教養主義の没落: 変わりゆくエリート学生文化 (中公新書 1704)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (278ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121017048

作品紹介・あらすじ

一九七〇年前後まで、教養主義はキャンパスの規範文化であった。それは、そのまま社会人になったあとまで、常識としてゆきわたっていた。人格形成や社会改良のための読書による教養主義は、なぜ学生たちを魅了したのだろうか。本書は、大正時代の旧制高校を発祥地として、その後の半世紀間、日本の大学に君臨した教養主義と教養主義者の輝ける実態と、その後の没落過程に光を当てる試みである。

感想・レビュー・書評

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  • 教養主義とは「人文学の読書を中心にした人格の完成を目指す態度」だそうだ。戦前戦後の教養主義や、旧制高等学校の雰囲気、教養主義といわれる学生の読書傾向、岩波文化について知れた。『三太郎の日記』『善の研究』など教養主義のバイブルとされた本は読んでみたい。農村と都市の差や日本と西洋の文化格差により成り立っていた教養主義は一九六四年以後、崩壊する。では、現在の教養とは何だろう。どのようにして身に付けたらよいのだろう。と考えた時に、リベラルアーツという言葉と「旅、人、本」が大事と仰る出口さんの顔が浮かんだ。

    p13
    …教養主義といわれた学生文化は文学・哲学・歴史関係の古典の読書だけでなく、総合雑誌の購読をつうじて存立していた面が大きい。

    p40
    ここで教養主義というのは哲学・歴史・文学など人文学の読書を中心にした人格の完成を目指す態度である。東京帝大講師ラファエル・ケーベ(Raphael Koeber 一八四八ー一九二三)の影響を受けた漱石門下の阿部次郎(一八八三ー一九五九)や和辻哲郎(一八八九ー一九六〇)などが教養主義文化の伝達者となった。『三太郎の日記』や『善の研究』が刊行されることによって、旧制高等学校を主な舞台に、教養主義は大正教養主義として定着する。

    p41
    …「野卑」で「淫猥」とまでされた小説に、東京帝国大学講師だった夏目漱石が手を染め、また専業小説家となることによって、小説が知識人の嗜みに格上げされていった…

    p50
    マルクス主義は、ドイツの哲学とフランスの政治思想、イギリスの経済学を統合した社会科学だといわれた。合理主義と実証主義を止揚した最新科学とみなされた。

    p57
    『三太郎の日記』が大正教養主義のバイブルだとすれば、『学生叢書』は昭和教養主義のバイブルとなった。

    p59
    大正教養主義は、「普通」(人類)と「個」(自己)があるが普遍と個を媒介する「種」(民族や国家)がなく、「社会がない」(唐木順三『現代史への試み』)ものだった。…人格の発展は、内面の陶冶にとどまらず、社会のさまざまな領域の中での行為によって現していくものだった。河合栄治郎が哲学者ではなく、社会政策学者であり、英国のトマス・ヒル・グリーンの社会哲学や英国社会主義の研究者であったことによる。

    p83
    「生存のための諸条件のうちで或る特殊な集合に結びついた様々な条件づけがハビトゥスを生産する。ハビトゥスとは、持続性をもち移調が可能な心的諸傾向のシステムであり、構造化する構造(structures structurantes)として、つまり実践と表象の産出・組織の原理として機能する素性をもった構造化された構造(structures structurées)である」

    ハビトゥスとは個々の行為や言説を生成し、組織する心的システムを指示している。社会的出自や教育などの客観的構造に規定された(構造化された構造)実践感覚であり、実践をみちびく(構造化する構造)持続する性向の体系である。

    p84
    われわれが、あの人は品があるとか、田舎者だとかいうときには、個々の行為のあれこれをいっているわけではない。行為を生成し、組織する原則(「実践と表象の産出・組織の原理」)を指示して言及している。つまりこうした心的習性(「持続性をもち移調が、可能な心的諸傾向のシステム」)がハビトゥスである。ハビトゥスは出身階級や出身地あるいは学歴などの過去の体験によって身体化された生の形式である。現在の中にあって、未来にも生きつづけようとする過去という意味で身体化された歴史である。われわれが場違いや場にぴったりという感じをもったり、気が合わないとか気が合うとかいうのは、場と個人あるいは個人と個人のハビトゥスの疎隔や親和である。

