月をめざした二人の科学者: アポロとスプートニクの軌跡 (中公新書 1566)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (263ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121015662

感想・レビュー・書評

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  • 2022年4月から放映が開始されたNHK「映像の世紀 バタフライエフェクト」の第5回は「宇宙への挑戦 夢と悪夢 天才たちの頭脳戦」と題して,アメリカのフォン・ブラウンとソ連のコロリョフの宇宙開発競争を描いた.
    思い起こしてみると,自分が小学校に入学した昭和50年には,スターウォーズはまだ公開されておらず(宇宙戦艦ヤマトは放映されていたが,それはご承知のようにアニメであった),当時の少年は,子供向け百科事典や学研の書籍を通じて宇宙と出会った.
    冷戦を理解していない少年は,月に最初に到達したのはアメリカのアポロ11号とサターンV型ロケットであったことは知っていたが,人工衛星の打ち上げ,動物の宇宙到達(ライカ犬),有人飛行,宇宙遊泳がいずれもソ連によって初めて達せられたことを知り「ソ連って,アメリカよりすごいんじゃないの?」と考えていた.
    アメリカチームを率いていたのがフォン・ブラウンであることは知っていたが,ソ連側を率いていたのが誰かは知らなかった.それがコロリョフであったことを知ったのが,映像の世紀であった.
    フォン・ブラウンもコロリョフも政治に翻弄される.しかし彼らの「天才」と不屈の努力によって,次々と目覚ましい成果を達成してゆく.特にコロリョフは機密保持の観点から生前は表舞台に登ること,公に賞賛を受けることは一切許されず,60歳で突然死去したのちに,初めて「プラウダ」紙で報じられ,その存在が世に知らせることとなった.赤の広場で荘重な葬儀が営まれ(ブレジネフがコロリョフの棺を担ぐ写真が残されている),彼の栄誉はようやく賞賛されることとなった.
    ソ連がすごい,と思っていた自分は,まんまとソ連共産党指導部の思惑に乗ってしまったのだが,政治利用はアメリカ側も同じで,ケネディが月に人類を送り込むことを発表し,再選を狙うジョンソンがアポロ計画を推し進めたのだ.

  • 的川泰宣「月をめざした二人の科学者」読了。アポロ月面着陸の技術確立の背景にあった米ソの宇宙開発競争。その両陣営の中心人物であったフォン・ブラウンとコロリョフが、国家の威信をかけた壮絶な開発争いの中で、子供の頃からの宇宙への夢を原動力に邁進する姿に大きな感銘を受けた。良書。

  • ナチスのスポンサードでV2ロケットを開発したウェルナー・フォン・ブラウンと、流刑にあいながらも不屈の精神でソ連の宇宙開発をリードしたコロリョフ。ふたりのオッサンの夢競争。

  • 50年代から60年代にかけて行われたアメリカとロシアのロケット開発競争.その競争を引っ張ったのは,アメリカのフォン・ブラウンと,ロシアのコロリョフの2人の技術者.熱い.僕はコロリョフ派です.

  • 宇宙に魅せられ、紆余曲折を経ながらもロケット開発への情熱を貫徹した2人の科学者の物語。
    1人は、ウクライナで生まれ、「スプートニク」を打上げ、「ヴォストーク」でガガーリンを宇宙に送り出したソ連の科学者コロリョフ。もう1人はドイツで生まれ、大戦終結の中でアメリカに渡り、「アポロ計画」に携わり「サターンV」ロケットを生み出したフォン・ブラウン。
    この2人の生涯を、米ソの宇宙開発競争へという時代の流れの中で描いた一冊。
    2人の科学者の物語としても十分に読み応えがあったし、宇宙開発の歴史に詳しくない人が、歴史を知るのにも良い本だったと思う。
    宇宙に興味を持っている方は読む価値あり!

  • これを読んで真面目に勉強して、僕の様に道を踏み外さなければ宇宙に行けると思う。

  • これがきっかけで

  • (2006.03.17読了)(2006.01.26購入)
    副題「アポロとスプートニクの軌跡」
    アメリカの宇宙ロケットの開発を指揮した人は、ドイツからアメリカに渡ったフォン・ブラウンである事は、よく知られているけれど、ソ連(ロシア)の宇宙ロケットの開発を指揮した人は誰なのか知りません。
    ソ連当局が彼の暗殺を恐れたため、存命中その存在は公にされなかったためということです。セルゲーイ・パーヴロヴィッチ・コロリョフと言う人です.
    この本の半分は、フォン・ブラウンについて、残りの半分は、コロリョフについて書いてあります。ソ連の崩壊に伴い、宇宙ロケットについての情報が公開されたので、やっとこの本が書けるようになったということです。

