シーア派―台頭するイスラーム少数派 (中公新書)

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著者 : 桜井啓子
  • 中央公論新社 (2006年10月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121018663

シーア派―台頭するイスラーム少数派 (中公新書)の感想・レビュー・書評

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  • 【180冊目】シーア派研究の入門書。記述は2006年で止まっているので、アフマドメジャニ大統領の登場や、核合意、シリア・イラクにおけるISISの台頭とそれへのイランによる対処については書かれていない。また、長引く内戦とそれへの台頭、ロシアへの接近等によって国際社会からの注目を浴びることになったシリアのアサド大統領はアラウィー派とされ、これはシーア派の一派だとされている。何より、今やアラブ世界は2011年の「アラブの春」を抜きにしては語れない。そういう意味で、せっかくの2016年再版なので、この点についてアップデートしてほしかったなぁ……

    とはいえ、とても勉強になった。特に勉強になった点を簡単に3点。
    (1)シーア派とは何か、発生学的に・スンニ派との比較的で語ってくれる点:スンニ派とそんなに違うのかと常々疑問だった、だって、教科書的には第四代カリフ・アリーまでの正統性を認めるのかどうかだけが違うと書かれていて、なぜそれが現代まで尾を引くのかよく分からなかった。でも、たぶん大事な違いは、ウンマを率いる者や政治的指導者の正統性をどこに求めるのかっていうところにあるんだろう。
    (2)「イスラーム法学者による統治(ヴェラーヤテ・ファキーフ)」について:筆者が、ヴェラーヤテ・ファキーフは教義の解釈にの1つに過ぎないという点を強調している点が興味深い。1979年以降のシーア派しか知らないぼくとしては、むしろ政教分離が長いシーア派の歴史の大半だったのではないかということは意外だった。
    (3)なぜイランがあんなに嫌われているのか、1979年イラン革命後の「革命の輸出」の観点から説明。:なるほど。まぁ、ソ連時代の共産主義みたいなことですな。

    あと、シーア派に独特の宗教税(フムス=五分の一税)が、宗教的権威の独立性を保持するのを助けていたという話も大事なポイントかな!

  • イスラム世界で少数派シーア派についての概説書。
    シーア派の基礎知識をまず提供。
    1) シーア派はムハンマドの従兄弟のアリーの子孫しか指導者(イマーム)として認めない。
    2) 12代目のイマーム(868年生まれ)11代目のイマームの葬儀に現れて以来姿を消し、お隠れになっている。
    3) 3代目イマームのフサインはカルバラの戦いでウマイヤ朝との戦いに破れ、殺害された。カルバラに墓はあり、聖地となる。
    4) アリーの墓はナジャフにあり、やはり聖地。ナジャフはシーア派の教育都市だった。

    そして、中近東諸国におけるシーア派の状況について解説。

    イランが詳しい。下記のことが意外だった。

    1)イランの宗教家はホメイニ師の唱えた政教一致路線を支持しているのだと思っていた。しかし、宗教界の権威=マルジャア・アッ・タクリードの多くは政治に宗教が介入することに否定的。
    2) ホメイニ師の後継者のハメネイ師はマルジャア・アッ・タクリードではなかった。憲法上、最高指導者の就任要件はマルジャア・アッ・タクリードだったが、ハメネイ師を最高指導者にするためこの要件をはずした。
    3) 第四代大統領、第五代大統領のラフサンジャニ、ハタミーは穏健派で、いずれも対米関係の改善を目指していた。ハタミーにいたっては言論の自由を尊重しようとした。
    4) この本は2006年の記述で終わっている。現在のロウハニ大統領は穏健派、議会も穏健派が多数。イランは革命後のアメリカ大使館占拠事件や、ヒスボラやハマスの支援、さらには核開発疑惑と過激なイメージが強い。

