物語タイの歴史: 微笑みの国の真実 (中公新書 1913)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • / ISBN・EAN: 9784121019134

感想・レビュー・書評

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  • 諸外国との関係のバランスをとって上手いことやってきたというのがタイの歴史のイメージでした。本書を読んだ印象は、実際にそうだとしても、強力な政治力のもとでコントロールしたというより、状況に応じて右往左往しながらやっていたら結果そうなったというものでした。

    政局の話題がメインになっていて、なかなか物語のように読むという感じではありませんでした。それだけタイの政治状況が不安定で複雑だということでしょう。

  • この本の前にベトナムの歴史を呼んだ。
    その繋がりで東南アジアの歴史に興味を持つ。
    カンボジア、ラオス、ビルマ、そしてタイ。

    さてタイという国のことを
    今どれだけ知っているか。
    友達がよくタイに遊びに行ってる。
    日本企業の工場があるだろう。
    欧米のどこかの国の植民地だった?
    う〜ん・・・ほとんど知らないなぁ。

    読んでみての感想。
    欧米諸国の東南アジアへの介入。
    その狭間で独立を保ち
    立憲君主制の国。

    近代でも政治的クーデターがあり
    それを王様が調停する。
    日本では考えられない
    凄いこと起こってるやん。
    2000年代の出来事も
    知ってないことに愕然とする。

    言語、文化、風習の違いで
    民族が存在して、
    その違いで国という住み分けができる。
    その境で争いになる。
    強いものに従われるが
    強権的なのものでなく
    それぞれの村単位で
    どのグループに属するか決定する。
    そのグループが大きくなったり
    小さくなって大きいとこに
    吸収されたり、また別れたり。

    イギリス、フランスの植民地支配の時期に
    上手いことたち周り独立を維持して
    第二次世界大戦時には日本と同盟を
    結んだけども、敗戦国を免れる。
    戦後の冷戦時代には、民主主義を選択し
    中ソに隣接する社会主義の波を
    タイがちょうど緩衝地帯となって食い止めた。
    本の中でも触れられているように
    世渡り上手な外交を展開する。
    官僚や貴族、軍の政治的な争いも
    民衆の声を聞き王様が調停するところは
    なかなか難しいことをやってのけてる。
    日本との関係も深いタイという国の
    歴史を読み解くと当たり前だが現代に
    通じていることを感じる。
    さて次はどこへ行こうか。

  • ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00171772

  • タイの歴史を大まかに知るのに適した本。
    あとがきにもあるように、著者の得意分野である道や鉄道の話がいかされているのが理解を助けてくれて大変よかった。

  • take out:
    ・タイは今のミャンマー、ベトナムと並んで3大国(大マンダラ)を作って争いつつ東南アジア地域を統治してきた。
    ・植民地時代、ミャンマー(イギリス領)とベトナム(フランス領)に挟まれて干渉地帯となり植民地化を免れたというラッキーな面もありつつ、うまく自分の領地を切り離しながら植民地化を防いだという能動的な面もあった。(正確にはマンダラの時は正確な領地の境目はなかったので、領地を切り離しつつ、英仏との境界を明確にすることで自国の領地を確定させた)独立を維持した民族としての誇りも高い自意識がある。
    ・第一次世界大戦では勝利側を見極めてから参戦し、戦勝国の仲間入り。第二次世界大戦では一時枢軸国側に入るも日本に騙された体を作りアメリカの同情を買うことに成功し、敗戦国として扱われずに済んだ。

    感想:
    全体を通して外国の知識人や専門家の活用が得意で、どこかの国に強く荷担せずにバランスを保つということが上手い。(一方もしかしたらそのせいでタイ国内部に卓越した技能を蓄えるということは相対的に疎かになっている可能性あり??)
    ざーっと歴史を理解するには良かったけど、理解しきれなかった印象が残っている。

  • 『物語 タイの歴史』柿崎一郎 中央公論新社 2007.9
    記録:2020.1.24

    タイ国家の勃興
    タイ族は中国南部から盗難アジア大陸部にかけて広く分布していた。
    タイ人の出自は諸説があるが、中国の揚子江以南の地であるのが一般的な説だ。
    漢民族やベトナム族の圧迫で移動してきた考えもある。
    6~7世紀ごろから本格的に移動した。

    タイ族の独特のくに「ムアン」。
    南詔王国8世紀半ば~10世紀。タイ族最初の王国とされたが実際の支配はチベット・ビルマ族のロロ族が支配していた。
    タイ族は被支配族として暮らしていたと考えられる。

