岩瀬忠震: 日本を開国させた外交家 (中公新書 630)

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 4
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121006301

感想・レビュー・書評

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  • 幕末の開国に至る流れが岩瀬忠震を中心に詳しく描かれており、とても面白かった。ある意味同じ開国派であり、上司であるはずの井伊直弼によって何故左遷されてしまったのかについても、この本を読めばよく分かる。

    左遷後失意のうちに早逝してしまったけど、仮に生きていたとしたら明治新政府からどのような扱いを受けていたのだろうか。自殺してしまった川路のように頑迷で保守的な人間ではないので自殺はしなかったと思うけど、正論を押し通す生意気な言動で薩長からは煙たがられたかも知れない。

  • 最近は、昔買ってあった本を取り出して読むことが多い。本書も出版は1981年。まさか40年前ではないと思うが、気になりつつ買ってほおって置いた本。本書を読み出したのは、最近仁という漫画に夢中になったことと、もともと幕末に興味があったことである。明治政府というのは幕臣というか幕府官僚がいなければなりゆかなかった。それを思うとかれらのことはもっと顕彰していいような気がする。岩瀬は幕府官僚の中において目付という職種で意外と意見のいいやすい立場にあったようだ。それに加えかれは仲間や後世の人々から切れ者として知られていた。ペリーがやってきて開国を迫り、さらにはハリスが来て修好条約を迫った。そんな中でかれは開国し貿易することの利点を早くから悟り、それを仲間や上司に説いた。その説はのちの明治政府の路線そのものである。かれがもっとも力を注いだのは日米修好条約であった。しかし、そんなかれも当時の政争の中に巻き込まれ、井伊直弼の登場によって、死罪とはならなかったものの蟄居を命じられ、ある意味憤死した。井伊の評価は人によって分かれるだろうが、これも切れ者であった橋本左内を斬首したことはなんとも許しがたいことである。桜田門外の変が起きなければ、あのあとどれほどの犠牲が出たことか。本書はまだ資料の少ない中で、岩瀬の政治上の活躍に重点を置いて書かれたものである。最初長い原文が続き、読みづらくやめようと思ったが、我慢して読み進めるうちに段々候文にもなれてきて、岩瀬の姿を彷彿させるものであった。新書とはいえ、よく書けていると思った。ただ、かれらが結んだ修好条約は後に問題になるように、関税自主権と、裁判権のない不平等条約であった。これは、岩瀬らが国際法というものをこの段階でまだ知らなかったからである。

  • 日本史の教科書には、あまり紹介されてない林大学頭と岩瀬忠震を知っていましたか?
    幕末期に日本側代表として、ペリー、ハリスと外交交渉した重要人物です。
    現在の政治家の野田首相などにも手本にしてもらいたい人材だと思いました。
    【熊本学園大学:P.N.ミノモンタ】

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