バイオポリティクス: 人体を管理するとはどういうことか (中公新書 1852)
- 中央公論新社 (2006年6月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (271ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121018526
作品紹介・あらすじ
人の命はいつ始まるのか-この問いがアメリカで大統領選挙の争点となり、ヨーロッパで法制化が急がれる原因となっているのはなぜか。臓器移植や人体商品の売買が南北問題を激化させ、韓国で起きた科学史上稀に見るスキャンダルも、そうした動きの一例として位置づけられる。今や生命倫理は政治問題となったのだ。生命をめぐる急速な技術革新と人類の共通感情との間にあるギャップを埋めるために必要な視座を提示する。
感想・レビュー・書評
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サイエンス
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108円購入2018-06-04
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フーコーは「バイオ=ポリティクス」という言葉を、『性の歴史第1巻:知への意志』で用いており、そこでは人間の身体機能の利用に関する支配と対を成すものとして、生物学的な「種」の側面に介入し管理する権力の働きが考えられています。具体的には、繁殖や誕生、死亡率、健康の水準、寿命などの管理に関わる権力を意味しています。本書では、こうしたミクロな権力に関わる問題を念頭に置きながらも、先端医療や生物技術に関する政策論という意味で「バイオポリティクス」という言葉を用いると述べられています。
20世紀型の生命倫理学は、医療などにおける個別的な身体に対する働きかけが問題となっており、インフォームド・コンセントと自己決定権が基本的な原理となってきました。しかし20世紀末以降、生命科学の進展によって、個々の身体に対する働きかけを超えて、「ゲノム的自然」という領域への研究が進んでいったと著者は言います。これによって、さまざまな可能性を秘めた遺伝子検査が特許の対象となり、人生設計に必要な情報を提供するサーヴィス産業が生まれてきました。そして、こうした現象は、自己決定と自己責任に基づくインフォームド・コンセントの原理と大きく乖離する形で、新たな倫理的・政治的問題を生み出していると著者は指摘しています。
こうした「ゲノム的自然」に対する政策的・社会的問題を、具体的な事実の紹介に焦点を当てる仕方で明らかにしていこうというのが、本書の企図と言ってよいのではないかと思います。ただ、具体的な事実に付きすぎているのか、いまひとつ問題の全貌が見えてこないような印象を抱いてしまいました。 -
『バイオポリティクス―人体を管理するとはどういうことか』(米本昌平、0206年、中公新書)
本書は、現代の科学技術が可能にした生命科学分野の先端研究がもたらす倫理的な問題について、どのように対応していくべきかということを各国制度の比較論的立場から論じた書である。
(2010年6月20日) -
ゲノム情報の取扱いや臓器売買、ES細胞など、バイオテクノロジーによる人体の細分化・商品化に対して倫理学はインフォームド・コンセントと自己決定という手続き論に終始し、こうした流れを推し進めるばかりであった。これには政治的な関与が必須であるが、医療を経済活動(米国)とみるか、福祉(欧州)としてみるかによって、自己決定が重視されるか父権的になるかが決まるし、キリスト教に代表される宗教的な価値観も大きい。iPS細胞のように、めまぐるしく状況が変わる中、立ち止まってゆっくり考える材料を与えてくれる良書。
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未読。特に医学に興味はなかったが、仕事で少し読んだらものすごく勉強になりそうだった。
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先端医療と生命倫理。