おばちゃんたちのいるところ - Where the Wild Ladies Are

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 95
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  • Amazon.co.jp ・本 (231ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120049187

感想・レビュー・書評

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  • もっと軽いタッチの話ばかりと想像していたが、途中から展開が変わってきた。

  • 松田青子がまたしてもやってくれた。
    雑誌「アンデル 小さな文芸誌」に連載されていたという十七編にもう一編を加えたオムニバス短編集。それぞれ独立したお話として読むことができるのだが、実はつながっている。それぞれのお話を読んでいる時は、街の中をウロウロと探検しながら路地裏をのぞき見ているような感じだけど、最後まで通して読んでみると、いつのまにか高いところ(姫路城の天守閣?)にたどり着いていて、今まで歩いてきた街の風景が一望できた、みたいな気持ちのよさが。

    すべてのお話には元になっているモチーフがある(巻末にリストあり)。それらはすべて落語、歌舞伎、民話、怪談など、日本古来の土着の伝承文学。
    ちょっと意外!
    というのも、これまでの松田青子の作品世界は、ドライでスタイリッシュな現代的な都会の風景の中に、なぜかポコポコと、しかし違和感もなく、森やお花といったガーリーな要素が点在しているようなイメージがあって、そうしたパッケージのようなものでぴっしりと覆われ、守られていたように思う。だけども今回は、そんな包装紙はビリビリと剥ぎ取られている。そしてその下には、なんとも滋味深い泥と水とが溢れ出しているようなのだ。
    とはいっても、やはりそこは松田青子。あの独特のシニカルなユーモアは健在。ドロドロとした重苦しさはなく、軽妙な言葉でネチネチと楽しませる。

    あちこちに登場する「おばちゃんたち」。さまざまな事情から、すでにこの世の者ではなくなった(はずの)人たち。それなのに何故かまだこの世にとどまり、謎の組織の一員として働く彼女たちは、おそらく生きていた頃よりもずっと生き生きとしている。

    以下、ネタバレ。

    まずは何といっても巻頭、女子たちを悩ませる「毛」の問題に切り込んだ一編「みがきをかける」。まさに宣戦布告のオープニングだ。
    彼氏に二股をかけられてフラれ、「自分を磨く」ためにエステサロンの永久脱毛コースに通い始める「わたし」。「わたしは可愛い、わたしは可愛い…」と自分に暗示をかけながら、ツルツルですべすべな完ぺき女子を目指す。そこへ「おばちゃん」があらわれて言う。「あんた、毛の力をみすみす手放すんか。(…)その毛はなあ、あんたに残された唯一の野生や。せっかくの野生なんやで。(…)毛の力はあんたのパワーやで。」
    磨きをかけるべくは、不毛な自己イメージではなく、ツヤツヤでふさふさな根強い毛の力。

    そして、嫉妬にかられた女のすざまじい破壊力を描いた「悋気しい」。彼女は嫉妬心に一度火が点いてしまうと見事な「あばれるちゃん」に豹変してしまうのだが、とにかく壊して壊して壊しまくるその破壊力は、もう清々しいほどなのである。しかしそんな修羅場の中でも、投げていい物と投げてはいけない物を瞬時に判断する冷静さは決して失わない。百円ショップで買った食器、イケア、無印良品くらいまではOK。だけどノリタケのティーカップセットやアラビアの食器は絶対に投げない。

