消滅する言語―人類の知的遺産をいかに守るか (中公新書)

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制作 : David Crystal  斎藤 兆史  三谷 裕美 
  • 中央公論新社 (2004年11月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (274ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121017741

消滅する言語―人類の知的遺産をいかに守るか (中公新書)の感想・レビュー・書評

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  • 言語は色々あったほうが多様性という意味ではいいと思うんだけど、特定の言語を使っている人たちに保存することを無理強いしていく形だと抵抗を感じるかも。読んでいて自分は言語に対してドライな気もした。

  • 筆者の危機言語保存活動に対する情熱と、仲々順調には行かない現実への苦悩を強く感じると共に、言語の重要性に就いて考える切っ掛けになった。しかし、読み乍ら感じたのは、果たして言語保存は何のため誰のためなのか、その言語を母語とする人達は本当にその言語の保存を望んでいるのか、ということ。筆者は文中で、残すか残さぬかの選択肢すらないということだけは避けるべきだと述べていたが、本文中で紹介されていた事例を以っていうなら、祈祷や物語など、中には特定の選ばれし人物しか記憶してはいけない言葉というものが矢張りある。それを他の人が記憶したり、文章として残ることで神聖さを失うと書いてあるのはまさにその通りだと思う。それをただ言葉が消滅するのは文化が消えることであるから、という理由で、その神聖さの消失をも無視する形で保存を強行するのはどうかとも思う。言葉は話者在ってのもので、ただの記録の道具ではない。話者がいなくなれば言語が死んだも同然とは文中にも書いてある。結局言語学者の収蔵品になるのがオチなのではと思ってしまう。そう言った意味からも、最後の訳者後書に書いてある内容は、凄くポイントを突いてあり、読み乍らしっくり来ないと感じていたのがすっきりした。英語帝国主義というのは主に欧米の言語学者あるいは言語保存活動団体に対する批判だと思うが、日本人がやるにしてもそれは注意すべき点だと思う。結局誰のためなのか、自己満足に陥っていないか、文化という複雑なものだけに慎重に考える必要がある。

  •  沖縄に住みながら琉球語を全く話せない身としては、いかに琉球語が危機的状況にあるかをひしひしと感じる本でした。
     言語が衰退する理由、なぜ放っておいてはいけないのか、何ができるのかを筋立て説明しており、言語学に関しては全く素人ですが非常に読みやすかったです。また、注釈も豊富で信頼感があります。

  • 地球上では2週間に1つの割合で言語が消滅しているという。そもそも言語の数の把握というものが曖昧なので、あくまでも目安ではあろうが、数多の辺境の地で、土着の言語が英語やスペイン語などのメジャー語に蹂躙され、最後の話者である長老が死んで行く...というシナリオを想像するのは難しくない。
    土着言語を使い続けるか、メジャー言語に飲まれるかの岐路は、結局はカネ(経済)の問題が大きいというのも意外だった。こうした言語消失メカニズムの解析後、言語学者として何ができるのかをとくと語っている。一つ目は「保護・保存」。それが不可能な場合でも「記録」が必要であろう。いずれも簡単ではない。
    そうは言っても、言葉は生き物である。消失する言語があれば、新生する言語もあるはず。ポッと生まれ出るわけではないが、多方面に広がった言語が、各地域で独自の進化をとげ、気がつくと別の言語になるということである。理屈の上では、数千年後には、イギリス英語とアメリカ英語とオーストリラリア英語に互換性がなくなるかもしれないが、グローバルコミュニケーションの壁がほとんどなくなってしまった時代に、地域独自の進化は望めないかもしれない。やはり、言語の多様性は少なくなっていくのであろうか。