    タイ領の最初の国はドゥヴァ―ラヴァティー。
    7~11世紀のモン族の国家。中心地はナコーンパトムの説が一般的。
    タイ領に関わる国家にシュリーヴィジャヤ・真臘(しんろう)・クメールなどがある。

    タイ人による最初の国はスコータイ王国(1240~1438)
    その3代目王のラームカムヘーン王が有名。
    この王を称える1292年に作られたタイ語で書かれた最古の碑文。ラームカムヘーン碑文。
    ラームカムヘーンは上座部仏教を国教とした。
    現在のタイ社会の文化の源泉。
    スコータイ朝はアユッタヤー朝の攻撃で9代で滅んだ。

    スコータイ朝を併合したアユッタヤー朝(1351~1767)
    ビルマのタウングー朝(1351~1767)に1度目の属国となる。
    属国から脱げだすのに5年かかった。独立を宣言したのは人質として連れてこられた王子のナレースアン。

    後期アユッタヤー朝が始まる。1584年
    タイの3大王はナレースアン・ラームカムヘーン・19世紀のチュラロンコーン。
    ちなみにナレースアンはムエタイの創始者。

    アユッタヤーの人口はタイ人よりも外国人が多かった。
    有能な外国人はタイの官史にも登用された。

    その代表例は日本字だと山田長政。彼は沼津藩主の駕籠をかつぐ人夫だったが、1612年に朱印船に乗ってアユッタヤーへ。
    日本人町で日本人向けの鹿皮などを買い付ける商人のビジネスで成功した。
    日本人義勇の体調にもなり、当時のソンタム王からの信頼を得る。最高の官位も獲得した。
    山田はソンタム王の死後、王位継承争いに巻き込まれて、プラーサートーンの疑心暗鬼から毒殺される。
    山田の活躍はww2前になると南進政策を正当化させるためのプロパガンダとして教科書でも扱われた。

    プラ―サートーン王にとって日本は鎖国されているので重要性は低下した。
    代わりにオランダの東インド会社と関係を深めた。
    アユッタヤーはビルマに2度目の征服を受けて今度こそ400年続いた王国は終わる。

    ラッタナコーシン朝により再び大マンダラを復活させたタイだが、ヨーロッパとの関係は冷え込んでいた。

    チュラロンコーン王。1868年のモンクット王の死去で王位を継ぐ。
    1871年にインドやシンガポールの植民地政策を見てタイの近代化の必要を痛感する。
    近代化の遂行の多くのお雇い外国人を集めた。

    日本人もいた。政尾藤吉という法律学者は刑法を担当した。
    ww1でタイは自国の存在感を示すことにした。戦勝国の仲間入りをして不平等条約を改正したかった。
    連合国側に就いて兵士をヨーロッパ戦線に送り、実際の活躍は少ないが戦勝国の座を手にした。
    このときの宣戦の際にワチラーウット王は現在の国旗を定めた。

    日本軍の進軍 1941.12.8
    マレー半島とバンコク南方から上陸してきた日本とタイ軍の戦闘がおこりタイ人183人・日本軍141人の戦死者が出た。
    12.11に日本とタイで軍事協定を結んだ。
    日本との同盟をチャンスにタイはビルマへの進軍を行う。大タイ主義の実現を目指す。

    国際交通路として日本軍はタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道を建設。1942.6から翌年10月に完成。ノーンプラーントゥック⇔タンビューザヤ 415キロ
    多くの捕虜の犠牲を出して「死の鉄道」と呼ばれる。

    日本の敗戦が決まるとタイは宣戦布告無効宣言を出した。タイが短期間で敗戦国を抜けたのは親日・新連合国の二重外交のうまさ。
    アメリカを味方につけた。

    『メナムの残照』作家トムヤンティ原作の恋愛もの。日本兵の小堀とタイ政府高官の娘アンスマリンの関係が描かれる。
    何度も映像化されている。フィクションだが背景の設定はリアル。タイで一番有名な日本人はコボリだと柿崎は感じている。

    2001年のタックシン政権。中国系タイ人。
    タイの主要輸出品の一つがエナジードリンク。レッドブルも同じ。

    先進国になりにつれて周辺国との摩擦も増える。
    2003年にはタイ人女優のアンコールワットはかつてはタイのものというデマが広がりカンボジアで大使館やホテルが襲撃を受けた。