    穏健派がかなりの勢力を持っていることとこうした外交のイメージはどう整理すればいいのか。さらに勉強してみたいと感じた。

  • シーア派の起こりを丁寧に説明しつつ、
    その後各地に分散してゆくシーア派の
    それぞれの境遇と歴史的ふるまいを説明するもの。
    こうした本はなれない専門用語が多く戸惑うことが多いが、
    丁寧に注釈が入っており置いてきぼりになることは無く好感が持てる。

    シーア派は相対的に見れば少数派であることに違いは無いが、
    長い歴史を持ち、絶対数から言えば相当な数を有している。
    決して一枚岩の団体とひとくくりにできるものではないことが分かった。

  • 時系列でシーア派の歴史が概括されている。視点はイラン/イラクのシーア派中心地にほぼ絞られている。植民地時代や冷戦期など、欧米諸国の影響とのかかわりについてはほとんど触れられていない。
    紙幅の関係上駆け足になるのは仕方がないが、第1章「シーア派成立の歴史」は、名前の羅列と王朝の変遷を追うばかりで、読み続けるのが困難。
    第2章「政治権力とシーア派」は、宗教学院に足を運んで研究した著者の面目躍如か、説明は分かりやすかった。第3章「近代国家の成立とシーア派」第5章「ポスト・ホメイニーと多極化」は、国別に歴史的出来事が紹介されているので、どの話だったのか、用語の意味はなんだったかなど、思い出すのがやっと。
    第4章「イラン・イスラーム革命と「革命の輸出」」は、イランを巡る国際関係を理解する上で大変役に立った。ただしここでも、同じ人物(特に、マルジャア・アッ=タクリートのうちの何人か)が何度も出てくるが、何にせよ馴染みのない名前なので、だれのことを話しているのか、ついていくのは困難。
    入門書としては良書だと思う。編集側でもう少し、読みやすくする努力をしてほしい。

  • シーア派がスンナ派と分かれるところから年代記的にシーア派の歴史が叙述されている。スンナ派との違いや近現代では各国におけるシーア派の置かれた状況、そしてイランにおける革命とシーア派など、全般的によくまとまっている。

    ただ、ウラマーやマルジャア・アッ=タクリードなど、上部層に偏っていて、普通の庶民と宗教の関係が弱く、庶民にとってのシーア派がどんなものなのかが分からないところが残念。

  • [ 内容 ]
    イスラーム教の二大宗派の一つだが、信者は全体の一割に過ぎないシーア派。
    しかし、イラン、イラク、レバノンなどでは多数を占め、挑発的な指導層や武装組織が力を誇示し、テロリズムの温床とさえ見られている。
    政教一致や民兵勢力といった特異な面が注目されるが、その実態とはいかなるものなのか。
    彼らの起源から、多数派のスンナ派と異なり、政治志向の強い宗教指導者が君臨するシステムを解明し、その実像を伝える。

    [ 目次 ]
    序章 台頭するシーア派
    第1章 シーア派の成立
    第2章 政治権力とシーア派
    第3章 近代国家の成立とシーア派―20世紀~
    第4章 イラン・イスラーム革命と「革命の輸出」
    第5章 ポスト・ホメイニーと多極化
    終章 シーア派の行方

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • ★少数派を軸にイラン・イラクを解剖★イスラム主流派のスンニ派に対し、シーア派は少数派の代表として知られる。イスラム諸国でシーア派が大勢を占める主な国はイランとイラク。アラブでもなく(ペルシャ)、カリスマ宗教指導者がそのまま政治も支配する独自の形態を遂げた(かつ限界も生み出した)イランと、シーア派が多数にもかかわらず対イランとの関係で「シーア派=アラブでない」という構図が生まれてフセインを代表とするスンニ派が実権を握ったイラク。シーア派の成り立ちとともに、この2国を分かりやすく説明してくれる。イランもイラクも原油をきっかけとした日本企業の進出が動き出すだけに、その背景を理解するのに役立った。

