デンジャラス

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 69
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  • Amazon.co.jp ・本 (287ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120049859

感想・レビュー・書評

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  • 谷崎潤一郎の3番目の妻・松子の妹で、「細雪」の雪子のモデルと言われる重子を主人公に、晩年の谷崎と周囲の女性たちを描いた小説。松子、重子に加えて、松子の連れ子で重子の養子となった清一の嫁、千萬子の3人の女性が主要な登場人物。千萬子は、最晩年の谷崎潤一郎が愛した女性と言われ、「瘋癲老人日記」に颯子として登場する女性のモデルと言われている。また、谷崎と千萬子は、大量の手紙のやり取りをしていたが、それらは、「谷崎潤一郎=渡辺千萬子 往復書簡」として出版されている。
    本作品「デンジャラス」に登場する主要人物は、上記の女性たちを含め実在の人物であり、また、小説の中の出来事も実際に起こったことをなぞっているようであるが、物語としては、完全に桐野夏生の創作したフィクションである。

    本小説のクライマックスは、物語の最後に、重子が谷崎潤一郎に対して、千萬子との関係で意見をする場面である。この場面のあと、谷崎潤一郎は、千萬子に手紙を書くのをやめたとしている。その中で、 重子に千萬子との関係を責められた谷崎潤一郎は重子に土下座をし、重子は谷崎潤一郎を足で踏みつける。

    【引用】
    私は足袋を穿いた右足を、兄さんの左肩の上に置きました。兄さんがぴくりとして身じろぎします。
    「なら、千萬子はどないするんや」
    足先に力を籠めます。兄さんの肩は固くて岩のよう。
    「千萬子とはもう二度と会わないようにいたします。明後日、千萬子が東京に来たら、私は会わずに熱海に帰ります。どうぞ私を信じて、お許しください」
    【引用終わり】

    松子・重子は谷崎潤一郎よりも、かなり年下とは言え、既に五十代。千萬子は二人の子供の世代であり、まだ若い。かつて、松子・重子をモデルに谷崎潤一郎は小説を書いたとされている。それを、松子・重子は、自分たちは谷崎潤一郎に愛されていたのだ、少なくとも谷崎潤一郎の関心の中心にいたのだと解釈する。ところが、谷崎潤一郎の関心は、千萬子に移り、毎日のように手紙をやり取りし、また、彼女のために京都に新しく家を建てたばかりか、自らと彼女の関係をテーマにした「瘋癲老人日記」という小説を書く。その愛情と関心が、松子・重子から千萬子に移ったまま谷崎潤一郎は亡くなったと世間一般には解釈されているようだが、実は、谷崎潤一郎の心の中にいたのは重子であったと桐野夏生は解釈して、それを小説にしたのが、この作品だ。この解釈が、桐野夏生の創作したフィクションである。
    「瘋癲老人日記」の中で、谷崎潤一郎がモデルとなっていると解釈されている「卯木老人」は、千萬子がモデルの嫁の「颯子」の美しい足に惚れ込んで、その足の指をしゃぶらせて貰うシーンがある。上記の、重子が土下座をした谷崎潤一郎を足蹴にする場面は、もちろん、そのシーンを意識して描かれた場面であろう。
    しかし、この場面も小説全体の中に位置づけると、唐突な印象をまぬがれない。この場面の前まで、重子が谷崎潤一郎を足蹴にしたことはないことはもちろん、引用場面のような、ぞんざいな口のききかたをしたこともない。しかし実際には、谷崎潤一郎は重子に足蹴にされることを心待ちにしていたし、重子も谷崎潤一郎を支配することを望んでいたのだろう。そのような潜在的な欲望が、この場面として描かれ、千萬子よりも重子を谷崎潤一郎は欲望していたという解釈なのだろう。

    私自身は、実は谷崎潤一郎の小説を読んだことはなく、松子・重子・千萬子という谷崎潤一郎を囲む女性たちのことも全く知らなかった。しかし、そういったことを知らなくても、この小説は全く問題なく読める。
    小説の中で、桐野夏生は重子に、「瘋癲老人日記」の嫁の足を卯木老人がしゃぶる場面を、「私は"老人の性"とは、かくも妖しいものだったのか、と驚きを覚えたのです。」と語らせているが、上記の引用場面で、重子もその妖しさにつかまってしまったということなのかもしれない。