    タイから昔の国名シャムへの国名改称論がある。
    2007年の新憲法の議論で主張が出されるようになった。賛同者はわずかしかいない。
    シャムはタイ人の文化・民族的多様性を含める言葉だが、大タイ主義を唱えるピブーンが民族名であるタイに変更した。
    シャムには中国人やマレー人・クメール人がいるのにタイが強調されて対立構造が生まれる。



    3大王のラームカムヘーン・ナレースアン・チュラロンコーン
    ラームカムヘーンはスコータイ王国の3代目。上座部仏教を国教とした。最古のタイ語の碑文では彼を称えている。
    ナレースアンはスコータイを征服したアユッタヤー朝の王。ビルマに征服されて人質となるが独立宣言を出してアユッタヤーを復活させる。
    ムエタイの創始者。アユッタヤーはビルマの2度目の征服で400年の歴史が終わる。この時代には山田長政が商人として活躍した。
    チュラロンコーンは周辺国の植民地化に刺激されて近代化を進めた。

    ww1では有利な連合国側についてヨーロッパに派兵して戦勝国の仲間入りを果たした。
    ww2でも日本の同盟となり大タイ主義の実現を目指してビルマに進軍。
    敗戦国となるが宣戦布告無効宣言でアメリカを味方につける。

  • P23まで

  • タイ史概説。その通史を紐解くと、近世から近代までの王朝から近代国家への転換、戦後から現在までは開発途上国からの脱却と、タイが国民国家へ進化する典型パターンの優等例である事が分かる。水運と農作物に恵まれた国土、偶々緩衝的地帯に位置した地理、統治と経済のノウハウを持った華人が「タイ化」して根を張った事などが、今日東南アジア地域のリーダー的存在としてのタイを作り上げており、その過程が手際よく纏められている。本書執筆から10年以上が経ち、依然、軍が力を持つ途上国的要素がある状況ながら、それでも平和に上手くやっている国民性は、風土の賜物のようにも感じられるが、その気質は恒常的なものなのかどうか。絶対的存在だった国王が代替わりした今、今後10年の動きが気にかかるところ。

  • [評価]
    ★★★★☆ 星4つ

    [感想]
    タイと言えば、第二次大戦中も独立を保持し、現代においては東南アジアを代表する国ぐらいの認識だった。
    この本を読むと周辺諸国と様々な交流を重ねながら現代まで続いているのだということがよくわかった。また、クーデータが非常に多いが、それにより騒乱状態にならないという不思議な国だなと強く感じた。
    一方で国民も政府も王族を尊重しているという部分では日本の皇室尊重と酷似しているのかもしれないね。

  • とりあえず大雑把に通史を知りたく手に取りました。歴史の長い国なんですね、知らなかった。
    首相、王様、軍で政治バランスをとっている、その過程が興味深かったです。日本もこんなに関わっているのか。
    山田長政のことも知らなかったので勉強になりました。

  •  全くタイに触れたことのない人にはハードルが高いと思うが、一定タイに住んで、タイ人と触れ合った上で読むと、周辺国への意識の背景など気づくところが多いのでは。

  • タイの子どもたちが学校で学ぶような教科書的なタイの歴史を中心に、周辺地域との関係やタイ公式の歴史への批判を加えている。
    父の転勤で中学生時代をタイで過ごし、交通に詳しい著者ならではの描写があり、また、近代以降は世界大戦での立ち回りなどがわかりやすい。タイ王室についても詳しく書かれている。

