- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121006325
感想・レビュー・書評
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「帝国海軍を今日において保全すること能わざりしは、吾人千載の恨事にして慙愧に堪えざるところなり」という最後の海相米内光正が述べた海軍解散の辞というものを初めて知った。本書の冒頭に唐突に始まる解散の辞は、おそらく当時海軍中尉だった筆者に深く刻まれた言葉であったことだろう。
1981年初版の本書では、現在において比較的に通説となっているであろう海軍の体質批判が多々ある。たとえば、建前上は国政に不干渉の姿勢をとりつつもロンドン軍縮のときのように政党を使ったり統帥権を持ち出して間接的に影響力を行使してくるとか、スマートぶって陸軍の暴走を止めようとしなかったとか。戦後の軍部解釈の大きな見方であった陸軍悪玉、海軍善玉の風潮を批判している。
海軍の欺瞞のひとつは、海軍が日米開戦を避けたかったのであれば、どうして陸軍の大陸進出や国政干渉に異議を述べなかったかということだと思う。敵をつくることを避け、米英と戦わば必負とも言えず、自身で築いた干城に安住していたと見られても仕方がないといえる。筆者は海軍の軍人には英国流の貴族的教育の影響があったなど、様々分析を凝らしている。
また、戦術的な問題点も実例を挙げて描かれている。よく言う大艦巨砲主義に凝り固まっていて、航空戦力や対潜能力や通商破壊について疎かったなど。比較的によくあるというか、ステレオタイプな批判であるが、国力の小さきが故に艦隊決戦で即決を望み、補助兵力を頼み、シーレーン防衛を後回しにせざるを得なかったというのが今日的な見方なのかなと思う。最後の3ページにある海軍中将のインタビューで「第一次大戦後の海軍における教育はヨーロッパの戦訓の吸収に性急で…」とあるように、近代戦の理解はあったのだと思う。その理解のもとで、なぜあのような布陣で海軍が日米開戦に臨まなければならなかったのかという視点が要請されるのだと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
海軍兵学校卒の経歴を持つ東北大学名誉教授の池田清(1925-2006)による帝国海軍論。
【構成】
1 海軍と戦争
序 プリンス・オブ・ウェールズの最期
(1) 艦隊決戦の光と影
(2) 海戦要務令の功罪
(3) ゼロ戦と大和
(4) なぞの反転
(5) 武人的ロマンティシズム
(6) 見切りの早さ
(7) 三つ巴の戦争指導
(8) 他力本願の戦争観
2 海軍と政治
序 勝つ見込みのない戦争
(1) 悲劇のロンドン会議
(2) 統帥権騒動
(3) 軍縮条約の波紋
(4) 海軍の「中国」認識
(5) 政治家としての米内
(6) ドイツの眩惑
(7) 海軍の南進政策
(8) 運命の仏印進駐
3 海軍の体質
序 根無し草の国際主義
(1) 海軍と陸軍
(2) イギリスと明治海軍
(3) 薩閥から学閥へ
(4) 教育・進級・人事
(5) 異端の排斥
(6) 親英から反英へ
(7) 海軍の責任
海兵を昭和19年に卒業した著者が、日本帝国海軍の歴史を振り返りその体質を批判的に論じる、これが本書のスタイルである。海軍は陸軍ほどには、時代によって変質しなかったからこそその歴史を論じやすいのかもしれない。
太平洋戦争における海軍善玉論など、海軍関係者の自己弁護であり、陸軍への責任転嫁なのは間違いない(無論陸軍には海軍以上に責任がある)。著者は建軍以来の帝国海軍の軟弱ぶり、国際情勢認識の甘さを厳しく追及する。結局、陸軍が満洲掌握と中国本土攻略を目標として日中戦争を遂行していたにも関わらず、さしたる目的もなく米英との海上での総力戦を開始してしまった。これこそが帝国政府の本質的な欠陥である政戦略不一致、陸海戦略不一致が極まった瞬間であった。
近代日本における最重要課題である中国問題について、海軍軍人にまともに情勢分析ができる人間が皆無であった(野村吉三郎あたりは冷静に観察していたのであろうが)。国際政治を理解せず、合理的な科学技術から精神論に傾いた帝国海軍滅びるべくして滅びた言わんばかりの主張はある種の結果論であろう。しかし、政治的影響力において陸軍に遅れをとったとは言え、近代日本史上の重要ファクターである海軍とはいかなる組織であったを考える一つのヒントになるだろう。