新・日本の外交―地球化時代の日本の選択 (中公新書 1000)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121010001

感想・レビュー・書評

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  •  明治維新から太平洋戦争直後までの外交の流れを著した『日本の外交』の続編。本書では、太平洋戦争の結末から1980年代の日本外交を概観する。

     著者は、太平洋戦争期までの日本を軍事強国・経済弱国とし、戦後の日本はその対称であるとする。そして戦後の日本には、軍事と経済のギャップを埋め正当化する思想が求められたにも関わらず、外交理念の確立が遅かったという。「日本」の政策に思想的な追求が遅れているという状況は、本書から四半世紀経過した現在においても同様なのではないかと感じる。

     まさしく副題の通り、地球化時代が不可逆的に加速している現在において、自分の自身の生活に関わる「日本」の選択と選択肢たちを検討するために、知識を深めようと刺激された2019年一冊目だった。

    以下、心に残った文メモ。 
    「現在の世界を理解するために、固定化した過去のイメージにとらわれず、柔軟性のある見方を持った上で、最近の諸現象の意味を探り、それが近い将来にいかなる動きとつながっているのか、考えてみるべきであろう。要するに、バランスのとれた歴史感覚が必要とされるのである。(中略) 未来を創るのも、過去の遺産と同時に現在の努力である。」

  • 2012.12記。

    「日本の外交」刊行から20余年を経て1991年に出された続編。

    米ソ冷戦、第三世界の台頭、そして冷戦の終焉・・・いずれの時代も興味深いが、一番印象に残ったのが、本書の刊行年に日本がまさにバブルの絶頂(からの今思えば転換点)にあったこと。

    円安に起因する貿易摩擦で対日批判が吹き荒れ、ロックフェラーセンターの日本企業による買収で「アメリカの魂が買占められた」と激震が走る。日本の輸入の少なさの原因を国内の歪んだ慣行や商習慣に求め、内需拡大のための「構造協議」を要求する米国。それに対する反発の象徴が石原慎太郎・盛田昭夫「Noと言える日本」のベストセラー化。まさにそういう時勢だった(本書はそうした風潮に警鐘を鳴らすことで終わっている)。

    昔日の感あり。

  • 入江昭『日本の外交』の続き。前作が、カバーしていない戦後の日本外交史についてまとめられている。
    戦前から我が国の外交は、国際環境に合わせて場当たり的な対応に終始し、一貫した外交思想を持っていないというのが筆者の主張であり、本書においても、そのように主張しているところがある。しかしながら、90年代に近づくにつれ、外交の根源的思想をどうするかということについて議論が始まりつつあると述べられており、だんだん我が国でもそのような機運が高まってきていることについて述べられ、本書は終わっている。(本書が書かれた時代は、1990年である)
    私自身、外交は国際環境によって規定されると考えているため、筆者の主張する外交の思想がよくわからなかったが、二作通じて読んだことで、筆者の言わんとしていることを理解し、共感することができた。2000年代が終わり、2010年代も半ばを迎えつつあるが、今の筆者は90年代と00年代をどのように評価するか、興味深いところである。

  • 前著 日本の外交の続編。1960年代以降の外交を中心に、政治・経済的な面の戦後史的な本。内容は、下記の通りであり、基本的な政治史がわかれば全体像もわかりやすいと思う。

    序五十年の軌跡

    第1章 日米戦争の結末
    第2章 日本外交の再出発
    第3章 平和的共存の芽生え
    第4章 第三世界の抬頭
    第5章 経済混迷期の外交
    第6章 「ポスト冷戦」の世界へ

    二一世紀に向かって

  • 戦後日本の経済力と軍事力のギャップ、そのギャップが、国際秩序の中で
    如何に評価され、外部からの評価をどう国内の動きにつなげていくか
    これがここ20年ほどの日本の課題であったと思う。
    この本は戦後から現代までの主に外交分野での軌跡を追いかけているが、常にその時々で沖縄が絡んでいる。
    その沖縄の絡みから、戦後日本を提示する方法があると、思いたい。

