小泉政権: 「パトスの首相」は何を変えたのか (中公新書 1892)
- 中央公論新社 (2007年4月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (258ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121018922
作品紹介・あらすじ
21世紀最初の4月、世論を背景に首相に就いた小泉純一郎。靖国参拝、北朝鮮訪問、郵政解散など、政権の5年5ヵ月は、受動的イメージだった日本の首相を、強いリーダーシップを発揮し得る存在に変えた。一方で、政権は「抵抗勢力」=派閥・族議員、官僚と対峙する上で、世論を頼みとし、人々の理性より情念に訴え続ける。新自由主義的政策を強く進めた内政、混迷を深めた外交を精緻に追い、政権の功罪と歴史的意義を記す。
感想・レビュー・書評
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劇場政治
トップダウン型政治決定
時間軸の短さ
道路公団民営化
不良債権処理
医療制度改革
郵政民営化
田中真紀子 vs 鈴木宗男
自衛隊海外派遣
中国韓国北朝鮮拉致
アメリカよりの政治 国力が低下した詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
小泉元首相の政治的人格を概説した上で、内政、外交と話を進め、
政治史における立ち位置と利用された制度の成り立ちを解説する。
最終的に日本社会に残されたその影響をまとめたもので、
構成が非常にスッキリしておりわかりやすい。
エピソードも政策の中身にページを深く割くものではなく、
あくまで小泉元首相のスタンス、手法を主眼においた上で
取り上げられておりブレが少なく感じる。
個人的には「時間軸の短さ」という語が印象的だった。
こうした態度がなければこれほどまでに名を残す首相には
ならなかったんだろうなぁ。 -
小泉政権の研究。道路公団や郵政公社の民営化を果たした小泉の実行力の根源を、アクターに焦点を当てて分析。
経済再生諮問会議という「場」の創設による、党の頭越しでの政策決定、時間軸の短さによる派閥均衡無視、そして情念(パトス)を前面に押し出す姿をメディアで活用するなど、小泉の行った手法がよくわかった。
反面外交考察に関しては小泉自身に関心がなかったと述べられているに過ぎず、拍子抜け。
本書はアクター中心の本なので、制度が小泉のリーダーシップにつながったという論と合わせて読みたい。 -
どっかでみた名前だと思ったら駒場で授業とってた教授でした。「日本の政治」。顔は知らないけど。
最近安部内閣と比較してみると小泉さんの特徴は顕著です。
確かに政治手法として全く違う道をとろうとしていたんだなあ、といまさらながら。
彼が利権と離れた位置にいたから色んなことができたんですね。
55年体制の政治については、シケプリにいっぱい似たようなことが書いてあった気がする。
おもしろかったです。 -
小泉政権では何が行われたかの、全体の検証には非常によい本。
題名にあるように、パトスの首相であり、そこにはロジックなものではなく、情感のみに訴えた政治手法については、やはり議論の余地があると思う。
小泉政権全体を知るためには、おさえておく1冊。 -
小泉内閣の特徴と功罪を分かりやすく解説していてためになった.
今の震災後の状況で必要とされているのはあれくらいのぶれないリーダーシップなんじゃないだろうか. -
小泉政権の分析と総括を試みる書。
小泉元首相を「パトスの首相」、「強い首相」という二つの側面から捉え、小泉元首相の政治手法や彼が進めた構造改革の特徴を分析している。
小泉元首相の「強さ」の源泉として、制度的要素と個人的要素の両方があったと主張している。同感である。
筆者は、内政の構造改革については、その戦略性を高く評価しているが、外交については、戦略性に乏しかったと指摘している。
「パトスの首相」である小泉元首相は、政治家に求められる「責任倫理」ではなく、「心情倫理」に依拠していたとも指摘されている。
直近の人物、出来事が対象にも関わらず、本書の分析はなかなか深みのあるものであると思う。筆者の見解に同意する点も多かった。
また、本書は、小泉政権における構造改革や外交の内容がコンパクトにまとまっており、小泉政権について調べたいときにも重宝する良書である。 -
メモ
2007年3月時点(あとがきの日付)の小泉評。
内政(新自由主義的改革あれこれ)・外交(こんにちはアメリカさよならアジア)・と歴史的意義、功罪。キーワードは「強い首相」「パトスの首相」。
族議員、官僚、利益集団、の鉄のトライアングルを内閣官房で縦横にぶちぬいて、官邸主導を実行できたのはなぜか?<内政改革進めて内閣権限強化+ポピュリズムを味方につける>ができたから。外交について、戦略不足だったのはなぜ。首相の関心の乏しさと竹中氏的な人がいなかったから。
パトスあればこそ、あのスピードであれだけの改革を断行しまくれたわけだけど、それは「排除」の構造を産んでしまう。理性に基づいてじっくり話し合う「包摂」と両立するのが大事。でもそんな理想的な政治、想像できない・・・。と思ってたらラストに「政治のもつ可能性について視野狭窄に陥ってはならない」とあった。反省します。 -
