物語 ドイツの歴史―ドイツ的とは何か (中公新書 1420)

著者 :
  • 中央公論新社
3.25
  • (11)
  • (23)
  • (88)
  • (10)
  • (1)
本棚登録 : 686
感想 : 37
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (345ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121014207

作品紹介・あらすじ

ヨーロッパ連合が結成され、国境線が事実上の意味を失いつつある現在、その進捗はドイツにどのような変化をもたらすのだろうか。ドイツの誕生から今日にいたる歴史に、「ドイツ的」とは何かを思索する。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 再読、いつ読んだのかは全く覚えていませんが。
    通史概論なんで粗っぽい面は致し方ないけれども、やっぱり専門から少し外れるからか、近代の叙述が乗っていないというか、それこそ無難感あり。
    逆に中世のくだりは濃密感あり、あとがきのドイツ音楽(当方クラシックは全くの門外漢ですが、ちなみに)と中世史という観点での本を是非読みたい。というか世に出せたのかな?この本も結構晩年近くに書かれている本のようだし。
    しかしなんですね、この国とナチスという組み合わせがやっぱり解せない。この本でもその解説を試みてますが、今ひとつ納得できない。今のドイツを見ているから余計にそう思うのだろうけれど、ほんと人間のダークサイドというのは底知れない。その一方、ナチスと同時代の日本はさもありなんと腹に落ちてしまうというのも同様にその闇の深さを物語るような。

  • サブタイトルは「ドイツ的とは何か」。
    本書はドイツの特異性として、以下を指摘しています。

    -ドイツ民族は、ヨーロッパの中央にあるという特異な位置だけでなく、その発端はゲルマン諸部族にあり、それはドイツという表記には直接つながらない。他のヨーロッパ諸国の言語を見ると、フランス人とフランス語のように、それぞれの国の言語は国や民族を示す固有名詞から名付けられている。
    -現代の移民政策にあるようにアジール(庇護権)の理念は近代以降も呪術的なものを抱え込みながら生き残っている。
    -中世のドイツは帝国としてヨーロッパの中で優位に立っていた。しかしまさにそれ故にドイツは国家形成において他のヨーロッパ諸国からおくれをとった。他の諸国が中央集権国家を形成していくときにドイツでは逆に中央集権国家が解体していった。

    著者の阿部謹也さんはドイツ、ヨーロッパの民衆史が専門。他に「『世間』とはなにか」で著したように「世間」をキーワードに、個人が生まれない日本社会を批判的に研究し独自の日本人論を展開、言論界でも活躍しています。本書でもドイツ民族が中世から現代に至る過程で いかに個人が誕生し、国家より領邦が重視された世界の中で個人が形成されて行ったかが論ぜられています。

    今回、久しぶりにドイツ通史に触れて、非常に複雑な歴史であることを思い出しました。したがい、本書も「物語シリーズ」の中では、読みにくいものとなっています。それでも、叙任権闘争、神聖ローマ帝国、宗教改革、領邦国家、三十年戦争、ビスマルク、ヒトラー、東西冷戦、ドイツ再統一と波瀾万丈の物語を楽しむことができます。ただ、本書が出版されたのは1998年。欧州連合の中のドイツの立ち位置まではカバーしていません。しかし、ドイツ基本法にあるアジール法の問題を掘り下げてゆくと古代・中世にまで視野を広げる必要があることは理解できました。やはり、読んだ方がいい1冊と思います。

  • 11世紀まではヨーロッパに商人が十分に成立していなかったから、ユダヤ人はそれに代わる存在として必要とされており、各地でユダヤ人に対して寛容な政策が取られていた。
    十字軍の頃に変わった。

  • ドイツの歴史の本を探そうとすると、ナチス関連の本・世界大戦前後の本がとにかく多い感じですが、これはドイツ史の始まりから世界大戦を経て現代に至るまでの歴史が通して読めるので面白い。中世以前からドイツに現れつつあったひずみがヒトラーのような独裁者を生んでいくことにつながる、というところに、歴史は地続きで流れているのだなぁとしみじみ感じました。

