海の帝国―アジアをどう考えるか (中公新書)

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著者 : 白石隆
  • 中央公論新社 (2000年9月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (218ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121015518

海の帝国―アジアをどう考えるか (中公新書)の感想・レビュー・書評

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  • 東南アジアの歴史についての本。王政が敷かれたタイ、スハルト体制下のインドネシア、アメリカから議会政治が持ち込まれたフィリピンでは、性格が違うことが分かった。東南アジアが、19世紀、帝国主義の名の下に、今のような形になって行ったことも分かり、興味深かった。

  • 2000年刊。著者は京都大学東南アジア研究センター教授。◆近世期前から現代までの東南アジアの政治支配原理を巨視的に解説。記述内容の重複・時系列が章で前後等、雑誌(中央公論)連載の弊害はあるが、交易中心で進展した東南アジアの近世以降の見晴らしが明快に。①人口稀少地域の東南アジア前近世は、海のマンダラと陸のマンダラが相克し、双方一元的な面の支配でなく、中心多+影響圏(多元的影響と交易)の様相。②ポルトガルのマラッカ占領#1511年が東南アジア近世?(=プレ近代)史の起点。中華的朝貢貿易システムからの離脱目的。
    ③アヘン戦争終了が東南アジア近代史の起点。香港支配による英国の東南アジアの自由交易的植民地支配の完成による。というように気づきの多い書。内容の当否はもとより賛否も論じ得ないが、東南アジア各国の特殊性へも言及され、新書ではあまり見ないテーマかも知れない。なお補足。①マンダラ=国境がない、領域支配の一元化を志向するような近代的又は国民国家ではない、民族概念やこれらへの帰属意識が希薄等。

  • 海の帝国とは、もともと東南アジアを中心にあったアジア的な秩序(まんだら)をそこに行きついたラッフルズをはじめとする西洋近代諸国が国際分業体制の中に取り込んでいくうえで構想した非公式帝国のことである。ここで使われる概念に関しては、エマニュエル・ウォーラ―ステインの世界システム論におけるものが使われており、川北稔氏の世界システム論講義が大変役に立った。西洋諸国が構想した非公式帝国であるが、その後東南アジアは植民地に組み込まれていく中で、当初の構想とは少しずれながらも実現していく。そして、その植民地のされ方や、される前の国家の特色により、WW2後の独立国家の在り方が決定していく。そのような汎アジア的な視点で見た、日本の国際関係論的立ち位置についても興味深い。

  • 東南アジアの歴史を帝国主義諸国に占領されたあたりから最近までを解説している。自分がベトナムに関わっているので楽しく読むことができた。再読、購入の価値あり?

  • マレーシアのまんだら的世界観・「国家」観についてや、そもそも「東南アジア」という概念の成り立ちとその基盤の危うさについて知ることが出来てよかったが、実際の内容が結構ガチで(タイトルに反して)マレーシアの歴史限定なので、今はそれ以上は踏み込まないことにした。

  • 近代の東南アジアに現れた地域システムを追うことで、今後のアジアについて考える本。寄港地に東南アジアが多い今年の遠航の頭に読めてよかった。
    シンガポール建設者でもあるラッフルズが提言した中国人を警戒した東インドの自由貿易帝国と実際の中国人を協力者とした東アジアの英帝国が違ってしまったこと。
    ブギス人のこと。
    近代以前の東南アジア世界が海のまんだら、陸のまんだらと言うようにいくつかの中心で成り立っており、陸と海のどちらが優勢になるかが中国王朝の盛衰に伴うものであったこと。各地でリヴァイアサンが生まれ、その中で民族が実際的な意味を持ち始める過程。
    第二次大戦後、米国日本東南アジアの三角形で構成された新しい秩序や上からの国民国家建設のこと。
    最後に日本とアジアの関係がどうあるべきかについて。
    十年前の本だけど、この本のベースにある東南アジア論は知らないことがいっぱいあったりで勉強になった。