  • 谷崎潤一郎の妻松子の妹重子の目線で書かれている、谷崎家の妖しくもデンジャラスな暮らし。
    こういう作家の暮らしぶりの小説を読みたかったのです。
    しかも谷崎潤一郎なんて、まさにうってつけ。
    「細雪」は実はまだ読んでいなかったから、読む前にこちらを読んで良かったかも。

  • 文豪谷崎潤一郎の生涯を賭したミューズ探しの旅、と言ってしまうともう一言で終わってしまうのですが、うーん、ここまで実在していた人物及び家族を赤裸々に描いてしまうところに桐野さんの凄さを感じました。

    谷崎の築いてきたミューズ候補の女性たちで成される家族帝国ではあったけど、彼がずっと待っていたのは作品世界に縛り付けられそこから抜け出せない女性よりも、それを打ち破る自分の予想や現実を遥かに超えた女性だったのだろうかと思いました。

    終盤近くの重子がひれ伏す谷崎を足蹴にするシーンなどは、ちょっと「痴人の愛」を重なりましたが、現実で彼を本当に足蹴にした女性は小説世界のナヲミではなく重子しかいなかったのでしょうね。

    だけど、そんな重子でさえも、実は二重に張り巡らされた小説世界の住人でしかなかったのでは…とラストはちょっとゾクッとさせれました。
    一つ目の枠は超えてきたけれど、実はもう一つ枠があって…などと思うとやはり文豪って業が深いよ、と嘆息せざるを得ません。

  • 谷崎潤一郎を頂点とした、過程の中の王国とそこに生きる女性たちがねっとりとした筆致で描かれています。

    閉鎖的な環境下で彼女たちが抱く、嫉妬や羨望、優越感に焦燥…といった感情が読み手にリアルに伝わってきて、恐ろしいのについ読み進めてしまう。ラストシーンにはゾッとしました。

    過激な言葉は使われていないのに、こんなにも心を抉るのかと、桐野さんの文体に感動しました。

  • 谷崎潤一郎と彼を囲む女たちの話。
    小説のモデルとなったとも言われている
    妻や妹、息子の嫁、女中らなど
    女が彼の創作の源だった。
    女たちから見た谷崎は
    さぞかし憎らしかっただろうが
    だからこそ愛しかったのだろう。
    読み終わって謝辞を見てびっくり、ちまこさんご存命…

  • 何かの書評番組で谷崎潤一郎の「細雪」の続編的作品だと知って、映画やTVドラマで見てきたので興味が湧き読んでみた。確かに「細雪」の続編とも言える実録谷崎潤一郎一家とも言える作品であるが、これもまた著者の一方的分析のみであり今は亡き谷崎に反論のしようもない、その辺は昨今の三流週刊誌のゴシップ記事のようで、下世話な一般大衆には受けそうである。この頃の日本作家と言えば私小説ばかりで面白みに欠けるものばかりになって、文学の衰退が感じられたが、やっと最近になって文学にも多様性が出てきて世界にも御せるようになった。

  • 谷崎潤一郎『細雪』その後譚でもあり、モデル問題のようでもあり、小説とは何かをひも解いていくのでもある、のがこの小説です。

    語り手、主人公「重子」が『細雪』の3女「雪子」であると明かされるところから始まります。あのたおやかで楚々としているのに、芯の強そうなところが見える美人。神秘的なのか、やはりうちを分け入ると自意識過剰なのか?

