皇帝たちの都ローマ: 都市に刻まれた権力者像 (中公新書 1100)

著者 :
  • 中央公論新社
3.58
  • (4)
  • (5)
  • (8)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 123
感想 : 8
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (401ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121011008

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 塩野七生「ローマ人の物語」全巻読破して、更に辻邦生「背教者ユリアヌス」を再読して、準備万端、本書を再読する。
    初読では読み飛ばしていた内容が、十分理解することができた。
    「ローマ人の物語」の副読本として(そして、ローマ探訪のお供として)最適だ。

    古代ローマの建築には各皇帝たちの自己主張が込められている、と著者は言う。
    現代にまで残るローマの建物と遺跡から、ローマ皇帝たちの想いを読み取っていく。

    ローマは見るべき所は目白押しだし、裏路地に入れば安くて極めつきで美味いレストランがある。
    (ガイドブックに載っている高級店に行く必要はない)
    観光名所を巡る上で、ガイドブックは必要だが、もう一冊、本書をスーツケースに忍ばせて行くと、表層的な旅が、時間を超えたタイム•トリップに変貌する。

    ローマには2度行ったことがある。
    イタリアの都市の中でもローマは格別だ。
    古代ローマ人の息吹が未だに色濃く残っているような気がするのだ。
    カエサルも、オクタヴィアヌスも、ハドリアヌスもそこで呼吸をしている。
    それは実際に行ってみないと分からない。
    本書を離れて、ローマの建物について触れてみよう。

    1. コロッセオ
    歩道に面したカフェでエスプレッソを啜りながら目を上げると向こうにコロッセオの威容が目に入る。
    1900年の時空を超えて、古代ローマと遭遇するトキメキの瞬間だ。

    コロッセオは紀元80年、ウェシパニアウス帝とそれを踏まえて引き継いだティトス帝によって建設された。
    ウェシパニアウス帝とティトス帝と言っても、余り馴染みがないかもしれない。
    しかし、「ローマ人の物語」を読むと、ローマ帝制崩壊の危機を救ったのがこの二人の皇帝であったことが分かる。
    ローマ帝国中興の祖と言ってもよい。

    ローマ帝国の皇帝は、
     アウグストゥス(オクタヴィアヌス)
     デイベリウス
     カリグラ
     クラウディウス
     ネロ
    と、アウグストゥスの血統が続くが、ネロの失政と彼の自殺の後、ローマ帝国は内乱状態に陥る。
    ローマ帝国の危機だ。
    その内乱期に皇帝となる人物の名前は普通誰も知らない。
     ガルバ
     オト
     ウィッテリウス 
    だ。

    最後のウィッテリウスが内乱で死ぬと、人望厚かった将軍ウェシパニアウスが部下の兵士に推されて皇帝になる。
    その彼が内乱に終止符を打ち、帝国に再び安定をもたらすことになる。
     ウェシパニアウス
     ティトス
     ドミティアヌス
    と言う親子二代(ティトスとドミティアヌスはウェシパニアウスの息子)の王朝が生まれるのだ。
    ティトスの時代、ヴェスビオ火山か噴火し、大プリニウスが巻き込まれて死去する。
    ヤマザキマリの漫画「プリニウス」は、大半をネロの時代に費やされるが、ラストはウェシパニアウスの時代、そしてヴェスビオ火山とともにこの世から去るティトスの時代を描く。
    したがって、漫画「プリニウス」の読者には、ウェシパニアウス帝もティトス帝も馴染みがあるだろう。

    そのローマ帝国を再建したウェシパニアウス帝がコロッセオの建設を開始し、ティトスの時代に完成させた。
    当時のローマはネロの時代に起こった大火によって甚大な被害を受けていた。
    帝国の都ローマを復興し、市民に娯楽を与えて懐柔するために、ケチで有名な皇帝は、巨大なコロッセオ建設を決めたのだ。
    「パンとサーカス」のサーカスを提供することで、民衆の人気を得ることを目指したのだ。

    コロッセオを外から眺めて溜息をつき、客席に入ると、当時の剣闘士の戦いと観衆の熱狂が蘇って来て、グラディエーターの時代に一挙にタイム•スリップする。

    2. サンタンジェロ城
    テベレ川を散策して橋を渡ると、丘の上にはサン•タンジェロ城が異様な迫力で迫ってくる。
    まるで磁力があるかのように、足は自然とサン•タンジェロ城に向かって行く。
    映画「ローマの休日」において、テベレ川の船上でプリンセス•ヘップバーンが大活劇を演ずるのを、じっと見下ろしていた、あの印象的な建物だ。

    城と呼ばれているが、元々は霊廟だ。
    だれを祀る霊廟かと言えば、「五賢帝」のひとり、ハドリアヌス帝の霊廟なのだ。
    プリンセスを黙って見つめていたのは、誰あろう、ハドリアヌス帝の霊だったのだ。
    霊廟が建設されたのは、139年。
    1900年近く時代を経た建物とはとても思えない。
    ハドリアヌス帝は、「テルマエ•ロマエ」で有名になった。
    映画では市村正親が演じている。
    ハドリアヌス帝は、ローマ帝国の防衛に全勢力を捧げ、ローマの平和を維持に貢献した皇帝だ。
    皇帝になってからのほとんどの期間を、危険な前線基地で過ごしている。
    グレート•ブリテン島に長城を築き、スコットランドとイングランドの境界線を設定したのも、彼の帝国を防衛戦略の一つだった。
    前線でローマ帝国の安全保障に生涯を捧げたハドリアヌスが、ローマの丘に安住の地を見出しすことが出来たのは、死後のことだった。

