書とはどういう芸術か: 筆蝕の美学 (中公新書 1220)

著者 :
  • 中央公論新社
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本棚登録 : 178
感想 : 14
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  • Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121012203

作品紹介・あらすじ

本書は、「書は美術ならず」以来の書論を再検討し、甲骨文から前衛書までを読み解いて、言葉の書体としての書の表現を歴史的、構造的に解き明かす。

感想・レビュー・書評

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  • 著者のエネルギーが感じられる一冊であった。書の美とは何か、歴史の流れを通じて説明されている点は良かった。また、「かきぶり」という表現に大いに同意できた。
    ただし、よほど比田井という人が嫌いなのか、文章に強い念が込められたような表現であり、どうしても客観的に著者の主張を判断しにくい印象は残る。

  • 論理的には正しいんだけど、
    特に後半、「あ、この人の言ってることはなんか正しくないわ」と直感した。
    いや、けれど、すべてを否定するわけではなくて、
    僕はこの本によって、いくつもヒントをもらった。
    そうか、書美は「文字でも造形でもなく、文字から何かを伝えようというその想い」なのかと感じた。
    つまり文字を読んでいるのでもなく、形を見ているのでもなく、
    見えないけれどそこにのっている気概をみてるんじゃないかと。
    現代書は述部を追求しすぎ。
    すべきは今の日常語で書くこと。つまり漢字かなまじり。しかも自分の言葉で。いやー言語感覚も磨かないと!井上有一が文字に戻った理由もわかる気がする。

  • 理論派として他の書家とは一線を画する著者が、あらためて「書とは何か」を問う。そもそも筆で字を書いただけのものが芸術たり得るのか(この話は毛筆常用時代の議論なので、疑問を呈する立場から言えば「ワープロ印刷が芸術足り得るか」くらいの議論だったのだろう)という話から始まり、著者独自の「筆蝕」理論に基づく書史の展開、比田井天来以降の近現代に発生した前衛書道の歴史的な位置付けから、「読めなければ書ではない」という思いから急速に言葉に回帰した「今」の書道まで、所狭しとぶった斬る。著者には同じテーマをさらに歴史的に俯瞰した『日本書史』、『近代書史』という畢生大作があるが、これは一般の人でも読みやすい新書版。

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB99096827

  • 書は彫刻だ、っていうのが面白い

    たしかに、シュメール人の最初の文字も、粘土に跡をつけるもんだ。甲骨文字だろうとなんだろうと、文字の役割は、改変できない記録、であったんだから、彫ることから始まるよね。

    アステカ文字なんてまさに彫刻
    エジプトも彫ってる

    彫刻的なものしか残ってないからそうみえるのか?
    いや、残るものだから彫刻が選ばれたんだというので良い気がする。

    中国の筆はだから彫ることを背負ってる。

    対して日本の筆は、そこまで背負ってない。「はく」「はらう」みたいなもんで、天然自然の比喩で、余白には水が流れる、みたいな言いぶりも、なるほど、そうかもしれん

    彫刻があくまでモノラルな素材なのに、紙に書くと、紙と墨と2種類になる、というのもなるほど、考えたことなかった
    「紙が白いこと、白紙であることにはもっと注意をはらってよい」これもいいね

    井上有一とかを何度見ても感動しなかったので書はよくわからんと思ってたけど、安心した
    述語ばっかで主語をどうともしてない、という近代批評は定番的だけどそのとおり

    重力関係のなかを生きる姿を描き出す、というのも良かった。重力は今のところの引き続きキーワードだ。

    「文字を話し」「文字を聞く」の東アジアの言葉と、「声を書き」「声を読む」の西欧の言葉の在り方の対比から、ソシュールを底が浅いと言うところもいい。ソシュール、ちゃんとはまだ読んでないけど、断片的に引用とかから知る限りでは、それって日本語に通じなくない?と思ってた。
    白川静とかも否定的だったらしい。
    だから逆に興味わくんだけどね。ソシュールまでどんだけあとかかるんだ、、、。

    それはどうかね?というところもいっぱいあったけど、面白い本だった。

  • 同氏の著書「日本語とはどういう言語か」で、日本語の文字依存に気付かされた。

    では、文字とは?現代言語学に文字学は無い。では、文字道、書道に文字学の姿を見いだせないか。

    この興味の道標とすべくこの本を読んだ。

    さっぱり分からない。書道に無知すぎるからか、何言ってんのかサッパリ…涙。

  • 字うまくなりたい。

  • 書を絵画的な造形の美ではなくて、言葉をつむぎ出す力と捉え、書の芸術性を明らかにしていくものです。筆蝕=筆記具の尖端と紙が接触し、離れつつ書き進められていく過程を、書の欠くべからざるものとし、その意義を書史からも展望します。著者の深い洞察と、書についての熱い思いが表れた一冊です。

  • 書の歴史を誕生から現代日本まで非常に分かりやすくまとめられている。主眼は書の芸術性への言及であるが、歴史を俯瞰して見るほうが使える。
    主眼については共感できる人も多いかと思うが、ロジックの飛躍や若干我見すぎるところもあり、残念である。

  • -----
    題名のごとく、「書」とはどのような芸術なのかを
    体系的に紐解いていく。
    言葉を書くことなのか、
    書き方の工夫を堪能するものなのか、
    「線」のあり方を慈しむものであるのか。
    著者は筆蝕というものにその答えを求める。

    書かれたものは「線」なのか「文字」なのか「言葉」なのか。
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    どのような芸術でも、歴史的・体系的に積上るものであり、
    そこにできた伝統を「壊していく」ことが進化なのだという
    ことを再確認。
    -----
    どのような芸術(=表現)であれ、その限界は
    道具によっても規定される。
    石を削って文字を書く。
    木を削って文字を書く。
    紙の上に墨を乗っけて文字を書く。
    それぞれに違う性質がある。
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著者プロフィール

書家。京都精華大学客員教授。1945年福井県生まれ。京都大学法学部卒業。1990年『書の終焉 近代書史論』(同朋舎出版)でサントリー学芸賞、2004年『日本書史』(名古屋大学出版会)で毎日出版文化賞、同年日本文化デザイン賞、2009年『近代書史』で大佛次郎賞を受賞。2017年東京上野の森美術館にて『書だ!石川九楊展』を開催。『石川九楊著作集』全十二巻(ミネルヴァ書房)、『石川九楊自伝図録 わが書を語る』のほか、主な著書に『中國書史』(京都大学学術出版会)、『二重言語国家・日本』(中公文庫)、『日本語とはどういう言語か』(講談社学術文庫)、『説き語り 日本書史』(新潮選書)、『説き語り 中国書史』(新潮選書)、『書く 言葉・文字・書』(中公新書)、『筆蝕の構造』(ちくま学芸文庫)、『九楊先生の文字学入門』(左右社)、『河東碧梧桐 表現の永続革命』(文藝春秋)、編著書に『書の宇宙』全二十四冊(二玄社)、『蒼海 副島種臣書』(二玄社)、『書家』(新書館)、作品集に『自選自註 石川九楊作品集』(新潮社)、『石川九楊源氏物語書巻五十五帖』(求龍堂)などがある。

「2022年 『石川九楊作品集 俳句の臨界 河東碧梧桐一〇九句選』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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