小泉さんが首相を務めた、激動の五年間が書かれています。『自民党をぶっ壊す』という耳に残るフレーズから入り、『変人』とまで言われた小泉さんの政治方針や策力がわかりやすく記述されている。まだ、出て間もないから、記憶に新しいところが多く、抵抗無く読むことができた。小泉首相の改革の本丸“郵政民営化"に至る過程、ビジョンを政治背景を踏まえながら捉えているところは、読んでよかったと感じた。
政治とメディアをうまく結びつけたところは、素人目から見ても天晴れであったと言えるだろう。 -
小泉政権の業績などをまとめられた本。どちらかと言うと否定的な立場からの記述だが、事実を網羅しただけともとれる。
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ふむ
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【要約】
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【ノート】
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小泉首相は制度と個人的能力(パトスの首相)を用いて戦後政治においても特筆すべき改革を実現できた。
もっとも、自己の信念に基づく政策については戦略的に行動した物の外交については非常に場当たり的であっとする。 -
現・東京大学大学院総合文化研究科准教授の内山融による小泉純一郎政権の概説と分析。
【構成】
第1章 小泉純一郎の政治運営
1 ポピュリスト的手法と「パトスの首相」
2 トップダウン型政策決定と「強い首相」
3 小泉の行動様式-時間軸の短さ
第2章 内政-新自由主義的改革をめぐる攻防
1 経済財政諮問会議の機能
2 財政改革-予算編成プロセスの変化
3 道路公団の民営化-族議員との対立と妥協
4 不良債権処理と金融再生
5 医療制度改革
6 三位一体改革-補助金削減・税源移譲
7 「改革の本丸」郵政民営化
8 戦略的政策決定の条件
第3章 外交-近づく米国、遠ざかる東アジア
1 外務省の混乱-田中真紀子外相と鈴木宗男
2 対米協力の強化-自衛隊の海外派遣
3 混迷する対中国・韓国関係-首相の靖国神社参拝問題
4 北朝鮮訪問と拉致問題
5 自由貿易協定(FTA)の遅滞
6 内政と外交の対照性
第4章 歴史的・理論的視座からの小泉政権
1 戦後政治史のなかの小泉政権
2 首相のリーダーシップと制度
第5章 小泉政権が遺したもの
1 「強い首相」の功罪
2 「パトスの首相」の功罪
3 日本政治の将来像
本書出版の前年に同じ中公新書から出された竹中治堅『首相支配』が小泉政権に至るまでの「政局」を丹念に拾いながら、<55年体制>から<2001年体制>への変化を論じたのに対して、本書は小泉政権期の「政策」を主に論じている。
上記構成から見てわかるように、内政と外交に二分して、様々な政策・トピックを取り上げている。竹中の著書ではほとんど取り上げられなかった外交政策について言及されているという点で評価できる。
ただ、肝心の内容については面白味はほとんど無い。内政・外交については新聞や雑誌のトピックを追っているだけで、改めて知り得た事実などは見あたらない。この程度の内容ならそれこそ大学院の博士課程の学生でも、もう少し面白く書けそうなものである。「果たしてこの著者は実証研究をしたことがあるのか?」という疑問すら湧く。事実関係を羅列するだけで内容になると思ったら大きな間違いである。
さらに、学者としての本領発揮である分析についても、首をかしげるところがいくつかある。例えば筆者は靖国問題に端を発する対東アジア外交の不調などを引き合いにだし、内政に比べて「戦略性が乏しかったと言わざるを得ない」としている。ただ筆者は、この「戦略性」という言葉を、「達成すべき目標とその実現手段を綿密に検討した上で実行に移すという意味」で使っている。本文を読めばわかるが、よく検討すれば戦略的で、時間をかけなければ非戦略的という言葉の定義である。これはもう語義の曲解であろう。
個人的な印象からすれば、小泉政権の対外政策は極めて明確で十分に戦略的である。小泉は「国際社会における日本のプレゼンスを高めること」を主たる目標としていたのではなかったか。筆者は小泉の行動を中長期的な視野が欠如しているというが、小泉が何度も繰り返していたようにたかが歴史教科書や靖国参拝ごときで首脳交流を断絶させる中国、韓国の方がよほどおかしいのであって、戦略的でないのは彼らの方だろう。もちろんそのような「対立」を招いたことで逸した国益はあろうが、それを「中長期的」リスクと言う根拠が一体どこにあるのか、著者には明らかにしてもらいたいところである。
第4章、第5章は戦後政治史の中の「小泉政権」を総括しているが、戦後政治外交史をよく知らない人間が総括などできようはずもなく、「アイディアの政治」という曖昧な概念でお茶を濁している。クリック、アレント、丸山真男、ネグリなどなど著名な政治学者の言を引き合いにだしながら政治思想的な分析を試みているが、引用のされ方も唐突であり上滑りの感が強い。