  • ドイツの歴史を通じてEU の中の国民感情の変化、中世にあったアジールという庇護権、多くの音楽家を産んだドイツ的なものとは何かという3つの視点で書かれたドイツ史。音楽に焦点を絞ったドイツ史も執筆するつもりだったらしいが書かれることなく亡くなられたらしく非常に残念。神聖ローマ帝国という高い理念と領邦国家の分立による国民国家形成の遅れと市民の政治参加への挫折が深い内省的な芸術や哲学を生み出す土壌になったようだ。

  • ドイツに旅行に行くためにお勉強。この本は思想・文化的背景からの歴史アプローチが多く、ただの歴史本ではないため興味深い内容となっている。

    今回は、なぜドイツで魔女狩りやナチスの台頭が起こったのか、ということが大きな命題だった。
    魔女狩りについては…
    ドイツは森が多く、日本と同じようにそこには神々が宿っていると信じられていた。キリスト教の支配下になっても、他の地域より土着の宗教が長く生活の中に取り入れられていたのだろう。それ故、どの地域よりも強力な方法で人々のキリスト教化と土着宗教の弾圧が行なわれたのだと思った。

    ナチスについては…
    ドイツは地理的にヨーロッパの真ん中に位置しているため常に他国からの侵略の脅威にさらされており、統一も遅れたために公領のるつぼだった。統一も遅れれば帝制の崩壊も遅れ、植民地への進出も先を越される結果に。日本もそうだが、出遅れた領土拡大政策を取り戻すべく、過激な行動に出た可能性が高いと思った。

    思えば今のドイツは私が生まれてから出来たまだまだ若い国。統一ドイツでは東西格差が未だ大きな問題になっているという(友人の話だと「東の人は見れば分かる」とのこと)。一方、ドイツには亡命者を受け入れる法律(アジール法)が存在するため、たくさんの人々(もはや難民)が押し寄せているという。「外国人保護よりも旧東ドイツ国民に職を!」ということで、外国人に排他的な風潮やネオナチの台頭を招いているという。

    世の中は不安定要素があると自分を守るために民族主義・排他的傾向に走ることが多い。今の中東でのイスラム回帰も同じようなことが言えるのかもしれない。

    色々なことを考えさせられた一冊であった。

  • ドイツをまとめるのは大変だなあ・・・と思ったのが一番の感想です。
    私の読解力を棚に上げて言えば、なんか内容がまとまってないような。
    そもそもドイツ自体がまとまった国家として日が浅いのからかもしれません。

    みなさんも知っての通りドイツの原型は9世紀前半のカール大帝死後、その子供たちによって行われたヴェルダン条約およびメルセン条約によるフランク王国分割により形成された東フランク王国です。
    まあ実質的なスタートは962年オットーの戴冠による神聖ローマ帝国成立と考えていいでしょう。

    しかしこの帝国は諸侯や都市の力が強く、帝国内の半独立国としてときに皇帝に刃を向けます。
    宗教でもルター以後北部のプロテスタントと南部のカトリックと16世紀を中心に争い続けます。

    だいたい、ドイツ史を描くならば中世末から近代まではハプスブルク家を中心にせざるを得ませんが、ハプスブルク家の領土は今のオーストリア、ドイツではありません。
    現ドイツの形を完成させたのは東方に興ったプロイセンであり、17世紀頃から力をつけ始め、あれよという間にオーストリアと比肩するようになり、1871年にオーストリアをのけ者にしてついにドイツ帝国をまとめてしまいます。

    第二次大戦後東西ドイツに分かれていたことは書くまでもありません。

    極論を言えばドイツという地域は歴史的に統一性がないのです。ですから地域史として描けても一国史として新書でコンパクトにまとめるのは無理があるのではなかったのではないでしょうか。それこそ山川の歴史大系ほどの分量が必要となってしまいます。