    ●セルゲーイ・パーヴロヴィッチ・コロリョフ
    1907年1月12日、ウクライナのキエフの近くジトミールで生まれた。
    父親は、キエフの高校の国語教師。母親は、コサックの古い家柄の出身。
    セルゲーイが3歳のとき、両親は離婚し、母親と母親の両親の元で育てられた。
    1913年、6歳の時、近くの原っぱで飛行機が飛行するのを見た。
    1916年11月、母親は、再婚した。
    セルゲーイは、キエフ工科大学の航空学部に入った。「前ソ連グライダー・ラリー」に参加するために、グライダーの建造に夢中になる。
    1926年7月、モスクワ高等技術大学への入学許可を受け、その秋、モスクワへ旅立った。(13頁)
    ソ連では、1929年までにロケット・エンジンの製作やロケットの発射テストも行われていた。
    1931年8月6日、セルゲーイは、キセーニヤ・ヴィンセンチーニと結婚した。
    1933年8月17日、ソ連最初の液体燃料ロケット「ギルド09」が発射された。コリリョフも大きな役割を果たした。
    ●ヴェルナー・フォン・ブラウン
    1912年3月23日、ドイツのポーゼン地方のヴィルジッツで生まれた。
    父親は、男爵で、ヴィルジッツの行政官をしていた。農業食糧大臣を務めたこともある。
    母親は、貴族の家に生まれ、6ヶ国語を自由にしゃべる。アマチュア鳥類学者、アマチュア天文学者だった。1920年ベルリンに居を構えた。
    10歳過ぎから兄や友達と一緒にロケットを作り、廃品投棄場から持ってきた部品から組み立てたポンコツ車につけて走らせたりした。13歳になった年に、母より天体望遠鏡をプレゼントされた。天体望遠鏡で見た月や火星が、いつか月や火星に飛ぶロケットを作ってみたいという夢を燃え上がらせた。
    中学生の時、「惑星空間へのロケット」という一冊の本に出会った。数学の苦手なヴェルナーには、この本の中に頻出する方程式の意味を理解することができない。必死の努力によって、彼はめきめきと数学の力を伸ばした。(15頁)
    1928年、ドイツ宇宙旅行協会に高校生の「分際で」入会し、ロケットへの道を踏み出した。(17頁)
    1930年、ベルリン・シャルロッテンブルク工科大学に進学した。
    1930年8月、ロケット打ち上げのための液体燃料による燃焼実験を行った。
    1932年11月、陸軍兵器部に入って大型ロケット開発を始めた。フォン・ブラウンは20歳になっていた。(31頁)
    1933年1月、フォン・ブラウンの設計した水冷式のロケットの燃焼実験が行われた。
    ●セルゲーイ・パーヴロヴィッチ・コロリョフ
    1938年6月27日ドイツにおける反ソヴィエト団体と共謀していると疑われ連行された。10年の刑を言い渡された。1945年の春に開放された。6年間の囚人生活だった。

    ●ヴェルナー・フォン・ブラウン
    1937年4月、ロケット実験場はクンマースドルフからペーネミュンデに移った。
    1937年9月グライフスヴァルダー・オイエで発射実験が行われた。A-3ロケット。
    1938年夏A-5ロケット打ち上げ。飛翔の安定を目指す。
    1939年秋第二次世界大戦勃発。
    1942年10月3日A-4ロケット打ち上げ成功。ロケット推進が宇宙旅行につかえル琴を証明。
    1944年2月、フォン・ブラウンは、ハインリヒ・ヒムラーに活動報告。
    数日後、逮捕され、牢獄入り。ドルンベルガーの奔走により釈放。
    1944年7月20日、ヒトラー暗殺未遂事件。
    1944年9月8日、A-4ロケットは「V-2」としてロンドンへ向け発射された。1945年3月27日までの間に1500発発射され、1万2685人の死者を出し、3万3700の住居や建物が破壊された。

    ☆関連図書(既読)
    「ハレー彗星の科学」的川泰宣著、新潮文庫、1984.03.25
    「人工衛星」シュテルンフェルト著・金光不二夫訳、岩波新書、1958.01.25
    「宇宙からの帰還」立花隆著、中央公論社、1983.01.20
    「宇宙ビジネス最前線」角間隆著、日本実業出版社、1986.05.25
    「毛利衛 ふわっと宇宙へ」毛利衛著、朝日新聞社、1992.11.15
    「宇宙実験レポートfrom U.S.A」毛利衛著、講談社、1992.11.25
    「宇宙からの贈りもの」毛利衛著、NHK人間講座、2001.01.01

    著者 的川 泰宣
    1942年 広島県生まれ
    東京大学工学部卒業
    工学博士
    専門:ロケット及び人工衛星の飛翔計画、設計

    (「BOOK」データベースより)amazon
    宇宙開発競争をくりひろげた冷戦期の米ソは、それぞれ稀有な才能を擁していた。ソ連には、粛清で強制収容所に送られながら、後に共産党中央委員会を「恫喝」して世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げたコロリョフ。アメリカには、「ナチスのミサイル開発者」と白眼視されながらも、アポロ計画を成功に導いたフォン・ブラウン。遠く離れた地にありながら、同じように少年の日の夢を追い、宇宙をめざした二人の軌跡。

  • フォン・ブラウンとコロリョフ。恵まれた家庭と、かたや苦労人というドラマチックな対比に当てはめやすい二人を軸に、宇宙開発が回ってゆく。
    二人は交わる事なく、しかしまっすぐに宇宙へ向かう意識を持っていたようだ。
    時に政治に翻弄されつつも技術屋として生きた二人の生涯をかけた情熱の物語に感動。

著者プロフィール

■的川 泰宣(マトガワ ヤスノリ)
宇宙航空研究開発機構(JAXA)名誉教授、はまぎんこども宇宙科学館館長、日本宇宙少年団顧問、国際宇宙教育会議日本代表。東京大学大学院博士課程修了。東京大学宇宙航空研究所、宇宙科学研究所教授・対外協力・連携推進室長、鹿児島宇宙空間観測所所長、JAXA執行役などを経て現職。国際宇宙航行連盟副会長、日本航空宇宙学会会長などを歴任。工学博士。2005年にはJAXA宇宙教育センターを先導して設立、初代センター長を務め、「宇宙教育の父」とも呼ばれる。

「2021年 『地球を飛び出せ! 宇宙探査』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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