考えないヒト - ケータイ依存で退化した日本人 (中公新書 (1805))

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著者 : 正高信男
  • 中央公論新社 (2005年7月26日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121018052

考えないヒト - ケータイ依存で退化した日本人 (中公新書 (1805))の感想・レビュー・書評

  • 以前読んだ時の説得感がなくなったのは12年干支一回りの時間分か。あの時期にこれだからすごいなあと思うが、スマホ全盛をこの方はどう描くのだろうか。

  • さっと読めた。分かる、分かるんやけど・・・

  • 「考えるヒト」というタイトルの本があった。養老孟司だ。その本も非常に興味深く読んだ。それを意識したタイトルかどうか知らないけど、正高さんの最近の考えをまとめた本が出た。ただし私にとっては知っている話が多くそんなに面白いわけではなかった。その中では「言語遺伝子」の発見の話が新しい。生まれながら話ができない家系がある。その家族の遺伝子を調べてみると異常が見つかった。そこから、現在のようなことばが使えるようになる遺伝子があるということがわかってきた。それを調べていくとだいたい10万年前くらいからことばが使えるようになったのではないかと考えられているらしい。いろんなことがわかるものだ。さて著者は、ケータイメールなどの使用例を参考にしながら、今の特に日本人、あるいは東アジアの人間は、サルに近づいていっていると考えている。人間が人間らしく生きるために、便利な世の中にしようと次々に開発されるIT機器のおかげで、かえって人間らしさをなくしてきていると考える。もともとサルの研究者であるからこそ気づいたことなのかもしれない。ケータイメールでコミュニケーションはばっちりなんて考えているヒト、要注意ですよ。

  • 前著『ケータイを持ったサル』(中公新書)とは異なって、こちらは科学的な装いを施すこともなく、ふつうのエッセイとして書かれた本です(生物学者が使わない「退化」という言葉をあえて使っていることからも、このことは明らかだと思います)。

    至ってふつうのエッセイではあるのですが、内容はいま一つおもしろいと思えませんでした。

  • この手の内容は好みが分かれると思う.
    興味深いのは,たぶんこの著者は実際に自分もケータイ文化の若者と同じ感覚を持っているということだ.そうでなければ,この内容は書けないであろう.

    話の進行に飛躍や問題があることは,著者も把握している.実際に「一連の推測がまったくの見当はずれである可能性も大いにある」と書いている.

  • ケータイに慣れてしまった私たち。
    その思考法は大丈夫なのか?
    自分の日常を見つめなおすきっかけになりました。

  • 高校生でも読めるような、実例を用いた分かりやすい説明だったので良かったです。

  • ケータイ依存で退化した日本人~言語遺伝子と思われるFOXP2が見つかり,この変化は10万年前の事と思われる。言語を獲得したヒトは家族生活を営むようになり,家の内と外という区別が出来上がり,内に包み込もうとする母性と外に押し出す父性が生まれた。コミュニケーションが可能な集団としては150~200が相当するらしい。携帯が普及した今は自他の区別がなくなり,自分を見失った若者は引きこもりでなく,出歩き型も増えてきた~という風に読んだが,「ケータイを持ったサル」で一世を風靡した人は昭和29年生まれの霊長類研究者。斜め読みしてしまった

  • (「BOOK」データベースより)
    通話、通信からデータの記憶、検索、イベントの予約まで、今や日常の煩わしい知的作業はケータイに委ねられている。IT化の極致ケータイこそ、進歩と快適さを追求してきた文明の象徴、ヒトはついに脳の外部化に成功したのだ。しかしそれによって実現したのは、思考力の衰退、家族の崩壊などの退化現象だった。出あるき人間、キレるヒトは、次世代人類ではないのか。霊長類研究の蓄積から生まれた画期的文明・文化論。

  • 「ケータイ依存で退化した日本人」とタイトルにあるように、
    携帯電話の普及によって起きた日本人の「退化」をテーマにしています。
    Amazonのレビューにもありましたがあまりにも「推論」とする部分が多い印象が。
    現代の日本人を対象としたテーマなので、
    「推論」となってしまうのは致し方ないのですが、
    これで「一般的に論理が通じているか」というと微妙なところ。
    個人的にはある程度納得いく「推論」ではありますが、
    本書で扱われる「出歩き人間」の解釈、認識について共感できない場合は
    その後の考察が「トンデモ」になることは間違いないかなと。

    この本の内容を「こういう知識があるんだな」という受け取り方は危険で、
    「こういう考え方もあるんだな」くらいが適切かもしれません。

    この手の本としては残念な内容。

  • 近年、ケータイなどの急速なIT化でヒトの生活は便利に、かつ短絡的になった。しかし、その進歩と快適さを追求したあまりヒトは急速に生活スタイルを「サル型」へと変化させている。思考力の衰退、家族の崩壊、コミュニケーションの仕方も質が劣化しつつあるという。
    人間の生活スタイルや思考力は進歩する中で、それが一方で衰退へと進む矛盾。普段全く意識はしなくとも、深く考えてみれば納得もできる。

  •  IT化が人間のサル化を促すというのが著者の持論。

     著者が「はじめに」で「一連の推測がまったく私の見当はずれでである可能性も大いにある。だが趣味でしている作業なら、的はずれであったとしてそれが益にならないとしても、またさして害になることもあるまいと、執筆した次第である。」と述べている通り、内容としては取るに足らないもの。つまり、「~のような気がする」などというような文末の表現からも窺える推測と牽強付会のオンパレード。

