教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)

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著者 : 竹内洋
  • 中央公論新社 (2003年7月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121017048

教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)の感想・レビュー・書評

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  •  本書は,大正時代の旧制高校以来,日本の大学にみられた教養主義とその没落を追究する。教養主義とは,哲学,歴史,文学など,人文学の読書を中心にした人格形成をめざす主義を意味する。この学生文化は,古典の読書に限らず,高い知性を誇った総合雑誌や単行本の購読を通じて培われてきた。教養主義は,1950年の旧制高校廃止でも滅びることなく,アンチ軍国主義の象徴として,マルクス主義とともに60年代半ばまで生き延びる。対照的に,新制高校出身で都市ブルジョア文化に育った石原慎太郎は,教養主義の刻苦勉励的心性に対する生理的嫌悪を,当時の作品の中で示していた。
     教養主義に軋みが出てきたのは,1960年代後半からである。筆者はその理由として,貧しく寂しい農村の消滅,日本の高等教育におけるエリート段階の終了とマス段階の開始,そして大卒のグレーカラー化の3点を挙げる。企業に経営幹部として期待されるわけでもなく,大量に採用されるサラリーマン予備軍にとって,教養は無用なものとなる。大学紛争世代による教養知識人への執拗な糾弾も,ただのサラリーマン予備軍への不安と憤怒に由来したのではないかと,懐古する。
     筆者は,教養の機能として,人間の環境や日常生活への充足をはかる「適応」,効率や打算,妥協などの実用性を超える「超越」,自らの妥当性や正当性を疑う「自省」の3作用の必要性を説く。1970年代以降の教養機能では,「適応」の肥大,「超越」と「自省」の急速な衰退によって,3作用のバランスが失われてしまった。筆者は,旧制高校的教養主義の復活を時代錯誤として一蹴しながらも,いまこそ旧制高校的な教養主義を通じてその意味や機能を考えるチャンスだと述べる。大正時代の教養主義は,印刷媒体とともに,教師や友人などの人的媒体を介して培われてきた。戦後の大衆教養主義がそれを著しく希薄化させただけに,今後教養を培う場としての対面的人格関係の重要性を主張している。
     これまで,齋藤孝『なぜ日本人は学ばなくなったのか』講談社,2008年と,小林哲夫『高校紛争 1969-1970』中央公論新社,2012年を読んできた経験が,本書における教養主義やそれに関する価値観に対する理解を可能にしてくれた。おそらく筆者が最も言いたかったのは,終章の部分だろう。それだけに,序章~5章の200頁を割いて綴られてきた教養主義の栄光と,たった1章の間に崩壊してしまった教養主義の成れの果てが,対照的に描かれている。おりしも,全共闘世代から絶大な共感を得た吉本隆明が昨日死去した。これも,教養主義を再評価するひとつのタイミングだと言えるのかもしれない。

  • 教養主義というものがあったようだ。確かに、昔の家には田舎でも「全巻シリーズ」を売りあるく業者が来て、それを買って大切に保管されていた。おそらく誰も読んでいないだろう。

    個人的にはこのあたりの残り火をこの本から学べると思う。時代背景を知ることはより作品を深く楽しめることに繋がる。出会えてよかった本がまた一つ増えた。

  •  旧制高校を中心とした、“教養主義”に関する歴史と考察。筆者の懐古趣味も多分に感じられる。基本的に文系の世界のことなので、理系な自分には半分くらいしか共感できないが、あれは古き良き時代、なのか。

     自分が学生だったのは本書の中で最も新しい時代分類に属するが、その時代の学生の読書状況には恥じ入るばかりだ。あの頃、もっと本を読んでおくべきだった。それは確かだ。

  • ルナール にんじん
    芥川短編集
    三太郎の日記
    善の研究
    夏目漱石 こころ
    1930 総合雑誌を読む=知識人の最低限のこと
    森戸事件
    第一次共産党事件

    ハビトゥス=態度・姿勢
    アリストテレスの概念「ヘクシス」をスコラ哲学者がラテン語に翻訳したもの
    社会学者ピエール・ブルデューによって、主観主義(主体の哲学)と客観主義(構造主義)を統合した社会分析(ポスト構造主義)のための方法概念として洗練された。