    P108
    文学部生の総合雑誌への接近率が法学部や経済学部に比べて低く、思想・哲学雑誌への接近率が相対的に高いことに、文学部が教養の「奥の院」だったことが示されている。

    p116
    帝国大学調査から、日本の教養貴族の生産工場である帝国大学文学部は帝大の他学部に比べて「農村的」で「貧困」で「スポーツ嫌い」、「不健康」という特徴が抽出された。

    p136
    …人脈資本をひろげる環の結び目の人物

    p141
    一九二七(昭和ニ)年には、ドイツのレクラム文庫に範をとった岩波文庫が創刊される。レクラム文庫は、叢書というパッケージで教養ある人間の必読書目録を提供したが、レクラム文庫をモデルにした岩波文庫も、万人が読むべき古典の指針となった。(中略)イギリスのペリカン・ブックスをモデルにした岩波新書が刊行されたのが、一九三八(昭和一三)年である。

    p161
    「日本は後進国だけに、何から何まで西洋の模倣である。さうなると、民間人よりも政府の金で学問をして、政府の金で洋行して来た大学の教授連の方ぎ、大体に於いて優れてゐた。その著作もそれだけ信用が置けるのである。で、この著者の信用と岩波書店の信用とが相俟つて、本は岩波でなければならない、岩波から出た本でさへあれば、何でも信用されるといふやうなことになつてしまつた。(後略)」(『私の共産主義』)

    p174
    知識人が繰り出す教養も進歩的思想も民主主義も知識や思想や主義そのものとしてよりも、知識人のハイカラな生活の連想のなかで憧れと説得力をもったのである。

    p226
    大学によって学生文化における教養主義の衰退き差があったが、七〇年代から八〇年代にかけて日本の大学生文化から規範文化としての教養主義が大きく衰退したといえる。
    このころ文庫本ブームがはじまった。カバーが派手になっただけではない。従来文庫といえば、名作や古典に決まっていたのが、大衆的な現代作家の作品が大量に文庫化された。方針を変更した角川文庫がその急先鋒だった。文庫が教養主義のよりしろという時代が終わったのである。そして総合雑誌が売れなくなった。

    p236
    機能的にはいまやサラリーマン文化、あるいはエンターテイメント文化である大衆平均人文化こそ正統文化の位置にある。高級文化からの逸脱である「野卑」「無教養」からよりも、大衆平均人文化からの逸脱である「変人」「おたく」ラベルから生じる象徴的暴力と困惑のほうが大きいからだ。

    p247
    教養主義といえば、『三太郎の日記』や『善の研究』(岩波書店版)が刊行された大正時代を、あるいはレクラム文庫や岩波文庫を読む旧制高等学校生を想定するのが通念的理解である。

  •  本書は,大正時代の旧制高校以来,日本の大学にみられた教養主義とその没落を追究する。教養主義とは,哲学,歴史,文学など,人文学の読書を中心にした人格形成をめざす主義を意味する。この学生文化は,古典の読書に限らず,高い知性を誇った総合雑誌や単行本の購読を通じて培われてきた。教養主義は,1950年の旧制高校廃止でも滅びることなく,アンチ軍国主義の象徴として,マルクス主義とともに60年代半ばまで生き延びる。対照的に,新制高校出身で都市ブルジョア文化に育った石原慎太郎は,教養主義の刻苦勉励的心性に対する生理的嫌悪を,当時の作品の中で示していた。
     教養主義に軋みが出てきたのは,1960年代後半からである。筆者はその理由として,貧しく寂しい農村の消滅,日本の高等教育におけるエリート段階の終了とマス段階の開始,そして大卒のグレーカラー化の3点を挙げる。企業に経営幹部として期待されるわけでもなく,大量に採用されるサラリーマン予備軍にとって,教養は無用なものとなる。大学紛争世代による教養知識人への執拗な糾弾も,ただのサラリーマン予備軍への不安と憤怒に由来したのではないかと,懐古する。
     筆者は,教養の機能として,人間の環境や日常生活への充足をはかる「適応」,効率や打算,妥協などの実用性を超える「超越」,自らの妥当性や正当性を疑う「自省」の3作用の必要性を説く。1970年代以降の教養機能では,「適応」の肥大,「超越」と「自省」の急速な衰退によって,3作用のバランスが失われてしまった。筆者は,旧制高校的教養主義の復活を時代錯誤として一蹴しながらも,いまこそ旧制高校的な教養主義を通じてその意味や機能を考えるチャンスだと述べる。大正時代の教養主義は,印刷媒体とともに,教師や友人などの人的媒体を介して培われてきた。戦後の大衆教養主義がそれを著しく希薄化させただけに,今後教養を培う場としての対面的人格関係の重要性を主張している。
     これまで,齋藤孝『なぜ日本人は学ばなくなったのか』講談社,2008年と,小林哲夫『高校紛争 1969-1970』中央公論新社,2012年を読んできた経験が,本書における教養主義やそれに関する価値観に対する理解を可能にしてくれた。おそらく筆者が最も言いたかったのは,終章の部分だろう。それだけに,序章~5章の200頁を割いて綴られてきた教養主義の栄光と,たった1章の間に崩壊してしまった教養主義の成れの果てが,対照的に描かれている。おりしも,全共闘世代から絶大な共感を得た吉本隆明が昨日死去した。これも,教養主義を再評価するひとつのタイミングだと言えるのかもしれない。