    あと著者が中世史家ということもありますが、中世に関する内容が細かすぎるのも気になります。その所為か、近世までは比較的文化や心性なども取り上げていたのが、ナポレオン戦争以後の内容が政治史中心の簡略された事象の羅列になってしまった感があります。ビスマルクについては比較的多く取り上げられていましたが、ヴィルヘルム2世やヴァイマール体制、ヒトラーなどについてはもう少し詳しく書いてほしかった気がします。

    しかし、この本を読んで考えさせられたのは、阿部先生はこのほんのテーマの一つに世俗の権威や法律が適用されないアジールという空間をとらえてますが、その伝統が中世都市などで適用されていたこと、大陸国のドイツはそのためいろんな民族が国内に入ってきたこと、その伝統が今でも生きていること。
    日本は難民受け入れが厳しいと非難されますが、このような伝統を持つヨーロッパと単純に比較できるのかということです。
    日本にもアジールは存在しますが、その対象はあくまで同民族です。日本には他民族が自分たちの周りで普通に生活するということは想像にもありませんでした(渡来人などは一過性のものでしかもすぐに同化する)。
    ローマの万民法も他民族との共生が前提にないと成立し得ないように、ヨーロッパには他民族との共生というのが通常の状態という時代が1000年以上続いているわけで、日本と思考が全く違います。
    もはや国際化した世界における日本の立場として難民受け入れを積極的にしなければならないのは言を俟ちませんが、単純にヨーロッパと比較してどうこうというのはちょっと短絡的かなと思うわけです。受け入れを広げるにしろ狭めるにしろ歴史的な日本の民族性というのも考慮の一つに入れないといけないと思います。

    「歴史とは過去と現代の相対化である」とはE.H.カーの言葉ですが、現代を見るには過去を知ることが欠かせないことを改めて感じました。

  • これはあまりにも情報が多すぎて理解不能。
    大陸の歴史は複雑怪奇。聞いたことも無い登場人物、地理の名称に悪戦苦闘。一番知ってるのはヒトラーで聞いたことあるけど、実際何した人か知らないのはルター、オットー、ニーチェ、ゲーテ、ビスマルク。本書でなんとなく知れたのは良かった。大陸というのは厄介やなぁとつくづく思う。

  • 『物語』と銘打っててこれはないわ。文章が下手すぎて内容が頭に入ってこない。互いに脈絡のない話がダラダラ続くだけで、何のストーリー性もない。おまけに記述の年代が微妙に前後していて、「何で今その話になるの?」と感じることがしばしば。
    ハプスブルク家、オーストリア·ハンガリー帝国、プロイセン、諸領邦の関係が知りたかったのだが、全く理解できなかった。学者の書く文章はこんなものか。

  • カロリング朝から現代にいたるまでのドイツの歴史を解説している本です。

    中世ヨーロッパ史の研究者であり、日本史研究の網野善彦とともにわが国における社会史的な観点からの研究を牽引したことで知られています。本書は、ドイツの歴史の全体像をえがき出すことをねらいとしており、文化史について触れられているところがありますが、社会史との結びつきについての言及があるところに、本書の特色が見られるように感じます。

    また、本書のサブタイトルになっている「ドイツ的とは何か」という問いかけについては、最終章で現代のドイツが直面している難民問題に言及しながら、考察のいとぐちが示されています。著者は、いわゆる賤民と呼ばれてきた人びとについての研究を手がけているということもあり、政治的亡命者を受け容れることを規定したアジール法に触れつつ、こうした問題が現代のドイツにおいてあらためて考えなおされる必要があるということを説いています。

    新書一冊のヴォリュームにドイツの歴史を圧縮してまとめているので、個々の問題について突っ込んだ考察が展開されているわけではありませんが、ドイツ史の全体像を簡潔に示しつつも、著者自身の関心にもとづく視点がところどころにうかがえるようで、興味深く読みました。

全37件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1935年生まれ。共立女子大学学長。専攻は西洋中世史。著書に『阿部謹也著作集』(筑摩書房)、『学問と「世間」』『ヨーロッパを見る視角』(ともに岩波書店)、『「世間」とは何か』『「教養」とは何か』(講談社)。

「2002年 『世間学への招待』 で使われていた紹介文から引用しています。」

阿部謹也の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×