    ●過去のメモの追加●フムス(5分の1税)によりバザールなどを基盤として宗教の自立がなしえた。ムジュタヒド(法解釈の有資格者)が増え、アーヤトッラー・ウズマー(大アーヤトッラー)のなかで信徒向けに「諸問題の解説」を執筆した人が最高権威「マルジャア・アッ=タクリード」というトップになる。
    イラクのバアス党は内部党争の末、ティクリート地方出身のスンナ派が権力を握る。バアス党は世俗的なアラブ民族主義を掲げ、イラク領内のスンナ派とシーア派をアラブの名の下に団結させる可能性を持ちながら、対イランの汎アラブ主義となり、シーア派をイランと一体視して、自国のシーア派に反アラブの疑いをかけ、シーア派の社内的上昇を妨げた。

  • イランの核問題やイラク情勢の悪化でしばしば耳にするイスラムの宗派「シーア派」について、その成り立ちから、「スンニ派」となんで仲が悪いのかといったあたりから現代の情勢をまとめた本。大学の講義で使われるような「教科書的」なまとめ方でちょっと退屈ではあるものの、中東情勢のお勉強するにはぴったり。あとがきにちょこっと出てくる著者の体験談あたりは別の本に期待かな。

  • イスラーム教の二大宗派の一つだが、信者は全体の一割に過ぎないシーア派。しかし、イラン、イラク、レバノンなどでは多数を占め、挑発的な指導層や武装組織が力を誇示し、テロリズムの温床とさえ見られている。政教一致や民兵勢力といった特異な面が注目されるが、イスラム教の偶像崇拝の厳格なる禁止が、シーア派には禁止事項とはならず、預言者を殉教者として崇拝し、また偶像礼拝がシーア派独特のものであり、殉教の意義が預言者崇拝とどのように重なり広まっていったかを「歴史的」にも示している。墓霊参詣もシーア派独特のものであるが、その点も取材しているところが、桜井の現代性でもある。
    「シーア派独特の儀礼
    さて、血統を重んじるシーア派にとって預言者ムハンマドの子孫は、特別な存在である。
    とくに預言者ムハンマド、娘のフアーチィマ、その夫で預言者の従弟でもあるアリー、それにこの夫婦のあいだに生まれた二人の息子ハサンとフサインの五聖人、あるいは、このあとに続くイマームたちも含めた一四聖人は、無謬で神聖な存在とみなされ、熱烈に崇拝される。
    彼らは、「お家の人びと」 (アフル・アル=バイト) つまり預言者ムハンマドの一族とも呼ばれ、歴史的存在を超越した宗教的な存在となっている。
     これほどまでに特別な存在でありながら、一二人のイマームたちの生渡は、不条理なまでに悲劇的である。預言者の血筋を引く崇高な存在であるにもかかわらず、歴代のイマームたちは、悪と不正に満ちた現世を支配する暴君たちによって迫害され、軟禁され、殉教を遂げた。なぜ聖なる人びとがこのような運命に晒されるのか。シーア派によれば、預言者ムハンマドの一族が引き受けてきた不幸と悲しみは、彼らの信仰の証であり、彼らはこの世での苦難と引き換えに、来世での安寧を約束されているのである。
     シーア派独特の儀礼
     シーア派は、前記の一四人に加え、預言者ムハンマドの孫にあたるハサンとフサインの男系子孫を、とくに「サイイド」 (「預言者の子孫」の意)と呼んで崇めてきた。サイイドにあたる人びとが社会的な成功着であるとは限らないが、預言者ムハンマドの血統を通じて、神の恵み(バラカ)を受け継いでいるとみなされ、免税や減刑の対象となり、困窮するサイイドの生活支援にフムス 「五分の一税)が使われてきた。
     氾濫するイマームの肖像画
     厳格な一神教で知られるイスラームは、偶像崇拝に対してことさらに厳しい態度をとることで知られている。アッラーはもちろんのこと預言者ムハンマドでさえも、絵画や彫像として具象化することは許されない。同様の信仰から、モスクの装飾に人物柄を用いることを禁じており、代わりに「アラベスク」と呼ばれる幾何学文様や装飾文字が発達した。こうした考え方は、スソナ派とシーア派に共通のものではあるが、シーア派はスソナ派ほど厳格ではない。
     たとえば、イランの国定教科書の挿絵では、預言者ムハンマドや歴代イマームは、具象化を避けるために、輪郭をおぼろげに描くにとどめている(一五ページの写真参照)。ところが巷では、歴代イマームの人物画、とくに初代イマーム、アリーと第三代イマーム、フサインの肖像画が氾濫している。なかには、預言者に選ばれる前のムハンマドの肖像を描いた特殊なものまである。
     肖像画のほかには、一二人のイマームや五聖人をまとめて描いたもの、カルバラーで殉教した第三代イマーム、フサインの悲劇を再現したものなどが多い。油絵や絨毯などの工芸品から路上販売のポスター、ステッカー、カードにいたるまで、その種類は実にさまざまである。
     理想の指導者アリー
     神の絶対性・唯一性を強調するイスラームにおいて、本来は神以外を崇拝することは禁じられているのだが、実際にはイマームたちは、神聖な存在として崇められてきた。その資質について一二人のイマームに優劣はないが、信徒を惹きつけてやまないのは、初代イマムのアリーとその息子で第三代イマームのフサインである。とはいってもシーア派にとって、この二人が持つ意味は対照的だ。初代イマーム、アリーは、理想の指導者として、その生き方が人びとの模範となっているが、敗北を予期しつつあえて殉教を選んだ息子フサインは、理想の殉教者であり、その死に様が信徒の心をとらえている。
