サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)

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著者 : 下條信輔
  • 中央公論社 (1996年10月25日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121013248

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サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)の感想・レビュー・書評

  • 読者の興味を引く実験を多数紹介しながら、無意識のうちに生じている認知過程についての研究を、分かりやすく解説している本です。また最終章では、著者の考える「潜在的人間観」が、現代の「自由」と「責任」の概念に投げかけている、哲学的な問いについても考察が展開されています。

    とにかくおもしろく読める本です。また、人間観のゆくえという、大きな問題にまで議論がつながっていることにも、興味を引かれます。

  • 無意識とか不随意運動とか、生物機械論にどんどん寄って行く感じが不気味で面白い。
    最後の方の刑法持ち出したりの問題提起はちょっと期待してないかな

  • 一行一行に込められた重いパンチが痛い。
    ちょっと読みにくいところがあったが、読んで良かった。

    43p
    情動と主観的要因についての記述が良かった。

    情動をあからさまに表情に出す人は内面では情動は弱く、
    抑制する人は内面の情動は強い。
    で、本人的には表情に出れば出るほど情動が強く、
    その逆はその逆。

  • 少々読みづらかった

  • 人間は自分のことをじつはわからない。
    自分のことを言語でわかる領域はすくなくその後ろに広大な無意識の野があり、そこから一部が言語化されていて、それによって自分をわかった気になってしまう。
    ということを心理学実験の古典的なものをまじえて紹介。
    目標、評価といったものについて今後は心理学の知見は必須科目になるんじゃないかな。

    以下ポイント
    人間の行動は潜在的認知過程に左右される。人はおもっているほど知覚・情動・行動の「本当」の理由をしってはいない。人のこころは意識と無意識の両方に強く影響されている。
    顕在的(言語で語れるほど)に自分のことを自分でわかってる人はすくなく、暗黙知的に言葉にできない無意識領域で知ってる、できるケースがおおい。
    で潜在記憶と顕在記憶(記憶したと自覚のある記憶)の二つが記憶にはあるが、潜在記憶は顕在記憶のごく一部にすぎない。

    認知的不協和
    心のなかに二つの矛盾する認知がうまれる。緊張状態になる。どちらかを解消しに行く。たいていは外的要因による認知は変えにくいので、内的要因の認知をかえにいく(津波くるかも・・とやばく認知してるけど、逃げると目立って恥ずかしいから、津波はこないだろう、、というふうに認知をかきかえる)。

    自分の心ほど気づきにくいものはな。

    行為者は外的要因にきする傾向がある(うまれとか)。行為者は自分についての内的てがかりよりも外的要因のほうがよりてがかりがおおいので。

    帰属理論

  • 『幽霊の真理』(荒川 修作と小林 康夫の対談集)読了以来、気になっていた認知科学者である下條信輔氏の作品。東大の教養学部での講義をまとめたもので、とても読みやすい。

    本書と全く関係ないが、タルコフスキーの『ストーカー』が頭によぎった。命がけでゾーン内へ侵入するストーカー、教授(物理学者)、作家の3人、を『幽霊の真理』第3章での荒川、下條、小林に重ね合わせてほくそ笑んでしまった。

