映画の真実―スクリーンは何を映してきたか (中公新書)

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著者 : 佐藤忠男
  • 中央公論新社 (2001年11月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121016164

映画の真実―スクリーンは何を映してきたか (中公新書)の感想・レビュー・書評

  • 単なる映画紹介にとどまっておらず、非常に読ませられた。

  •  羅生門再考。映画は現実を美化する。そもそも人間は自分を美化している。人間は現実そのものなど見ない。経験や記憶を修正しながら、自分が見たいと思う現実をそこに見、自分が語りたいと思う現実を語る。下手をすればただの嘘つきである。映像を構成し修正することで成り立つ映画はそのまま人間の写し絵なのだ。嘘に人間の本質を見た羅生門がそれを証明する。

  • 佐藤忠男さんはいい映画を世界中の実に広範囲な処から探してくる人だというのが私の持っていたイメージ。中公新書「映画の真実 スクリーンは何を映してきたか」はその無意味なサブタイトルはともかく(編集者の甘さがこういうところにまず表れている)この映画批評をしてきた人物の努力を感じさせる本だ。
    しかし編集者が判っていないのか、佐藤さん自身のの筆が滑った部分がそのまま、全体の流れを逸脱して1章を成しているのが辛い。「9 ドキュメンタリーとデモクラシー」はまったく不要であり、更に、彼自身がドキュメンタリーについてまったく無知であることが明らかだ。これは読んでいて辛かった。「撮れてしまったもの」を編集したものがすごい、と彼は書いてしまっている訳だが、そんなに浅いレベルをドキュメンタリーと呼ぶこと自体が間違っている。まず、どこに視点を据えるかがドキュメンタリーの命であり、それはどう口が滑っても「撮れてしまったもの」ではなく「撮ったもの」なのだ。そして、「撮れてしまったもの」には醜悪なまでにその場所の臭いがついている。そして、そこでは主張と言える判断はなされていない。
    ドキュメンタリーとドラマはまったく違う。ドラマの中に歴史的な、民族的な、様々な、真実を捕らえることこそが佐藤さんの見てきた、更に批評を通して形成してきた主張である。ひとつの章を挿んだことで言いたいことが無気味な形で捩じれた。
    この9章を飛ばして読むと実はすっきりと佐藤さんの言いたいことが判る。9章の末尾にはいい話があるけれど、これは5章にエピソードとして持ち込めば解決する。
    まあ、そういう話はともかく、私はこの本を楽しんで読んだことは事実だ。

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映画の真実―スクリーンは何を映してきたか (中公新書)の作品紹介

たとえばアジア映画を見て、アジアの現実がわかるだろうか。映画に描かれた世界は美化されているのでわからないと批判するのは簡単だ。しかし、国、民族、社会、そこに暮らす人々が理想とする自画像だからこそ美化されるのであり、それに共感しながら見るのも楽しみ方の一つである。日本、アジア、ハリウッドなど世界の映画を縦横無尽に語りつつ、映像表現の新たな魅力を紹介する、作品論を超えた映画入門。

映画の真実―スクリーンは何を映してきたか (中公新書)はこんな本です

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