友情を疑う: 親しさという牢獄 (中公新書 1813)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (197ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121018137

作品紹介・あらすじ

友人。誰のまわりにも一人はいる身近な存在と考えられている。しかし、友人との付き合い方にルールはなく、友人が私たちに何を運んでくるかは予測のつかぬ謎である。誰が友人か、どこに友人はいるのか、友人と親しさの差異は何か、そして友情の政治的機能とは…。本書は、哲学者たちの友情論を手がかりに、公共の空間における対人関係の本来の姿を描きながら、友情の消滅の危機と、それが原因の国家の危機を遠望する。

感想・レビュー・書評

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  • 親しい友人がいることは無条件にいいことだと思われている。
    友人の数が、すなわちその人間の価値だとみなす風潮がある。
    TwitterやFacebookなど、ソーシャルネットワークでも、フレンド数の多さが競われたりする。
    名刺の数が「人脈」と称され、仕事の能力とほぼイコールだと考えられている。
    確かに、人と人とのつながりは尊い。人間は一人では生きていけないから、人間同士のネットワークが大事なのはあたりまえだ。しかし──。

    「あいつは人付き合いが悪い。だからつまはじきにしてしまえ」。
    「あいつは友達だから、特別に便宜をはらってやろう」。
    「同じ釜の飯を食った友人なのだから、不正にも目をつぶるべきだ」。
    「能力のない首相だが、永年のつきあいだから支持しよう」

    こうして見ると、社会の不正、停滞、犯罪の根っこに、しばしば「友情」が隠されていることもまた確かではないだろうか。
    本書はこうした「友情」の逆理を見据え、「絶対的によきこと」とされている「友情」が、むしろ思想史の中では危険視されてきたことを明かす。冒頭、アリストテレスの末期の一句「友人たちよ、友人などいないのだ」から始まり、ルソー、カントに至るまで、思想家のさまざまな考えが紹介される。「友情」はえこひいき、付和雷同、烏合の衆を生み出しやすい。だから一部の哲学者たちは国会など公的な討論の場における対等のパートナーをこそ友人と呼ぶべきで、意見を同じくする人々の密着した関係を友情とは呼ぶべきではない、とみなしていた。このような議論から著者は結論づける。「少くとも現代の日本では、本当の意味での友情が機能する場所は見い出されないこと、したがって、私たちが『友人』と名付けている知り合いは、本当の意味での友人なのではなく、比喩的な意味で『友人』と呼ぶことができるにすぎない存在であることが明らか」。
    「友情」だけではなく「人間関係」全般にまで反省を迫る衝撃の書である。

  • キャッチーなタイトルとはだいぶ趣が異なる、西洋哲学の論文だった。忙しい合間に読んでも目に映るだけで入ってこない、ちゃんと素養がある前提でじっくり読まないと無理な本・・・
    友人たちよ、友人などいないのだ。


  • 小難しいことを小難しく説明して分かる人だけわかればいいですよ分からない人はどうぞそのままお気になさらずに、というのが哲学だと思うけど、とにかく、友人たちよ友人などいないのだ、というのは理解できた。

  • [ 内容 ]
    友人。
    誰のまわりにも一人はいる身近な存在と考えられている。
    しかし、友人との付き合い方にルールはなく、友人が私たちに何を運んでくるかは予測のつかぬ謎である。
    誰が友人か、どこに友人はいるのか、友人と親しさの差異は何か、そして友情の政治的機能とは…。
    本書は、哲学者たちの友情論を手がかりに、公共の空間における対人関係の本来の姿を描きながら、友情の消滅の危機と、それが原因の国家の危機を遠望する。

    [ 目次 ]
    第1章 友人という謎(学校に友だちはいるか;スポーツ選手の「友情」 ほか)
    第2章 危険な友情(「友人」たちの犯罪;問題の発見 ほか)
    第3章 友情の神秘(モンテーニュとラ・ボエシー;なぜ彼なのか ほか)
    第4章 人類への友情(友人としての人間;合意形成と友情 ほか)
    第5章 友情という幻想(友愛と友愛化;幸福な者への憎悪;「引力」の呪縛;友情の黄昏;統合の問題)

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    [ 参考となる書評 ]

  • 本文中に何度も現れる「友人とは何か、友情とは何か」という問いに哲学の歴史の中で答えは3通り。
    一つ目が、友情とは公共の空間を成立させるための基盤であるとするもの。
    二つ目が、本当の友人とは自分の「分身」であるとするもの。
    三つ目が、利害の一致などでの親密な雰囲気を友情とするもの。

    実感に近い、三つ目の見解はルソーによるものだが、著者はこの考えに嫌悪感に近いモノをあらわにし、徹底的に軽蔑している。「親しさ」と呼ばれるものが如何に「友情」を汚すか、そのことを繰り返す。
    「親しい」とは異なる「友情」を考え、著者もまたアリストテレスの遺言に戻ってくる。
    「友人たちよ、友人などいないのだ」

  • 中島義道かよ!なタイトルとは裏腹に、とても安定した内容。安定している割には書き手のこだわり?が目立つ本。
    ルソーの影響力にはフランス革命が補助的役割を担ってる、っていう説明にへええーでした。

  • タイトル勝ち。友情にまつわる問題が公共性の問題だとは気づかなかった。哲学者が友情をどのように疑ってきたか、どういう問題と認識していたか、を記述した書。

  • また こんな本読んでしまった・・ 昔は絶対に読まなかったのに 最近人間不信で ちょっとめげてます。なのでこの本読んだんですが 「友情とは遷いやすいもの」で 「人に求めてもいけないもの」だそうです。結局、私の問題で相手を誤解して 人間不信になってるんだと言うことで納得しました。 きっと相手も私のことで、人間不信に陥ってるんだろうな ごめんなさい 反省してます。早く仲直りしましょう。

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著者プロフィール

1968年生れ。明治大学商学部教授。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。哲学、哲学史専攻。主な著書に、『忘れられた哲学者 土田杏村と文化への問い』『友情を疑う 親しさという牢獄』(いずれも中公新書)、『これが「教養」だ』(新潮新書)、『知の教科書 ニーチェ』(講談社選書メチエ)、『岐路に立つニーチェ 二つのペシミズムの間で』(法政大学出版局)などがある。

「2017年 『新・風景論 哲学的考察』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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