絵巻物に見る日本庶民生活誌 (中公新書 (605))

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著者 : 宮本常一
  • 中央公論新社 (1981年3月23日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121006059

絵巻物に見る日本庶民生活誌 (中公新書 (605))の感想・レビュー・書評

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  • 大著「日本常民生活絵引」第一巻を読んだあとに、全巻を購入しようかどうか迷いながら、とりあえずこの本を買った。

    内容はあまり被っていないが、明らかに前書の普及本としての位置付けになるだろう。そしてこの書が宮本常一生前最後の刊行物となった。この書が渋沢敬三最後の書である「絵引」のまとめだとすると、宮本常一の人生は渋沢敬三に始まり、渋沢敬三に終わったということになるかもしれない。

    以下参考になった所を網羅的に書き留める。

    (「鳥獣戯画」から当時の民衆の性格と行動をうかがう事が出来るとして)おっちょこちょいで、物見高くて、何か事件が起こるとすぐ駆けつけて見物する群衆、しかし決してその中へは巻き込まれない、いわゆる野次馬的存在なのである。それでいて、すぐ物真似してはしゃぎまわる。(略)このような性癖はそのまま今日の日本人の間に伝えられていて、なんら変わることがないといっていい。(14p)
    →この間のラグビーフィーバーが正にその通りだった。それ以外に思い当たる処が多々ある。「鳥獣戯画」で、それが表せれるのならば、やはり一度この壮大な「日本の漫画第一号」はきちんと普及版として刊行されるべきだろう。

    日本の民衆は古くは裸を好んだ。そして、それは明治30年ごろまで続いた。その頃までの外国人の日本に関する見聞記を読むと、多くそのことに触れている。大人も裸のままで屋外で行動することが多かったし、夜間就寝の折も真っ裸のままで布団に入って寝る習俗は、ほぼ全国に及んでいたのではないかと思う。(38p)
    →実はこの習俗は、密かに屋内では続いている家庭は多いと思う。何故ならば、複数のアイドルがそのことをいかにも「うちは変わっているでしょ」というノリで告白しているからである。外に知られなければ、案外その習俗は何代にも渡り引き継がれるだろう。

    糞ベラというのは、木か竹を短冊状に薄く割ったものである。東日本では最近までこれを使っていた地方があり、チューギと呼んでいた。籌木と書くのだろう。(46p)

    (「後三年合戦絵詞」にある斬首の絵を見て)斬首の習慣はもともと日本にだけあったのではない。異民族の中にもみられ、早く台湾の高地民の間にあったことが知られている。首を斬ることによって相手の息の根を断ち、生命の再生のないようにすること、首そのものに呪力があり、また敵となるものの首を持つことが自らの幸福を守ることになるのだと考えられたようである。それで、首を斬られるほうの側はどうであっただろうか。それはこの上もなく不名誉なことであり、単に首を斬られるだけでなく、梟首されるということには耐え難い屈辱をおぼえたはずである。(52p)
    →日本に広く広がっていた斬首の風習は確かに南方民族から来たのかもしれない。また、首の持つ呪力がそれ程までに信じられたのだとしたら、梟首という刑罰は、親族に対して残酷という以外に我々の想像以上の精神的苦痛を与えていたということになる。「再生の希望」という物語は、確かに現代のゲーム「習俗」の中にも生きている。映画「黄泉がえり」を待つまでもなく、日本人は根本の処で(普通の人の)よみがえりを信じていると思う。面白いものだ。

    店の様子をビジュアル的に見せてくれるのも絵巻物の優れた所だ。見世棚に並べていたので、店屋(みせや)というようになったと宮本常一は主張している。店では、売るだけでなく、生産者から買う所でもあったらしい。藁の加工品は平安時代かららしい。棹に洗濯バサミ役割をする止め石とか、松ヤニロウソクとか、今ではなくなっているものも絵の中に見えるらしい。(139-142p)

    脚元の様子も解説される。民衆は裸足が多かった。しかし、草鞋も靴も既に平安時代に登場していたのである。(186p)

