皇子たちの南北朝: 後醍醐天皇の分身 (中公新書 886)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121008862

作品紹介・あらすじ

強烈な個性と行動で歴史上異彩を放つ後醍醐天皇には、その夢の実現のために命さえ惜しまず働く尊良、世良、宗良、恒良、成良、義良、護良、懐良らの皇子たちがあった。彼らは、はじめ討幕計画の重要な推進者として、のちには各地に散って南朝軍の旗頭として果敢に戦い、南北両朝統合に至る激動の時代に全青春を費やした。本書は、これら後醍醐天皇の分身となって個性豊かに活動した皇子たちの姿をとおして、新たな南北朝史を描く。

感想・レビュー・書評

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  • 南北朝時代を、後醍醐天皇の皇子たちを通して描いたもの。後醍醐天皇の子どもは非常に数が多くて、『太平記』によれば母親20人から男児17人、女児15人もいる(p.198)。本書は彼らのうちから護良親王、義良親王(後村上天皇)、宗良親王、懐良親王を大きく扱っている。その他、尊良親王、恒良親王、成良親王などが登場する。日本各地に散らばり戦いを繰り広げたものが多いが、仏門に入り静かに伝統的な道を歩んだ法仁のような人物もいる(p.216)。南北朝の激動の時代における、これら親王たちについて著者は記す。
    「鎌倉末期から南北朝時代へと展開する未曾有の動乱によって歴史の檜舞台に押し上げられた、いわば南北朝動乱の落とし子なのである。彼らの南北朝時代氏における役割は、この動乱によって性格づけられているが、この時代の政治史の展開のなかに占める彼らの役割は実に大きい。父帝の分身として、各地方で軍事活動に専念した皇子たちの姿は、記紀の伝承にいう「四道将軍」を想起させる。彼らの個性豊かな活動の足あとは、南北朝史にあざやかに刻されているのである。」(p.220)

    親王たちは父親の後醍醐天皇の天皇専制の理想を実現すべく、各地方に赴いて北朝側の足利勢力と戦いを繰り広げている。初期に仏門に入り、後に還俗して地方に赴く親王が多いが、これは所領を巡る寺社と室町幕府の対立を利用し、寺社との結びつきを深めるという側面もあった(p.10-22)。例えば護良親王(法名は尊雲)、宗良親王(法名は尊澄)は天台座主となっている。南朝勢力はこうした寺社と幕府の対立を利用したりしたものの、脆弱な南朝が60年ほども持ったのは、結局は室町幕府の体制の未熟さと内乱によるものである(p.104)。

    なかでも護良親王と懐良親王の記述がまとまっており、とてもよい。護良親王は宮家にありながら武勲に優れており、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕において重要な役割を果たしている。護良親王の目指したものは、宮将軍、つまり「親王の身でありながら、武門の棟梁の地位をめざしていたらしい」(p.44)。こうした護良親王の動きが足利尊氏と正面衝突することは自明である。武門の棟梁を巡る争いである(p.60)。のみならず、宮将軍という護良親王の政治抗争は、自らによる天皇専制を旨とする父・後醍醐天皇の政治思想とも対立する(p.53)。その最期は足利尊氏を討たんとして総攻撃をかけ敗退するわけだが、これをけしかけたのが他ならぬ後醍醐天皇であると『梅松論』は記している(p.64)。つまり、最終的に父親に厄介払いされたわけである。後醍醐天皇の期待は成良、義良といった時代の親王に移っており、「いわば倒幕の一事にすべてを燃焼させた護良の役割は、もう終わっていたのである」(p.60)。護良親王は足利尊氏に捉えられ、足利直義より鎌倉に幽閉される。そして中先代の乱で足利直義が鎌倉を離れる際、殺害された。享年28歳。

    懐良親王は薩摩から入り征西将軍として九州全体をほぼ抑え、南朝勢力の中では大いに成功した事例である。薩摩・谷山を拠点とした島津氏との攻防、阿蘇氏を何とか味方につけようと様々な手を尽くすが叶わず、菊池氏を頼むことになる経緯などよく書けている。面白いのは明との交易である。大宰府にあった懐良親王は独自に明との交易を行い、何と「日本国王」とも呼ばれている。後に足利義満がこの称号を明から受けていることが重要なポイントとなるのだが、それ以前に懐良親王が受けている。しかも懐良親王の死後、今川氏に破れて隆盛はない時でもまだそう呼ばれているのは印象的だ(p.186-190)。

    南北朝時代は諸派が入り乱れ、ある人は南朝についたと思えば北朝に付き、また南北朝だけでなく足利直冬の九州勢力との三分立状態になったりする。したがって立場や観点から様々な描き方があり、だからこそとても面白い時代である。後醍醐天皇の皇子たちという視点から書かれた本書もまた一つの記述としてとても魅力のある一冊だ。

  • 後醍醐天皇の皇子に視点を当てて書かれた一冊。
    発行されてからだいぶ月日が経つが、とても興味深い内容だった。

    四道将軍のように全国に皇子を派遣して、全国統治を試みたのではないか、というのはなるほど、と思った。
    確かに後醍醐天皇の印象がとても強く、その皇子は鎌倉で殺害された護良親王くらいしか知られていない。
    だが、後醍醐の命を受けて全国に赴いた皇子たちの足跡を追うことは後醍醐天皇ひいては南朝の動向を考える上で大変意味があることだと思う。

  • 後醍醐天皇の皇子といえば護良や後村上などが有名ですが、その他の皇子の詳細も詳しく書かれています。
    南北朝、特に南朝に興味のある方は一読されてよいと思います。

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著者プロフィール

1949年、長崎県生まれ。九州大学大学院博士課程中途退学。福岡大学名誉教授。文学博士(1985年 九州大学)。専門は中世日本の政治と文化。著書に、『太平記の群像』『闇の歴史、後南朝』『室町幕府崩壊』(角川ソフィア文庫)、『足利尊氏』『足利直義』(角川選書)、『南朝全史』(講談社選書メチエ)、『戦争の日本史8 南北朝の動乱』(吉川弘文館)、『後醍醐天皇』(中公新書)、『増補改訂 南北朝期公武関係史の研究』(思文閣出版)など多数。

「2023年 『足利義満』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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