軍艦奉行木村摂津守: 近代海軍誕生の蔭の立役者 (中公新書 1174)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121011749

作品紹介・あらすじ

浜御殿で生まれ育ち、若くして幾多の要職を勤めた木村喜毅は、長崎表取締並海軍伝習取扱になったことが契機となって軍艦奉行となり、その後も幕府の海軍建設に貢献した。咸臨丸のアメリカ航海では司令官として、また遣米使節副使として優れた外交能力を発揮した。明治政府になっても、その人格・経歴に対する評価は高く、在野から日本の近代海軍建設に力を尽くした。本書は、木村の行動の軌跡をたどりながら、幕末日本の諸相を描く。

感想・レビュー・書評

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  • 司馬史観・明治維新史観での幕末情報を知らなかった私ですが、最近、パクス・トクガワーナの視点で遅まきながら幕末を勉強していますが、軍艦奉行木村摂津守が近代海軍誕生の立役者であったことを詳しくしることが出来ました。
    内容ですが、
    第1章 浜御殿奉行の嫡子
    第2章 長崎海軍伝習所取締
    第3章 咸臨丸出航前後
    第4章 遺米副使木村摂津守
    第5章 江戸の軍艦奉行(1)
    第6章 江戸の軍艦奉行(2)
    第7章 木村芥舟の生活と後継者たち
    第8章 勝、福沢の死と晩年の芥舟
    おわりに
    ということです。
    将軍家に近く、そして家計的に裕福に育った摂津守、そして、優秀な幕閣にその才能を見出され、幕末の海防に腐心する。
    遺米副使としてして莫大な私費も負担しながら、当時のサンフランシスコで絶大な歓待を受け、日本の貴族としての体面を充分表した。
    維新政府には参加せず、徳川幕臣としての筋を通した生き方、しかしながら、憂国の士として海軍の重要性を陰ながら、明治政府に協力した。
    すばらしい官僚というものは「社稷」としての日本の未来を憂うということである。
    最後に、勝と福沢の確執の間に入って、冷静な摂津守の態度、それと、陪臣であった福沢が咸臨丸に乗船できた恩義を感じ、明治になってからもずっと摂津守を支えた福沢の生き方も私の好みではある。
    著者の曽祖父が福沢と共にアメリカに渡航したという因縁著者であり、木村摂津守への尊敬の念がこの本を編ましたのである。

  • 浜御殿で生まれ育ち、若くして幾多の要職を務めた木村喜毅は、長崎表取締並海軍伝習取締になったことが契機となって軍艦奉行となり、その後も幕府の海軍建設に貢献した。咸臨丸のアメリカ航海では司令官として、また遣米使節副使として優れた外交能力を発揮した。明治政府になっても、その人格・経歴に対する評価は高く、在野から日本の近代海軍建設に力を尽くした。本書は、木村の行動の軌跡をたどりながら、幕末日本の諸相を描く。(1994年刊)
     はじめに
     第一章 浜御殿奉行の嫡子
     第二章 長崎海軍伝習所取締
     第三章 咸臨丸出航前後
     第四章 遣米副使木村摂津守
     第五章 江戸の軍艦奉行(一)
     第六章 江戸の軍艦奉行(ニ)
     第七章 木村芥舟の生活と後継者たち
     第八章 勝、福沢の死と晩年の芥舟
     おわりに 

    木村摂津守というと歴史的には無名に近いのではないか。正直、咸臨丸で渡米したことくらいしか知らなかった。この時の勝海舟との確執?(実は海舟の一方的なもの)が有名であるが、本書により木村の生涯を追っていくと、なかなかの人物であり能力も高い事がわかる。まさに、近代海軍誕生の陰の立役者であることがわかる。

    木村家は旗本といっても、三河譜代という訳ではない。初代は甲府家に仕え、綱豊が将軍家宣となったことから幕臣となる。4代目は砂糖の製法を学び、5代目は朝鮮人参の栽培に携わったというから、技術者の家柄とも思える。3代目より浜御殿奉行を勤めたことから、木村家は将軍に近しい立場となり寵恩を受ける。このため摂津守も13歳で初出仕、15歳で両番格浜御殿添奉行となっている。林家で学問を学んだ事により、岩瀬忠震の知遇を得る。25歳で講武所出役。その後、岩瀬のひきで目付となる。安政3年、目付のまま長崎表御用取締を経て長崎海軍伝習所取締となり、海軍との縁が出来る。

    海軍伝習所の閉鎖にともない中央に復帰、井伊直弼により、開明派が左遷されるなか、軍艦奉行並に就任、咸臨丸の訪米を企画し、渋る幕閣を説得するため、万が一の場合の副使を載せるという名目とする。そのような事情があったため、摂津守には遣米副使という役割があったという。
    (勝海舟が機嫌を損ねる原因となるが、これはやむを得まい。)
    また、ジョン万次郎を通訳としアメリカ海軍の軍人ブルックと水兵を乗船させるよう手を打つ。これにより、咸臨丸は無事にアメリカにたどり着くことが出来た。ここら辺の手腕をみると、能吏ぶりが際立っている。

    帰国後、軍艦奉行に就任。幕府海軍を設立するため、国産軍艦(千代田形)の建造、外国への発注(開陽丸、富士山丸、甲鉄艦)、留学生の派遣、外国人教師の招聘などに手腕を発揮する。
    さらに、大海軍計画の実現を目指すが、井上清直の転任、勝海舟の反目などにより挫折。再三建議を繰り返すものの入れられないため辞任することとなる。(この頃の海舟は正直、器が小さい。とても江戸開城が出来るような人物には見えない。勝自身、累進し、揉まれることにより政治家として大成したのではないか)

    幕府瓦解後、摂津守は隠居し芥舟を名乗り、明治政府には出仕していない。木村家が特に将軍から寵恩を受けていたことも影響しているのではないだろうか。かつての部下たちや福沢諭吉との交流が描かれているが、ここまで慕われているのは、芥舟の魅力あってのことであろう。海舟とも邂逅を果たす。日清戦争で日本は勝利するが、芥舟の明治の大海軍を確認することとなる。芥舟の蒔いた種が実を結んだ瞬間である。

    本書を読んで、その仕事師としての人生に圧倒された。幕末の激動を、江戸の武士たちがどの様に生きたのか知ることができる好著であり強くオススメしたい。

  • 福翁自伝で言及されていた木村摂津守がどうういう人物だったのか興味があったので購入。比較的入手しやすい唯一の木村に関する評伝。地味だがこういう人物の影の功績はもっとよく知られても良い。海軍創設の功績は決して勝海舟だけのものではない。

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