  • 明治期から、1周まわって、語学や知識を備える大学4年間を過ごさないといけないのかなと思いました。予測できない未来に対応するために…文部科学省のキーワードに従えば。

  • 社会

  •  旧制高校を中心とした、“教養主義”に関する歴史と考察。筆者の懐古趣味も多分に感じられる。基本的に文系の世界のことなので、理系な自分には半分くらいしか共感できないが、あれは古き良き時代、なのか。

     自分が学生だったのは本書の中で最も新しい時代分類に属するが、その時代の学生の読書状況には恥じ入るばかりだ。あの頃、もっと本を読んでおくべきだった。それは確かだ。

  • 図書館勤務時代、最近の若い者(学生)は本を読まん…とかいう老教員の嘆きを耳タコで聞いてきたが、それってどういうことだったんだろう…ということを何となく理解(ぉ

  • かつて大学における基盤文化であった教養主義が、没落する過程に光を当てた作品。

    教養主義とは、人文科学(歴史・哲学・文学)の読書体験を通じて人格形成を目指すことを重んじる風潮。

    かつては中央公論などの総合雑誌やあかでみっくな文庫・新書・専門書の出版社のシンボル的存在であった岩波書店が、教養主義を支える文化装置として機能した。

    しかし、高度経済成長とともに内省的な教養知よりも機能的で功利的な専門知が重視されるようになった。
    また大学進学率が上昇し、大卒者がサラリーマン化して地位が相対的に低下する中で、教養主義的な知的文化はは大衆文化に取って代わられるようになった。

  •  頷けるところもあり、あまり新書を読まない自分としては、中々面白く読んだ。ただし、自分の研究テーマの結びつけることのできるような、アクチュアルな問題関心を掘り起こすという当初の目的に適ったかというと、少し微妙なところ。そもそも初版が2003年なので、約20年も前の本をして、現代の問題関心と接続できるかというと…まあ、これはこちらの問題で、本書の絶対的な価値を揺るがすものではないだろう。
     18世紀末の大正教養主義から、現代の「キョウヨウ」、そして教養主義の没落に至るまでを、時系列ではなく様々な角度に沿って概観していく。主題となっている教養主義の没落に関しては、終章でのみ語られるため、全体的な印象としては、没落というより興亡について記述されているように思えた。
     以下はメモとなる。西洋文化の導入として始まる大正教養主義、そしてその上位互換として位置づけられながら、知識の貯蓄なく振るえる棍棒、教養主義の鬼子としてマルクス主義が隆盛するが、戦時体制でその勢いが衰えると、再び教養主義が復活する。旧制高校において育まれたそれらは、戦後も新制大学において、岩波文庫などを文化装置に支えられながら隆盛し、60年代に最盛期を迎えたのだと筆者は主張する。しかし、60年代後半以後は大学卒業者の数が増え、「学卒」であっても(ただのサラリーマン予備軍として)明るい未来が保障されなくなると、全共闘運動などに象徴的なように、全世代の教養主義に対する反発的な傾向がたち現れるようになった。そして70年代以降の「中間大衆社会」という構造は、最早社会階級と内実の不一致(金があるのに学歴がない、学歴があるのに金がない)など、階級が希薄化することによって「階層的に構造が意識されない膨大な大衆」を生み出し、今や正統文化となった「サラリーマン文化」へ迎合するため、凡俗へ居直り、そこから逸脱しないようにすることが重視されるようになった。かくて、現代のキョウヨウは、一般的な枠組みから逸脱せず、そこへ適応するためだけの道具へと成り下がった。
     時代を追って内容を咀嚼するために、上記のように自分の理解をまとめたが、他にも日本における文学部の、都市部富裕層というよりは相対的に農村部貧困層との親和性の高さ(そしてフランスとの対比)や、経済成長によりそうした差異が解消していったことが、農民的な勤勉さ、克己心の減退と結び付けられ、教養主義の衰退の一因を担っているという指摘など、面白く読んだ部分は少なくなかった。

