明治六年政変 (中公新書 (561))

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著者 : 毛利敏彦
  • 中央公論新社 (1979年12月18日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121005618

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明治六年政変 (中公新書 (561))の感想・レビュー・書評

  • 明治六年の政変の通説を解体し、ありうべき経過を構築しています。
    明治六年における廟堂分裂の通説は、征韓論をめぐって積極派の留守居組と慎重派の外遊組の間で意見対立があり、敗北した留守居組が失脚、下野したというものです。本書はそれに反論します。使節団は大久保と木戸の関係に代表されるように外遊先で空中分解していて一枚岩ではなかったし、留守居組にいたっては征韓を主張していたわけでなく西郷を中心に朝鮮との国交正常化を企図していたことが論証されています。本書では廟堂が分裂した原因を、政治的影響力を維持したい大久保の意思に見ています。直前まで大久保は参議の職を辞退していたため見えにくい原因かもしれませんが、他の参議の誰でもない自分こそが新政府を創ってきた自負があったでしょうし、その後の内務卿としての強権ぶり等から十分説得力を持つでしょう。
    本書のスタンスは読み物として面白さを追求している面があるのでしょうか。人物の善玉悪玉を明確に著しています。江藤新平は頭は硬いが清廉な人柄、伊藤博文は権謀術数を尽くす策略家。三条や岩倉は公家らしく優柔不断な日和見主義者。個人的には朝鮮に派遣した西郷ら使節が欠礼や事件などがおきて、極東アジアを巻き込む騒動になることを危惧するのは当然だと思うのですが。朝鮮が清の冊封を受けていることは国内でも強く意識されていたはずです。人物がだいぶデフォルメされているので、読み手にとって本書の好き嫌いが分かれるところかもしれません。
    ただ、山県有朋と大隈重信の評価はどこにいっても変わらないんですね。

  • 1979年刊行。著者は大阪市立大学教授。明治4年の岩倉使節団出立から、明治6年政変の勃発、西郷隆盛他の下野までを、関係者の書簡等を縦横無尽に駆使し、いわゆる外征派西郷対内治派大久保という構図に再考を迫る。結果的には、大久保利通による江藤新平追い落としの構図。また、山県有朋や木戸孝允ら長州閥の小悪党ぶりに対して生理的な嫌悪感を示しつつ、江藤新平の高評価(能力・実績のみならず、身辺に身綺麗であった点)も指摘。現代の三権分立体制と同一には論じ得ないだろうが、山県らの体たらくは見るに耐えないレベル。

  • 15/12/29、神保町・澤口書店で購入(古本)

  • 従来言われてきた征韓論の通説は如何に史実の基づかないかが理解できる著作である。

    江藤新平、西郷隆盛が参議を辞さず、明治政府のとどまっておれば後の日本の歴史はまったく違った方向に進んだであろう。

    すばらしいテクノクラートであった江藤の惨殺は日本近世の歴史のまったくの汚点である。

  • 岩倉使節団、征韓論、徴兵制やさまざまな政局の波瀾を通して「明治六年の政変」の内容を考察する本。<br>江藤新平が司法卿としてひたすら辣腕を奮ってます。ていうか、殆ど参議の独裁制?(いやまあ有能なら独裁でもいいよーな気もする…むしろ大蔵省を井上にまかせっきりにするほうが危険な気も)しかし、太政官制「改変」でなく「潤飾」といってるあたりに策士としての気概が伺えて怖いんですけど江藤さん…井上世外公&渋沢栄一もまんまとやりこめられて下野しちゃう。<br>西郷どんは島津公に叱られてばかりで大変ですね。お疲れ様です。<br>大久保さんと木戸さんは喧嘩ばかりで非常に笑えますね!!!洋行した先で必死に「常に不愉快な」木戸さんのご機嫌をとろうとするけど結局諦めて一人でスゴスゴ帰国する大久保卿がかわいそうすぎて、もう笑いしか出ません。木戸さんそんなに嫌わないであげてよ…<br>しかし長州人は汚職が多いな。木戸さんが子分の不始末を後片付けするために奔走します。おかわいそうに。<br><br>ところで少し意外だったのですが、洋行後、征韓論反対派として西郷隆盛と対立する木戸孝允が、実は明治初年度ごろは朝鮮出兵を主張していたということです。<br>ということは、内治がひと段落したら外征も視野にあったってこと?…木戸さんって案外こわい…

  • 征韓論を軸とした明治六年政変説を覆している。
    ・・・んだけど、いまだに征韓論破裂説が明治六年政変の定説となって
    いるところを見ると(僕だって教科書的な知識でそう思っていた)、
    この本(と毛利の『明治六年政変の研究』)で主張されている説は
    どうなってしまったのだろうか。
    実はよくしらなかったりする。

    しかしこういうのを読んでいると、「史料に基づいて」といいつつも、
    結局史料が無いところは推測にならざるをえないわけで、政治過程史の
    難しさを如実に示しているなあ、と思ってしまう。
    ただ中央の話は色々な人がいろいろなことを言ってるからいいけど、僕
    みたいな地方政治史を扱おうとか思っている人は、誰も何も言ってない
    ところで政治過程史を言ったところで誰も気にもとめないわけだから、
    そうなるとやっぱ抽象化というか一般化の作業は常に念頭に置かないと
    いけないなあ、と改めて考えて、そして嫌になってしまう。

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