    それでは理想の指導者アリーは、どのような人物として記憶され、語られてきたのだろうか。前述したようにアリーは、預言者ムハンマドの父方の従弟にあたる。ムハンマドの愛娘ファーティマを妻に迎えたことで、彗量の娘婿ともなった。それだけでも十分に特別な存在したが、孤児となった預言者ムハンマドを、アリーの父であるアブー・ターリブが育てたことや、預言者ムハンマドが商人として独立した後、三〇歳あまり歳の離れたアリーを養育したということを考えると、二人の関係が、いかに近しいものであったかがわかる。(中略)
    「殉教の王子」 フサイン
    「殉教の王子」として知られるフサインは、預言者ムハンマドの愛娘ファーティマを母に、預言者の従弟アリーを父に持つ、預言者の孫にあたる人物だが、毒殺された兄の第二代イマーム、ハサンを継いで、六六九年第三代イマームとなった。伝承によれば、フサインは、信心深く、理想主義的で、現世欲のない高潔な人物である0フサインは、その妥協を許さぬ正義感ゆえ、父であるアリーの第四代カリフへの「臣従の誓い」を拒み、父の死後ただちにウマイヤ朝を開いて初代カリフとなったムアーウィヤの圧政やムアーウィヤの息子ヤズィードによるカリフ位の世襲を許すことができなかった。
     そして前述のように六入○年、イスラーム暦六一年の第一月にあたるムハッラムの月一〇日、すなわちアーシューラーに、ウマイヤ軍と戦い、カルバラーの荒野で絶命した。
     預言者の孫フサインの無残な死を目の当たりにした信徒は、フサインをクーファに招きながら、援軍も出せないままに見殺しにしたことに対する後悔と自責の意識に苛まれるようになる。フサインの悲惨な最期は、少数派として辛酸を嘗めてきたシーア派の宗教意識を根底から揺さぶり、党派的な運動を宗教的な運動へと転換させる契機となった。
    時を経て、フサインの殉教は、正義の実現に向けた戦いの過程で払われた俸大なる犠牲であり、それは神によってあらかじめ定められたものだったとみなされるようになる。人びとは、フサインの殉教を語り継ぐことによって、また儀礼を通じてフサインの悲劇を蘇らせて壮絶な戦いの目撃者になることで、時空を超えてイマームたちとの結びつきを新たにすることができると考えた。
     あるいは、儀礼のなかでフサインが受けた屈辱と苦しみを疑似体験することで、イマームのために戦い、イマームのために死んだ着たちに与えられるのと同等の功徳が与えられると信じた。こうしてフサインの殉教を追体験することに救済的な意味が加えられていったのである。
    フサインのための追悼行進
      シーア派は、第三代イマーム、フサインの殉教を悼むためのさまざまな宗教儀礼を編み出してきたが、とくに追悼行進は、地域社会が一体となって行う大掛かりな行事である。
     ブワイフ朝(九三二〜一〇六二)支配↑のイラクでは、王朝が後援する追悼行事も誕生し、九六三年のアーシューラーには、大勢のシーア派信徒が胸を叩きながらバグダードの通りを練り歩き、悲嘆にくれる見学の女性たちに水を求めたという。同様の儀礼は、その後各地のシーア派に広がったとされる。
     現在行われている追悼行進は、地域によって多少の差はあるが、フサインの追悼施設(ホセイlTイェ、イマームパーラー、タキーイェ、マークムなど、地域によって呼び名が異なる)を起点とし、黒衣装の男たちが、時に胸元や背中をあらわにした恰好で通りに現れ、掌で胸元を叩きつけ、あるいは鋳の束で背中を打ちつけながら、悲嘆と後悔の表情もあらわに行進する。なかには額をナイフで切りつけ、血を流す者もいる。人びとは、カルバラーで戦うフサイン軍の有様を再現するために、当時を偲ばせるさまざまな品を持ち出す。
    行進の最前列を行く者たちは旗を担ぐ。簡素な旗もあれば、数々の装飾を施した大掛かりなものまであり、山車が引かれる場合もある0男たちに牽かれながら登場する白馬は、フサインの愛馬である。フサインとともに最期まで戦った愛馬には、血糊のついた経椎子が掛けられる。そのほかにも、フサインの遺体を収めた棺、カルバラーにあるフサインの墓廟の模型、フサインの愛児のゆりかごなども登場する。通りの両脇で行進を見守る女性たちは、男たちに砂糖水を配る。渇きに苦しみながら逝った人びとに思いをはせるために。現代のイランでは、太鼓叩きや朗諦師も行進に加わり、場の雰囲気を盛り上げている。朗諦師のエコー付マイクをつないだアンプには電飾が施され、幻想的な雰囲気を漂わせる。
     人びとの衣装、太鼓のリズム、胸の叩き方、担ぎ出される品々は、地域によって異なるが、毎年、フサインの殉教日アーシューラーには、各地で盛大な追悼行進が行われる。行進は、アーシューラーの前からはじめられるが、フセインが絶命したアーシューラーの正午にクライマックスに達する。
     殉教語り (ロウゼ・ハーニー)
     第三代イマーム、フサインの殉教にいたる道程は、語り、劇、行進などのさまざまな儀礼を通じて後世に伝えられてきた。シーア派は、これらの儀礼に参加することで、フサインの殉教を追体験し、信仰を新たにする。
    「殉教語り」 (ロウゼ・ハーニー) は、クーファの民の誘いに応じて、メディナを出発したフサインと七二名の男子が、ウマイヤ軍に包囲され、渇きに苦しみながらカルバラーの荒野に果てるまでの有様に加え、残されたフサインの女・子どもがウマイヤ朝第二代カリフ、ヤズィードの待つダマスカスに連行される様を散文形式で詠ったものである。
     追悼行進が屋外で行われる動的な儀礼であるのに対して、殉教語りは、説教壇に座った説教師を聴衆が囲むという静的なものである。朗諦師は、エピソードをつなぎ、語りのテンポや声の調子を巧みに変えながら、聴衆の感情移入を助ける。聴衆も朗謡師の語りに合わせ、フサインらの名を連呼したり、胸を叩いたり、すすり泣きをすることで場の空気を悲しみに染め上げていく。朗諦師と聴衆が一体となって、七世紀にカルバラーで起きた悲劇を再現し、その証人となるのである。
     