  • 東南アジアの歴史から紐解き、日本がどのようにアジアと接すべきかを論じた本。この本もITSの大先輩に進められて読んだ。
    19世紀初頭のラッフルズのシンガポールを含めた新帝国の夢から始まる。

    今あるアジアの地域秩序のシステム的な安定を図り、そのもとで日本の行動の自由を拡大していくことが結論としている。言い換えると、"アジア地域秩序の安定を図るため、経済協力・文化協力・知的協力・技術協力などの交流の拡大と深化を行い、日本・東アジア関係の経済的・社会的・文化的パラメータをゆっくりかえていくことで、長期的に日本の行動の自由の拡大がそれぞれの国の利益になる仕組みづくりが必要。"と述べている。
    このパラメータについては明確に言及されていない。が、想像するに相互に影響し合うことで、同化ではないと思われる。すなわち同化でない「アジアの中の日本」を目指すことでもある。
    (といっても判ったような判らないような)

    でだしの数章が圧巻である。18世紀は海のまんだら、陸のまんだらを称するように、海上貿易が盛んであった。そこにオランダ人、イギリス人などの東インド会社がアヘンを売るなど中国系の秘密結社と手を握ることで、栄えていったという暗い過去がある。シンガポールの建国前後の話にも唸らされる。
    今まで東南アジアとの付き合いもあったが歴史的背景を気にしたことはなかった。これが筆者のいう"パラメータをふって"のきっかけなのか。

  • 東南アジアをシステムとして動態的視点から描き出した良書である。筆者によれば東南アジアとはアンダーソンのいう「想像の共同体」にすぎず、具体的に指し示すことができないものである。なぜなら、タイ史、ベトナム経済史など、東南アジアを構成する数々の国にまつわる諸説をひとまとめにしたとしても、「東南アジア学」として昇華されないからである。従って、この東南アジアをモデル化しなんらかの学説を唱えたいのであれば、それをシステムないしプロセスとして捉え、誕生から消失までを動態的に描き出す必要があるというのが筆者の主張である。

    東南アジア諸国を歴史的な時間軸に当てはめて考えた場合、最終的に抽象化される概念は「多層性」と「開放性」であろう。かつて19世紀初頭の東南アジア諸国において、現在使われている●●人といった呼称は用いられていなかった。当時の東南アジア諸国は王の力を中心とした不明確な範囲によって区切られており、現在の国境線が示すように具体的な範囲を持つものではなかった。つまり、王国を統治する王の力が弱くなればこの範囲は相対的に矮小化し、逆もしかりだったのである。この世界において国家と民族的なカテゴリーは存在しない。当時の東南アジアでは●●人という呼称は単に文化的なものを示す言葉であり、現在のように運命的・先天的なものではなかったのである。しかし、このシステムはヨーロッパ諸国の植民地化によって激変することになる。まず植民地化によって王国は廃止された。このため、東南アジアという地域に具体的な国境線を持った国々が誕生していく。そして、そのように具体的な国境線によって区切られた内部に対しても、ヨーロッパ諸国は制度変革を行っていく。それはすなわち、民族的カテゴリーの形成であった。ヨーロッパ諸国は植民地統治をより容易にするために、植民地が内包していた多様性を、民族的カテゴリーを複数形成することによって管理したのである。これが東南アジアにおける複合社会の始まりであった。

    このような統治のあり方はスコットが主張した概念を用いるとsimplificationされたものだということができる。彼の主張に乗っ取れば、国家は統治を容易にするために国民が持つ多様性を無視し、画一的に扱うのである。このようにsimplificationが進展していくと国家と画一化された国民との間に乖離が肥大化していき、最終的には統治政策の失敗を引き起こすというのがスコットの主張であった。

