安田講堂1968-1969 (中公新書 1821)

著者 :
  • 中央公論新社
3.23
  • (6)
  • (5)
  • (28)
  • (3)
  • (2)
本棚登録 : 165
感想 : 18
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (364ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121018212

作品紹介・あらすじ

一九六九年一月、全共闘と機動隊との間で東大安田講堂の攻防戦が繰り広げられた。その記憶はいまもなお鮮烈である。青年たちはなぜ戦ったのだろうか。必至の敗北とのその後の人生の不利益を覚悟して、なぜ彼らは最後まで安田講堂に留まったのか。何を求め、伝え、残そうとしたのか。本書は「本郷学生隊長」として安田講堂に立てこもった当事者によって、三七年を経て、はじめて語られる証言である。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 日本大学の使途不明金問題、東京大学医学部の研修医制度の改善。
    元々はこのふたつが問題の中枢だった。だが、時代は「政治の季節」。
    ベトナム反戦、空母エンタープライスの佐世保入港、第1羽田闘争、
    第2羽田闘争。学生が大学へ抵抗した運動は、いつしか政治の色を
    濃くして行った。

    そのなかで起きたのが全学連を主体とした東大・安田講堂占拠事件で
    ある。本書の著者は安田講堂へ立て篭もった当事者であることもあって、
    あの時、立て篭もった学生たちの間ではどんな考えがあり、何を思った
    のかを知りたいと購入した。しかし、期待は大外れである。

    本書は自己正当化と思い出の美化以外の何物でもない。大学をはじめ、
    警察等への権力との抗争という点は分からぬでもない。だが、学生からの
    投石が原因で亡くなった警察官の死さえも、機動隊投入を決定した大学側
    が悪いって論理はないだろう。

    「青年たちは命を懸けて…」と言うような記述が頻繁に出て来るが、講堂に
    突入した機動隊員たちに「暴力はやめろ」と叫んだのは今まで散々、石や
    火炎瓶を投げつけて来た当人たちではなかったか。

    「どうせ死ぬ勇気もない連中」と三島由紀夫が評した通りではなかったか。

    若い頃、戦争ごっこをしていた。その時代に対するノスタルジーだけで書かれた
    書である。歴史的証言として読む価値はない。今からでも遅くはない。著者は
    自己批判をせよ。あの時代の自分自身を総括せよ。

  • 学生運動当時を振り返ってフラットに書かれたノンフィクションを期待していたのだが、どうも違った本だったようだ。

    ベトナム反戦を掲げながらなぜか暴力闘争に傾倒していき、そして機動隊に敗北するまでの経験が書かれているのは間違いない。参考文献の引用も多い(この手の常として動員された人数の根拠が甘いように思うが)。この意味では資料として興味深く読める。機動隊に効果があったのは火炎瓶であるとか、そういった事実の部分を抽出するとかなり面白く読めるだろう。

    しかし内容は徹底して美化され、ときに自己憐憫をまじえ、とにかく自分たちを正当化した形で語られる。
    たとえば序盤ではゲバ棒を持って米軍基地に迫っておきながら、放水と催涙ガスで返り討ちにされたら「同胞になんたる仕打ちか」と国を責める。終盤ではけが人が出たことについて機動隊を徹底して罵倒しているが、そもそも不当に講堂を占拠したのは自分たちである。合間には、市民やノンポリ・右翼の学生に応援されたエピソードをこれでもかと挟んでくる。自分たちは国を向こうに回して命を賭けて戦った青年たちであった、というスタンスを崩さない書きっぷりは天晴れだ。この熱量を30年経っても維持しているところは驚嘆に値する。

    ベトナム戦争でホーチミンが云々という話が随所に挟まるが、筆者たちの闘争からは特に社会主義思想は感じられず、大学の気にくわないところ(医学部の制度やずさんな会計、酷い一般教養課程など、それぞれは納得できる問題だとは思うが)の改善を求めて暴力に訴え、結果敗北したという話のように思われる。いったい何をどう考えたら本当に命や国を賭けて戦ったベトナムの人たちと自分たちを同一視できるのか不思議に感じる。

    総じて、バブル後に生まれた世代としては、この本を読んで筆者たち(最後まで武力闘争に先鋭化していった集団)に共感するのは不可能に近い。他方、筆者のいう「大人たち」が彼らをどう見ていたのかというのは容易に想像がつく。まさか、当時の大人たちの視点を体感できる本だとは思わなかったが、その意味で非常に興味深かった。
    単に私も30を過ぎて単につまらない体制側の大人になってしまったというだけなのかもしれないが、これを10年前に読んでいたとして違った感想になったかは大いに疑わしいものだ。

  •  2005年刊。著者は、東京大学理学部在学中の1969年、所謂「安田講堂籠城事件」に参加し、懲役2年の実刑判決を受けた人物。
     本書はこの「安田講堂籠城事件」の前後の模様を、内側から体験談的に叙述する書である。

     これこそ体験談(ただし種々の史料にあたっており、引用も多い)と言える生々しさ。
     感傷過多な点は青春回顧録の面もあるからだろう。事実をきちんと列挙している以上、この程度の感傷的叙述は個人的には許容できる。

