戊辰戦争: 敗者の明治維新 (中公新書 455)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121004550

感想・レビュー・書評

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  • 戊辰戦争は不思議な戦争である。佐幕側の敗因は色々と分析できるか、佐幕側は殺すか殺されるかの戦争をする感覚よりも、朝廷に嘆願するという意識が強かった点が大きいだろう。蝦夷共和国で独立政権を志向した榎本武揚でさえ右大臣岩倉具視に宛てて、旧幕臣による蝦夷地開拓を歎願していた。承久の乱のように朝廷と真っ向から対決して屈服させるという武士の意識はなくなったのだろうか。

  • ○戊辰戦争の経緯
    大政奉還を上奏したが、徳川は依然権力を保持しており、徳川としては国家運営を出来るものならやってみろとの立場
    大政奉還で徳川幕府が独裁を放棄した事で諸藩連合政権か倒幕の選択肢があり各藩で意見が分かれたが、
    薩長ら強硬派は倒幕を志向し安芸、越前、尾張、土佐藩とクーデターを起こして王政復古の大号令を行った。
    王政復古では三職会議が開かれて内閣が成立したが官僚組織は未整備であり財源も曖昧と心許ない地盤であった。
    徳川慶喜は新体制はうまくいかないだろうと推測し、そのうち新政府の穏健派が徳川を頼ってくると楽観的であり二条城→大阪に移動した。
    しかし薩長と幕府強硬派は小競り合いを起こしており、江戸薩摩藩鄭の焼き討ちを機に幕府強硬派が京都に攻め入ろうとして戊辰戦争が勃発した。幕府軍の北上を受けて鳥羽では薩摩、長州、土佐藩、伏見では彦根、西大路、薩摩が守りを固めた。幕府軍は鳥羽・伏見→淀(淀藩が幕府軍入場拒否)→八幡・橋本(津藩の政府軍転向)と退却していった。
    結果、西国の諸藩は早々に新政府へ忠誠を誓った。

    ○奥羽列藩同盟
    会津藩は藩主松平容保が京都守護職を務めていた経緯もあり、薩長とは因縁浅からぬ関係であった。
    そのため徳川慶喜が謹慎しても武装解除を拒否して2月16日から会津へ戻った。
    東北諸藩は戦火が東北地方に及ぶのを避けるべく、仙台藩、米沢藩、会津藩間で会津藩の謝罪歎願を周旋したが、
    会津藩は頑固であり説得を受け入れようとしなかった。また新政府も征討令を出した以上は後に引けなかった。
    *禁門の変で幕府が寛大な処置を行った事と対照的であり、ペリー来航以降の失政の責任は大政奉還で精算されているとの見方があり、会津藩処分と庄内藩処分の罪状があやふやなため薩長の恨み晴らしにすぎないのではとの見方が少なからずあった
    その状況下で新政府軍参謀の世良修蔵暗殺事件が福島で発生し、東北諸藩は朝廷に申し開きをするべく慌てて同盟を結成する。
    この同盟の性格は反政府でなく薩長の専制を否定に留まっており、新政府の軍事部門である総督府の指揮下に入るのを志向していた。
    一方で公家出身の総督は新政府寄りであり仙台を脱出して政府軍に合流してしまった。
    折しも上野輪王寺公現法親王が会津に入っており、彼を盟主として列藩同盟を結成し京都政権の対抗とした。
    この時奥羽列藩同盟は戦争を避けるための軍事同盟から積極的な軍事同盟になった。
    *輪王寺宮を東武皇帝として東武政府を樹立するところまで考えていたかは議論の余地あり。

  • 明治維新を違う側面から見た「戊辰戦争史」
    朝敵とされた「会津藩」を中心に様々な思惑で結成された
    「奥羽越列藩同盟」
    それを懐柔策と最新武器で突破する「薩長軍」
    明治維新って何だったのでしょうね