  • 『日本の外交』の方のレビューをしたいのだが見当たらないので続編の書評を書く。
    本書は、?変転する国際状況の中で日本外交の指導原則が果たした役割、?日本人の抱いていた考えと現実の国際関係との間のずれ、?日本外交の思想的背景と政治・社会の動向との繋がり、の三点を骨子に、明治初年から第二次世界大戦を経て「吉田ドクトリン」が規定路線となる1960年前後までの日本外交を、一方的なドグマや陳腐な解説に不満足に筆者独自の視点で振り返っている。
    目指すべき国家目標が比較的明確であった明治初期、政治面、軍事面、経済面で「海外各国と並立を図る(三条実美)」ための努力が、とりもなおさず不平等条約の撤廃という政治的目標とリンクしていた時代には、一貫した外交姿勢が容易に存在し得た。しかし運輸技術の発展などにより西洋によるアジアへの領土的、経済的、軍事的進出の姿勢が顕著になるにつれ、「欧州連合に加わり利権を獲得(大隈重信)」しようと、列国に歩調を合わせた外交、アジア主義を排して帝国主義的発展を期そうという「現実主義的/機会主義的な」外交姿勢は国内の理想主義者たちの批判の的となっていく。
    日露戦争開戦直後、朝鮮半島の支配権、南清への進出経済的発展から更に南満州への進出と、日本が大陸国家への道を歩みだした当時も根底にある外交姿勢は変わらなかった。日露戦争の勝利が西欧諸国を刺戟する事が恐れた政府は、アメリカ国内の排日運動、日英同盟の希薄化、清国内のナショナリズムの昂揚、英米の援清姿勢という厳しい国際環境の中で、列国と協調した「現状維持政策(伊藤博文)」を採っていく事となる。また国内的には、こうした日本外交観念の無思想性に対して、「日本はアジアの指導者として西欧に対峙すべきである」という「道徳的アプローチ」=アジア主義が、民衆や軍部(主に陸軍)の中で高まっていくこととなる。国内外で日本外交は孤立化し、指導者間での対立が生じ始める。
    1910年代に入ると辛亥革命、ロシア革命という変転が起きる中、ヨーロッパに代わって台頭したアメリカが新たな国際秩序へ強い意欲を見せる。中国の近代化を助けようというウィルソン外交に象徴される外交姿勢がそれで、むしろ混乱した国際情勢の変転期を「日本の版図拡張の好機到れり」と考えていた日本陸軍とは大きく姿勢を異にしていた。しかしアメリカへの経済的依存性を高めていた日本政府はこうした折衝を避けようと、三次四次にわたる日露協商、日英同盟改定を行って欧米協調主義を貫こうとする。同時に国内では岡倉天心、近衛篤麿、樽井藤吉らに代表されるアジア主義の高まりは抗し難い影響力を持ち始める。米ソが新外交の時期へ突入していく一方、日本は新しい外交観念を打ち出せずにいた。
    こうした中で軍事、経済、思想的に乱れた日本の対外態度に統一性を回復し、新しい国際観念を以て世界の諸問題に対処しようと尽力した幣原喜重郎が現れた。幣原はワシントン体制を新たな国際秩序と捉え、米との協調、軍事費の削減、中国内政不干渉による列国との協調姿勢を打ち出し、「経済的依存が平和な国際関係を維持する」という観念に傾倒した。
    しかし幣原外交は世界恐慌により破綻、積極外交を標榜した田中外交から満州事変を契機に軍部独裁へと一気呵成に日本外交は瓦解した。ひとたび大陸進出への箍が外れると一挙に対外問題が頻発し、それに呼応するようにアジア主義は暴走気味に大東亜共栄圏思想へと加速、軍部・政府の一貫した国防計画の欠如も相俟って日本はついに破局(日米開戦・帝国の崩壊)へと身を躍らせることとなる。
    このような考察を経て、著者は「現実対応的な次元を超えた地平で外交を包摂する哲学や理念を日本はいまだ持てずにいるのではないか」、との問題提起により 本書を締めくくる。とあるAmazonユーザーがこの本の書評で「この言葉は、21世紀を迎えた現代にあってより切実な重みを持ってくるのではないだろうか。」と嘆しているが、正にその通りであると私も思う。16冊目。

著者プロフィール

ハーバード大学名誉教授

「2017年 『西洋の論じた日中・太平洋戦争 同時代英語文献復刻シリーズ  第2回配本:戦中期編 全6巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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