  • 新書で読めるタイの通史。
    プミポン国王が亡くなって、これからどうなっていくのだろうか…

  • 「微笑の国の真実」というサブタイトル。しかし、19世紀以降、西欧諸国が東南アジアに進出してきたあたりからの「世渡り上手な国」の実情を知ると、「ほくそ笑み」の国と呼ぶ方が相応しいように思えてくる。タイの歴史の主なポイントは次のとおり。
    1.中国の揚子江以南(四川から雲南)に出自を持つタイ族は11~12世紀頃、漢民族の居住域の拡大により南下・西進。チャオプラヤー川の流域に大ムアン(くに)を形成する。
    2.アンコール朝(クメール族)が支配していたヨム河畔のスコータイをタイ族が奪う。こうして生まれたスコータイ朝(1240年頃~1438年)は、初めて現在のタイ領をほぼ支配下に置いたマンダラ型国家となった。
    3.アユタヤ国(1351-1767年)は、アンコール国(クメール王朝)を滅ぼし(1431年)、スコータイ朝を服属させ(1438年)、アユタヤ朝(1438~1767年)となる。位階田制を整備し中央集権化に努める一方、ビルマとの間で熾烈な攻防を繰り返す。1569-84年、ビルマの属国となるが、ナレースワン王により独立を回復。
    アユタヤは港市としても繁栄し、日本人町も形成され、有能な外国人は官吏にも登用する。1612年に長崎商館を介して、朱印船で長崎から渡っ山田長政はその一人。アユタヤは1767年、コウバウン国(現ミャンマー)の攻撃を受け滅亡。
    4. コンバウン軍が退却した後タークシンは、アユタヤの再興を諦めトンブリーへ遷都。トンブリ―朝(1767~82年)を築く。バンコクを都とし、ベトナムと勢力争いを繰り返す。タークシンと同じ潮州(ちょうしゅう:広東省東部、多くの華僑を出す)系中国人商人の活動が活性化する。
    5.アユタヤ王家の血を引くラーマ1世は、アユタヤをバンコクの地に復活させようと、トンブリー朝の対岸に、現在のラッタナコーシン朝(別名チャクリー朝。1782~)を築く。
    6.19世紀には英仏による周辺諸国の植民地化という状況下で、モンクット王(ラーマ4世)は1855年にイギリスと不平等条約を強制され、王室独占貿易は崩壊。領土も「割譲」された(1909年に現在の領域が確定)。一方、タイの関税収入の増加のため代表的輸出品として位置づけたのがコメ。現在もコメの輸出量では、タイは世界1・2位である。
    7.インドシナ半島の東部(ベトナム)をフランスが、西部(ビルマ)をイギリスが植民地化。両国の衝突を避けるため1896年、両国はタイのチャオプラヤー川流域を「緩衝地帯」とした(英仏宣言)。タイは日本と並びアジアで唯一植民地にされなかった国となる。チュラロンコン王(ラーマ5世)は英仏の緩衝国として独立を維持するだけでなく、積極的に上からの近代化政策=チャクリー改革を推進し、鉄道による領域統合を進めた。
    8.第一次世界大戦が勃発すると、タイは洞ヶ峠を決め込む。戦勝国となって列強との不平等条約を改正するためである。1917年4月のアメリカ参戦により、連合国側での参戦を決める。
    9.1932年の絶対君主制から立憲君主制への革命が起きる。以後、頻繁に軍事クーデタが生じる。
    10.ピブーン首相が「大タイ主義」を掲げ、国名をシャムからタイに変更。第二次世界大戦も当初は中立を決め込み、日本と不即不離の関係を保ちながら失地回復を目論む。1942年1月に枢軸国側として連合国側に宣戦布告。しかし、宣戦布告に必要な3人の摂政の内1名が不在として、1945年8月16日に宣戦布告無効宣言を行う。
    11.米国との協調により国際社会に復帰し、米輸出により復興する。
    12.1949年の中華人民共和国の成立やベトナムの共産化の中で、反共を前面に出す。親米開発独裁政権(サリット・タノーム両政権)の下、外資導入型工業化を目指し、反共の地域協力機構ASEANを結成。これらは成功の一方で徐々に格差是正・民主化運動を活発化させてしまう。
    13.2005年の総選挙に圧勝したタックシンは、世界的なグローバル化に伴う自由化、規制緩和の潮流の中、「世界の台所」「アジアのデトロイト」などのキャッチフレーズを掲げ、国際競争力を高めようとする。しかし権威主義に起因する諸問題の発生と「売夢政策」に対する国民的不信から、2006年9月に軍によるクーデタが起き、政権が崩壊する。

    タイは「微笑の国」と呼ばれるが、東南アジアの社会では、笑いによって様々なコミュニケーションがとられている。人間関係が全てに優先するタイは、実は日本人と共通する点が多い(橘令「日本人」pp.18-32)。

