ウィーン愛憎 続: ヨーロッパ、家族、そして私 (中公新書 1770)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121017703

作品紹介・あらすじ

十年ぶりに訪れた、思い出深いウィーン。家族とのもつれた関係を修復するため、ウィーンへの「半移住」計画を曲がりなりにも実現させた著者が実感したのは、頑固で排他的な「古きよきウィーン」の消滅だった。町がきれいになり、上品な老婦人はいなくなり、蔑視の対象でしかなかった日本的趣味が流行し、はるかに騒音が増えた…。ヨーロッパ精神との格闘、家族との確執に彩られた、「ウィーン愛憎」ふたたび。

感想・レビュー・書評

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  • 『ウイーン愛憎』では、大学生活12年、ひきこもり、就職活動もうまくいかず、やっと勤めた塾では人気なく、その後退職
    失う物など何もない状態でウィーン留学
    そういう著者のエッセイでした。

    今度の『続ウィーン愛憎』ではその10年後
    彼は東大助手を経て電気通信大学教授、妻子あり。

    彼も大きく変わっていますが、ウィーンも大きく変化していました。
    ですから、ここからさらに10年経ったら
    また大きく変わっているかもしれませんし
    変わったことがいいこととか悪いこととかは
    私にはいえません。

    ただ、今回彼の妻子が重要なポジションにいることについて。

    彼はかなり偏屈で、離婚寸前
    幼い子供が両親の間にたって
    とても悲しい思いをしている

    でも思春期前期ぐらいになると、彼も父にかなり反抗的。

    そういう状態を通して、妻子がウィーンに定住
    そして息子は現地の学校に通います。

    それぞれのキャラクターが面白くて
    場所をわきまえず声を出して笑ってしまった私。

    でも全体を読み終えてみると、著者の中島氏も
    結構親ばかで、愛妻家なんじゃないかなーって思います。

    あるいは息子を好奇心でもって
    現地のアメリカンスクールに通わせたのかな?なんて思います。


    ハプスブルクについては次のような表現。
    (ただし、彼はウィーンもハプスブルクも大好きと思います)

    「私はようやくかつてのハプスブルク帝国から脱出できたのである」
    「だが残念なことにウィーンの底にこびりついた垢のようにハプスブルク帝国の残滓とも言うべき制度の能率の悪さや公務員の無能さは、なかなか消えてくれない」

    酷い言われようは、愛ゆえと思っているのですが。


    もうひとつここに記しておきたいのは
    10年ぶりにウィーンに行ってみると
    アジアが、蔑視からヨーロッパとはまた違う
    価値のある物だと語られている点。

    日本の評価が高くなったこともありますが
    仏教(ヨガ、禅なども)が10年前より高く評価されているという点。

    ちょうど私も時を同じくしてキリスト教一辺倒から徐々に仏教に惹かれていったのは、私だけではなくて全世界的にそうだったのかな?と思いました。

    中島氏の本は今後も読むつもりなので
    少しずつ謎が解けていくなかと思っています。

    そうそう、もうひとつ。
    中島氏は運動大嫌いでしたが、息子さんはサッカーが大好きで、異国に行ってもサッカーを通じて会話ができてしまう人です。

    そんな彼は、ヴェルディのユースの試験を受けたそうです。
    落ちてしまったのですが、なぜヴェルディなのかな?
    単純に好きだったといわれたら
    確かにその頃はヴェルディ全盛期であったわけですが
    そんなことも知りたいので中島氏の本をこれからも読みます。

  • 20121224読み終わった
    前作は1980年代の私費留学記、今作は1990年代の在外研究記。ウィーンの変化が記録されている。今回も家庭内の状況があけすけで、このような自叙伝的作品の出版が家族との関係性悪化に一役買っているんじゃないかとまで思う。前作でも感じたが、とにかく独特な人物だな…。

  • [ 内容 ]
    十年ぶりに訪れた、思い出深いウィーン。
    家族とのもつれた関係を修復するため、ウィーンへの「半移住」計画を曲がりなりにも実現させた著者が実感したのは、頑固で排他的な「古きよきウィーン」の消滅だった。
    町がきれいになり、上品な老婦人はいなくなり、蔑視の対象でしかなかった日本的趣味が流行し、はるかに騒音が増えた…。
    ヨーロッパ精神との格闘、家族との確執に彩られた、「ウィーン愛憎」ふたたび。

