大衆教育社会のゆくえ: 学歴主義と平等神話の戦後史 (中公新書 1249)
- 中央公論新社 (1995年6月24日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121012494
感想・レビュー・書評
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家庭環境と教育の関係、親の学歴・収入と子どもの成績など、最近ますますその関係が顕著になる。日本も格差社会となっている事実を認識すべきだろう。
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●教育の量的拡大
●メリトクラシーの大衆化
高校進学率の爆発的拡大と合わせて、経済的理由によって進学を断念しなけらばならないという貧困問題が希薄化。だれでも努力次第で進学できるように見える社会が到来した。
●学歴エリートの非選良性
量的に拡大した新制大卒層がエリートとしての自覚や世代間再生産の後ろめたさを持たないまま、漫然と中間層上層を構成している現代日本の実態 -
自分が受けた中学での補習授業はこうした状況の中で行われていた。友人はだから大学へは進まなかった。自分はなぜ大学へ進みたかったのか。
戦後と言う社会状況の中で、教育がどのような歴史的意味をもっていたのか、教育社会学の視点でたくさんのことを知ることができる良書である。国際的な比較を通した、「平等」の考え方は多くの教育実践者にも知ってほしいと思った。
サブタイトルの「学歴社会と平等神話の戦後史」のほうが、本書の内容をよく表している。 -
1995年発行とは思えないほど現代的で、今も筆者の言う構造があるように感じられる。
神話にあふれる教育の世界、抽象的な「本当の教育」といった終章での意見は非常に共感できた。
同じ平等な教育といってもイギリスは階級的、アメリカは多民族的に考え日本の差別感を与えない教育=平等という考え方の特殊性を明らかにしていく部分や日本の場合、社会的出生=入試による生まれ変わりがあるといった主張は非常に参考になった。 -
高校生の時に進路室で読んで、目からウロコが落ちた本。
この本を読んで苅谷教授の下で勉強したいと思ったなぁ。
けど東大に行くには自分の頭が足りなかった…。 -
教育社会学のパイオニア・苅谷剛彦氏が書いた15年前の書である。しかし、内容は今にも通じるものばかりである。経済から見た教育格差。大衆化した大学教育とメリトクラシー。教育格差から生まれる階層・文化の違い。国際比較から見た日本の教育の現状etc...いずれにしても両極端に偏ることなく、バランスのとれたものが多い良書。教育社会学のバイブル。
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大衆教育社会が成立したが、そこには表だって問題とされない、(学力)階層社会が存在していたということを、いろいろな資料によって明らかにしている。また、日本は諸外国にはない、平等的な学校システムが作られた国でもある。
これは、日本的な能力主義、平等主義が生み出していったものであるとする。90年代半ばに、社会の変革を的確にとらえて、大衆教育社会が成立し、そして揺らぎ始めていることをとらえている。
当たり前のことを分析したうえで、しっかりとした意見を構築しないと、砂上の楼閣になりかねない。そんなことを、わからせてくれた本だった。