  •  いま世界には六千ほどの言語がある。しかしその半数は絶滅の危機に瀕している。二週間に一つの言語が失われている計算になるという。もちろん言語の総数や危機言語の数については明確な基準があるわけではない。独立した言語と方言との差は何か、というと非常に曖昧である。なんとか話が通じるか、という一つの基準があるが、デンマーク語とスウェーデン語のように、方言程度の差しかないものが異言語とされている例も多い。逆に広大な中国では、書き言葉は共通していても、方言の違いが顕著で、北と南では話が通じない。言語の違いとは非常に相対的なものだ。「言語とは陸海軍をもった方言である」という言葉が象徴するように、確かに十九・二十世紀の民族主義の隆盛が、言語に境界をつくった面はある。民族の独自性を際だたせるために、初めは方言程度だった他言語との差異をことさらに拡大して、ついには本当に意思疎通のできない、異なる言語になってしまうケースもある。ただ、大勢を見れば、言語の大部分は話者の少ない少数言語であり、これらが今どんどん失われていることは間違いない。
     言語の死とはどういうことか。その言葉を流暢に話す人間がいなくなることである。原因は、その人間が物理的にいなくなることだけではない。少数言語の場合、土着のことばよりも、多くの人に話される権威ある言語を身につける方が生きてゆくうえで有益である。親も子供に対して、これからは母語でなく英語を、と希望する。親は子供のためをねがってそう仕向け、それにしたがった子供は現実に就職等の点で利益を得る。その子は母語と英語のバイリンガルかもしれない。しかし、その子が社会人となって家庭を築き、そうして生まれた子供が土着語を話すことは、ほとんど期待できなくなってくる。それほどの少数言語でなくても、気を抜くと危ない言語もあるそうだ。例えばいまオランダ人はほとんど英語がわかるから、公用語に英語を入れてもいいし、日常生活も必ずしもオランダ語でなくてよい。母語を守ろうという意識、政策がある限りは心配ないのだが、何とも危うい話だ。
     話者が最後の一人になった言語がいくつも存在する。このような言語はもうほとんど死んでいる。言語とは、コミュニケーションの道具であるから、話者が一人の言語は社会的に意味を持たない。言語学者は、それが地上から消える前に、発音・文法などを記録に残すべく努力しているが、とても追いつかないらしい。よしそのような記録を残したとしても、その言語が死ぬことにはかわりない。ラテン語など、記録だけが残っている死語など、世界にいくらもある。死語が復活した唯一の例はヘブライ語であるが、これは苦難の民ユダヤ民族の強烈な思想なくしては決してあり得なかった。
     なぜ言語の減少が悲しむべきことなのか。多様性が失われるからである。言語の大半は文字を持たない言語であるが、もとより言語に優劣はない。言語はすべてそれが用いられる共同体の歴史、物の考え方を反映した貴重な知的財産である。元来人間の言語は一つだったというバベルの塔の逸話は文字通り神話にすぎない。各共同体がおかれてきた環境は、世界に二つとないものであるから、そこで使われる言語も唯一無二の存在である。異なる言語、異なる文化との接触によって人類は相互に新たな世界観に触れるようになった。それが人間の知を発達させてきた。言語の減少はそのよりどころを失うことである。
     なるほどわかった、そこでどうするか。筆者は熱意を込めて危機言語を救うための方策を提案する。危機にさらされた言語をもつ共同体に、我々が介入して母語の重要性を説き、彼らの母語意識を覚醒させ、教育体制づくりなどの手助けをすることで絶滅を回避しなくてはならない。危機言語を救う主役は共同体の成員であるが、外からの手助けがなければ危機を回避することは難しい。筆者はがんばればなんとかなる、という論調だが、私の感想はもっと悲観的だ。言語の減少は止めようがないのではないか。資本主義が少数言語を駆逐するのは必然ではないだろうか。これが悲しむべきことなのかは判らない。いずれにしても歴史の流れにあらがうことは難しい。
     これをおしすすめて、世界の言語は将来的に単一になるだろうという見方がある。民族語の時代から、国際共通語を併用する時代を経て、最後に一つの世界語が普及し、その他の言語はなくなるという。これにしたがって現実をみると、今は民族語の時代と次の時代の移行期ということであろう。国際共通語としては、かつて人工言語エスペラントに白羽の矢が立っていたが、いま現実には英語である。これが最終段階まで進む日は来るのだろうか。