    イマーム埋葬地への 「参詣」
     シーア派にとって歴代イマームは、預言者ムハンマド亡き後の指導者であり、かつ神と信徒を仲介する神聖な存在でもある。イマームに与えられた神の恵み(バラカ) は、イマーム本人の墓だけでなく、イマームの兄弟や子孫の墓、イマームの遺品などにも宿っていると信じられている。イマームが埋葬されている場は、シーア派にとってはかけがえのない聖地であり、歴代イマームの墓廟に参詣することは、メッカ巡礼に優るとも劣らぬほど大切なものなのである。
    圧倒的な人気を誇るのはナジャフにある初代イマム、アリーの墓廟とカルバ17の第三
    代イマーム、フサインの墓廟である。このほかにもイラクのサーマッラーには、第十代、第十一代イマームが、カーズィマインには第七代と第九代イマームが埋葬されている。イランのマンュハドにある第八代イマームの墓廟は、イラン国内外から大勢の参詣者が詰めかける国際的な参詣地である。サッダーム・フサイン政権時代、イラクへの渡航が困難だったこともマンュハドの人気を高めた。
     歴代イマームの近親者の墓にも多くの参詣者が詰めかける。コムには、第八代イマームの妹ファーテメの墓廟がある。メディナから、メルヴにいる兄アリー・リダーを訪ねて旅をしたファーテメ (?〜八一六/七)は、九世紀初頭にこの地で客死した。シリアのダマスカスにある第三代イマーム、フサインの妹ザイナブ(?〜六八二)の墓廟は、女性の信徒に人気がある。これらの墓廟は、規模が大きく立派である。定められた期間に参加者全員が同時に同じ儀礼を執り行うメッカ巡礼とは異なり、墓廟への参詣は、時間も形式も自由で、とくに女性の参詣者が多いのが特徴である。」
     

