無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉 (中公新書)

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著者 : 堤清二 三浦展
  • 中央公論新社 (2009年7月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121020130

無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉 (中公新書)の感想・レビュー・書評

  • 三浦さんとセゾングループ総帥だった方の対談。さくさくと読める。無印を生み出した背景とか、オルタナティブなものを目指そうとしたとか、ものすごく興味深い対談。堤さんは一昨年(2013年)に亡くなっているようなので、本当に晩年の対談だったのだなと、しみじみ。

  • 「これから、ポジティブな意味で無印な地方が再評価されるだろう。たいしたものはない、都会にあるものはない、しかしそれて暮らせる、これでいい、十分だという価値観を持った地方が再評価されるのではないか。」p.78

  • 地元の駅ビルで購入する。正直、期待はずれでした。対話が成立していないのです。両者が、一方的に持論を述べるだけです。何故、こんな対談になってしまったのでしょう。理由は簡単です。三浦さんが企画を練っていないからです。堤さんには、語るべき経験、知性があります。ただし、対談の相手がしっかりしていないと、同じことを繰り返します。また、対談相手に、無意味に迎合します。それを防ぐには、事前に、綿密なシナリオを組むことです。上野先生は、綿密なシナリオを組んで、対談に臨みました。それに対して、三浦さんはアドリブです。これでは、何も出てきません。イオンの問題は、どうも誤解があるような気がします。イオンは、商店街を滅ぼしたかもしれません。同時に、イオンがなければ、その町は滅びたでしょう。イオンすらない町に、若者は住みません。そんな気がします。

  • セゾングループの二人なのでノスタルジー対談かな?と思ったが、さまざまな未来提言を含めた読み応えのある内容であった。

  • 西武、パルコで20世紀末の消費文化を牽引した、
    提清二氏との対談。
    この人はやはり凄い。
    百貨店に代表される大量消費型のビジネスの終焉を
    冷静に眺めているような印象を受けた。
    次に来るのはもう、右肩上がりを前提としない
    静かな、しかし豊かな消費社会ではないか。

    それは日本でこそ始めやすいように思う。

    アメリカではないな、やっぱり。

  • ここのところリンク読みしているセゾン文化もの。今更ながら、堤清二という存在の「深さ」と「軽さ」に興味津々なのです。そういう意味で、本書は辻井喬名で書かれているものに比べ、自己批評性が薄く感じられました。やはり、セゾングループの総帥、堤清二とグループ企業、アクロスの編集者であった三浦展との組み合わせが、ちょっとタテの関係過ぎたのかなぁ…語られている内容はTPP問題で待ったなしになった論点の先駆けていたりして十分、刺激的なのですが、なんか全体としては、モヤッとした感じで…サブタイトルに「20世紀消費社会の終焉」とあるのですが、そう!なんか「20世紀消費社会」のお通夜で交わされる会話みたいに感じました。

  • 三浦展氏の著作は目を覆いたくなるくらい、基礎知識の不足とデータの意図的な引用が多い。

    でも、この本ではインタビュアーとして、堤氏と視点が共有されており、非常に読みやすい。

    安易な若者批判がなければ、非常に面白い本。でも、三浦展氏がそれを生業としている以上、切っても切り離せないわけで、この本でも安易な批判に逃げており、残念。

  • 色々と言われていましたが、堤清二のある一面が良く分かる本。
    消費を是とするアメリカ文化、その影響を大きく受けた世代のしがらみと、それに対するアンチテーゼ。消費を礼賛しない。ブランド信仰しない。肩の力を抜いて、「こんなもんでいいでしょう。」という生活スタイルを提案した無印。
    三浦氏言うところのファスト風土化する日本は、今後どっちに向くべきなのか。
    画一化と多様性とを対比すると、概して多様性に共感する意見が多いが、一面、多様性とはどこに居ても何でも手に入り、広がりを基本とした形態だが、そこではローカリティがどんどん希薄になっていく。反対に、ある意味排他的な画一性こそがローカリティの基礎になるのではないか。

  • 面白かった。堤を知るほどこの人の目指した戦後日本の理想を知りたくなる。セゾン崩壊以降の社会はある種の文化空洞化って感じるのは俺世代くらいで終了してると思うけど。

