ウィーン愛憎 続: ヨーロッパ、家族、そして私 (中公新書 1770)
- 中央公論新社 (2004年10月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121017703
作品紹介・あらすじ
十年ぶりに訪れた、思い出深いウィーン。家族とのもつれた関係を修復するため、ウィーンへの「半移住」計画を曲がりなりにも実現させた著者が実感したのは、頑固で排他的な「古きよきウィーン」の消滅だった。町がきれいになり、上品な老婦人はいなくなり、蔑視の対象でしかなかった日本的趣味が流行し、はるかに騒音が増えた…。ヨーロッパ精神との格闘、家族との確執に彩られた、「ウィーン愛憎」ふたたび。
感想・レビュー・書評
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20121224読み終わった
前作は1980年代の私費留学記、今作は1990年代の在外研究記。ウィーンの変化が記録されている。今回も家庭内の状況があけすけで、このような自叙伝的作品の出版が家族との関係性悪化に一役買っているんじゃないかとまで思う。前作でも感じたが、とにかく独特な人物だな…。 -
(2005.03.12読了)(2005.02.18購入)
副題「ヨーロッパ、家族、そして私」
「ウィーン愛憎」(中公新書、1990.01.25)の続編。1979年10月、哲学研究者になるためにウィーンに留学し、博士号を取得し、ウィーンの日本語学校で臨時講師をして知り合った女性と結婚し、1984年3月に帰国するまでを述べていた。
続編は、1994年の夏休みにウィーンで1ヶ月過ごし、1998年からは、妻と息子がウィーンで過ごし、2003年6月息子がウィーンのAIS(アメリカン・インターナショナル・スクール)を卒業するまでを扱っている。
「1994年の夏から1997年の夏までにウィーンで書いたものは、「哲学の教科書」、「「時間」を哲学する」、「人生を〈半分〉降りる」、「哲学者のいない国」、「〈対話〉のない社会」などである。」(まだ読んでない本が結構ある。)
夏休みにウィーンに出かけるのは、「私は人とずっと一緒にいることに(妻子であろうと)耐えられない。」からという。
家族がウィーンに住み、中島さんが日本に残って、時々ウィーンに行くことにしたのは、妻の希望と言うことだ。ウィーンはドイツ語圏だけど、そこのインターナショナルスクールで英語を身につけさせると言うことなので、ちょっと複雑だ。
ドイツ語については、中島さんがドイツ語をお教えているので、息子にも教えた。
AISでの秋の遠足でのガイダンスとして「菓子類は持ってきてはならない、登山のできる運動靴を履いてくること、荷物はリュックサックに入れること、電車の中では騒がないこと、等々」言われたと言う。
遠足から息子にどうだったか聞いたら「少なからぬ生徒が、学校側の指示を守らない。革靴を履いてくるもの、背広姿のもの、お菓子をリュックいっぱいに詰め込んでくるもの、巨大なスーツケースを持ってくるもの、電車の中はうるさいことうるさいこと。」と言うことだった。しかもそれに対して先生方は何にも注意しないと言うことだった。
中島さんのウィーン留学時の実感としても「欧米人が如何にルールを破っても平然としているか、他人から非難されても屁とも思わない」と言う印象だったと言う。
(今の日本では、ちょっと注意されただけで怒り狂い、切れて暴れまわる人たちがいるから、まだ欧米型にはなっていないということのようだ。)
●学生たちの授業態度
「授業中にりんごや人参をかじる、ガムを噛む、床に腰を下ろす、床に長々と寝てしまうものもいる。犬を連れてくるもの、赤ちゃんを乗せた乳母車を引いてくるものもいる。これほど無礼な彼らであるが、決して私語をせず、教授の説明中に眠りの世界に入る事はない。学生たちはどんな素朴な質問でも臆せずにし、それに呼応して教授たちはどんな馬鹿げた質問でも受け付ける。」
●ヨーロッパ中心主義への反省
「仏教や東洋思想は、学生たちの間で、絶大な人気を博していた。」