    墓廟内には棺が安置されており、通常、棺は柵のようなもので覆われている。部屋の壁面に鏡細工を施した豪華なものも少なくない。人びとは、感情の赴くままにその柵に触れ、すがり、接吻することでそこに宿る霊カを身に受け、そのカを借りて私的な願い事を叶えようとする。何時間もとどまり、物思いにふけったり、コーランを詠んだりする者もいれば、部屋の片隅で世間話に華を咲かせる一団すらいる。参詣者は、イマームと向き合うことで、預言者一族に対する忠誠を新たにし、シーア派としてのアイデンティティをより確かなものとする。参加者一同が一斉にメッカの方角に向かって晩拝するモスクでの集団礼拝とはきわめて対照的である。
    これらの墓廟は、信徒が寄せる莫大な寄付や寄進地によって維持されてきた。また各地の墓廟都市は、参詣者の受け入れによって経済的繁栄も享受してきた。一九世紀末の記録によると、カルバラーやナジャフには、イランや南アジアからの参詣者が詰めかけ、その数は一〇万にものぼったという。イマームが埋葬されている聖地には、信徒のための巨大な墓地もできあがった。聖地での埋葬を願った故人の遺志を叶えようと遠路はるばる遺体を運び込む家族が絶えないのである。
     シーア派が参詣するのは、イマームやイマームの近親者たちの墓廟に限られているわけではない。実は、シーア派の暮らす地域のいたるところに、小規模で、由来もさだかでないような墓廟が無数にある。比較的大きく、遠方からも参詣者が訪れるようなものから、土地の人以外に、存在すら知られていないような質素なものまである。農村部では、霊力が宿っているとされる樹木、泉、岩、洞窟なども信仰の対象になっている。

  • イスラム教に関しては少し本を読んだこともあるが、やはりこれだけ長い歴史を持った宗教なので今までにいろいろあったようだ。名前がなじみの薄いものなので分かりにくいことも多かったが色々と参考にできる。辞書形式の索引も使いやすく良いアイデアだと思う。

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イスラーム教の二大宗派の一つだが、信者は全体の一割に過ぎないシーア派。しかし、イラン、イラク、レバノンなどでは多数を占め、挑発的な指導層や武装組織が力を誇示し、テロリズムの温床とさえ見られている。政教一致や民兵勢力といった特異な面が注目されるが、その実態とはいかなるものなのか。彼らの起源から、多数派のスンナ派と異なり、政治志向の強い宗教指導者が君臨するシステムを解明し、その実像を伝える。

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