- Amazon.co.jp ・本 (242ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121019660
感想・レビュー・書評
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ふむ
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この題名から想像していた内容と違っていました。でも、読んでてストレスなかったので、いい本だと思います。
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昨日は市ヶ谷の法政大学国際日本学研究所で、同大教授の王敏(ワン・ミン)さんを取材。
王教授の著書『日本と中国――相互誤解の構造』(中公新書)、『美しい日本の心』(三和書籍)を読んで臨む。
2冊のうち、『日本と中国』がとくに面白かった。
「相互誤解の構造」という副題から、ゴリゴリに政治的な内容を連想されるかもしれないが、そうではない。肩のこらない日中比較文化論であり、日中の文化的差異を示す例として取り上げられる事柄も、文学や言葉から映画、テレビドラマ、アニメ、マンガなど幅広い。
たとえば、花を一輪挿しで飾る習慣は日本独特のもので、それは日本文化の「侘び・寂び」の精神に由来する、などという指摘は興味深い。
また、日本人の手紙には必ずといってよいほど季節についての記述があるが、中国人の手紙にはほとんどない、という話も面白い。
とはいえ、昔の漢詩には季節をめぐる秀逸な表現が山ほどあるわけだから、中国文化が季節感に乏しいというわけではない。そのことは本書でも指摘されている。
「日中比較文化エッセイ」のたぐいは多いが、その中には、ちょっと中国で暮らしたことがある程度の日本人が書いたものなど、ずいぶんいいかげんなものもあるように思う。
対照的に、王教授は大学院までを中国で暮らし、その後は日本で30年以上にわたって日本文化を研究してきた方なのだから、教養も経験も段違いなのだ。
読みごたえある、本格派の日中比較文化論。 -
【目次】
はじめに [i-iv]
目次 [v-ix]
第一章 漢字と国字――「漢字文化」体験から教えられるもの 001
1 漢字を楽しむ文化 001
(1) 今年の漢字 005
(2) 人名用漢字 006
2 「同文同種」の疑問 009
3 国字を創らせた日本文化の独自性 015
4 戦前の中国人留学生と翻訳革命 022
5 「仮名」文化と漢字文化 028
6 「詫び」「寂び」にぴったりの外国語は 038
7 一輪挿しの啓発 041
第二章 謝罪もマニュアル必要――「寛容文化」体験から教えられるもの 045
1 犯人に「ありがとう」と感謝した警察側 045
(1) 事件を反省する周囲の言葉 050
(2) 慈愛を生み続ける源流 056
(3) 『白い巨塔』の中国ブーム 063
(4) 仏教隆盛の道 066
2 何を詫びるかが問題 073
(1) 世間を騒がしたことを真っ先に詫びる日本 073
(2) 謝罪と謝意のずれ 082
(3) 自己の、自己による、自己のための謝罪 089
第三章 「話せばわかる」のか――表現形式から教えられるもの 097
1 大事なことほど以心伝心ですます文化 097
2 おとなしい修飾表現の日本語 104
3 日本語と中国語を比べれば 111
(1) 修飾系の言葉の特徴 111
(2) 婉曲な表現 113
4 憤りも悲しみも喜びも無言 117
第四章 言葉にも季節がある――自然体験から教えられるもの 126
1 季語との出会い 126
(1) 俳句の越境 126
(2) 日本語で詩を書き続けた中国人 132
2 自然への気配り 136
(1) 人格化されていない自然 136
(2) 毛沢東の詩に見る自然 141
3 季節の習慣化と魯迅の手紙 145
4 古代にさかのぼるほど、中国でも「季語」意識 150
5 自然に求める生命観・感性が本性の日本文化 156
(1) 森に秘める 156
(2) 感性と論理的表現のジレンマ 163
第五章 未完成の課題――日本研究の先駆者に教えられるもの 167
1 中国人先駆者の提言 167
(1) 「同文同種」の落とし穴 167
