ウィーン愛憎―ヨーロッパ精神との格闘 (中公新書 956)

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 29
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  • Amazon.co.jp ・本 (202ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121009562

感想・レビュー・書評

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  • [「楽都」で火花、散らしてきました]世界に冠たる音楽の都であり、優雅で気高い雰囲気に満ちた都市というイメージがあるウィーン。その地に降り立った著者は、とびきりに「高慢」な人々の態度や振る舞いにカルチャーショックを覚える。そんな彼がショックを克服しようと思い立った方法、それは、ウィーン人に背を向けることではなく、徹底的に立ち向かうことであった......。自身のウィーン経験の酸いも甘いも語り尽くした留学記です。著者は、哲学やコミュニケーション論を専門とされる中島義道。


    苛立ちをテーマにして一冊書こうと思わせるほどにその記憶が鮮烈だったというのがまず面白い。そして書かれているエピソードが、自分に降り掛かってきたら最悪だとは思いつつも、(中島氏には申し訳ないが)他人事なのでこれまた面白い。初版は1990年なので今はだいぶ変わっているのかもしれませんが、隣人と、家主と、そしてその先に控える文化との徹底的な攻防に、外国で暮らすということの奥深さを垣間見たような気がします。


    そんな中で特にキラリと光るのが、中島氏が指摘するヨーロッパ的高所に立ったところから日本を批判する日本人の不自然さ。「今でもそういう人いるなぁ」と感じたのですが、筋が通っているようで実は二枚舌になっている態度をグサりと問題提起しており、異文化と自らの文化をなんとなく比較するということに潜んでいる危うさを見事に浮き上がらせているように思いました。

    〜「真理よりも権利」という私の実感したヨーロッパ人の態度を、ここで私は最も鮮明に見たように思った。〜

    続編も出てるとのこと☆5つ

  • (2003.04.16読了)(2002.03.23購入)
    (「BOOK」データベースより)
    東大で二つの学部を卒業したものの、社会不適応を繰り返す中島青年。明日死ぬなら何をしたいか?せめて重度の「哲学病」を全うしたい、との願いのみ。三十三歳、逃げ場無し。ウィーンで自分を変えられるかもしれない…。だが、待ち受けていたのは頑固・高慢・偏見に凝り固まったヨーロッパだった。家を借りる、試験を受ける、映画を観る、とにかくすんなり事が運ぶためしはない。泣き寝入りもままならず、青年は決意する。ヨーロッパ人と顔突き合わせ喧嘩することを。戦うことと、哲学することはどこか似てる。自分自身になるための、怒りと涙と笑い溢れる奮闘を綴る、ウィーン喧嘩留学記。

    ☆中島義道さんの本(既読)
    「〈対話〉のない社会」中島義道著、PHP新書、1997.11.04
    「私の嫌いな10の言葉」中島義道著、新潮社、2000.08.30
    「働くことがイヤな人のための本」中島義道著、日本経済新聞社、2001.02.19
    「生きにくい……」中島義道著、角川書店、2001.07.30
    「ぼくは偏食人間」中島義道著、新潮社、2001.08.10
    「不幸論」中島義道著、PHP新書、2002.10.29

  • 読んでいて、少し辛い。
    自分の間違いを認めているところからすると、著者は傲慢な人ではない。
    しかし、何をしたくてウィーンに行ったのかが明確でない。

    ウィーンに行った目的が明確でないので、細かな事件が重大に書かれている。
    固有名詞を出してまで書くようなことではないと思う。

    私費留学生で、同じ思いをしないようにという老婆心だろうが、
    それなら私費留学生用のパンフレットでよいかもしれない。

    お話は、ありがちな話だし、契約がからむことは、言葉の障壁は大きい。
    日本語では、いいかげんな口約束が、実現される確率は高い。

    欧米でそれを期待することが問題なのではないだろうか。
    相手の国の文化を理解せずに、そこで暮らそうという点は、著者が傲慢なのかもしれない。

    それでも、参考にはなる。

  • 本書は著者である中島義道氏が、30歳にしてドイツのウィーンに留学した経験が叙述された内容となっている。特にウィーン人のウィーン的人間性のようなものを中心に書かれているのだが、、、こんなにすごいものなのかと正直驚いた。詳細な内容は本書を読んでもらえば分かることだが、公然と明確に自身に非があったとしても、私は間違っていなかったと頑なに主張する。「私は完璧であり、あなたが間違っている」と。そんなことを毅然と言える日本の一般人などまずほとんどいないだろう。たまに見かけることはあるが、ウィーンでは日常的にそのような場面に遭遇するらしい。しかし、そのようないわゆる「頑固さ」というものは日本人にも少しはあってもいいのではないかなと思ったりする。そういう意味では、ウィーン人というのは人間的なものを包み隠さず表出しているという点において、個人的に少し羨ましく感じた。このような自己中心的な人が日本社会にいたとしたら、間違いなく社会不適合者、或いは情緒不安定とか、ひねくれ者とか言われるのだろう。だが、自分の信じる価値観に対して確固とした自信がある、たとえそれが間違っていたとしても。このような”思い込み”により、人は自分以外の価値観を度外視した考えで生きることになる。そっちの方が幸せなんだろうか、自分がいかにおかしな人間かということを自覚せずに生きているほうが幸せなのだろうか。このような”いい”意味で頑固な人間になれれば、周りを気にせず生きられる。こんなウィーン的価値観も一概に悪いとは言えないのではないかなと、そう個人的に感じた。

  • 最初に読んだときはふーん、こんなものかと思ったけれどドイツに来て再読したらうなずけることばかり。
    私も格闘します!

著者プロフィール

1946年生まれ. 東京大学法学部卒. 同大学院人文科学研究科修士課程修了. ウィーン大学基礎総合学部修了(哲学博士). 電気通信大学教授を経て, 現在は哲学塾主宰. 著書に, 『時間を哲学する──過去はどこへ行ったのか』(講談社現代新書),『哲学の教科書』(講談社学術文庫), 『時間論』(ちくま学芸文庫), 『死を哲学する』(岩波書店), 『過酷なるニーチェ』(河出文庫), 『生き生きした過去──大森荘蔵の時間論, その批判的解説』(河出書房新社), 『不在の哲学』(ちくま学芸文庫)『時間と死──不在と無のあいだで』(ぷねうま舎), 『明るく死ぬための哲学』(文藝春秋), 『晩年のカント』(講談社), 『てってい的にキルケゴール その一 絶望ってなんだ』, 『てってい的にキルケゴール その二 私が私であることの深淵に絶望』(ぷねうま舎)など.

「2023年 『その3 本気で、つまずくということ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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