  • 「「あれがいい」、「これがいい」、「みんな欲しい」、という物欲主義から、「これでいい」、「これで十分だ」、という無印良品的価値観に急速に変わっていきそうな予感がします」(P11)
    「二〇万円の自転車のもたらす満足感の方が、二〇〇万円の車のもたらす「どうでもいい感」よりも、はるかにハッピーだということです」(P12)
    「先進国が新たな巨大市場を求めて民主化を進めさせようとしているだけじゃないか」(P55)
    「さまざまな市井の人々の愛着の積み重ねが、シチズンシップなんだろうと思います」(P62)
    「東京の都市構造の中に埋め込まれた階級性を無邪気に珍しがっている箇所が『東京から考える』の中にあって、唖然とします」「フィールドワークなしに日本を語っても、それは抽象化された日本にすぎないではないか」(P65)
    「日本の零細小売こそ、ヨーロッパの専門小売店ですから、そういうところにこそ、個性が息づくはずなんです」「個性の集合としてのローカリティ」(P76)
    「日本のカメラはみんな1/2000くらいまでついてるけど、これはむだなんだよ」(P94-95)
    「銀座や新宿の飲み屋で一番嫌われている男はどういう男だと思いますか。これが、日本青年会議所、JCの男」(P128)
    「日本人はGDPの割に生活満足度がすごく低い」(P132)
    「ほかの土地の暮らしを真似しなければ、地域の多様性は出ます」「じつは国民の六割ぐらいは、多様性を求めていないような気もするんです」(P149)

  • ○日本の経営者に対する堤清二からの苦言。単に雇用調整という言葉で片付けるのではなく、その言葉の背後に現実の人間がいることを知っている昭和時代の経営者の視点。「仕方ない」で済ませない姿勢の大事さとも言える。

    「基本的人権のかなりの部分を占める労働権という問題については、世界中にコンセンサスがあるから。ヨーロッパはもちろんのこと、アメリカにもある。労働権を守るということについては、社会的な存在理由が成立している。日本の財界人は、労働権を本質的には認めていないと言っていい。ましてや、スト権など認めていない。それは労働者のわがままだ、と考える。経営者の意識構造が前近代のままであるところに、アメリカ的金融資本主義の崩壊が、襲ってきてしまった。その結果、日本の財界、保守的政界のものの見方は、近代を通過しないまま元に戻る。「臨時雇用社員は辞めさせればいい。正規社員は別だけれども、会社あってのも物種だ」という考えに、簡単に走ってしまって、労働権やストライキ権など全く眼中にない。
     いま始まっている世界恐慌的な変化の中で、日本の場合は、経営者の意識が、明治の時代に戻ってしまっているのではないでしょうか。意識が戻るなら、年功序列や終身雇用も同時に出てくればまだ救いがある。ところがこれらは落として、強圧的な労働者対応という意識だけが戻っている。これでは、日本の経済が持たないのではないか。経営者に会えば会うほど、そういう危機感が強くなります。」22p

  • 下流社会の三浦さんとセゾンの堤さんの対談本。
    「無印」とタイトルについているけど、無印良品の話は一部で、無印的な物が評価される現状の若者の消費行動についての本。
    確か、若年層の消費行動系の本でのAmazonリコメンドだったと思う。

    全編を通して、「これまでの消費スタイルは、全国が画一的に私有物を増加させるというものだったが、もの余りになっている中、もっと消費に多様性を持たせましょう。」という内容を、文化的なものから発生しつつ、堤さんはマーケティングの観点で、三浦さんは比較文化論的な観点で述べている。

    多様性に関する認知で良いなと思ったのが、「本質的な多様性は、表現の多様性ではなく、認識そのものの多様性であるはず。」という部分。
    多様性はポジティブな文脈での使用が最近は多いけど、多様性を持っているのは認知である事は強く意識したい。

    三浦さんは、下流社会からの意識か「男性の方が、(特に低年収層で)男女の平等意識が進んでいる」と述べており、婚活に関しては男性側にアドバンテージを与える施策を提案。
    とはいえ、「社会の分化を経済的な側面からだけでなく、文化的な側面からも見ていく事で、「下流であり下層でない社会」が見えてくる。」とも述べているので、施策は経済的な物のみをイメージしていらっしゃるのでしょうか。

    後、堤さんはなんとも無しに「掲載数の波はあるでしょうが、人口が減っていく中で『3年』以上伸びる事は無い」って名言していらっしゃるけれども、一流の経営者のこういう感覚こそ盗みたいと思う。

  • 現在の消費行動に関する、三浦氏とセゾンの堤氏の対談。
    内容は戦後からのアメリカ消費文化と日本の変遷を背景とした移り変わりを背景として消費者の意識がどう変わり、さらに商品・サービスがどのように変化したかを語っている。
    歴史的な背景はうなづける点が多く、おそらく三浦氏の多岐にわたるデータを基にした議論なのだと思うが、体制・反体制で語ることが多く、どちらかというと視点が上からであり、生活者の視線での理解が薄く、ステレオタイプな印象で、物足りない印象。
    う~ん、、、、なんか後味悪い本。
    なんか他の方の評価、★多いなぁ。。。