  • 2015.7.22「人は自分で思っているほど、自分の心の動きをわかってはいない」というテーマから、人間の潜在意識を問い、現代の人間観に問いを投げかける本。人間は、行動の理由、感情、判断、記憶、認知、好み、意思すらも、自分が一番自分のことをわかっていて自らの自由意志によるものだ!と思いきやそうでもないということを、様々な研究結果を引き合いに出しながら論じている。我々は自らを自由だと思ってる。少なくとも外的な要因に自分の意思が阻害されない範囲ではそう思ってる。しかし、そう思うことそのものも、潜在意識によるものが多く、言わば思い込まされた自由、作られた自由、管理された自由の中に我々はいる。「私」の主人は、意識された主観的な私ではなく、意識できない無意識のプログラムである。好みにしても、意思、判断、認知にしても、私特有のルールというものがあるという、主観的な自由ではなく、人間共通の、判断や認知や好みを決める、客観的ルールがある。主観的な自由意志に基づく顕在意識と、客観的な生得的ルールに基づく潜在意識があり、それらの相互作用により人間は形づくられる。また潜在意識的な人間観のような、人間機械論の立場に立つと、自由とは何かという話になる。また自らの自由が自由でなくなれば、責任はどうなる、という話になる。事実、そのような流れがアメリカをはじめ、「症候群」症候群という形で、つまり自分の行動の結果を生物学的心理学的な客観的理由に帰属することで責任を問えないという事例、傾向が強くなっている、とする。個人の自由と責任を前提とした民主主義的価値観が現代の潮流である中、そのそもそもの前提は崩壊しつつあるという発見を、この本では述べている。理系の本はやはり読むのが難しくも感じ、特にこんなテーマは考えれば考えるほど頭が混乱してしまう。こうやって考えてる自分は自由意志によるのか、それとも機械論的な、外の刺激に対するプログラムによる応答としての行動で、それを主体的な自由と思わされているのか、もうよくわかんなくなる。しかし肯定的に捉えることもできるはずである。この本の前に「退屈力」という啓発的な本を読んだが、これはまさに認知的不協和理論を、人生をよりよく生きるために応用した方法ではないか。我々の潜在意識は言わば生まれつきの変えられない生物プログラムかもしれないが、それを知り、有効に活用するという自由は、やはり我々の手の中にあるのではないか。情動ニ要因理論にしても、仕組みが分かれば自らのマイナス思考の帰属が、割と間違っていることがわかる。しかし逆に考えれば、世の中のありとあらゆることが自分を不幸にするものだという考え方もできるし、そのように感じてしまう。人間は機械的な、プログラムされた存在であるというのはあくまで事実であり、その事実を人類の幸福のために使うか、不幸の正当化に使うかは、我々の手に委ねられているのではないか。現代の人間観、自由と責任の破滅への問いを投げかけながら、同時にこれからの新しい人間観、潜在意識と顕在意識の相互作用による人間観の可能性を論じた一冊。

  • 時間がなかったので、興味があるところを部分的にさらっと読み。「人は自分で思っているほど、自分の心の動きをわかってはいない」ことのいろんな事例が紹介されている本。こういったことを自覚の上で、この体を乗りこなす必要があるってことだね。
    「不十分な正当化の効果」(わずかな報酬の方が仕事の魅力を増す)というのは、実際の生活で利用できそうだから覚えておこう。

  • 名著再読。容易に他者がコントロールしうる「自由意志」のあやふやさ、危うさを指摘したこの本の内容も、新しい常識として広まりつつある。しかし操作する側の手法もどんどん巧妙化している。「人をどう操作するか」という視点で読んでも面白いと感じた。

  • 「色即是空空即是色すべてこの世は夢幻よ!」という某映画のセリフを思い出す。ヒトの認知ほど不確かなものはないということを思い知らされる。生きづらさと戦っている人はこの仕組みを理解することは、それを乗り越えるために重要であると考える。
    全くもって、科学者というものはその知的好奇心を満たすためには酷い実験をする。しかし、そのお陰で私たちは、脳や認知について知識を得ているとはいえやはり酷いものは酷い。とは言えありがたい知識であることも否めない。
    一般的に無意識と呼ばれるもの、大乗仏教で言うところの「末那識」「阿頼耶識」がありきで我々が「意識」と言っているものはとても脆弱な存在であるということが本書が一貫して述べているところだと理解する。我々は意識をしてから体を動かしていると考えているが、それは大きな誤りであり、無意識、阿頼耶識に突き動かされていると言っても過言ではない。多くの実験がその次自分を物語っている。コンピュータの世界で言うところの分散システムである。つまるところ、進化の結果獲得したからこうなっているのだろう。
    目の前の不快を単純に避けることが、全体最適になっているとは限らない。また、目の前に快楽にとビクつくとも同様である。過去のトラウマ故に踏み出せないことがあったとしても、そこに踏み出さなければもっと将来的には不利益が起こることはよくある。結局のところ、「無意識」「末那識」が邪魔しているだが、これと上手につきあうことが、より良い行動につながるのは言うまでもないことである。そのためには、「無意識」「末那識」のことを知るためには本書のような実験についての知識が必要なのである。
    この本から得られる教訓としては、仕組みとしての「サブリミナル・マインド」を知ることと、道具としての「瞑想」を実践することなのだろう。