  • 2021.03 『世界の古典 必読の名作・傑作200冊』より
    http://naokis.doorblog.jp/archives/Koten_SatoMasaru4.html

  • 時代の流れの中における教養主義についてはわかったが、少し分析については、甘いような気がした。
    私自身の知識不足もあり、少し消化不良である。

  • 37828

  • 教養そのものではなく、大正末期から昭和末期頃までの教養主義・教養主義者の変遷について論じる。

    過去の教養に関する状況への分析が多く,現在や将来への分析や提言は少ない。
    資料的価値に重きを置いた本といえる。データの分析に関する部分は読み飛ばしてもよさそう。

    とはいえ,「教養の培われる場としての対面的人格関係は、これからの教養を考えるうえで大事にしたい視点である。」(246頁)として,教師や友人などの人的媒体を介した教養の発展を示唆している。

  • 読書を中心とした教養の習得が魅力を失っていった経緯を説明。多くの文献や調査に当たっていて説得力がある。時間をおいて読み直したい。

  • 819円購入2010-10-22

  • 旧制高校の教養主義が変化してきた。

  • 石原慎太郎の左翼嫌いを教養主義的観点から説明したのは画期的。その他、教養主義の共鳴・増幅装置である岩波書店の考察や、『青い山脈』の分析等々が興味深い。

  • タイトルは面白くないが、大学生の常識がどのような流れで決定されて来ているかがわかる。

  • 教養主義というものがあったようだ。確かに、昔の家には田舎でも「全巻シリーズ」を売りあるく業者が来て、それを買って大切に保管されていた。おそらく誰も読んでいないだろう。

    個人的にはこのあたりの残り火をこの本から学べると思う。時代背景を知ることはより作品を深く楽しめることに繋がる。出会えてよかった本がまた一つ増えた。

  • 新書文庫

  • 160923読了

  • あまり好きじゃないがヨーロッパでも日本でも各国の上流階級が持っている文化はフランスのものに近いという言説には納得。

  • 私はつい最近まで「教養」というものを大変軽く考えていた。大学では教養課程と専門課程があるが教養課程というものは専門課程にいたるための準備くらいにしか考えていなかった。学生の頃は幅広い教養なんてものにかかわずらっているより特定の分野の深い知識を身につけた方がいいと能天気に考えていた。昔の学生はむしろ教養の方を上位に位置づけていたようだ。当時の学生はまぎれもなくエリートであり明日の日本を背負って立たなければいけないという自覚を持っていた。目指すところは洗練された西洋文化であり後ろを振り返るとそこには自分たちが後にしてきた貧しい農村の姿があった。切実な上昇志向と使命感が教養主義を形作っていったのではないかと思う。だから教養主義は同じ西洋志向でも使命感の有る無しで「ハイカラ」と対立するし、同じエリート志向でも西洋に源泉をもとめるのかこれまでの伝統的なものに根ざしているのかによって「修養主義」と対立する。従って伝統的で町人文化に根ざした「江戸趣味」は教養主義の対極に位置する。