     さて、叙述からは著者らは、日本共産党配下の者や新左翼とも対抗・対立し、彼らとは全く違う目標があったことが伺える。
     それは例えば、①インターン無給の是正。②カレーライス一杯50円の時代、30億円もの使途不明金を出し、これに対する弁明をしなかった日本大学の経営陣への批判と情報開示。そしてなによりも、③官憲の大学構内への干渉を唯々諾々と承認した東京大学の総長その他教授会の面々の唾棄すべき姿勢への反発である。
     これらは政治変革や権力奪取を目指したのではなく、個別具体的マターの対応方に対する抗議でしかない。
     そもそも、ベトナム反戦運動とて権力奪取を目指したもの、すなわち革命を目指したものとは直ちに評し得ないだろう。
     
     このような個別マターの解決に向けて、自分の未来と、命とを賭して異議申立を行い、強権発動に抵抗した。
     今の自分が、この万分の一だけの熱量でも持ちながら、事に当たれているか?。そういう意味では、粛然とさせられた一書である。

     ただし、本書の内容で残念なのは、籠城事件による逮捕の後、代監等での勾留・取調べの模様や、爾後の刑事裁判が殆ど叙述されない点だ。
     司法もまた、ある種の官憲による措置であるはずだからだ。

     ところで、かかる境遇下にありながら、著者は京都大学で理学博士を取得し、ニホンザル生息地保護管理調査団主任研究員、マダガスカル国派遣専門家として霊長類研究指導をするというキャリアを積んだ。
     この経緯や事情は詳らかではないが、京大の懐の深さを想起できるエピソードではある。

  • 新書文庫

  • 秀逸なドキュメンタリーだ。感動するのは、くり返し開催される学生大会の討論と採決で、バリケードストライキが常に多数派の意思であったことである。
    同時代の末期に同じ空気を吸った身としては、魂が震え背筋に痺れが走る思いをもつ。
    しかし本書のネットでの書評はかんばしくない。当時を知らない世代には、あの時代の空気は理解しにくいのだろう。
    著者は「サル学」の著名な研究者である。著書を読み進むうちに図書館の検索で本書を知ったが、借り出した本には「書庫」のマークが貼ってあった。本書を手に取る人も数少ないのだろう。
    しかし、この時代の若者の反乱があったからこそ、現在の透明性を求められる社会が創られたことを忘れてはならないとも思った。

  • 一人の学生側からみた安田講堂事件。
    佐々淳行の「東大落城」とは違った視点となるので興味深い。

    それでもやっぱりこの時期の学生運動は私にはわからない。
    60年の安保闘争前後の流れはまだ分かるのだが。

    とはいえ著者も言うように、もっと時がたたないと、
    歴史の中でのこの事件の意味は分からないのかもしれない。

  • 4121018214 364p 2005・11・25

  • 『ぼくらの頭脳の鍛え方』
    文庫&新書百冊(立花隆選)146
    全共闘

  • 安田講堂に立てこもった一人が,当時のデータをまとめあげ,当時の息吹を伝える.学生運動の意味と意義が語られる.
    日本の教育についての問題の核心にも触れる.大学は今後どう進むのか.

  • 現代では考えられないようなあの学生運動が起こったのか。
    その発端から安田講堂事件とその後を学生側から記している。

    学生側からの記述であるため、全体的に偏った物の見方が成されているかと思っていたが、そんなことはなかった。
    他の書籍や証言、資料に基づいた内容であり、事実に基づき正確に記そうとした形跡が見られた。

    リアルタイムで学生闘争を見ていた。または類似書籍を既読の方なら問題ないと思うが、様々な組織名・用語が出てくるため少し混乱する部分があった。

    強いて欠点を挙げれば、著者がそのとき何を思い、どういう心情で学生運動に突き動かされていたのかという描写が少なかったことくらいだろうか。

    彼らのパワーにとても感動を覚えた。
    自らで突き進むその精神や議論は、手法の是非はともかくとしても現代においても学ぶべき所があるのではないか。

    機会があるならば学生のうちに読むことをおすすめしたい。

全18件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

1946年下関市彦島生まれ。東京大学理学部卒。理学博士(京都大学)、マダガスカル国五等勲位シュヴァリエ、雑誌『孫の力』監修。1978年(財)日本野生生物研究センターを創設、主任研究員を経て、国際協力事業団(JICA)派遣専門家として2001年までマダガスカルに6年3か月滞在。アイアイなどを上野動物園に送り、2002年より日本アイアイ・ファンド代表としてマダガスカル北西部アンジアマンギラーナ監視森林の保護管理を行って、現在にいたる。2012年、ルワンダ共和国でマウンテンゴリラの名付け親となる(日本人初)。ANAグループ機内誌『翼の王国』にて阿部雄介氏とともに『日本水族館紀行』(2007~2012年)、『どうぶつ島国紀行』(2012年~)を連載。『はだかの起原』(木楽舎)、『親指はなぜ太いのか』、『戦う動物園』(編)、『孫の力』(3冊とも中央公論新社)ほか、著書、論文・報告書多数。

「2004年 『はだかの起原 不適者は生き延びる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

島泰三の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×