  • 暇つぶしにKindle版を購入。
    内容がかなり濃くて,後半はちょっと難しかったけれども,かなり読み応えがあった。
    潜在認知に関してかなり深く突っ込んだ内容まで取り扱っているので,新書的な軽いノリでは読めなかった。
    とりあえず,著者は天才的な頭脳を持っていることはよくわかった。
    (自由)意志とはなんだろうか,意識とはなんだろうか,なんてことを考えさせられる。

  • 私の人間観に変化をもたらしてくれた。
    「自分」は確固たる存在ではないのだなということを実感できて何やら安心した。

  • 自分が見えていないつもりでも、自分はしっかりと見ている。自分のことは本当に自分が一番よく知っているのかどうか。

  • 基本的な心理学の素養がない人間でも、大学の一般教養的な雰囲気で(いや、それよりもだいぶ面白くw)心理学の知識を身につけつつ、今の科学が「何が分かっていて、何が分かっていないか」というところまで連れて行ってくれる良書でした。
    TVなどで断片的に知っている潜在意識に関する知識を統合し「自分(私)とは何か」「自由とは何か」というまだ今の科学が解明してない疑問をしっかりと植え付けてくれます。

    読んで感じたのは、うすうすとは感じていたけど、自分の行動規範がいかに「“誤った”自分中心主義」であるのかと…。論理的な判断と思っていたものは本当にそうなのか。客観的な視点で選んだものなのか。あの感情の原点は!?などなど、頭を抱えさせられます。(2013.08.24頃読了)

  • 心理学初心者にはちょっと辛かった。「大学の講義を本にした」と著者。その通りとおもった。読み返して実験、目的、得られる教訓・考え方などをまとめておきたいと思う。

  • 下條先生がCalTechに言ってしまう前に、最終講義がわりにこの本の読書会を開いたって覚えがある。なにか一生懸命質問したはずだが、覚えてない。当時、下條先生がディスカッションするときの「3つ質問があります」というスタイルを真似ることに夢中でした。

  • 「個人の心の中に互いに矛盾するようなふたつ「認知」があるとき、認知的不協和と呼ばれる不快な緊張状態が起こる。そこで当然、それを解消または低減しようとする動機づけが生じる。しかし多くの場合、外的な要因による「認知」のほうは変えようがないので、結果として内的な「認知」のほうが変わる。つまり態度の変容が起こる(具体的には、たとえばものや作業に対する好嫌の感情が変化する)。」

     たとえば、私達は、「嫌な体験にも学びがある」などと言って、嫌な体験すらも正当化しようとします。しかも、この正当化は、意識的だけではなく、無意識的にも行われることがあります。このように私達は、認知的不協和を解消するために無意識的に自分自身の感情を捻じ曲げるということです。嫌なことをあたかも好きであるように思う込もうとすることすらもあるわけです。

    2012年6月8日紀伊国屋書店 流山いおおたかの森店で購入
    2008年12月10日 第1刷、2009年2月25日第4刷発行

  • ワークショップ「記憶を探る」:“先生からのおすすめ”本

  • 『自分のことは一番自分が知っている』っていう言葉を耳にするが、本当にそうなのか?
    この本では、記憶や目にしたものを中心に認知的観点でかかれている。
    もちろん、社会心理などいろんな分野からかかれてはいるが、認知より。かっこがきが授業の突っ込みのようで面白い。