  • 1942年(昭和17年)生まれの社会学者で、自ら“プチ教養主義者”であったと語る竹内洋氏が、大正時代の旧制高校を発祥地として、約半世紀に亘り日本の大学において主流であった“教養主義”について、その変遷と没落の過程を綴ったものである。
    本書の内容を時系列に整理すると概ね以下の通りである。
    ◆大正時代に、阿部次郎や和辻哲郎らが教養主義文化の伝道者となり、阿部の『三太郎の日記』や和辻の『善の研究』などが刊行され、旧制高等学校を主な舞台に“大正教養主義”が定着する。
    ◆しかし、ほどなく知的青年の文化はマルクス主義へと変化し始め、大正時代の終りには、マルクス主義本を読んで理解しない学生は馬鹿であり、読んで実勢しない学生は意気地なしとされるようになる。しかし、マルクス主義が読書人的教養主義的であるかぎり、両者は反目=共依存関係にあり、だからこそ従来の教養は「古い教養」で、マルクス主義こそ「新しい教養」ともみなされた。
    ◆昭和10年代に入ると、マルクス主義への弾圧が強まり、それを埋める形で河合栄治郎らが主導する“昭和教養主義”が復活する。マルクス主義をかいくぐった昭和教養主義は、大正教養主義が内面の陶冶を目的としていたのと異なり、社会に開かれた教養主義であった。
    ◆第二次世界大戦後は、1950年(昭和25年)に旧制高校は廃止されたものの、教養主義やマルクス主義の抑圧が戦争につながったとの考えを背景に、教養主義は甦り、かつマルクス主義と著しく接近した。こうして教養主義が復興・存続し得たのは、庶民やインテリが明確な階層文化を伴って実体的に存在していたことが大きい。
    ◆その後、1960年代後半に大学進学率が上昇しはじめたことに伴い、学歴エリートとしての教養知は必要なくなり、教養主義文化は駆逐されていった。
    私は1960年代生まれで、本書に描かれた時代は全く経験しておらず、“教養主義”という言葉に実感としてはポジティブな感情もネガティブな感情も持ってはいないが、著者の「わたしのほうは、旧制高校的教養主義をもういちどそのまま甦らせるべきだなどという気持ちはないにしても、読書による人間形成というそんな時代があったこと、いまでも学生生活の一部分がそうであっても当たり前だ、と思っている」という言葉には世代を越えて共感するし、平均学歴が上がったからといって、教養知が不要になったなどとは全く思わない。
    “教養(主義)”が輝いていた時代を知ることができる一冊である。
    (2014年5月了)

  • 最近、反知性主義というものがキーワードになっている。欧米の反知性主義は神を信ずるが故に知性を軽んじるようなものらしい。一方、日本の場合は宗教的な原因はあまりないだろう、果たしてなぜだろうかと思っていた。そんなとき読んでみたのが本書だった。
    各年代で日本での教養とは何を象徴するものだったのかを知り、自分が教養をどう見ているかということを考えながら読んだ。社会史のなかでの自分を客観視することができて面白かった。

  • 烏兎の庭 第一部 書評 8.18.03
    http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto01/yoko/boturakuy.html

  • 「知識人」と呼ばれる人にあこがれがある。
    教養主義とは少し違うが、「経済学部でした」と言うと、「今の学生はマルクスなんて学ぶのかな?」とおえらいさんから問われてまともに答えられず恥じ入ることが多い。
    全く勉強せず「レジャーランド」的なキャンパスライフを送っていたが、恥ずかしながら読書にめざめたのは社会人になってからだし、難しい本を読んで人格を形成する「教養主義」なるものに何か憧れを感じるようになったのもここ数年のこと。あと50年はやく生まれていたら、どんな学生生活を送っていたのだろうか。

    あくまで比較での話だが、教養主義にはまる学生のイメージ(身体とハビトゥス≒出自から来る価値観)はこうだ。農村的で貧困で、スポーツ嫌い、不健康。就職先は教員に限られ、将来裕福になる望みは小さいが、プライドが高く、本を熱心に買っては身の助けにもならない勉学に勤しむ。
    大正、昭和に隆盛期を迎えた教養主義はある種、新興の山の手文化から見た下町文化、知的エリートから見た団塊の世代という階級間の劣等感を埋めるための着ぐるみだったようだ。
    だから1960年代、「高等教育がエリート段階からマス段階」になり、農村文化が衰え、目に見えていた階層が消えて中間層が形成された時期に、かつて分厚かった教養主義の着ぐるみはペラペラのコートになってしまい、学生紛争を経て衰退していく。

    1つの切り口に過ぎないが、教養主義の役割や隆盛、衰退の過程が見えた。納得。教養主義の意義が低下した現代において、自分は今、どんな着ぐるみを求めているのだろうか。
    余談。中公新書の販促で佐藤優氏お薦めの4冊。「文化人類学入門」と「アーロン収容所」「詭弁論理学」にこの本。最後はキャンペーンにのせられて買ったわけだが、残る3冊は過去に読んでいて、本を選別する眼が鍛えられてきたと実感できた。