  • クメールが最初は大国を築いていて、タイはその後。
    スコータイ誕生。
    北部チェンマイは、タイの主軸にはならず、北部の国としてその前からある。
    スコータイをアユッタヤーが呑み込み、さらにバンコクへ。インドシナ半島全域の巨大国家。
    いつしかカンボジアのクメールは滅び、二度ほどタイを征服した強敵ビルマも後にはイギリスの属国に。東はイギリス、西は後からフランスがベトナム、ラオス、カンボジアを吸収し、植民地の時代に。フランスが押してくるが、土地はガンガン譲渡し絶対戦わない。ギリギリで英仏の緩衝地帯として残る。
    そのうち第一次世界大戦。終戦近くに参戦し、ちゃっかり戦勝国。
    その後の国内は、おもしろいほど各国と同じ流れをもつ。ナショナリズムの高揚、共産化との戦い、第二次世界大戦。
    日本軍がタイを要所として進軍するも、通す。しかし、同盟はしない。逆らえずに、、、という言い分で加担しない政策。慎重。そのため、戦後は敗戦国とはなるが軽いもので済む。
    戦後は、東南アジアの共産化に対抗する最後の砦として、西欧諸国のパートナーに。
    総じて見ると、絶対に損をしない外交ができる国と言える。軽率な決定はしないし、パートナーは戦局がもつ限り考えて慎重に決める。

  • 2016/10/13 かねてより高齢・体調不良で心配されていたプミポン国王が亡くなった。カリスマ的な国王が亡くなった事での政治的混乱が心配されていたが今のところ平静を保っている。しかし2013年から続く軍事政権の民政への移行の遅れも取りざたされている。

    というわけでタイと言えば、微笑みの国、ムエタイ、観光・遺跡、マッサージ、歓楽街、"親日"的、山田長政、日本への不法入国者などなど良くも悪くも色々なイメージが付きまとうが、ちゃんと歴史を勉強したことがなかったので、本書を手に取ってみた。

    列強の植民地時代・2回の世界大戦を乗り切った「世渡り上手」な外交は、一方的な「親日国」のイメージとは全く異なる。「失地」回復の野心(大タイ主義)と日本の野心とがあくまで合致した結果。

    またこの東南アジア地域で見るとタイは今も昔も大国・経済的先進国であり、周辺国との軋轢は日本と周辺アジアとの軋轢を想起させる。

    もう少しタイの近現代史や経済開発の歴史を読んでみたいと思った

  •  国王をはじめとするタイの王室は、タイ国民から深く敬愛されているが、これは「新しい伝統」であると言えよう。(中略)国王一家は頻繁に地方行幸を行い。国民の辛苦を見てまわった。国王自身も僻地の地域開発に大きな関心を示し、自らの博学を活かして具体的な施策を低減することもあった。この精力的な地方行幸が、国民と国王や王室との距離を縮め、国民の敬愛度を深めることになった。(中略)この「伝統」は、幼い頃から国王とともに各地を巡幸してきた皇太子や王女にも引き継がれている。現在でも夜八時からは各局とも王室関係のニュースを流しており、その日の王族の公務状況が報道されている。(pp.98-100)

     タイの第一次世界大戦への参戦は、「世渡り上手」な国タイの外交姿勢が現れた典型例である。すなわち、そこには「危ない橋は渡らない」「最小の負担で最大の利益を得る」という発想が存在した。(p.140)

     タイの首都バンコクは東南アジアでも有数のメガシティーへと成長した。バンコクを訪れる人は誰でも、多数の高層ビルが立ち並び、高速道路や都市鉄道が延びる近代都市の姿と、その狭間に残された伝統的な寺院や住居に囲まれた低層の空間のコントラストを目の当たりにするであろう。現在のバンコクは一面では東京やニューヨークなど他のメガシティーと同じ様相を持ち、伝統的な景観は徐々に薄れつつあるものの、市場や繁華街の独特の「活気」は依然として健在である。

  • タイを含めインドシナの国々へ、いつか行ってみたくて、
    その成り立ちや構造の仕組みを理解する一助とすべく。

    外国との関わり合いのなかでうまく立ち回ってきた、アジアの優等生、という著者の評価は、
    たしかにあの笑顔のタイ人たちに、とてもよく当てはまる言葉だと感じさせます。
    カンボジアやミャンマー、ラオス、マレーシアとの違いはどこにあるのか、といえば
    それらの歴史に根ざしたアイデンティティにもないことはないのかも、と思いました。

    また、先進国の中に名を連ね、近隣諸国や西欧各国との関係性を見直すべき地点に立っている、という点で、
    日本との共通点が見出せます。

  • 物語シリーズ面白い。身近なアジア諸国に行くときに読んでおきたいものね

  • タイの歴史を学ぶことはメコン流域の歴史を知ることだな、と思った。当該地域全般がよくわかる。特に、列強諸国の取扱い方(つまり外交)にたけた様子も理解した。
    鉄道等(国際)インフラについて記述も詳しい。