「ウィーンにおける「日本」の向上に伴って、ヤパノロギーの地位も激変した。15年前は、ヤパノロギーには落ちこぼれに近い学生がかなりいたが、いまやヤパノロギーには諸言語の中でも特に優秀な学生が集まっていると言う。」
●公共空間での音
駅や電車のアナウンスや商店街の音楽の垂れ流しにうるさい中島さんですが、西洋は静かで、日本のなんとうるさいことかと論じてきたのですが、「10年ぶりのウィーンで、私が一番幻滅したのは、音、即ち公共空間における機械音ないしテープ音の激増である。前には皆無であったのに、いまやラジオをかけていないタクシーを捜すのが難しいくらいである。昔はカーラジオが普及していなかっただけのことであって、「ウィーンよ、お前もか!」と言う思いは強い。」と言うことで、単に音響機器が普及していなかっただけと言うことのようです。
●店の品物
「昔は店の品物に勝手に触るとしかられたものである。それが、今回はほとんどの商品に触ることができるようになった。」
☆中島義道さんの本(既読)
「ウィーン愛憎」中島義道著、中公新書、1990.01.25
「〈対話〉のない社会」中島義道著、PHP新書、1997.11.04
「私の嫌いな10の言葉」中島義道著、新潮社、2000.08.30
「働くことがイヤな人のための本」中島義道著、日本経済新聞社、2001.02.19
「生きにくい……」中島義道著、角川書店、2001.07.30
「ぼくは偏食人間」中島義道著、新潮社、2001.08.10
「不幸論」中島義道著、PHP新書、2002.10.29
「ぐれる!」中島義道著、新潮新書、2003.04.10
(「BOOK」データベースより)amazon
十年ぶりに訪れた、思い出深いウィーン。家族とのもつれた関係を修復するため、ウィーンへの「半移住」計画を曲がりなりにも実現させた著者が実感したのは、頑固で排他的な「古きよきウィーン」の消滅だった。町がきれいになり、上品な老婦人はいなくなり、蔑視の対象でしかなかった日本的趣味が流行し、はるかに騒音が増えた…。ヨーロッパ精神との格闘、家族との確執に彩られた、「ウィーン愛憎」ふたたび。 -
ウィーンに息子と再び舞い戻ったときのエッセイ。ウィーンへの半移住など。ヨーロッパ中心主義批判に潜むヨーロッパ中心主義。
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その後の一家。
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『ウィーン愛憎』の続きなので、そちらに目を通してから読もうと思い続けていますが、本屋行く度にそれ買うの忘れてます。先に『続・ウィーン愛憎』から入ろうかな、と手にとっては悩んでおります
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「働くことがイヤな人のための本」の作者が家族と共にウィーンで生活していたことを書いた本。私達が2002年にウィーンに行ったときは「やわらかくなったウィーン」だったらしい。一ヶ月滞在しようと思ったらホテル「カイザー・フランツ・ヨーゼフ」だと炊事もできて、ボックスルームもあってよいようだ。
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青春をウィーンと格闘した著者の20年後の再訪記。そこで著者がみたのはかつて愛したウィーンではなかった。傍目でみるのはいいけれど、こんな人といっしょに暮らす奥さんや息子さんは悲惨だろうな。
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「続」とはいっても、前作とはまるっきり趣が異なる。前作は著者の戦う姿に目を見張り、ウィーンにも目を見張り、いやーすごいねあははは真似はできないけど見てる分には楽しいや、といった感じだった。今度のは、時代がほぼ今であることが手伝って、より近くに感じる、そして暗い。あとがきの、人生終わったって思ったってのに「うっ」と来た。人生降りるのはやっぱ楽じゃない。さんざん振り回された挙句…、ようやく来るのが終わったという実感を伴った「生きる」という感覚なのかな。