    東南アジアではこのように、植民地化によって上から「人為的に多層化」され、また他の様々な植民地から影響を受け、近代国家として形成していったのである。このような近代国家の形成過程における特徴は、東アジアにおける近代国家の形成過程と比較するとより顕著になろう。すなわち、日本では欧米を目標として上から近代国民国家形成がなされ、それは閉鎖的なものであった。この特徴は中国においても指摘できる。このように見ると、東南アジアの近代国民国家形成は「多層性」と「開放性」が特徴であったということができるだろう。

    スコットはsimplificationによる国家と国民の間のギャップの問題を指摘したが、東南アジア諸国においてはどうだったのか。それは、これらが独立を勝ち取り、近代国民国家を形成していく中での「ナショナリズム」の問題として指摘されよう。独立後の東南アジア諸国においての最大の目標は強力な国民国家の建設であった。しかし、そこにあるのは旧宗主国によって人為的に形成された民族的カテゴリーであった。従って、独立当初の東南アジア諸国は国民国家形成に必要である「ナショナリズム」を生み出す原動力を欠いていたと言えよう。このような組織をまとめるために、強力な中央集権体制、いわゆる開発独裁が独立後の東南アジアの多くの国で誕生したことは必然と言えよう。

    このように、以上のような歴史的経緯を持つ東南アジア諸国が持つ「多層性」と「開放性」という特徴は、本書のタイトルが示すとおり、「海の帝国」という様相に関連付けて考えることができるだろう。

  • 確かに、東南アジアは似た環境・境遇の国々の集合体でありながら、
    ひとつの国・民族が全体を一つにしたり、逆に長い間対立したドロドロした歴史があったわけでもない。
    海を介して他地域に常に開かれており、インド・アラブ・中国を中心に他地域とも古くから太い交流があった。
    ヒト・モノの交流があったという点では大陸の国々と変わらないのに、歴史が異なるのは、人の少ない海に暮らす人の特徴故なのか。
    交易が先行する世界では、政治がまとまる必要性が薄かったのか。

    本の始まり、18世紀時点の時点で、土着のマレー人だけでなく、中国・アラブ・インド人の上に西欧人まで含めた混血も多く、民族的には複雑な社会を形成。「共通の社会的意志」がなかった。
    人口も少なく、面よりも点を支配する、一都市を中心にしたまんだら国家。
    近代化はイギリス・オランダ・スペイン人が華僑を取り込む形で主導。
    機構そのものに大差はなかったけど、国民国家だった主体的な日本と、植民地国家だった受け身の東南アジアでは大きく違った。

    第四章「複合社会」
    アブドゥッラーに国家・民族という自覚がゼロだった。
    ラッフルズが都市計画で民族的に居住区を決めたことで、自覚が芽生えたというところでハっとさせられた。
    今までごちゃごちゃだったのに、強制的にあなたは●●人と定められたことで、数に頼ったアイデンティティの政治が始まった。
    この与えられた国家が「われわれの国だ」と自覚が芽生えたのはようやく20世紀になってから。

    こんなアジアの国々と、日本は根幹的に違うよね、まして「アジア」なんて概念でひとつになろうなんてのも全く非現実的だね、というところに収束する。
    表面は東南アジアの歴史を駆け足でたどっていく形でしかないけど、その姿に感じたものは多かった。

  •  元・京都大学東南アジア研究センター教授(現代インドネシア史、現在は名誉教授)、現・政策研究大学院大学教授の白石隆の描く広域海洋地域としての東南アジア近代史。

    【構成】
     第1章 ラッフルズの夢
     第2章 ブギス人の海
     第3章 よちよち歩きのリヴァイアサン
     第4章 複合社会の形成
     第5章 文明化の論理
     第6章 新しい帝国秩序
     第7章 上からの国民国家建設
     第8章 アジアをどう考えるか

     私も含めて日本人にほとんど知られていない東南アジアの近現代史を、一人の歴史学者が有機的な社会構造変化に注目しながら叙述するという一事をとってみても本書は画期的であり、予備知識無しで理解できる優れた歴史書として幅広く読んでもらいたいと思う。

