死をどう生きたか: 私の心に残る人びと (中公新書 686)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121006868

感想・レビュー・書評

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  • 「死」を「生きる」。シンプルで、最も基本的なタイトル。よいとか悪いとかではなくて、これ以外の言葉は考えつかない。

    日野原さんの本を読むのは「生きかた上手」以来2作目。医学生となってからは初めて。よって、前よりもずっと、自分の立場を意識的に医師側に近づけて読んだように感じる。

    人はみんな死ぬんだなあ、と、感想をまとめれば結局それに尽きる。過去にどんな業績を残しても今どんな状況にあっても、分け隔てなく死は人の横顔を訪う。「生まれる形は一通りだが死に様は数え切れない」という言説があったと思うが、それでも、死というものの根源は一つなのだと感じた。表面にいくらも違いはあり、状況は千差万別だとしても、生きていた人が死んでのちに他の人が残され、残された人もいつかは死んで…という無窮のサイクルに変わりは無い。情けも、猶予も、何もない究極の平坦さ。

    大局的に見れば平坦でも、そのひとつひとつには近しい人々の生々しい人生が巻き取られている。それに立ち会える医師という職業は、なんと困難で、なんと幸いなのだろう(医師を特別視しているわけではない、単に自分のことなので取り上げた)。

    ここに取り上げられた人々の殆どが「何かを成し遂げた」人であり、「価値のある人」というふうな言い方をしている箇所もある。大事業をなした人が人格的に"すぐれて"いて、人心に残る死が多いというのもまぁ、あるかもしれない。でも、じゃあ一般人の死は語る価値がないのか? 個人的に過ぎるから? とやや斜めから疑問を呈したくなったりもした。
    医療の風潮や内容については時代を感じるように、そこにも、古い時代に殆ど無意識的に人々の中にあった、単純化された成功への礼賛が、ひょっとしたらあるのかもしれない。などと言うのは穿ちすぎているかもしれないが。

    読んでいて、死に際しての宗教の力を間近に見るように感じた。医師を目指し、ことに終末期医療に携わることがあるなら、一度宗教についてきちんと学んでおくべきかもしれない。高橋敏雄さんの一篇における桑原さんとの会話が心に残った。

  • 死について考えさせられた。

  •  人にとって死とは受け入れがたいものかもしれない。それは若ければ若いほどそうであろう。
     本書は著者が見取った600人を越える人のうち、心に残った22人の死への向かい方について記されている。クスリの名前などは分からずとも読み込んでしまう好著。
     特に最初の2編は若い段階で亡くなっているのでその悲しみは大きい。しかし、人は死から逃れられず、いわば、死ぬために生きているともいえる。その死と直面した時にどのような態度で向き合えるのか、そこに人の幸・不幸の分かれ道があるようだ。僕も死ぬときに周りの人に感謝しつつ死ねるようになりたい・・・。
    あと。2編目の女性は知っている方だったのでかなり驚く。(2008.01.03)

  • 日野原重明氏の70代の著作。memento mori(死を想え)という言葉があるが、まさに死を想うことによって今をどう生きるのか考えさせられる。すべての人が死亡率100パーセントであることを思うとき、この本で示された「死に方」は、われわれが一歩立ち止まって「生き方」を考えるきっかけを与えてくれるだろう。

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著者プロフィール

1911年山口県生まれ。1937年京都帝国大学医学部卒業。1941年聖路加国際病院内科医となる。学校法人聖路加国際大学名誉理事長、聖路加国際病院名誉院長、一般財団法人ライフ・プランニング・センター理事長などを歴任。予防医学の重要性を指摘し、医学・看護教育の充実、ターミナル・ケア(終末期医療)の普及に尽力。2000年には「新老人の会」を結成。1999年文化功労者。2005年文化勲章受章。2010年には国際コルチャック協会名誉功労賞受賞。2017年7月18日逝去。

「2022年 『2023年版『生きかた上手手帳』』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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