  • [ 内容 ]
    T型フォードの発売からリーマン・ショックまで一〇〇年。
    自動車の世紀だった二〇世紀が終わり、消費文化は大きな曲がり角を迎えている。
    大流通グループ「セゾン」を牽引し、無印良品を生み出した堤と、地域の文化の衰退を憂慮する三浦が、消費の未来、日本の将来を語る。
    「これがいい」ではなく、「これでいい」という「無印」の思想は、企業主導ではない個人主体の生き方を勧めるものである。
    本当の消費者主権とは何か。

    [ 目次 ]
    1 アメリカ型大衆消費社会の終わり(自動車の世紀が一〇〇年で終わる 派遣切り メディアへの懸念)
    2 戦後日本とアメリカ(アメリカ体験 地元への愛着 百貨店とファストフード)
    3 無印ニッポン(無印良品は反体制商品 ユニクロと無印良品 セゾンと女性とフリーター 都市・建築・生活)
    4 日本のこれから(何が失われたか シンプル族と最大公約数的な情報 日本の経営再考:地方再建のために)

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 三浦氏の「生活を愛せない人が増えたと思う」に妙に納得してしまった。
    暮しを便利にする家電やシステムを誰もが利用できるようになり、その恩恵を受けて生活はより豊かでゆとりのあるものになっていってよいはずなのに、実際には、24時間化した日々の暮しにゆとりはなく、追い立てられるような忙しさを感じながら生きていくという現実。そんな中で生活を愛することは難しい。

  • 田中角栄はボルネオを買おうと思っていたらしい。
    セゾン文化、パルコ文化には本質的にはサブカルの持っているカウンターカルチャー的な性質を備えていた。
    官僚主義の本質とは自分自身の保身だけ。
    最近は秀才でない大学生ほどひとつのことしか知らない。

  • 『下流社会』で有名になったアクロス誌元編集長の三浦さんと、セゾングループの実質的オーナー堤清二(辻井喬)さんの対談。

    2人の論を通して、戦後~現在に至る流通と消費生活の流れを駆け足で俯瞰できるのが良かった。無印ブランドの根底に脈々とながれてる哲学みたいなものが、クリエイターや商品開発者ではない元グループ経営者の視点から語られているのも良い。優れた経営者は、優れたクリエイター足り得るのだと再確認。新書ゆえに紙面が足りず、論が浅く読み足りない項もあるが、それはそれで納得。

    私たちの消費生活は、どこから来てどこへ行くのか?明確に断言出来る人はいないと思うけど、この対談から多くの示唆やヒントが見え隠れしてると思う。商業系デベロッパー、プランニング系のお仕事してる人にオススメの良書。

    メモ:10箇所

  • 三浦 展の本をちょっと続けて読んでみようかと思ったきっかけの本。まだまだ読みが浅い。同じものを見ていても感覚的にしか分からないんじゃだめ。でもね。学者が視野が狭いってみんなそうじゃん。驚くようなことか?仕事もしたことのない学者に視野のひろさを求めるほうが間違ってる。

  • 無印良品という「有印」のブランドは、シンプルでありながら心の隙間にフィ
    ットする商品であふれている。

    初めは、「これでいいや。」
    でもそのうちに「これがいいな!」と思わせる。

    そのブランド力は注目に値するところだ。

    無印の歴史について書かれている本ではないけど、そういった「でいい」ものが売れるようになった社会背景がよくわかる。

  • 堤清二×上野千鶴子×三浦展のお三方。消費社会の次を考える上で外せないこの三人ですが、おのおのの対談で本にするというパターンですでに二冊でていました。
    上野千鶴子×三浦展で『消費社会から格差社会へ』、堤清二×上野千鶴子で、『ポスト消費社会のゆくえ』ですね。
    ということで最後の1ピース、堤清二×三浦展の巻。
    すでに前二冊で、百貨店の時代は終わり、とか、地方は壊滅的、とかいった方向性は見えていて、それ自体に変化はないものの、
    リーマンショック以降ということで、いよいよそれに拍車がかかった感が、言葉の中にありあり。
    その対抗軸として、三浦さんは、無印良品をさかんに褒め、堤さんの慧眼を持ち上げるのですが、これって、あくまでも理念型としての無印だよなぁ。
    実際の無印の商品って、私の認識じゃ、高いくせにモノが悪い、という印象しかないし・・・。

  • 「ファスト風土化」:駅前にファストフードや居酒屋のてぇーン店ができたり、郊外に大型ショッピングセンターが登場したりして、駅前の商店街がさびれ、画一化が進むこと。