  • 敗者側から見た戊辰戦争。

  • (2013.05.30読了)(2005.04.10購入)
    【新島八重とその周辺・その⑨】
    『三省堂 大辞林』で「戊辰戦争」は以下のように説明されています。
    【戊辰戦争】
    1868年(慶応4)戊辰の年に始まり、維新政府軍と旧幕府側との間に一六か月余にわたって戦われた内戦。正月の鳥羽・伏見の戦いに勝利した政府軍は、四月江戸城を接収、上野にこもる彰義隊はじめ関東各地で旧幕府主戦派を討滅、奥羽越列藩同盟を結んで対抗する諸藩をも会津戦争を頂点に一〇月には帰順させた。翌年5月、最後の拠点箱館五稜郭を陥落させ、内戦は終結、明治絶対主義国家確立への途が開かれた。

    『大辞林』の説明通り、この本では、鳥羽伏見の戦いから、箱館戦争までを説明しています。鳥羽伏見の戦いから、江戸開城あたりまでは、興味深い記述がいくつかあったので、面白かったのですが、それ以後は、詳細に記述してあるためか、全体としての流れがよく分かりませんでした。
    会津の戦いについては、「八重の桜」への興味もあるので、期待して読んだのですが、あまり詳しくはありませんでした。したがって、会津の戦いについては、「小説・新島八重 会津おんな戦記」福本武久著、の方がいいようです。
    孝明天皇については、8頁で、毒殺説を支持していたのですが、1990年の「あとがき」への追記で、疱瘡での死亡、という病死説に変更しています。
    孝明天皇が生きていれば、戊辰戦争はなかったのでしょうか?明治維新はなかったのでしょうか?歴史の流れは、一人の人物の生死で、変わってしまうのでしょうか?
    何とも言い難いところです。
    明治維新の推進は、岩倉具視、西郷吉之助、大久保利通と、薩摩・長州の軍事力によって行われたと考えていいのでしょうか。江戸城の無血開城は、勝海舟の知恵によって可能だったのでしょうか。徳川最後の将軍は、口の達者な慶喜であったことが、官軍に幸いしたといえるのかも。そのことを見越して、薩摩は、早くから徳川慶喜を将軍に据えたがっていたのでしょうか。
    この本を読むと、幕府の巻き返しの機会は、何度もあったようで、そのたびに、徳川慶喜の選択は、裏目裏目に出ているようです。
    東北戦争は、長州による会津への報復戦と見るべきなのでしょうか。それとも、幕府の力を徹底的に弱体化するためにやむを得ない戦いだったのでしょうか。
    箱館戦争についても、幕府の再興をめざす勢力は、一掃しておこうということでしょうか。
    戊辰戦争は、日本の行く先を決定づけるための戦争だったのかもしれません。
    会津藩の斗南藩への領地替えは、行きすぎだったのではないでしょうか。このために、会津と長州の不和がいまでも続いているとか。

    【目次】
    Ⅰ 幕府の倒壊
     勝利か敗北か/鳥羽・伏見戦争/〈朝敵〉処分/恭順派と抗戦派/江戸開城と上野戦争
    Ⅱ 東北戦争
     一 和平工作
      〈会津処分〉への疑問/説得工作/会津・庄内両藩の抵抗/弱小藩の苦悩
     二 奥羽越列藩同盟の結成
      白石列藩会議/世良修蔵暗殺/同盟成立
     三 〈奥羽政権〉の崩壊
      奥羽政権の性格/戦局の展開/会津落城
    Ⅲ 北越戦争をめぐる諸藩
     二つの桑名藩/長岡藩の中立論/水戸藩脱走兵
    Ⅳ 箱館戦争
     新天地をめざして/榎本政権
    むすび―戦争の遺産
    あとがき
    参考文献
    戊辰戦争年表

    ●毒殺?(8頁)
    (孝明)天皇の死因については、表面上疱瘡で病死ということになっているが、毒殺の疑いもあり、長い間維新史上の謎とされてきた。しかし近年、当時天皇の主治医であった伊良子光順の残した日記が一部公にされ、光順の子孫である医師伊良子光孝氏によって、孝明天皇の死は、光順日記で見るかぎり明らかに「急性毒物中毒の症状である」と断定された。
    ●長岡藩(173頁)
    通説によれば、河井は中立の立場を守り、会津や桑名藩と政府軍のあいだにたって、会津等を説得し戦争中止の方向に導き、長岡藩は戦争に巻き込まれるのを回避しようとしたのだといわれている。
    ●水戸藩の私闘(187頁)
    日本国家のあり方と将来をめぐって、日本を二分して激しい内戦が展開しているなかで、その大きな歴史の転換と渦まいている波とは無関係のように、水戸藩はただ私闘に明け暮れていたのである。幕末以来続いた泥沼のような水戸藩内の闘争が、維新内戦の場で清算されたというだけでは、あまりにも水戸藩の消耗ははなはだしくその代償は高価であったといえよう。