     話の幕開けは19世紀初頭、イギリス人ラッフルズによってシンガポールが建設される時点からである。その時点でのマラヤは、諸王たちによってまんだらのように勢力圏が形成された地域であった。ここにマラッカ海峡を支点としてマレー半島と周辺の島嶼を結ぶ海域は華僑たちによって、ネットワークが形成され、そこにイギリス政府の権威が形成され、海峡植民地がイギリス非公式帝国として成立したのであった。イギリスが望む自由貿易システムが適用されるようになったのである。

     19世紀後半になると、これら植民地国家に変化のきざしが見え始めた。マックス・ウェーバーが定義するような正真正銘の主権国家ではないが、それでも一定の意志決定、国家的経済活動を行い現地人を支配する「よちよち歩きのリヴァイアサン」がこの海域に誕生したのである。
     ヨーロッパ人官吏は、現地人たちをヨーロッパ的な秩序の下に管理・支配するようになった。そしてこのような管理体制は、現地人たちを、それまで全く意識されることのなかった「○○人」として社会的に定義し、民族に地理的・文化的な線引きがなされるようになった。現地経済を担った中国人や現地商人たちは力をつけるとともに、ヨーロッパ人の文明化の恩恵を蒙る階層を形成し、主体的で民族的な「わたし」という言葉を獲得することになった。

     19世紀後半から20世紀前半において、これら植民地国家は、明治維新以来の日本の近代化政策とは全く異なる道ながら、しかし確実に近代国家形成の道を歩んでいたのである。著者が言うように、戦間期のインドネシアで見られたような民族意識の昂揚は、オランダ東インドをしてリヴァイアサンの「警察国家」化を促進させることになるが、それは裏を返せば彼らの文明化プロジェクトが「民主主義」という思潮を現地住民にも浸透させていったことの証明だと言えるだろう。

     さて、1945年夏に大日本帝国の軍事力が一挙に東南アジアから消滅すると、この地域に遂に本来的な意味の主権国家が登場することになった。しかし、そこにはアメリカ合衆国という超大国による軍事的・経済的な地域秩序の形成という強い意志が介在していた。アメリカは東南アジアに、アジアの中核である日本の原料供給地、市場としての重要性を見いだすとともに、1950年代後半以後は、インドシナ半島を中心とした軍事戦略を展開した。
     1950年代は、植民地国家から独立した各国が国内体制を確立しはじめる時期であったが、多くの場合は独裁的な軍事政権による「権力集中」による政権安定・経済発展が志向された。本書ではタイ、インドネシア、フィリピンの戦後の権力構造が19世紀以来の社会構造の差異から説明されており興味深い。

     本書によれば「東南アジア」という地域名は戦後になって初めて名付けられた名前だという。海禁策を推進した清朝や満蒙に勢力伸長を企図した戦前の日本に代表されるような「陸のアジア」に対して、この「東南アジア」はイギリスの自由貿易体制を中心にした「海のアジア」が近代において成立し、そして戦後にいたって冷戦期に中国との交易を分断されたものの、冷戦崩壊後今日に至るまで経済協力体制の構築が進められている。

     「民主主義」という点ではまだまだ成熟してはいないが、このような歴史的な経緯を含めた日本の対東南アジア外交の行方を考えさせる書物である。

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海の帝国―アジアをどう考えるか (中公新書)の作品紹介

「海のアジア」、それは外に広がる、交易ネットワークで結ばれたアジアだ。その中心は中国、英国、日本と移ったが、海で結ばれた有機的なシステムとして機能してきた。世界秩序が変貌しつつある今、日本はこのシステムとどうかかわっていくべきか。二世紀にわたる立体的歴史景観のなかにアジアを捉え、シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピン、タイを比較史的に考察する。第一回読売・吉野作造賞受賞。

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