(2) 儒教的価値観から日本を見た王之春 170
(3) 日本の百科全書を著した黄遵憲 173
(4) 儒教観を脱却した二人 177
(5) 日中異文化認識が薄い要因 183
2 代表的な三つの模索 187
(1) 比較文化の教材『武士道』 187
(2) 日本文化の二重性と『日本人』『菊と刀』 191
(3) 生きとしいける「物」と「者」の発信 197
①共有される生命―日本文化の普遍性
②和魂と漢才・洋才―日本文化の混合性
③宮沢賢治研究の再認識
注 [210-233]
おわりに 私の視点(二〇〇八年九月一日 王 敏) [234-242]
1 体験文化の日本 234
2 日中比較文化の勧め 237
(1) 時間的縦軸と空間的横軸を組み合わせる視点
(2) 日中も「異文化」として認め合う視点
(3) 日中の文化関係を考える視点
(4) 平和発信としての文化力を再認識させる視点
(5) 双方向の「克服」と「開放」を目指す視点 -
書評
―日本と中国 相互誤解の構造について
日本語と中国語はほぼ漢字を使用し、発音が違っても、同じ単語を共通の意味で用いる場合が多くあることから、中国人の多くは日本語が難しくないと思い込んでいる。しかし、日本語のできる人が多いが、日本語に共通人が少ないのが現状である。現在、グローバル化の影響で、日中の繋がりが盛んになり、両国の交流が進み、相互理解は深まっているように見えるが、「同文同種」の底にあるのは実は相互誤解ではないか。
明治維新以降中国文化を理解しない日本人と常に中国文化亜種として見て日本文化を理解しない中国人との狭間にあって、日中交流を模索する苦慮が伝わってくる。また、思想の偏見によらず、豊富な文献をもって客観的公正に日本を捉えようとしている姿勢に好感が持てる。この著書の大きなテーマは、日本文化と中国文化を「同文同種」として、捉えず、互いに異なるという理解を持つことが大事と説いている点である。しかし、本書の文化比較を読んでみると「日本と中国が文化的相違を尊重しあうことはあまりにも大きな困難がある」という感想があった。おそらく現在の日本人も中国人も、この困難を克服する努力をしている。
本書では、「中国社会は謝罪重視の文化、日本社会は謝意重視の文化」「中国文化は儒教的価値観によって理念を大切にする性格を持ち、日本文化は感性的な要素が強い」などの指摘に納得させられる。中国では、反省を明確にするため、何回でもお詫びの内容を繰り返し、その繰り返す姿勢が誠実と見なされる。謝罪行為を恥とは思わず、間違いを謝罪する行為はむしろ評価され、信用は高まる。中国人にとって、謝罪はサバイバル社会を生き抜く不可欠な知恵で、伝承され、古典にも謝罪マニュアルが掲載されている。また、中国の諺だと「三人寄れば、文殊の知恵」で凡人も三名集まり、協力すれば、よい知恵が生まれる。文化の違いのため、誤解されることは当然である。本書は、中国人研究者による日本という異文化理解のプロセスを通して、結果的に、中国の異文化性や他者性を日本人が理解するための手がかりを提供しているともいえる。よみ進めるうちに、なぜこの人はこのように考えたかという疑問がいくつも浮かび、評者は無意識のうちに読み方を切り替えていた。また、物事の是非や論理、言葉で説明することを重視する中国社会では、主体や因果関係を明確にし、徹底的に糾弾する「謝罪重視文化」だが、日本社会は主体や責任関係を曖昧にし、謝意ばかりを表す「謝意重視文化」だとする。
日本文化は多面的な多様性のある混成文化で、異質な文化の受容れに柔軟である。就職後、職場でどのように日本人と同じような姿勢を持つか、この本を読んだうえ、理解してみよう。 -
中央図書館:
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両国の文化、感性を知る著者なればこその書。
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感想未記入
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第1週 1/11(水)~1/18(火)
テーマ「日本・日本人・日本語」
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