    2015年10月読了

  • 1981年刊。民俗学の大家の遺作、かつ絵巻物から判る民衆の生の姿を多面的に叙述した書。◆多数の絵巻物の細部まで漏らさず、過去の民衆の生活実相を丹念に拾い上げようとし、執念にも似たその描写に感動。多面的であるがゆえに個別の掘り下げは甘いが、逆に言えば、著者の広範な研究活動を伺い知ることができる。◇また、新書であるにもかかわらず、118もの絵が掲載され(白黒でかつ小さいのは残念だが)、解説を加える。怨霊信仰にも触れつつ、各工具や生活雑貨、家、衣服などにも触れられ、基礎的事実を確認するのにうってつけ。
    一例として「一般には…火種…は…硫黄の利用が始まるまでは望むべくもない」ため、囲炉裏が重要であったり、香火を火種にすべく寺の周辺に茶店が立ち並んだという事実がある。また「百鬼夜行絵巻」は見て見たい。道具を妖怪化させたのも描いているらしいから。なお、藤原信西は、平治の乱にて、生き埋めにされて自害したが、その後掘り返され斬首されたようだ(H24年大河で描けますか?描いたらすごいが…)。また、大阪夏の陣等で、有名武将の首が実検されなかったのは、部下の介錯後、身元を隠蔽すべく面皮を剥ぎ取ったから、とある。凄まじい
    ちなみに、「逆説の…」を書いている著者は、この偉大な先人について、なにかコメントしているのだろうか(確認の意味で再読の要ありだが)。彼の人が出す怨霊信仰は既に本著者を含め、幾人もの先人が十分指摘していたところである。少なくとも発想のインスパイアを受けた人物へのリスペクトは不可欠に思うところ、彼の書籍ではそれは全く感じられないのだが…。

  • 宮本常一(1907-1981)は、柳田國男、渋沢敬三の指導を受けた民俗学者である。民衆に目を向け、日本各地を歩き、漂泊民や被差別民にも関心を寄せた。
    宮本の著作として最も有名なものは『忘れられた日本人』なのだろうが、本書の方が初学者には取っつきやすいというのをどこかで目にして手にしてみた。

    本書は、古来残されている数々の絵巻物に注目し、その絵からその時代の風俗を読み取ろうとするものである。著者自身のあとがきによれば、絵巻は貴重なものなので、実物を目にすることは研究者であっても困難だったようだ。本書刊行の前に、中央公論社から、現存する絵巻を書籍化したシリーズが刊行されており、それが重要な資料となったと述べられている。

    丹念な宮本の読み込みは、まるで「紙上フィールドワーク」と言ってもよいような、地道な足取りを感じさせる。

    ここでは、物語絵巻であっても、物語のストーリーや美術的な価値はひとまず置く。
    描き込まれた人物像をじっと見つめる。人々がいつどこで何をしているか? どんなものを着ているか? どんな道具を使っているか? どんな表情を浮かべているか?
    宮本はこれらの手がかりから、当時の暮らしを生き生きと描写してみせる。1つの話題から連想して次々と展開されていく仮説が心地よい。
    例えば、「鳥獣人物戯画」に、裸の子どもが描かれている。古くから、子どもを裸のままで育てる風習はよく見られたものだそうで、昭和20年以前でも、僻地にはよく裸の子どもが見られたのだそうである。こうした風俗が廃れていくきっかけとなったのは、幕末の開国以降で、外国人が日本各地に住めるようになったときに、裸で屋外に出ることは厳しく禁じられたという。子どもを育てる際には抱いたり背負ったりすることもある。「北野天神縁起」を見るとこうした子どもが描かれている。抱く際には片手で抱くことが多く、背負う際には裸の子どもを背負った上から小袿(こうちぎ)を着たもののようである。今日のねんねこばんてんの原型のような形である。子どもが着物を着る場合でも、下着はつけていなかったようだ。ここからさらに派生して、女を背負う場合にも触れている。同じ「北野天神縁起」では、男が女を背負う場面が描かれる。腰に棒を横にあて、両端を手で持って、女はその棒に足を乗せ、うずくまって男の方に手を掛ける形になっている。棒がないため、刀で代用している場面も出てくる。楽だったのかどうかはよくわからないが、なかなかおもしろい背負い方である。

