- Amazon.co.jp ・本 (364ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121018212
作品紹介・あらすじ
一九六九年一月、全共闘と機動隊との間で東大安田講堂の攻防戦が繰り広げられた。その記憶はいまもなお鮮烈である。青年たちはなぜ戦ったのだろうか。必至の敗北とのその後の人生の不利益を覚悟して、なぜ彼らは最後まで安田講堂に留まったのか。何を求め、伝え、残そうとしたのか。本書は「本郷学生隊長」として安田講堂に立てこもった当事者によって、三七年を経て、はじめて語られる証言である。
感想・レビュー・書評
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日本大学の使途不明金問題、東京大学医学部の研修医制度の改善。
元々はこのふたつが問題の中枢だった。だが、時代は「政治の季節」。
ベトナム反戦、空母エンタープライスの佐世保入港、第1羽田闘争、
第2羽田闘争。学生が大学へ抵抗した運動は、いつしか政治の色を
濃くして行った。
そのなかで起きたのが全学連を主体とした東大・安田講堂占拠事件で
ある。本書の著者は安田講堂へ立て篭もった当事者であることもあって、
あの時、立て篭もった学生たちの間ではどんな考えがあり、何を思った
のかを知りたいと購入した。しかし、期待は大外れである。
本書は自己正当化と思い出の美化以外の何物でもない。大学をはじめ、
警察等への権力との抗争という点は分からぬでもない。だが、学生からの
投石が原因で亡くなった警察官の死さえも、機動隊投入を決定した大学側
が悪いって論理はないだろう。
「青年たちは命を懸けて…」と言うような記述が頻繁に出て来るが、講堂に
突入した機動隊員たちに「暴力はやめろ」と叫んだのは今まで散々、石や
火炎瓶を投げつけて来た当人たちではなかったか。
「どうせ死ぬ勇気もない連中」と三島由紀夫が評した通りではなかったか。
若い頃、戦争ごっこをしていた。その時代に対するノスタルジーだけで書かれた
書である。歴史的証言として読む価値はない。今からでも遅くはない。著者は
自己批判をせよ。あの時代の自分自身を総括せよ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
新書文庫
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秀逸なドキュメンタリーだ。感動するのは、くり返し開催される学生大会の討論と採決で、バリケードストライキが常に多数派の意思であったことである。
同時代の末期に同じ空気を吸った身としては、魂が震え背筋に痺れが走る思いをもつ。
しかし本書のネットでの書評はかんばしくない。当時を知らない世代には、あの時代の空気は理解しにくいのだろう。
著者は「サル学」の著名な研究者である。著書を読み進むうちに図書館の検索で本書を知ったが、借り出した本には「書庫」のマークが貼ってあった。本書を手に取る人も数少ないのだろう。
しかし、この時代の若者の反乱があったからこそ、現在の透明性を求められる社会が創られたことを忘れてはならないとも思った。 -
一人の学生側からみた安田講堂事件。
佐々淳行の「東大落城」とは違った視点となるので興味深い。
それでもやっぱりこの時期の学生運動は私にはわからない。
60年の安保闘争前後の流れはまだ分かるのだが。
とはいえ著者も言うように、もっと時がたたないと、
歴史の中でのこの事件の意味は分からないのかもしれない。 -
4121018214 364p 2005・11・25
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『ぼくらの頭脳の鍛え方』
文庫&新書百冊(立花隆選)146
全共闘 -
安田講堂に立てこもった一人が,当時のデータをまとめあげ,当時の息吹を伝える.学生運動の意味と意義が語られる.
日本の教育についての問題の核心にも触れる.大学は今後どう進むのか. -
現代では考えられないようなあの学生運動が起こったのか。
その発端から安田講堂事件とその後を学生側から記している。
学生側からの記述であるため、全体的に偏った物の見方が成されているかと思っていたが、そんなことはなかった。
他の書籍や証言、資料に基づいた内容であり、事実に基づき正確に記そうとした形跡が見られた。
リアルタイムで学生闘争を見ていた。または類似書籍を既読の方なら問題ないと思うが、様々な組織名・用語が出てくるため少し混乱する部分があった。
強いて欠点を挙げれば、著者がそのとき何を思い、どういう心情で学生運動に突き動かされていたのかという描写が少なかったことくらいだろうか。
彼らのパワーにとても感動を覚えた。
自らで突き進むその精神や議論は、手法の是非はともかくとしても現代においても学ぶべき所があるのではないか。
機会があるならば学生のうちに読むことをおすすめしたい。