    [ 目次 ]
    1 一〇年ぶりのドナウ川
    2 ウィーン半移住計画
    3 フンガーベルク通りの家
    4 妻の大事故
    5 アメリカン・インターナショナル・スクール
    6 あたかも大学生のように
    7 ウィーンの街の物語
    8 ウィーン家族

    [ POP ]


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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • (2005.03.12読了)(2005.02.18購入)
    副題「ヨーロッパ、家族、そして私」
    「ウィーン愛憎」(中公新書、1990.01.25)の続編。1979年10月、哲学研究者になるためにウィーンに留学し、博士号を取得し、ウィーンの日本語学校で臨時講師をして知り合った女性と結婚し、1984年3月に帰国するまでを述べていた。
    続編は、1994年の夏休みにウィーンで1ヶ月過ごし、1998年からは、妻と息子がウィーンで過ごし、2003年6月息子がウィーンのAIS(アメリカン・インターナショナル・スクール)を卒業するまでを扱っている。
    「1994年の夏から1997年の夏までにウィーンで書いたものは、「哲学の教科書」、「「時間」を哲学する」、「人生を〈半分〉降りる」、「哲学者のいない国」、「〈対話〉のない社会」などである。」(まだ読んでない本が結構ある。)
    夏休みにウィーンに出かけるのは、「私は人とずっと一緒にいることに(妻子であろうと)耐えられない。」からという。
    家族がウィーンに住み、中島さんが日本に残って、時々ウィーンに行くことにしたのは、妻の希望と言うことだ。ウィーンはドイツ語圏だけど、そこのインターナショナルスクールで英語を身につけさせると言うことなので、ちょっと複雑だ。
    ドイツ語については、中島さんがドイツ語をお教えているので、息子にも教えた。
    AISでの秋の遠足でのガイダンスとして「菓子類は持ってきてはならない、登山のできる運動靴を履いてくること、荷物はリュックサックに入れること、電車の中では騒がないこと、等々」言われたと言う。
    遠足から息子にどうだったか聞いたら「少なからぬ生徒が、学校側の指示を守らない。革靴を履いてくるもの、背広姿のもの、お菓子をリュックいっぱいに詰め込んでくるもの、巨大なスーツケースを持ってくるもの、電車の中はうるさいことうるさいこと。」と言うことだった。しかもそれに対して先生方は何にも注意しないと言うことだった。
    中島さんのウィーン留学時の実感としても「欧米人が如何にルールを破っても平然としているか、他人から非難されても屁とも思わない」と言う印象だったと言う。
    (今の日本では、ちょっと注意されただけで怒り狂い、切れて暴れまわる人たちがいるから、まだ欧米型にはなっていないということのようだ。)
    ●学生たちの授業態度
    「授業中にりんごや人参をかじる、ガムを噛む、床に腰を下ろす、床に長々と寝てしまうものもいる。犬を連れてくるもの、赤ちゃんを乗せた乳母車を引いてくるものもいる。これほど無礼な彼らであるが、決して私語をせず、教授の説明中に眠りの世界に入る事はない。学生たちはどんな素朴な質問でも臆せずにし、それに呼応して教授たちはどんな馬鹿げた質問でも受け付ける。」
    ●ヨーロッパ中心主義への反省
    「仏教や東洋思想は、学生たちの間で、絶大な人気を博していた。」
    「ウィーンにおける「日本」の向上に伴って、ヤパノロギーの地位も激変した。15年前は、ヤパノロギーには落ちこぼれに近い学生がかなりいたが、いまやヤパノロギーには諸言語の中でも特に優秀な学生が集まっていると言う。」
    ●公共空間での音
    駅や電車のアナウンスや商店街の音楽の垂れ流しにうるさい中島さんですが、西洋は静かで、日本のなんとうるさいことかと論じてきたのですが、「10年ぶりのウィーンで、私が一番幻滅したのは、音、即ち公共空間における機械音ないしテープ音の激増である。前には皆無であったのに、いまやラジオをかけていないタクシーを捜すのが難しいくらいである。昔はカーラジオが普及していなかっただけのことであって、「ウィーンよ、お前もか!」と言う思いは強い。」と言うことで、単に音響機器が普及していなかっただけと言うことのようです。
    ●店の品物
    「昔は店の品物に勝手に触るとしかられたものである。それが、今回はほとんどの商品に触ることができるようになった。」