    ・大正教養主義はマルクス主義を呼び、マルクス主義が弾圧されると再び、昭和教養主義が息を吹き返した。
    ・就職転向 成長志向の企業文化と生活民主主義の企業組合文化は調和関係になるが、それらと急進運動化する学生文化の相違が鋏状に開いていく
    ・教養主義の本堂を旧制高校とすれば、帝大文学部は、その奥の院
    ・岩波茂雄 一高を中退し、東京帝大文化大学専科修了だという・・・こうした境界人ポジションは、岩波と執筆者の間に了解圏と距離化の二重性をもたらした
    ・秀才文化が教養である。秀才文化は既存文化の享受者か、せいぜいが批判的教授である。破壊的・再構成的でない
    ・文化の生産者を対象とし、公衆と公共圏を創出する純粋文化界は、正統的正統化の市場であるのに対し、文化の消費者を対象とし、既存の公衆と公共圏によって創られるマス文化界は大衆正統化の市場であるが、岩波文化はその中間領域にポジショニングすることによって民間アカデミズムの地位を獲得した。
    ・教養主義と修養主義 克己や勤勉などによる人格の完成を道徳の中核とする精神・身体主義的な人格主義
    ・西欧文化への志向があるかないか、武士・農民文化か、町人文化か、という要素で成る、教養主義、ハイカラ、江戸趣味、修養主義のチャート図(P179)
    ・山の手文化は新参者の地方出身者が生粋の江戸っ子である下町文化(粋)に対抗するための文化戦略(ハイカラ)だった。下町から山の手に対して反価値として繰り出される「野暮(不粋)」に対して、山の手は下町に対して「下品(下卑ている)」を繰り出した。粋と上品。
    ・教養主義についての知見、すなわち西欧文化の刻苦勉励的な習得であり、そうした志向と態度は地方出身者の知的青年のエートスと親和性を持つ
    ・教養の理想は高貴な生まれという生得的地位(ascribed status)に代わる業績的地位(achieved status)の証
    ・マルクス主義的教養主義や教養主義的マルクス主義というもうひとつの西欧文化によって、ブルジョア文化を「腐敗し、衰退する」とおとしめることで、成熟した都市中流階級文化の上位にたつことができた
    ・庶民やインテリが明確な階層文化を伴って実体的に存在していた……階級文化の輪郭がまだ実線で存在していた
    ・大学紛争 大学生がただの人やただのサラリーマン予備軍になってしまった不安と憤怒に原因があった……大学2世を含めて文化貴族二代目的な知識人や大学教授などの教養エリートへのあこがれと憤怒の両義感情を増幅する構造的条件となる……教養エリートへの屈折した感情とみるとわかりやすい
    ・下町知識人吉本隆明が放出した文化貴族への怨恨こそ紛争を担った学生=プロレタリアート化したインテリあるいは高等教育第一主義世代の怨恨を代弁するものだった
    ・大衆的サラリーマンが未来であるかれらにとって、教養の差異化機能や象徴的暴力さえ空々しいものになってしまった
    ・身分的特権を伴う教養人から、機能的な知識人への脱皮の必要を論じた

  • Neverから

  • この本を読んで思ったのは自分は戦前戦後における大学においての教養主義に憧れを持っているのだなということである。モラトリアムを十二分に満喫した読書至上主義は今のアルバイトや就活に明け暮れる大学生活とは大きく異なるものである。もちろん本書で語られているのは東大という最高学府における大学生活とはであるが。

  • 「教養」とは何か?
    これを読んでおけば、「教養人」という共通理解は、僕たちの世代にはほとんどないのではないか…
    本著は、大学院の講義を担当し、教育社会学(歴史社会学)の魅力を教えてくださった竹内洋先生の代表作。
    大正から戦後に至るまでの「教養」のあり方を読み解く。

  • 大正時代から昭和までの教養主義の流れを紹介する本。
    教養主義の欠片もない世代の私にとっては、教養主義のにおいを感じることができる一冊である。
    この本に示された、1950年代の京都大学における学生生活風景(p,67)の、学生の気品があふれた雰囲気に驚きを隠せなかった。

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著者プロフィール

1942年、東京都生まれ。京都大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。京都大学大学院教育学研究科教授などを経て、現在、関西大学東京センター長。関西大学名誉教授・京都大学名誉教授。教育社会学・歴史社会学専攻。著書に『日本のメリトクラシー』(東京大学出版会、第39回日経経済図書文化賞)、『革新幻想の戦後史』(第13回読売・吉野作造賞)『清水幾太郎の覇権と忘却』(ともに、中公文庫)、『社会学の名著30』(ちくま新書)、『教養主義の没落』『丸山眞男の時代』(ともに、中公新書)、『大衆の幻像』(中公公論新社)、『立志・苦学・出世』(講談社学術文庫)など。

「2018年 『教養派知識人の運命 阿部次郎とその時代』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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