     どうも著者こそが「考えないヒト」のような気がしてならない。

  • [ 内容 ]
    通話、通信からデータの記憶、検索、イベントの予約まで、今や日常の煩わしい知的作業はケータイに委ねられている。
    IT化の極致ケータイこそ、進歩と快適さを追求してきた文明の象徴、ヒトはついに脳の外部化に成功したのだ。
    しかしそれによって実現したのは、思考力の衰退、家族の崩壊などの退化現象だった。
    出あるき人間、キレるヒトは、次世代人類ではないのか。
    霊長類研究の蓄積から生まれた画期的文明・文化論。

    [ 目次 ]
    第1章 出あるく(「出あるき人間」は次世代人類の先がけ? 従来の家出との相違点 ほか)
    第2章 キレる(コミュニケーションの退化 人間とサルの違い ほか)
    第3章 ネット依存症(ネット恋愛の発達 恋愛の進化史 ほか)
    第4章 文化の喪失(文明と文化の違い 集団内凝集性と集団外排他性の促進 ほか)
    第5章 サル化する日本人(人間はいつ人間になったか 「言語遺伝子」の発見 ほか)

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
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    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

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    [ 参考となる書評 ]

  • ところどころ納得できる部分もあるものの、全体的にきわめて主観的な私見にもとづいて主張が構成されているため、納得できないし、居酒屋でのただのオヤジの愚痴としかとらえられない。ケータイ・ITはもはや社会と分離不可能のものになってしまっている。この事実を受け入れた上でそこから生じる問題に関して解決方法を考えることが税金でメシを食ってる教授のできる社会貢献ではないだろうか。

  •  『ケータイをもったサル』の筆者による新書。『ケータイをもったサル』は国語の評論で出題されるってなイメージ。まだ通しで読んだことはないですが。

     さて、正高さんは京大霊長類研究所の教授なのでサルに詳しいです。んで、IT化によって日本人が「サル化」しちゃってるよ!と述べるのが本書。なかなか過激なことを仰っているので、にわかには納得しづらいですが、なるほど一理あるなと思わせる作り。でも、後半戦はあまりにもぶっ飛んでいるような・・・。
     一方で、過激ではあるものの、意外と新しさは感じないなあと思いました。本書が出版されてからの約5年で、その考えが一般化したとは考えづらいですが・・・。「自分」論や「社会」論は、取り立てて本書じゃなくても同じ意見は目にしそうなもんですね。ただその分、本書を読めばその辺の考えをカバーできるとも言えます。そういった意味では非常に有効な一冊。


    【目次】
    はじめに ― 裸のサルとしてのケータイ主義的人間
    第一章 出あるく
    第二章 キレる
    第三章 ネット依存症
    第四章 文化の喪失
    第五章 サル化する日本人
    あとがき

  • 著者の「暴論」は確かに暴論ではあるが、このような極論はあるならばあったほうがいいというもの。か?

    携帯電話やその他のIT文明が姿勢に及ぼした影響を事細かに取り上げ、「だからサルなんだ」と論証している。生物学的な考え方が随所にみられ、特に進化だとか進歩だとかの部分は力尽きていたこともありよく理解できないまま読み飛ばしたのだが。
    「人間らしさ」に対する著者の考え方には同意できる点もあるが、「だからサルなんだ」の論拠になるとどうもすっきりとしない。
    とくに、「アダルト・チルドレンからの手紙」「いまどきの「常識」」を読んだ後にこれを読むと、著者の論拠に対する検証の薄さがよく見える。
    「オウム真理教」に入信したものに「高学歴で理系の人々が多かった」ことに対する見解は全くこの人の「生物学者」という立場に立ってのものであり、「そういう人もいたのかもなあ」とは思うが、なんとも実態とかけ離れているのではないかという不安が残る。
    また、尾崎豊は「アダルト・チルドレンからの手紙」に登場する人々からの指示はあったみたいですが、本書とほぼ時を同じくして出された「いまどきの「常識」」の著者が教授をしている大学の生徒たちからはさほどの指示はないようです。

    また、結論を持たない人の主張は、ただの揚げ足取りでしかありません。責任感のない批評、批判ならだれでもできることです。
    著者は「ITがこれから先サル化に対する対策をとればよい」とたった一文で解決方法を説いてしまっていますが、著者は生物学者なのですから、生物学者なりの結論を持ってくるべきだと思います。分野外のことに対してわめくことは子どもでもできます。

    結論。話半分、に読むのが適切かも。

  • これは霊長類の研究をしている著者が、あえて「人」ではなく、「ヒト」と生物の読み方をしているのは、人間もサルと同じような性質をもっているということから「ヒト」という読み方をしている。ひきこもりが増えているというが、それ以上にであるき人間(家に帰らない人)が増えている。確かにテレビでもよく観ることである。
    であるき人間が増えているのは、ケータイの普及によるものだと著者はいう。確かにケータイは便利だが、いつでも連絡できるという安心感がであるき人間が増える原因となっているのだと思った。これはサルの性質に似ている。また、コミュニケーションをとるときも気の合うグループとしか話さない。グループをつくるときも、すぐに仲のいいグループができるが、コミュニケーションをとるのが苦手な人は、なかなかグループにはいれないということが何回かあると思った。この性質はオランウータンに似ている。
    このように、ヒトもほかの生物とあまり変わらない。

  • 実ビジネスではあまり役に立たないかも。社会学的視点で世の中や時流を捉えている。

  • 今更ながらに正高本。この人の文章は、ホントに1つのことをいうためにあらゆるデータを持ってくるなぁと感心。。。すごいですな。

  • 「ケータイを持ったサル」の続編。

  • 2005.7.25
    ケータイを持ったサルの続編

  • ゼミでとりあげた本。
    なんとなくいいたい事はわかったけど、実証的じゃない!!!
    言ってることに根拠がなさすぎて苦労しました笑。

  • 技術が進歩して、便利になる反面、わたしたちヒトはどんどん退化していく。使う側も考えながらものを使わなければならないのね。

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