  • 自分の事を決めるのは自分だし、認知の過程も自覚できると思っていたが、本書を読むうちに自信がなくなってきた。

    元々は、「自分で自分の気持ちをより適確に把握したい」との思いで読み始めたのだが、結局それは無理じゃないかという結論に至ってしまいそうである。(そして、ラストの第9講でハッとさせられる。)

    これを読んで面白かったか?と聞かれたらもちろんYesだが、役に立つか?と聞かれてもはっきりした答えは言えなさそうだ。

  • 知的興奮を覚える一書。無意識のレベルで制御されている、ことがらの多さに驚きます。

  • 三葛館新書 145.1||SH

    保健看護学部 岩原昭彦先生
    自分のことは自分が一番知っていると多くの人は思っています。しかし、人は自分で考えているほど、自分の心の動きを分かっていないのです。というのも、私たちの行動は、自分では意識化できない無自覚的な心の働きに大きく依存しているからです。
    本書では、無味乾燥で画一化しがちな心理学の入門が、魅力ある切り口で再編成されています。心理学が周辺の諸分野といかに密接に関連しながら発展してきたのかが理解できると思います。

    和医大OPAC →http://opac.wakayama-med.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=38914

  • 実験の話が中心で途中で飽きそうになりますが、最後まで読むと意外に収獲が多かったと。無意識のうちに...なんて表現も何気なく使っているけど、その境界は曖昧で、そもそも神経反応を指しているだけという考え方も出来るのだということが新しかった。

  • 今や心理学にも文化系・工科系・社会学系・医学系と幅広くに行きわっている。
    言葉の意味するところや表現とか集うとか伝達するとか意思疎通するとか・・・
    意識無意識にかかわらずに、意志の決定はあらゆる方面につながっている。

    哲学や神学や物理学が垣根を越えてお互いの分野に通じて行かないと理解不能になってきた現在、心理学もあらゆることと関係を持てるようになって、社会一般に需要が増えて発展している。
    しかしご多分に漏れず、学問の宿命とも言える詳細な部分に呑めり込んでいるのも事実である。
    私がここ数年席を置いている知的障害や身体障害における環境問題でも、コミュニケーションをとるための言語・意識・表情の問題とか個性・自律・共生・の問題とか信頼・喜び・恐怖・安心・変化などを理解するために、心理学や社会学を必要としていると思う。
    距離的に近すぎる専門書よりも、少し距離を置いた分野や立場に立って深く咀嚼する方が余裕を持って理解と納得を得られることが多い。
    枝葉の現象面の処理に追われている内に根幹を見失うことにならないためにも、全体観を意識していることが大事だろう。
    このことは人間が生きる上で、どんな場合に遭遇しても忘れてはならないことだろう。

    できれば硬い漢字を減らして、日曜用語で書いて欲しいと思う。

  • 面白い。

    人の行動が潜在的な、本人にとって無意識の認知過程に大きな影響を受けていることを、心理学史上の様々な実験を紹介しながら解き明かしていく。

    密閉したビルの中でネズミを飼うと、ある程度まで増えた後、性的不能な個体や子殺し、同性愛などが多発し、場合によっては個体数が減少することもある。
    言うまでもなく、大都市に住む人間も似た徴候を示すわけだが、個々の人間にインタビューすれば、例えば「私は自由意思で同性を愛してるだけだ」となる。
    環境から受ける潜在的な影響には無自覚だからだという。自由に選んでるつもりで、実は大きな流れの中で踊らされてるだけ。

    なんだか寒気がする話だ。

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サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)の作品紹介

人は自分で考えているほど、自分の心の動きをわかっていない。人はしばしば自覚がないままに意志決定をし、自分のとった行動の本当の理由には気づかないでいるのだ。人間科学の研究が進むにつれ、「認知過程の潜在性・自働性」というドグマはますます明確になり、人間の意志決定の自由と責任に関する社会の約束ごとさえくつがえしかねない。潜在的精神を探求する認知・行動・神経科学の進展からうかびあがった新しい人間観とは。

サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)はこんな本です

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