    それから、とくに感心したのが「クズハの一生」。日本にはクズハ的要素を持つ女性が今でも少なからず存在するんじゃないかと思う。
    クズハは「動物占いでいうときつねって感じ」の女で、実際彼女は小さな頃から賢かった。「けれどクズハは、勉強がよくできる自分が落ち着かなかった。(…)自分がいくらがんばったところで、どこかで必ず道を阻まれる。歴史が、社会の状況が、様々な数字が、それを証明している。(…)道を阻まれた地点から、また一からやり直すのは遠回りになる。だったら、当たり障りのない自分でいることが、何もがんばらないことが、夢など見ないことが、生きる上での一番の近道だ」。そうして、高校卒業後は進学せず就職、という道を希望したクズハに、周囲は戸惑うも結局は「まあ女の子だし」という理由で納得。OLとなった彼女は、その後も順調に「標準的な人間の女のふり」をして要領よく生きていく。
    「仕事に苦労している男子社員を見ると、クズハは代わりにやってやりたいと憐憫の情を感じることがあった。あんな簡単な仕事、私ならばすぐに片付けることができるのに。社会は不公平だ。男子社員は、できないこともできるふりをしなければならない。女子社員は、できることもできないふりをしなければならない。これまでにどれだけたくさんの女たちが、ある才能をないことにされてきたんだろう。これまでにどれだけの男たちが、ない才能をあることにされてきたんだろう」。そんなことを一瞬考えるものの、「まあ、別に関係ないけど」とすぐに忘れる。そもそも、上司のセクハラにも、ほかの女子社員たちがもらすグチにも「ふーん、と思うだけ」で、「表現したい胸の内など、クズハには特になかった」。やがて、同僚の中でもとくに仕事ができない(けれども優しくて、何より正社員なので安定している)「安倍さん」と結婚し、二十代半ばで寿退社、すぐに男の子を出産…、と決して「近道」から外れずに人生を歩んでいくクズハだったが…。 いつからか時々聞こえてくるようになった「そろそろ逃げて」という声はなんだろう?
    ずっと全力を出さずに生きてきたきつねは、死んでみてはじめて本来の自分の力に気づき、「自分を活かせる仕事」、「全力を出しても良い仕事」に就く。
    「(…)社会はだいぶ変化した。(…)悪い意味で平等になった。女が上がらず、男が下がってきた。(…)ある側面では、女と男の絶望の量がもうすぐ同じになる。もしかしたら、その方が生きやすい社会になるかもしれない」。

    その他、生活のために子どもを一人家に残して働きに出かけるシングルマザーの不安と、それに寄り添う子育て幽霊を描いた「彼女ができること」。
    「今日は何もなくても、明日はわからない。その繰り返しだ。それでも彼女には、どうすることもできない。彼女は抜け出すことができない。だから彼女は、彼女を助けることにする。彼女は、彼女の苦境を静かに観察してきた。それも彼女の仕事の一環だ。」人物に特定の名を持たせず「彼ら」「彼女(たち)」とした語りの手法も、これはあなたの物語であり、私の物語でもあり、同様のケースはこの社会におそらくいくつも存在しているのだという事実を想起させ、効果的だ。

    「休戦日」と「菊枝の青春」も、じんわりと沁みてくる二編。
    正体不明の相棒「ガムちゃん」(どうやら爬虫類らしい)と一緒に、痴漢やストーカー被害などに合った女性たちをサポートする仕事をしている「私」。「休戦日」は、「ガムちゃんと私」のだらだらした休日を描いた一編。「でも本心を言えば、ガムちゃんと私とで男の人とにらみ合うのは、もうなんだか嫌で、もうなんだか飽き飽きで、ほんとはガムちゃんと私と誰かと誰かで、にこにこしていたいのだ、ずっと。(…)なのに、これまでの自分のことを考えたら、いろんな女の人に起こったいろんなことを考えたら、悲しくて仕方ないから、腹が立って仕方ないから、はじめから萎えるから、だったらもうガムちゃんとだらだらしていられる、この部屋から出たくない」。ありがとう、おつかれさま、でももういいんだよ、しあわせになってもいいんだよ、と言ってあげたい。
    「いちまーい、にまーい、さんまーい…」でおなじみの烈女お菊さんがつなぐ縁を描いた「菊枝の青春」は、ラストがほほえましく、がんばれと応援したくなる。菊枝さん、デートうまくいくといいね。

    生者と死者とが共存する不思議な世界は、とにかく全編ハズレなし。
    この世知辛い世の中で、生きているはずの人々は、老若男女くたびれた人ばかりで、表題作「おばちゃんたちのいるところ」の青年のように、時として「荒波どころか、浅瀬に打ち寄せるさざ波でさえ乗り越えられそうにない」ほどにくたびれている。一方、死んでいるはずの「おばちゃんたち」は、此の世のしがらみや諸々の重圧から解放され、なぜかみんな楽しそう。解き放たれた「おばちゃんたち」の恨み辛みは、ポジティブなエネルギーに変換され、まだまだ生きていかなければならない私たちにも、不思議なパワーを与えてくれるようである。

  • 面白かった〜!言い回しが面白くてにやにやしてしまった。

    ・なぜもう死んでいるんだ。悪いやつらがのうのうと死んでいることがこの上なく悔しい。
    ・恋とか、恋愛とか、本当に意味がわからない。これまでが異常だったのだから、少子化なんてもうしょうがないじゃないかと思う。皆、目が覚めてきたのだ。いざとなったら、皆で滅びればいいよね。

  • 何だかもう、幽霊たちが楽しい!おばちゃんたちは強い!色んなパワーに溢れていて、幽霊も生きている人も、キラキラしている。
    色々大変なことはあるけど、幽霊になって楽しいと、死後もいいなぁ、何か夢があるなぁと思いました。汀さんと一緒に私も働けるといいんだけど!