    霊廟は、その後、城砦となり、監獄となり、ローマ法王が住むバチカンと通路で繋がれて、法王の避難場所にもなった。
    そして観光名所となり、現在もローマの街を睥睨している。

    3. フォロ•ロマーノ
    皇帝の都ローマの中心は、政治の中心であったフォロ•ロマーノだ。
    フォロ•ロマーノはイタリア語ではフォルム•ロムヌム。「ローマ広場」だ。
    フォロ•ロマーノを現在の形に整えたのはカエサルだ。
    塩野七生がカエサルをこよなく愛する(最も愛するのは、チェーザレ•ボルジアだろうが)野に対して、本書の著者青柳正規はカエサルに冷たい。
    カエサルを陰謀家で、権力の絶対性を求める男と描く。そのことはカエサル広場に明確に表されているとその詳細を説明してみせるのだ。

    カエサル以前の広場の姿、カエサルの整備した広場、そして、その後の皇帝たちが自己アピールのために行った経緯が遺跡を通して蘇ってきて感動する。

    4. パンテオン
    元々はオクタヴィアヌスの片腕、軍事を統括したアグリッパが皇帝アウグストゥス(オクタヴィアヌス)にささげた建造物だが、火災で焼失していまい、再建したのはハドリアヌス帝だった。
    その美しさは息を呑む。
    古代ローマの建造物とは到底信ずることが出来ない。
    巨大なドームの真ん中に開いた円形の穴から降り注ぐ、陽光が神秘的だ。

    パンテオンは多くのローマの神々を祭る万神殿のことだ。
    初期ローマ帝国は、カエサルの思想「寛容さ」を基本方針に定め、政治のみならず、宗教にも寛容だった。
    パンテオンという建物は、その思想を体現していると言える。

    5. コンスタンティノープル
    皇帝コンスタンティヌスは、永遠の都ローマを捨て去り、アジアとの接点、コンスタンティノープル(現在のイスタンブル)に遷都する。
    なぜ、ローマ帝国の首都がローマではなく、ずっと東に遷都されたのか?
    政治的軍事上、ローマ帝国の最大の敵は、ササーン朝ペルシアだった。
    その敵からの侵入を防衛し、叩くためには、ローマはあまりに離れすぎていた。
    ローマ帝国の防衛戦を、ぐっと東に移動させたのがこの遷都だった。

    しかし、より重要なのは、宗教上の理由だ。
    ローマは、ローマの神々が居る万神の都だった。
    その象徴がパンテオンだった。
    ところが、帝国はキリスト教にほぼ支配されていた。
    帝国運営はキリスト教との協働無くしては成り立たなくなっていたのだ。
    プラグマティスト=コンスタンティウスはミラノ勅令により、キリスト教を公認した。
    そのため、彼はキリスト教徒が牛耳る元老院からマグヌス=大帝の称号を受ける。
    (その反対語は、ユリアヌスに与えられた「背教者」だ)

    ローマの神々がひしめくローマは、キリスト教の都
    たり得ない。
    キリスト教の都を作る目的でコンスタンティヌスは遷都を決めたのだ。
    ローマの神々(その元になったギリシャの神々)は全て殺され、キリスト教の神のみが人々を支配することになったのだ。
    塩野七生は、これを「寛容さの終焉」と表現する。

    イスタンブルは魅力的な街だ。
    イスラム帝国に支配されて、現在はイスラム国のトルコに属すとは言え、「寛容な」イスラム教は、キリスト教の遺物も、ローマの遺跡も残している。
    イスタンブルに行くと、お祈りの時間を示すアザーンの声が響き、エキゾチックな雰囲気が漂う。
    人々はブルー•モスクに集まりお祈りをする。
    ブルー•モスクのモデルは、ユスティニアヌスの建てた(再建した)キリスト教の聖ハギア大聖堂だ。
    ただ、聖ハギアの大きさを超えることができなかったというのが微笑ましい。
    聖ハギア大聖堂は、アヤ•ソフィアとしてイスラム鏡のモスクになるが、現在は博物館となっている。
    モスクになったにも関わらず、キリストのモザイクも綺麗に残っていることから、イスラムの「寛容さ」が窺われる。

  • ローマという都が、それぞれの時代の皇帝たちとの関係で、どのように発展していったかという歴史的な経緯が詳述されている。何より、その綿密な資料調査に裏付けされたと思われる当時の都の様子の再現がすばらしい。研究というのは、こういうことを言うのであろう。

  • ローマで読み終えた一冊。
    この本を片手に、フォロ・ロマーノ、アラ・パチスなど、ローマに残る多くの古代の痕跡を歩いた。
    NHKでも古代ローマの歴史を解説していた著者は、極力抑えた筆致で、淡々と現代のローマに刻まれた古代を掘り起こしていく。

    この本と共にローマを歩けたことを、極上の幸せだと思った。

著者プロフィール

1944年生まれ。東京大学副学長、国立西洋美術館館長、国立美術館理事長を経て、2013年より第21代文化庁長官。

「2014年 『アーカイブ立国宣言』 で使われていた紹介文から引用しています。」

青柳正規の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×