日々の営みの中に、ふと立ち上がる誰かの面影。確かな手応えを刻む、先人の記憶。時を声、人々の思いは積もる。懐かしい露地に季節がめぐるとき、彼女は再び彼と出会う。」
この帯の文章が、この本の世界を言い得て妙でした。 -
何度鳥肌が立っただろう
いやただの鳥肌ではなかった
体の内側までソワソワとする鳥肌を
何度感じただろうか
感動の数だけ名場面や銘文があるのなら
この作品のそれのなんと多いことか
前作「櫛挽道守」の感動いまだ冷めやらぬ中
“柔らかな”物語に包まれながら
心をゾクゾクと震わせて最終頁にたどり着き
浮世の感覚のまま読み終えました。
どうだ外国語!
日本語はこんなに素晴らしい物語を紡ぎだせるのだ!
と一人虎の威を借る狐になっている自分がいます。 -
なんとも しみじみしたものが
ゆったり余韻として
気持ちに心地よく滲みだす
読後感
あぁ この感覚は
梨木果歩さんの作品の時と
よく似ているなぁ
と 思ったり
人の暮らしの中にある
どうにもできない苛立ち
なんとかしたかった思い
なんともできないあきらめ
それらを
そっと掌に掬って
余剰豊かにつむいでいくと
こんな物語に
なるのでしょうね
さかたきよこさんの
表紙絵がまた素晴らしい -
何とも不思議な。
世にも奇妙な的な。
でも何とも心地良い、フワフワした気持ちになる。 -
現在と、過去と未来、此岸と彼岸が交わる、切ないお話。もういなくなった人、去っていく人、これからを生きていく人の営みが間近に感じられて、胸がいっぱいになった。
-
読み始めは明治期の長屋を舞台にした、ごく普通の人情もののようでした。しかし、読み進めるに従い、思わぬ方向に話が進みます。
直前に読んだ梨木香歩さんの「冬虫夏草」と同系統の不思議な物語。日常の中にごく普通に”不可思議”が紛れ込んで物語が進んでいきます。ただ、最初から全体の構成がきちんと作られていたのでしょうね。最初はポツンと現れた”不可思議”がどんどん広がって行くようになっています。
木内さん、良いですね。時代小説がメインですが多作に流されることなく(時代小説作家は人気が出ると多作になることが多いような気がします)、一作一作本当に手塩に掛けるという感じで丁寧に書かれています。文章も見事です。
ただ欲を言えば、齣江さん、トメさんがこの長屋に現れたその裏をもう少し描いて欲しかったかな。あからさまで無く、ほんの少しで良いのですが。 -
とある長屋の日常かと思えば、読み進めるうちに、不思議な世界がじわじわと広がっていく・・・。こういうお話、好きです。
大丈夫ですか?
大丈夫ですか?