  • [ 内容 ]
    いま地球上から、二週間に一つのペースで言語が消滅している。
    英語やスペイン語など優位言語の圧力で消えてゆくものもあれば、話者が激減してうまく継承されない言語も多い。
    歴史や民族的独自性を表現する言語が死ぬということは、人類の知的遺産の喪失を意味し、世界の多様性を脅かすものである。
    現在、危機に瀕している言語は六〇〇〇前後といわれる。
    危機言語を守るために、できること、そしてなすべきこととは何か。

    [ 目次 ]
    第1章 言語の死とは何か
    第2章 なぜ放っておいてはいけないのか
    第3章 なぜ言語は死ぬのか
    第4章 どこから始めるべきか
    第5章 何ができるか

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 第3章まで読んで、返却期限に。借りたもののなかなか進まなかったのだが、訳者のあとがきを読んでなるほどぉと思って再開。訳者は斎藤兆史という人で、NHKの英語番組に出てるのを見たことがありますが、彼は栃木県出身で、かつ父と同年の生まれでした。父に聞いても知りませんでしたが。さて、このあとがきですが、Amazonで見ると意見が分かれていますね。「訳者がこの本を理解していない」というようなものと、「訳者のあとがきを読むことによってバランスがとれる」みたいなもの。レヴューを見た感じだと、どちらかと言えば、僕を含めて後者は、極端な、幼稚な意見の持ち主というような傾向にあるようです。いずれにしても、この「あとがき」を読んでから本編に入るほうが楽しいと思います。それから充実した(注)も楽しい。もう1度借りて、読み切ることにします。◆◇関連リンク◇◆・著者David Chrystalのブログhttp://david-crystal.blogspot.com/

  • language deathの話。用語はたまに聞くものの、それを扱ったものを読むのは初めて。言語の死というと、とかく英語がその責任を負っているかのように言われるものの、話はそんなに単純なものではなく、相当数の要因が複雑に絡み合ってそれをもたらしているとのこと。ただいずれにせよ経済・文化のグローバル化が主な原因であるのは間違いないよう。(12/7読了)

  • 本書は5つの章から成っていて、それぞれ「言語の死とは何か」、「なぜ放っておいてはいけないか」、「なぜ言語は死ぬのか」、「どこから始めるべきか」、「何ができるか」となっていることからも分かるように、言語が死ぬことに対して、人々(当事者も含めて)はどう捉えるべきか、言語学者の仕事は何か、といった内容を中心にまとめている。
     特に後半は、「予防言語学」という考え方に立って、言語学者の仕事に関わる非常に繊細な問題が議論されている。単に言語の消滅を止めようとしては良いというのではなく、その共同体自身の協力的な態度が必要だといったことが、共同体がそれを拒んだ場合はどう対処すれば良いかということも含めて詳細に議論されている。その議論をめぐって、「訳者あとがき」では「帝国主義的とも言える自信に満ちあふれて」おり、「『野蛮人』たちを次々と改宗させていった昔の宣教師と同じ態度」と呼んでいる。確かに「上から目線」のような態度が見られないこともないが、「人類の知的財産」である危機言語を、その共同体自身が「守る」必要に同意しない限り守ることはできないのも事実であり、本書で出てきた例であるヘブライ語やカウナ語のように、共同体の中から言語を復活させようとする運動が出てこない限り、少々「上から目線」で説得するというのも一つの方策として認めるべきなのではないかと思う。ただ、著者の、どうやって説得するか、という具体的な説得の仕方は、本書を読んでのお楽しみ。そして、その著者の1つの説得の仕方を知ることで、見かけ以上に複雑な言語の消滅の問題について考えるきっかけを与えてくれる良い本だと思う。

  • 分類ー言語遺産。04年11月。

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いま地球上から、二週間に一つのペースで言語が消滅している。英語やスペイン語など優位言語の圧力で消えてゆくものもあれば、話者が激減してうまく継承されない言語も多い。歴史や民族的独自性を表現する言語が死ぬということは、人類の知的遺産の喪失を意味し、世界の多様性を脅かすものである。現在、危機に瀕している言語は六〇〇〇前後といわれる。危機言語を守るために、できること、そしてなすべきこととは何か。

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