    ☆関連図書(既読)
    「保科正之-徳川将軍家を支えた会津藩主-」中村彰彦著、中公新書、1995.01.25
    「奥羽越列藩同盟」星亮一著、中公新書、1995.03.25
    「北の士魂」郡順史著、青樹社、1989.05.30
    「松平容保-武士の義に生きた幕末の名君-」葉治英哉著、PHP文庫、1997.01.20
    「新島八重の維新」安藤優一郎著、青春新書、2012.06.15
    「小説・新島八重 会津おんな戦記」福本武久著、新潮文庫、2012.09.01
    「八重の桜(一)」山本むつみ作・五十嵐佳子著、NHK出版、2012.11.30
    「八重の桜(二)」山本むつみ作・五十嵐佳子著、NHK出版、2013.03.30
    「吉田松陰の東北紀行」滝沢洋之著、歴史春秋出版、1992.12.25
    (2013年6月1日・記)

  • 「賊軍」の視点から、戊辰戦争の流れを掴むのにとても良い本。特に東北・北越戦争については丁寧に追いかけてくれている。戦局よりも政治的な動きに焦点が置かれていて、成程、と納得する部分も多くあった。賊軍の側に立った表現ながらも、概ね客観的に書かれているので、安心して読める。
    個人的に印象に残った点は、世良修蔵に対して同情的に書かれていた事と、榎本さんは東北諸藩に味方する気は無かったと書いている事。その他、戊辰戦争の流れとは無関係に内部抗争に明け暮れていた水戸藩や、輪王寺宮の動きなども気になるので、この本からもっと知識を広げていきたい。

  • 本書は鳥羽・伏見の戦いから始まっていますので幕末史に初めて触れる人ならばある程度の予備知識が必要となりますが、それ以外は戊辰戦争の入門書・解説書としての役目を見事に果たしています。箱館戦争までの経緯だけではなく水面下での動向にも焦点が当てられていて、他にも大局の前では見落とされがちな、戦争に巻き込まれた町人や村人たちからの視点もあり見所の多い内容でした。が、宮古湾海戦以降の戦いにはほとんど触れられていないのが非常に残念でなりません。とはいえ、もっと早くに読んでおくべきだったと軽く悔やんだ1冊でした。

  • NHK「さかのぼり日本史 第1部」の近代史編でお見かけした人も多いはず。

    幕府側、奥羽越列藩同盟側から見た、幕末の混乱、戊辰戦争、明治への内部の動向、外部との衝突を
    細やかに、そして分かりやすく描いた作品。
    特に同盟に関しては、成立から崩壊までのプロセスを比較的偏りなく描いている。
    仙台の野心と久保田(秋田)のそれに対する疑問、そして他藩の大小の思惑。


    他著者の作品に「物足りなさ」を感じたら、ぜひあたってほしい。

  • ゼミの発表に使いました。凄く参考になったし、奥羽越列藩同盟にも興味が沸いた。

  • 作者が東北の方のようで、敗者の視点というのがリアルにあらわされていた。だからといって勝者を不当に貶める文章でもなく、とても好感が持てた。フィクションではなくノンフィクションで幕末を読むというのは大切だと感じた。

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著者プロフィール

1940年、秋田県生まれる。1970年、立教大学大学院文学研究科博士課程修了。京都大学教授、奈良大学教授などを歴任。2016年、没。
【主要著書】『大久保利通と明治維新』(歴史文化ライブラリー、吉川弘文館、1998年)、『江戸が東京になった日』(講談社選書メチエ、2001年)、『幕末政治と薩摩藩』(吉川弘文館、2004年)

「2022年 『幕末政治と薩摩藩』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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