    「無印良品」は「反体制派」商品である。体制とは「アメリカ的豊かさ」と「ファッション性」の2つを追求することである。

    「共費」:部屋をもので満たすのではなく楽しい時間を共有しようとする消費。

    堤が無印良品について語るところは読み応えがある。
    これまでのアメリカ型の豊かさである大量生産大量消費がここにきて転換して、よりシンプルに、そしてあまりものにお金をかけないで生活しようとする世の中になっている。

    三浦は雑誌「アクロス」を編集していた。
    僕も当時は愛読していた。
    そのころのトーンが堤とのやり取りにも醸し出されている。

    セゾンの元・総帥と、アクロスの元・編集者。
    まったくパルコ的で無印良品的なトーンの対談だ。

  • 「郵便局の中にコンビニが作れる」ということでしか、郵政民営化が庶民に与えるプラス影響を説明できなかった竹中平蔵(p.25)。世の体勢に反することができず、「役所は立派なシンクタンクだ」ということも書けない新聞社(p.35)。伝統のない住宅地=東京郊外が故郷にもかかわらず、ファスト風土化の視点から金沢、弘前、長野などの地方を含む「日本」を抽象化して語る東浩紀・北田暁大(pp.63-65)。六本木・表参道両ヒルズや駅ナカなど、パッサージュ(街路)型の街づくりの逆コースを行き、都市文化の衰退を招いている「都市のイオン・モール」=パッケージ型開発(p.140)。などなど、「存在そのものがアイロニー」(堤、p.162)な著者たちから、消費社会の諸相への批判的視線が次々と注がれる。最近の報道でも、銀座など都市の高級地の地価が下がる一方で、ユニクロやヤマダ電機などがそうした土地に店舗を構えるようになったというが、こうした高級地の低廉化といった現象を考えるうえでも大きなヒントになる一冊。

    読了後読み返してみると、特に東・北田批判の文脈から「京都でも大阪でもいいんですが、都市には風土性がやっと残っているが、地方には消えているという、不思議な状況になっている」(三浦、p.70)という言葉の意味を考えさせられた。ここで紹介した部分以外にも含蓄の多い対談本だが、どこかの書評にあったように中公ラクレで出してもよい中身ではある。

  • セゾングループを率いた堤清二と元社員であった三浦展による対談集。自らがカスタマイズする自由を持った、消費者主権を訴求するという無印良品のコンセプトや、都市論(イオンモールの様なパッケージ型からパサージュ型へ)、モノを買うより消費もヒトとの繋がりを満たす共費へ、等多事総論的な対談集。無印良品は反体制商品です、というのが面白かった。

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  • 数年前、東京から地方に異動することになったとき「なんとかなるさ」と思っていた。でも、行ったあとすぐ「なんともならない」ことがあることに恐怖して、事あるごとに帰京した。帰京ができないときは近くの大都市に行った。そのくらい、そのときは「そこにないもの」を欲していた。今考えると愚かだよなぁ、自分は。いまや、「便利になった」と実感することは、東京をはじめ大都市にあるものが大都市でないところで同じように存在して、その恩恵を享受できることなのかもしれない。地方でちょっと暮らしてみて、また都会に戻ってきたら、都会は、どこもかしこも金太郎飴なことに気づいて、ちょっと息苦しい。堤さんが池袋のデパートで具体的なモノとしてみせた数多くの装置を消費者として多く感受した私は、この本を読んで、堤さんが経営者というより、感情を表現する表現者だったのだ、と改めて思う。一方で、あのときの西武はそれまでの社会であまり意識されなかった「個人の生き方」を前面に押し出しながら、実は根っこの部分は古い体質の西武王国だった。見た目では革命を起こしながら、既存の何かを抱えたまま、社会のなかでいつのまにか瓦解した。読みながら、「愛は飾らない」という名コピーが頭の中を何度も反芻した。読みながら、何十年後かの自分、そして、この国のことを考えると、正直なところ、ちょっと怖れおののいた。それは多分、考えることをした、から。

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無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉 (中公新書)の作品紹介

T型フォードの発売からリーマン・ショックまで一〇〇年。自動車の世紀だった二〇世紀が終わり、消費文化は大きな曲がり角を迎えている。大流通グループ「セゾン」を牽引し、無印良品を生み出した堤と、地域の文化の衰退を憂慮する三浦が、消費の未来、日本の将来を語る。「これがいい」ではなく、「これでいい」という「無印」の思想は、企業主導ではない個人主体の生き方を勧めるものである。本当の消費者主権とは何か。

無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉 (中公新書)はこんな本です

無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉 (中公新書)のKindle版

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