  • 新書文庫

  • 160923読了

  • あまり好きじゃないがヨーロッパでも日本でも各国の上流階級が持っている文化はフランスのものに近いという言説には納得。

  • 私はつい最近まで「教養」というものを大変軽く考えていた。大学では教養課程と専門課程があるが教養課程というものは専門課程にいたるための準備くらいにしか考えていなかった。学生の頃は幅広い教養なんてものにかかわずらっているより特定の分野の深い知識を身につけた方がいいと能天気に考えていた。昔の学生はむしろ教養の方を上位に位置づけていたようだ。当時の学生はまぎれもなくエリートであり明日の日本を背負って立たなければいけないという自覚を持っていた。目指すところは洗練された西洋文化であり後ろを振り返るとそこには自分たちが後にしてきた貧しい農村の姿があった。切実な上昇志向と使命感が教養主義を形作っていったのではないかと思う。だから教養主義は同じ西洋志向でも使命感の有る無しで「ハイカラ」と対立するし、同じエリート志向でも西洋に源泉をもとめるのかこれまでの伝統的なものに根ざしているのかによって「修養主義」と対立する。従って伝統的で町人文化に根ざした「江戸趣味」は教養主義の対極に位置する。

  • 図書館勤務時代、最近の若い者(学生)は本を読まん…とかいう老教員の嘆きを耳タコで聞いてきたが、それってどういうことだったんだろう…ということを何となく理解(ぉ

  • 1942年(昭和17年)生まれの社会学者で、自ら“プチ教養主義者”であったと語る竹内洋氏が、大正時代の旧制高校を発祥地として、約半世紀に亘り日本の大学において主流であった“教養主義”について、その変遷と没落の過程を綴ったものである。
    本書の内容を時系列に整理すると概ね以下の通りである。
    ◆大正時代に、阿部次郎や和辻哲郎らが教養主義文化の伝道者となり、阿部の『三太郎の日記』や和辻の『善の研究』などが刊行され、旧制高等学校を主な舞台に“大正教養主義”が定着する。
    ◆しかし、ほどなく知的青年の文化はマルクス主義へと変化し始め、大正時代の終りには、マルクス主義本を読んで理解しない学生は馬鹿であり、読んで実勢しない学生は意気地なしとされるようになる。しかし、マルクス主義が読書人的教養主義的であるかぎり、両者は反目=共依存関係にあり、だからこそ従来の教養は「古い教養」で、マルクス主義こそ「新しい教養」ともみなされた。
    ◆昭和10年代に入ると、マルクス主義への弾圧が強まり、それを埋める形で河合栄治郎らが主導する“昭和教養主義”が復活する。マルクス主義をかいくぐった昭和教養主義は、大正教養主義が内面の陶冶を目的としていたのと異なり、社会に開かれた教養主義であった。
    ◆第二次世界大戦後は、1950年(昭和25年)に旧制高校は廃止されたものの、教養主義やマルクス主義の抑圧が戦争につながったとの考えを背景に、教養主義は甦り、かつマルクス主義と著しく接近した。こうして教養主義が復興・存続し得たのは、庶民やインテリが明確な階層文化を伴って実体的に存在していたことが大きい。
    ◆その後、1960年代後半に大学進学率が上昇しはじめたことに伴い、学歴エリートとしての教養知は必要なくなり、教養主義文化は駆逐されていった。
    私は1960年代生まれで、本書に描かれた時代は全く経験しておらず、“教養主義”という言葉に実感としてはポジティブな感情もネガティブな感情も持ってはいないが、著者の「わたしのほうは、旧制高校的教養主義をもういちどそのまま甦らせるべきだなどという気持ちはないにしても、読書による人間形成というそんな時代があったこと、いまでも学生生活の一部分がそうであっても当たり前だ、と思っている」という言葉には世代を越えて共感するし、平均学歴が上がったからといって、教養知が不要になったなどとは全く思わない。
    “教養(主義)”が輝いていた時代を知ることができる一冊である。
    (2014年5月了)

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教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)の作品紹介

一九七〇年前後まで、教養主義はキャンパスの規範文化であった。それは、そのまま社会人になったあとまで、常識としてゆきわたっていた。人格形成や社会改良のための読書による教養主義は、なぜ学生たちを魅了したのだろうか。本書は、大正時代の旧制高校を発祥地として、その後の半世紀間、日本の大学に君臨した教養主義と教養主義者の輝ける実態と、その後の没落過程に光を当てる試みである。

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