西洋音楽史: 「クラシック」の黄昏 (中公新書 1816)
- 中央公論新社 (2005年10月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121018168
作品紹介・あらすじ
一八世紀後半から二〇世紀前半にいたる西洋音楽史は、芸術音楽と娯楽音楽の分裂のプロセスであった。この時期の音楽が一般に「クラシック音楽」と呼ばれている。本書は、「クラシック音楽」の歴史と、その前史である中世、ルネサンス、バロックで何が用意されたのか、そして、「クラシック後」には何がどう変質したのかを大胆に位置づける試みである。音楽史という大河を一望のもとに眺めわたす。
感想・レビュー・書評
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久しぶりに著者が表現した通りか興味を持ってしまうという感情が湧き上がった。
序盤は最後まで読めるだろうかと心配になったけれど、バロック辺りから歴史の教科書と楽典と音楽史そして楽譜が並行して並び、だからか!まるで学生のような学びが腑に落ちた。
バッハと言えば宗教的楽曲、それはキリスト教になじみがない日本人なら難解に感じるのも否めない。
宗教というより、民衆が音楽を聴けるのは、催事や宗教への参加などでしかなかったということ。これに尽きる。
そうした事は教科書にはなく、この本ではそんな事が並行して書いてあるので成る程と思う事が多い。
特別に楽器を習ったとか音大とかでなくても、この著者の言う意味が歴史と重なるから引き込まれる。
モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン、シューベルト。この辺りの比較と曲の特徴を語るところは楽しみながら検証してみたいものだ。
久しぶりに出てくる曲を聴いてみたいと思わせてもらった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
岡田暁生さんについては、里中満智子さんの『マンガ名作オペラシリーズ』の解説と、『すごいジャズには理由(ワケ)があるー音楽学者とジャズ・ピアニストの対話』を読んで、大変面白かったので、この西洋音楽の通史を読んでみました。
今回も、ほんっとに、めっちゃくちゃ、面白かったです!!
私は昔、月刊誌ふくめ、音楽関係の本を片っ端から読んだ時期がありました。
面白かったのかしら?覚えていない。
ただ、どんどん森の中に迷って、けっきょく崖から落ちてしまった感じなのです。
当時読んでいた本の執筆者は、音大教授とか演奏家とかピアノ教師とか。
それにたいして岡田暁生さんは、大阪大で博士号をとって神戸大助教授を経て現在京都大学の教授の文学博士。
面白い理由(ワケ)のひとつはそれだと思う。
「音楽を広い視野で見る」というところ。
もうひとつの理由は、私自身、高校の世界史は「勉強している皆の邪魔をしない」ことだけが評価されて単位はもらったものの、授業の内容まったく覚えていない。
試験を受けた記憶もない。(これ、ひどくない?)
でもここ数年西洋史や西洋美術史の本をたっくさん読んで初めて、いろいろなことを知ったから、この本の内容がすっごくよくわかりました。
岡田暁生さんの他の本も図書館に予約したし、もっともっといろんなクラシック音楽を聴いてみたいと思いました。
そして、「ドイツに行ってみなければ」と…「行きたい」じゃなくて「行かねば。他を犠牲にしても」みたいな。
なんか、ストイックな、変にまじめな。それ、ドイツ的!
