ラディカル・ヒストリー: ロシア史とイスラム史のフロンティア (中公新書 1001)
- 中央公論新社 (1991年1月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (315ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121010018
作品紹介・あらすじ
ペレストロイカは経済問題とともに民族問題の爆発を惹き起こした。十六世紀から膨張を重ね、社会主義政権に受け継がれたソビエト・ロシアはユーラシア大陸の巨大な版図に数多くの民族と宗教をもつが、いまそのヨーロッパ的世界とアジア的世界に亀裂が生じているのである。本書は進行しつつある現在時と歴史的時間をクロスさせ、ロシア史とイスラム史のフロンティアに存在する隠れた構造を剔抉する、歴史学の野心的試みである。
感想・レビュー・書評
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1991年刊行。
著者は東京大学教養学部助教授(歴史学・イスラム地域研究)。
ロシア史、あるいはロシアに関係する中央アジア史を展開した書であるが、刊行年の年末に、まさかソ連崩壊・ゴルバチョフ失権するとは夢にも思っていなかったような叙述ぶりが散見される。
しかし、それでも読み応えは十分である。
チェチェン紛争が表面化した今でこそ、ロシア・ソ連におけるイスラム宗教紛争・イスラム系民族紛争の存在は周知とも言える。
しかし、かような問題をソ連政権は気取らせていない中、本書は、宗教・民族を克服したとするソ連宣伝の頸木から解放せしめた書として、また文献史料が僅少の、中央アジア・イスラームの歴史の在り様を解読したものとして意義深い書である。
まず、この点では、第二章のイワン雷帝によるカザン征服が一つの画期をなしている(ただし、「征服」というほどの内実があるかどうか、後世の大ロシア主義による過剰な意味付けの可能性も示唆される。イワン雷帝の寛容な宗教政策と、スラブ・トルコないしはステップ政治経済圏の重視政策)。
ここでは、その前史=イスラム系の文化的・技術的優位性の時代から、徐々に変容していった経緯を、イスラム側の視点から、あるいはトルストイなどの文学作品の解読を通じて行っていく。
そしてもう一つの画期は、ソ連成立とスターリン主義の嵐である。
ソビエト共産党の各種政策。これに声を上げて反対した時代から、粛清の嵐を経て、面従腹背・換骨奪胎でイスラムの宗教的、トルコ遊牧民の民族的慣習を維持し続けた実像を、グラスノスチの恩恵で公刊され始めた史料などを元に解読していく。
ここで印象的なのは、イスラム教義のカウンターとして、女性の権利向上を図らんとするイスラムの女性(ムスリマ)の存在と、彼女らを背後から動かさんとしたソ連。
これに対して、ソビエト政権の指導を換骨奪胎したイスラム保守派とのせめぎ合い。そして、結局は、彼らの間に挟まり、(軋轢のレベルと困難さはかなり違うが)雇用機会均等に悩んだ女性と同様の問題に晒されたムスリマの苦悩・苦闘である。
このように、支配・被支配の軋轢と同一の時代相の中で、その軋轢に加え、さらに文化的軋轢・民族内葛藤というものも複合している様が、問題を単純化してはならないと教えてくれるのだ。
ところで、「ラディカル」というほどラディカルではないと著者は謙遜される。
しかし、文献史学に潜む勝者の論理を暴く上で、別の方向性を模索し、史料探索にあたることは決して容易なことではない。これに果敢にチャレンジした著者の構想と努力は過小評価できないのは言うまでもない。
勿論、かような方法論に潜む飛躍・思い込みの愚は避けがたい問題であるから、読み手も注意すべき部分があることは確かだろうが…。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
同時テロ以来注目を浴びてきている「イスラム」。
その「イスラム」について何も知らない状態の自分がいることに驚き、いくつかイスラム関係の書籍を読んだり講座に出席してみた。
これはその中の一冊。
タイトルにあるようにロシアとの関係を通じて、中央アジアのイスラム世界を理解しようという内容になっている。
ただし出版されたのが1991年と古いため、現在の中央アジアを知るというよりはロシアにすむムスリムたちの歴史を知ることに限定されてくる。
ソビエトという大国にのみこまれた中央アジアのイスラム社会。 その中で必死に生き抜こうとしたムスリムたちの姿を見れば、同時テロが起きた原因というものがわかるような気がする。
いずれにせよ、我々は「イスラム」というものを知らなすぎる。