日本の統治構造: 官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書 1905)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121019059

感想・レビュー・書評

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  • 初版は2007年、議院内閣制確立のために「政権担当政党が時により交代する事態が起こり、その期待が定着するのが最も有効である。だが、それはなかなか実現しない。」(p209)と言われた時代である。国民は、自民党内における擬似政権交代によって、劇の観客としてカタルシスを味わっていたにすぎず、民主的統制を行うことはできなかった。(p112、179)一方、小選挙区制度下の小泉政権は、従来の派閥政治を破壊し、政治と国民との距離を近づけた。特に首相選びは派閥のパワーゲームでしかなかったが、小選挙区制で初めて国民は政権選択の権利を得たのである。
    この後、マニフェストによる政権選択選挙によって民主党政権が誕生、選挙による政権交代が起きた。 残念ながら民主党政権による政治は、そのような「期待」を定着させるには至らなかった。現在でも安全保障政策における意見集約が始まったばかりで、「期待」には程遠い状況であると言える。
    一方、官邸の権限強化は大胆な「改革」を可能にした。従来は官僚内閣制下の各省庁積み上げ方式のため、機動的な政策決定が不十分であったが、柔軟な方針転換、分野横断的な政策が可能になったのである。(p178)その中で安倍政権は金融緩和、農協改革、TPP、保守信条において強力なリーダーシップを発揮している。まさに、選挙結果がダイレクトに政策に反映されるようになった。これはある意味政権選択選挙の裏返しとしての、国民の「リスク」とも言える。
    本書では衆議院選挙による政権選択選挙の実現と、内閣総理大臣(首相)の強化を説いているが(p182)、そのいずれも実現された。一方、首相の強化に見合う権力監視装置があるとは言い難い。現在民主党への根強い不信があるなか、国会にそのような機能は求められない。また、監視機能を弱めようとする政権側の動きもでてきている。政権選択選挙の担保のためにも、監視機能の充実が以前にも増して求められるだろう。

  • 312.1||Io

  • 政治学の基本の必読書一覧の一冊に本書が記載されており、本書をとった。政治学の基本的なことを非常にわかりやすく記述しており、日本の戦前戦後の政治の歴史を俯瞰しながら概要をすんなりと理解することができた。

  • イギリスという国が生み出した議院内閣制を最も上手く成功させた国は日本だが、その実情は官僚内閣制であって…。という部分までは理解できた。政治家とか高級官僚を目指す人は読んだ方がいいんじゃないかなー。

  • なかなか基礎知識を押させることができてよかった。

  • 後半の筆者の主張(「決める」政治への転換こそが必要)はイマイチ納得できなかったが、統治構造の解説はとても勉強になった。初めて政治関係の話題で興味を持てた。
    術語の作り方・章立ての仕方など、参考にしたい。

  • 官僚が力を握り、政治家が力を発揮できない国、日本。

    議会、内閣、首相、政治家、官僚、政党を通じ日本の統治構造を明らかにする。

  • 今まで読んだ新書の中で最も中身が濃かった。一時期、首相公選制が話題になっていたが、その是非はともかく、この本の内容を理解した上で議論に臨むことが国民の責務かも知れない。

  • 著者は、日本政治専攻の先生です。期待の高い本でしたが、残念ながら、面白い本ではありませんでした。テーマは、「議院内閣制」です。日本の首相が指導力を発揮できない理由として、「議院内閣制」であることを指摘する人がいます。飯尾先生は、これは間違いだと指摘しています。「大統領制」は、権力抑制的な制度だと指摘しています。むしろ、「議院内閣制」は、指導者が権力を発揮しやすい制度だと指摘しています。では、「議院内閣制」を採用する日本において、首相が指導力を発揮できないのは何故でしょう。明治憲法下では、首相は閣僚の同輩中の首座であり、閣議は全会一致が原則だった。この制度の下では、首相の各省庁への指導力は限定的にならざる得ない。現憲法では、形式的には、首相の各省庁への指導力を発揮できるようになった。ただし、実質的に、その指導力が発揮されたことはありません。つまり、この問題は、憲法や法律等の「制度」の問題ではなく、それ以外の要素に由来すると考えた方がいいだろう。「正統性」という言葉が、キーワードになる。明治の元勲や原敬には、各省庁への指導力がありました。明治の元勲は明治維新をなしとげたという「正統性」があります。また、原敬は、政党政治を確立したという「正統性」がありました。それに対して、1党優位下の自民党の首相には、「正統性」がありません。自民党が政権を握ることには、「正統性」があります。しかし、首相には、「正統性」がありません。なぜならば、他の自民党の有力政治家と首相を分けるものがないからです。誰が自民党の総裁になっても、首相になれるのですから、これは当然です。

  • 官僚内閣制、世界でもっとも成功した社会主義国家などと揶揄される、日本の統治構造について、その歴史的経緯から解説した本。なかなか難解な言い回しが並んでいるが、概要を理解するためには非常によくまとまっている。

    よく床屋談義においては、日本の政治家や官僚が悪企みをして云々、、といった陰謀論が好まれる傾向にあるが、憎むべきは人ではなくてその構造だろう。現状維持バイアスのかかる官僚機構、ポピュリズムが横行する政治、これらの相矛盾する権力構造が制度疲労を起こし、何の生産性もない調整業務に忙殺されているというのが根本原因なのである。

    そして、三権のうちのもう1つ、司法というほとんど忘れられている権力と、第四の権力と言われるマスコミについても、より統治構造という観点から考察を深めていかなければならない。

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