あとがきにあった、「対象が何であれ『通史』というのは、40歳になる前か、60歳になった後でしか書けませんからね」という友人のことば。
つまり「怖いもの知らず」か「怖いものなし」かということです。
でもこの本を書かれた当時の岡田暁生さんは40代です。
友人のことばを否定していいです! -
分かりやすいだけでなく、文章が巧い。内容もよくまとまっており、地に足の着いた議論が展開されている。ありきたりの解説にもシニカルに歪んだ奇説にもなることなく、中道的ながらフレッシュな論理展開がなされていて好感。軽く要約もして、大いに勉強させて頂いた。再読の価値あり。
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作曲された当時と今とでは、聴き手の対象や聴く環境が異なることを、時代背景とともに知ることができました。
また、現在の音楽史を把握できない理由として、音楽史の主役が作曲家でなく、いわゆる名演と言われる巨匠たちに移っている点に納得させられました。
取り上げられた音楽を実際に聴きながら、再度読み返したいと思いました。
2021,3/18-3/19 -
中世音楽に始まり、ルネサンス、バロック、古典派、ロマン派、そして世紀末と戦争の時代を経て現代の音楽につながる西洋音楽の歴史を一望する本です。
本書を読めば、西洋音楽の歴史は宗教のための音楽から、貴族の音楽、ブルジョアの音楽、大衆の音楽へと変化・多様化する過程でもあることがよく分かります。
いわゆるクラシック音楽とは西洋音楽のうちバロック後期から20世紀初頭までの200年間に作られた音楽をいう、そして、芸術音楽とは芸術として意図され、紙の上で楽譜という設計図を組み立てて作られた音楽である、といった著者の整理は分かりやすいです。
この本は読者に対して、西洋音楽の成り立ちと奥行きを明快に示し、そのことによって、西洋音楽 ── 中でも特にクラシック音楽 ── を聴く楽しみを深めてくれると思います。 -
内容が専門的すぎて西洋音楽史の概要を容易に把握できない既刊本へのアンチテーゼとして、クラシック音楽の初心者向けに書かれた本だが、厳密にいえば初心者向けではないと思う。
正直なところ、この本の情報をすべて理解するのは初心者には難しい。文中に挿入される「あの作曲家のあの作品が……」という情報が、初心者にはピンと来ないからだ。私自身、全くの門外漢というわけではないが、それでも知らない情報がたくさんあった。
それでも、この本は初心者でも読む価値がある。細かいところを読み飛ばせば、西洋音楽の流れが十分理解できるからだ。
だから、内容を100%理解しようとせずに、大ざっぱに歴史の流れをつかむつもりで読むといい。 -
最近、家でBGMとしてクラシック音楽を聞くことが多くなり、そうすると、より楽しむために歴史や背景、位置付けなどを知りたくなった。サクッと読める本を探して、本書を読んでみた。
コンパクトに西洋音楽(クラシック音楽)を通史として書いており、全体を理解しやすいし、けっこう面白かった。 -
「音楽」以前の中世の音楽からフランドル学派、バロック、ウィーン古典派、ロマン派、20世紀から現代へと続く歴史の流れを、著者の見解を交えて解説するもの。「単に音楽史上の重要な人物名や作品や用語などを、時代順に洩れなく列挙したりすることは、私の意図するところではない」(p.ii)とあるように、あくまでどういうストーリーの中にどういう音楽が生まれたのかという視点で解説されている。
この夏、ちょっと新しい趣味を始めようと思って、音楽をちゃんと勉強しようとしているところで読んだ。と言っても、自分はクラシック音楽のファンでもなければ指揮者とかも知らないし、楽譜もほとんど読めない初心者なので、ちょっと難しいかなあと思ってたけど、意外とすんなり読むことが出来た。もちろん分からない所も多々あるが、著者の立場、歴史の捉え方が明確になっているので、全体像は掴みやすいと思う。
まず「西洋音楽」というのは「イタリア・フランス・ドイツの文化トライアングル」(p.10)の世界の中で生まれた音楽が中心で、「アングロサクソンは西洋芸術音楽の主流ではなかった」(同)というのは、言われてみたらそうだなあと思った。イギリスでエルガーの博物館?みたいなところに行ったが、確かにあんまりイギリスの作曲家っていないかもしれない(「せいぜいパーセルとエルガーとブリテンくらいか?」(同)と書いてあるので、この3人の曲を聞いてみよう)。そして面白いのは「謎めいた中世音楽」という第1章。音楽は「どこかしら甘美な存在ではなかった」(p.19)、「和声感覚の違い」(同)という、日本人の多くが音楽と捉える感じと違う、というのが興味深い。バリ島のケチャや日本の雅楽に触れるのと同じような感覚になるのだろうか。そして「ルネサンス的な調和した美とは対照的に、バロックにおいては英雄的でギラギラした効果が好まれる傾向があった。周知のようにバロックとはもともと『いびつな真珠』という意味であり、ルネサンスと比べた時のこの時代の美術の趣味の悪さを揶揄した表現だった」(p.69)らしい。へえ。バロックとかゴシックとかロココ調?とかいう芸術用語もどこかで整理して覚えておきたい。