    ☆中島義道さんの本(既読)
    「ウィーン愛憎」中島義道著、中公新書、1990.01.25
    「〈対話〉のない社会」中島義道著、PHP新書、1997.11.04
    「私の嫌いな10の言葉」中島義道著、新潮社、2000.08.30
    「働くことがイヤな人のための本」中島義道著、日本経済新聞社、2001.02.19
    「生きにくい……」中島義道著、角川書店、2001.07.30
    「ぼくは偏食人間」中島義道著、新潮社、2001.08.10
    「不幸論」中島義道著、PHP新書、2002.10.29
    「ぐれる!」中島義道著、新潮新書、2003.04.10

    (「BOOK」データベースより)amazon
    十年ぶりに訪れた、思い出深いウィーン。家族とのもつれた関係を修復するため、ウィーンへの「半移住」計画を曲がりなりにも実現させた著者が実感したのは、頑固で排他的な「古きよきウィーン」の消滅だった。町がきれいになり、上品な老婦人はいなくなり、蔑視の対象でしかなかった日本的趣味が流行し、はるかに騒音が増えた…。ヨーロッパ精神との格闘、家族との確執に彩られた、「ウィーン愛憎」ふたたび。

  • ウィーンに息子と再び舞い戻ったときのエッセイ。ウィーンへの半移住など。ヨーロッパ中心主義批判に潜むヨーロッパ中心主義。

  • その後の一家。

  • 『ウィーン愛憎』の続きなので、そちらに目を通してから読もうと思い続けていますが、本屋行く度にそれ買うの忘れてます。先に『続・ウィーン愛憎』から入ろうかな、と手にとっては悩んでおります

  • 「働くことがイヤな人のための本」の作者が家族と共にウィーンで生活していたことを書いた本。私達が2002年にウィーンに行ったときは「やわらかくなったウィーン」だったらしい。一ヶ月滞在しようと思ったらホテル「カイザー・フランツ・ヨーゼフ」だと炊事もできて、ボックスルームもあってよいようだ。

  • 青春をウィーンと格闘した著者の20年後の再訪記。そこで著者がみたのはかつて愛したウィーンではなかった。傍目でみるのはいいけれど、こんな人といっしょに暮らす奥さんや息子さんは悲惨だろうな。

  • 「続」とはいっても、前作とはまるっきり趣が異なる。前作は著者の戦う姿に目を見張り、ウィーンにも目を見張り、いやーすごいねあははは真似はできないけど見てる分には楽しいや、といった感じだった。今度のは、時代がほぼ今であることが手伝って、より近くに感じる、そして暗い。あとがきの、人生終わったって思ったってのに「うっ」と来た。人生降りるのはやっぱ楽じゃない。さんざん振り回された挙句…、ようやく来るのが終わったという実感を伴った「生きる」という感覚なのかな。

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著者プロフィール

1946年生まれ. 東京大学法学部卒. 同大学院人文科学研究科修士課程修了. ウィーン大学基礎総合学部修了(哲学博士). 電気通信大学教授を経て, 現在は哲学塾主宰. 著書に, 『時間を哲学する──過去はどこへ行ったのか』(講談社現代新書),『哲学の教科書』(講談社学術文庫), 『時間論』(ちくま学芸文庫), 『死を哲学する』(岩波書店), 『過酷なるニーチェ』(河出文庫), 『生き生きした過去──大森荘蔵の時間論, その批判的解説』(河出書房新社), 『不在の哲学』(ちくま学芸文庫)『時間と死──不在と無のあいだで』(ぷねうま舎), 『明るく死ぬための哲学』(文藝春秋), 『晩年のカント』(講談社), 『てってい的にキルケゴール その一 絶望ってなんだ』, 『てってい的にキルケゴール その二 私が私であることの深淵に絶望』(ぷねうま舎)など.

「2023年 『その3 本気で、つまずくということ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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