    谷崎潤一郎という作家の老境・晩年(アラカンから七十代終わりで死ぬまで)の作家としての心境、書きざまを周りの女性から描いてもいます。

    それにしても妻の妹、妻の連れ子の娘、妻の連れ子の息子の嫁、女性お手伝いさんが5~6名、と常に女性に囲まれて暮らす作家のその精力の旺盛さには並々ならぬものがあります。小説を書くために「ぎんぎらぎん」だったのか、もともと強いお人だったのか。周りの人々は危険性を感じながらも魅せられていくのはよほど個性的にすごい人だったのでしょう。それともお作品の方だけがすごかったのでしょうか。

    桐野夏生さんの文章は相変わらずそつのないものでわたしにとっては読みやすいのでございました。

  • 谷崎潤一郎の三人目の妻の妹の視点から、晩年の谷崎家のデンジャラスな暮らしを描く。

    語り手となる妹は『細雪』のモデルであり、谷崎を慕う主人公はそのことが生きる上での支えとなっている。語り口調は上品で穏やかだが、谷崎に愛されることを切望している女性たちの姿は何とも痛々しい。
    奔放に振る舞う谷崎も、さもありなんという感じで、桐野夏生のとらえかたが実に巧みだ。

    文豪と称される谷崎、『春琴抄』『刺青』『痴人の愛』などを読んだのはたぶん10代の頃で、禁断の美を感じるどころか純真な心には気持ちの悪さしか感じなかった。が、30歳前後で読んだ『細雪』はおもしろかった記憶がある。
    興味のある女性を身近に置いて執筆の原動力とする、老いてますます盛んな作家、やはり読み手もある程度熟していないと魅力はわからないのだと、本作を読んで改めて思った次第。

  •  日本文学史上もっとも貪欲で危険な文豪・谷崎潤一郎。
     その文豪の創作の源は彼の築き上げる「家族帝国」の女たちであった。3人目の妻―松子、その妹重子、そして重子の嫁―千萬子。
     その女たちは彼の創作活動の源でありながらも、彼の個性と生き様に翻弄され、四角関係のなかで喘ぎ、悦び、落胆するという煩悩の炎を燃やし続けてゆく。

     谷崎の生涯については教科書レベルでの知識しかなかったが、今回、桐野の描き切る谷崎の「家庭帝国」での谷崎の生き様に驚嘆するとともに、重子を通して女の怖さ恐ろしさを見せつけられるが、重子はまた魅力的でもあった。

    (内容紹介)から

     君臨する男。
     寵愛される女たち。

    「重ちゃん、ずっと一緒にいてください。死ぬときも一緒です。僕はあなたが好きです。あなたのためには、すべてを擲つ覚悟があります」兄さんはそのまま書斎の方に向かって歩いて行ってしまわれました。
     その背中を見送っていた私は思わず目を背けたのです。これ以上、眺めていてはいけない。 そう自戒したのです。(本書より抜粋)

     文豪が築き上げた理想の〈家族帝国〉と、そこで繰り広げられる妖しい四角関係――
     日本文学史上もっとも貪欲で危険な文豪・谷崎潤一郎。
     人間の深淵を見つめ続ける桐野夏生が、燃えさかる作家の「業」に焦点をあて、新たな小説へと昇華させる。

  • 谷崎潤一郎を主人とする一家の中で妻の妹がヒロインで谷崎の創作意欲を掻き立てるミューズの役割をしていた経緯を描く。細雪、鍵での裏話やヒロインから養子の妻へのミューズの世代交代の危機感から谷崎の晩年の作品群の裏話が知れて興味深い。

著者プロフィール

1951年金沢市生まれ。1993年『顔に降りかかる雨』で「江戸川乱歩賞」、98年『OUT』で「日本推理作家協会賞」、99年『柔らかな頬』で「直木賞」、03年『グロテスク』で「泉鏡花文学賞」、04年『残虐記』で「柴田錬三郎賞」、05年『魂萌え!』で「婦人公論文芸賞」、08年『東京島』で「谷崎潤一郎賞」、09年『女神記』で「紫式部文学賞」、10年・11年『ナニカアル』で、「島清恋愛文学賞」「読売文学賞」をW受賞する。15年「紫綬褒章」を受章、21年「早稲田大学坪内逍遥大賞」を受賞。23年『燕は戻ってこない』で、「毎日芸術賞」「吉川英治文学賞」の2賞を受賞する。日本ペンクラブ会長を務める。

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