あと面白かったのは、「音楽の勉強」について。今日では「ほとんど『楽器の演奏(略)』と同義である。だが一八世紀までの徒弟制度的な音楽家養成(略)においては、音楽学習は何より『作曲の勉強』を意味した。音楽家はあくまで、自分の作品を自分で引いて人前に披露できるようになるために、楽器を学んだのだった。少なくとも独奏者の場合、演奏とは基本的に自作自演のことであって、もっぱら他人が作った作品ばかりを演奏する『演奏家』などというものは存在しなかった。」(p.137)というのも意外。作曲をする人が指揮したりピアノ弾いたりする、というテレビや映画音楽の作曲家なんていうのが、当時の文脈での「音楽家」という感じなのだろうか。それから、「音楽の聴き方」について、「全神経を集中して粛々として聴くべき『芸術』と、まずは楽しみを目的とする『娯楽』とに音楽史がかなりはっきり分離し始めるのは、一九世紀以来のことである。ある程度単純化して言えば、『門外漢にとって何回で敷居が高く、演奏会で静かに傾聴すべき、真面目な芸術音楽」が発展したのは、もっぱらドイツ語圏なのである。われわれが抱く『クラシック=ムズカシイ音楽』のイメージは、実は『ドイツのクラシック』のみに当てはまる」(p.159)ということで、それは意外。そう考えると、絵画とかはどうなんだろう。娯楽的な絵画と芸術的な絵画、みたいな別はあったりするんだろうか、と思った。最後に面白かった?のは20世紀初頭まで「指強化を目的とする矯正器具がいろいろ作られた」(p.147)らしく、この器具を使ったことで、「薬指が動かなくなってしまった」(同)というシューマンという人がいるらしい。恐ろしい。どんな器具なんだろう。
と言って歴史や人物、曲名を知っても、やっぱりそれを鑑賞するというのが本質だと思うから、ちゃんと聞こうと思った曲の備忘録。バッハの「フーガの技法」(p.89)。「彼の音楽は『聴いて感覚的に楽しむ』というより、楽譜として読んだ時に初めて、その信じられないような作曲技法の腕前が理解されるようなところがある。例えばバッハのフーガの凄さは、相当に作曲の心得がある人間だげが、その楽譜を『読んだ』時に理解できる、そういう性質のものではないか…。」(同)というものらしい。あとは「今日では上演される機会もあまりなく、またそれをいくぶん冷たくて退屈だと感じる日も大いに違いない」(p.101)という「オペラ改革で有名なグルック」(同)という人の最高傑作「トーリードのイフィジェニー」というのがあるらしい。そしてバッハとモーツァルトの比較。「ためしにバッハとモーツァルトの任意の作品を、どちらも低温に焦点を合わせて聴き比べてほしい。こうやって聴くと、バッハは一段と奥行き深く荘厳に響くだろうが、モーツァルトはぜんぜん面白くないはずである」(p.103)らしい。へえ。「『旋律それ自体の魅力』が、古典派において音楽の主役になる」(同)ということだから、ということはおれは分かりやすい古典派の方がいいかなあ。やっぱり口ずさめるやつがいいなあ。そして古典派音楽は「『シンフォニックな響き』に貫かれている」(p.112)らしく、たとえばモーツァルトの「ピアノ協奏曲第二五番」を聞けばいいらしい。それからワーグナーは、何かの本で反ユダヤ思想を持っていたというので、正直すごい積極的に聴きたいともどうしても思えないのだけれど、「『舞台神聖祝典劇』と題された彼の最期の楽劇《バルシファル》は長い間バイロイトだけでしか上演を許可されなかった」(p.173)というものらしく、当時はすごい貴重なものだったらしいから、聞くならこれかなあとか思った。バイロイトはミュンヘン近郊の田舎町で、ワーグナーが「自分の作品だけを上演するための劇場を立てた」(同)ということらしく、なんかやっぱりこのエピソードだけでも好きになれないなあと思ってしまうけれど。あとはp.188の「ドビュッシーの《版画》の第一曲〈塔〉の大胆な和声などは、西洋の既成の音楽指向からは決して生まれ得なかったはずのもの」とか、「最初の一撃でハッタリをかます」(p.189)シュトラウスの「ツァラトゥストラはこう言った」とか。そして「リートという一九世紀で最も親密とされたジャンルが、交響曲(オラトリオ)という最も壮大なジャンルと結合される」(p.193)という、その結合の意味を理解できるというのが「マーラーの《交響曲第三番》」らしい。でも演奏に一時間半かかるらしいから、鑑賞できるのかなあ。あと「調性がない」曲、なんてまったく想像できないけれど、それを理論化した「十二音技法」(p.212)というのがあるらしい。「例えば《三つのピアノ曲》作品一一(一九〇九年作曲)と《ピアノ組曲》作品二五(一九二三年作曲)を聴き比べて頂きたい。前者は自由奔放な音響の極彩色の乱舞である。しかし後者は幾何学模様のようで、どこか奇妙に冷たい」)(p.213)って、どういうものなのか、ぜひ聴いてみたいと思った。
でも結局有名な作曲家も名前くらいしか聞いたことない人ばっかりなので、もう少し西洋音楽史の本を読んで、頭に入れたい。最後に「文献ガイド」があるけど、これは原書がドイツ語だったりする本もあって、なかなか壁が高そう…。(21/08/13)