  • タイの通史が分かりやすくまとめられており、世渡り上手に立ち回って独立を維持してきた歴史を描いている。高校の世界史だと東南アジア史はほとんどやらないから、ありがたい一冊。タクシン政権の崩壊までしかカバーしていないが、現在の情勢を理解する一助になる。

  • タイの歴史を概観できる良書。登場人物の名前や地名がなかなか覚えられなくて読むのに苦労した。たびたびクーデターが起こり政情不安定な印象だが、それも民意の現れと見ることもできる。それぞれの国でそれぞれの歴史を踏まえてそれぞれの今がある。歴史を学ぶことは面白い。

  • タイがインドシナで先進国となったことは、タイからの人、物、金が周辺諸国に大量に流れ込むことを意味した。1960年代の日本のようなもの。
    優等生タイの出現の背景には世渡り上手なタイの姿が存在している。

  • そのなのとおり、タイの歴史を物語を読むが如くざっとしることができる。
    好きだけど殆ど知らなかったタイの歴史。
    スコータイ、アユタヤ、シャム。時代によってヒーローがいるところが気になった。
    近代ではあるが、外交が巧みであることに驚いた。大国とは呼べないかもしれないが、大国との付き合い方がうまい。
    また、温厚な国だと思っていたがしょっちゅうクーデーターが起きていてもはや笑える。

    うらやましいなと思ったのが下記の内容。

    農村地区は貧しいので都会や国外にでていった子供の仕送りに頼る。だけど、その子供が仕事に失敗してもそこに戻ればいい。なぜならば、米が豊かにできるので貧しいかもしれないが食べることには困らない。農村がセーフティネットになっている。

  • 「物語~の歴史」シリーズ初の東南アジア本。

    何となく「西側諸国所属の東南アジアの優等生」のようなイメージがあったタイだったが、最近のタクシン・反タクシン派の争いや、クーデタのニュースを見るにつけ、実際のところどんな国何だろう、と興味を持って読んでみた。

    読んでみると、近代以降、想像していた以上に波乱万丈の歴史を持ちながら、大国間でのバランスを保ち、一方では国民国家の確立を目指しながら、他方では経済成長も目指すという要領の良い一面が垣間見えた気がする。

    その一方で、選挙の度に頻発するクーデタと、未だ憲法すら作っては捨ててを繰り返している(!)という、優等生とは到底言えない側面にも少なからず驚かされた。

    しかし、この波乱万丈の歴史を乗り越えながら、しっかりちゃっかり成長を遂げているこの国と国民のたくましさはなかなか学ぶところが多いなとも思わされた。

    そんな感じで学ぶところが多く、期待していた以上に面白い本だと思いました。

  • 夏休みのタイ旅行を楽しむために購読。タイの歴史がよくまとめられた良著。でもタイ人の名前が全然憶えられなくて僕の理解は今ひとつ。

  • 物語、というには物足りないけど、通史は学べる。
    近代史は分かりやすいが、古代王朝は教科書的で面白くはない。残念。

  • タイの通史。インドシナ半島とのかかわりにも触れつつ、近代、現代の比重高く、帝国主義列強からの侵略危機をしのぎ、先の大戦での枢軸・連合への綱渡りを演じた様子に初めてふれることができた。クーデターによる政変は時に国際的なニュースになるが、それもまた歴史的な背景あってのことなのだと納得。

  • [ 内容 ]
    日本と同時期に近代化を歩みはじめ、東南アジアで唯一独立を守ったタイ。
    時代に翻弄されながら生き残ったタイ民族一〇〇〇年の興亡史。

    [ 目次 ]


    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

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著者プロフィール

横浜市立大学国際教養学部教授
1971年生まれ。1999年,東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了。横浜市立大学国際文化学部専任講師,同助教授,同国際総合科学部准教授,同教授を経て,2019年より現職。博士(学術)。第17回大平正芳記念賞(『タイ経済と鉄道 1885~1935年』),第2回鉄道史学会住田奨励賞(『鉄道と道路の政治経済学 タイの交通政策と商品流通1935~1975年』),第40回交通図書賞(『都市交通のポリティクス バンコク1886~2012年』),第30回大同生命地域研究奨励賞を受賞。

「2022年 『草の根の日タイ同盟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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