    もう1つ興味深かったのは、斬首の話。首を取られるということは不名誉なことなので、武士達は部下に厳命するなどして、首が敵方に渡らないように務めた。「平治物語絵詞」には、後白河法皇に仕えた信西の首の顛末が描かれる。信西は藤原信頼と争って劣勢となり、山中で穴を掘り、生き埋め状態で入滅する。首を取られぬためであるが、信頼も執念深く、これを掘り起こして首を獄門に掛ける。
    敵方の首を集めることは普通に行われていたため、城に仕える女達もいちいち気には留めない。集めた首にお歯黒を付け、「よき人とて、賞翫」したりしたものだそうである。近藤ようこ・『美しの首』はこうした風俗を描き込んだものだということになる。

    仮説の基盤には、著者の幅広い知識がある。絵巻から読み取る民衆達の暮らしが、めくるめく広がりを見せ、絵巻の中の人々が生き生きと動き始めるようである。
    折に触れてめくってみると、ときどきに新たな発見がありそうな1冊である。

  • 2015.2.26 読了

  • 著者が持つ膨大な民俗事象に対する知見を、実在する絵巻物に描かれる絵にリンクさせ説明したもので、民衆生活を知るには面白い。もちろん、ここでいう民衆とは「民衆」であり、描かれる「民衆」は限られたものであろうが、その中でも様々な人々が生きた状況で説明されているように感じるのは、宮本常一の力ではないかと思う。
    トリビア的なネタにも溢れていて、単純に読んでいて面白いと思った。

  • 説明なしに使用される語句にも今となっては意味の通じにくいものが多い。たとえば五徳。本書初版当時小学生だった小生は絵を見ればこれか、とわかるが、当時の平均的読者を30代以上と想定すれば、彼らも現在は還暦を過ぎている。著者に責任は無いが、本書のように具体的なモノや生活のあり方に密着した書籍には時の変遷がひときわ痛感される場面が多い。

  • 写真がかなりみづらかった。

  • 古本で購入。

    「旅する巨人」民俗学者・宮本常一の遺著であるこの本。
    収録されてるのは、『日本絵巻大成』(中央公論社)の月報に書いた文章に手を加えたもの。

    内容はまさにタイトルどおり。
    中世の絵巻物から、通過儀礼や農耕、仕事に旅、住まいや信仰といった民衆生活を読み取っていく。

    元々が『絵巻大成』の月報であるせいか、絵巻の写真が目の前にあることを前提として書かれているため少しわかりにくいところも。
    文章も割と淡々としているので、宮本の書く文章のおもしろさがあまり味わえないのも残念。

    でも、たとえば稲の産屋として田圃のそばにつくられた棚「稲ニオ」についてのくだりで
    「現在、山口県の東北から島根県の西南に残存している」
    という一文があるのを読むと、宮本常一の面目躍如という感じがする。

    日本中を歩いた宮本の言葉だからこそ、絵巻物に描かれた風景が今と無関係の過去のことではなく、現在のくらしとつながっているものとして実感できるように思う。

    網野善彦や五味文彦といった歴史学者も絵巻物を使った研究をしていたけれども、これらを知った上で改めて絵巻物を見ると実におもしろい。
    これまで何となく眺めていた(流していた)ものが“意味を持って”見えてくるというのはなかなかに刺激的だ。

    絵巻物視力が向上する1冊としてオススメ。

  • これは面白いです。大学で使っていた資料はほとんど捨ててしまったけど、これとドナルドキーンさんの日本文化論だけはまだ持ってる。「怖い絵」みたいな、絵画から背景文化を読み解くことに興味のある人におすすめ。

  • 本書をよんで興味を持ち、図書館で初めて日本絵巻大成の一遍上人絵伝を観た時は、豊たかな表現力に本当に大興奮。あやうく絵伝を買ってしまうところを、何とか踏みとどまりました。
    そんな、恐ろしい誘惑を誘う内容です。

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