  • 落語や歌舞伎などをモチーフに、現代のあらゆる女たちのワンシーンを切り取った短編集。
    生きてる人間とそうでないタイプのいろいろが半々の割合で働いてる謎の企業シリーズが好きです。

  • 元気な幽霊たちのお話。
    状況やオチがよくわからないまま読み進めたら巻末にそれぞれの短編のモチーフになった怪談や演目が載ってた…
    これを巻頭に載せてくれてたら、ちゃんと調べて読んだのに…残念。

  • 短い話がたくさんあった。
    読み初めはイマイチ物足りない、もっと深く掘ってくれたら面白そうと思ったが、後半微妙に繋がり面白かった。

    「ひなちゃん」が良かった!

  • 最初のおばちゃんから飛ばしていて笑った~。
    「毛」の力って!
    それにしても、自分のお墓の前で「千の風になって」を歌っちゃダメだよ、おばちゃん!
    おばちゃん以外にも牡丹燈篭のお露やら八百屋お七やら、有名な亡者(?)たちが、生まれ変わったりそのままの姿だったりで、今の世で能力を発揮して生きているストーリーがどれも面白かった。
    汀さんや茂が働く謎の会社もいい。
    この作家さんの本、制覇したくなりました。

  • おばちゃんたちの生態がさまざまに書かれている本かと思って手に取ったが、間違ってはいないけれど、おば…のあとに「け」が抜けているような気もする。
    けの力は大切にしないとね?

    生きている人も死んだ人も、同じく世の中に紛れ込んでいるらしい。
    17編のショートショート。

    わけのわからない会社は最後までわけがわからなかったが、汀(てい)さんが良かったなあ。
    汀は「みぎわ」とも読むから、水と陸地の境目…あの世とこの世の境目、三途の川に関係してるのかしらとか、妄想を膨らます。

    なんや、ピンポン鳴らしてから来るんかい!とか、
    自由に出し入れできるんかい、とか、
    お札はホームセンターで買えるのね、とか、
    それって特技なんだ!?
    同じ会社なんだ?!
    などと楽しく突っ込めるのだが、なぜか昔から女性はさまざまな理不尽に耐えてきたんだなあ、と考えさせられる部分も多い。
    しかし、生身から開放された彼女たちはパワフルだ。

    二人組のセールスレディの話術のテンポが最高に可笑しかった。
    お線香の名前がすごいわね。

    落語や怪談に元ネタがあり、巻末に記されています。

  • 不思議な小説です。
    220頁で全17作。平均すれば1作10数ページの掌編。
    同じ「何をしているのかよく判らない会社」を舞台にしているものが半数強。とは言え、登場人物と会社が共通なだけで、話は全部独立しています。ただ、全編を通し「おばけ」が出てくるのが最大の共通点です。それもなんか変わった「おばけ」達で(「うらめしやー」が一発ギャグとか)、ホラーなんかじゃありません。様々なシガラミに少し疲れた人の前に、妙に生き生きとしたお化けが現れて、何となく解決として行く。奇妙にトボけた可笑しみの中に、生き辛さに至る小さな棘が隠れていたりします。
    面白いのですが、何作か続けて読むと何故か強烈な眠気に襲われます。何故でしょうね。ですからちょっとづつ何回にも分けて読了です。松田青子さん、初めての作家さんですが、なかなか個性的な面白みが有ります。
    2021年度、世界幻想文学大賞・短編集部門を受賞作だそうです。

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著者プロフィール

作家、翻訳家。著書に、小説『スタッキング可能』『英子の森』(河出書房新社)、『おばちゃんたちのいるところ』(中央公論新社)など。2019年、『ワイルドフラワーの見えない一年』(河出書房新社)収録の短篇「女が死ぬ」がシャーリィ・ジャクスン賞候補に。訳書に、カレン・ラッセル『狼少女たちの聖ルーシー寮』『レモン畑の吸血鬼』、アメリア・グレイ『AM/PM』(いずれも河出書房新社)など。

「2020年 『彼女の体とその他の断片』 で使われていた紹介文から引用しています。」

松田青子の作品

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