オランダ風説書: 「鎖国」日本に語られた「世界」 (中公新書 2047)
- 中央公論新社 (2010年3月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121020475
感想・レビュー・書評
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17世紀のオランダ人と日本人の会話は主としてポルトガル語で行われた。布教を目的として来日ポルトガル人が日本人に熱心に彼らの言葉を教えたのと違い、商人として来たオランダ人は利益を生まない語学教育に時間を費やしたりしなかった。
17世紀的なヨーロッパとは違う19世紀のヨーロッパの在り方を幕府は認識していた。
カトリックの侵入を防ぐための装置だったオランダ風説書は西洋近代に対してもそのまま転用が可能だった。
情報集散地としてのオランダの機能は大きかった。新聞もアムステルダムで17世紀には複数発刊されていた。
オランダ東インド会社は秘密主義で有名だった。
オランダ人は日本市場の潜在的な可能性に期待しており、幕府の貿易統制さえなくなれば、利益があがるだろうと信じ続けていたことである。それゆえ、日本との独占的な関係を完全にたちたくなかった。
ベルギー独立に伴って1840年代からオランダは税収が激減し、財政危機に陥った。
18世紀、いらんだの地位は目に見えて低下した。あらゆる面でイギリスが優位になった。しかし日本では何を語ろうとも信じてもらえる状況だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
江戸時代における海外情報の流通を追った労作である。
通時的な分析によって、徳川幕府の関心の移り変わりが透けて見えるのが面白い。
こうした研究が成り立つのも日蘭が長いこと深い関係を結んでいたからこそだが、オランダの国際的地位が揺れ動く中で関係を維持するために、商館や通詞たちは暗闘を繰り返してきたわけである。したがってこれは、阿蘭陀通詞という裏方の歴史でもある。
「おわりに」でさらっと触れられているが、通詞たちは幕府だけでなく九州諸藩にも情報を横流ししていたらしい。彼らにとってはバイト感覚かもわからんが、通詞たちの情報が多少なりとも九州諸藩の国際感覚醸成に役立って幕末期につながった、と妄想すると面白い。 -
(欲しい!)/新書
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●構成
第一章 「通常の」風説書
第二章 貿易許可条件としての風説書
第三章 風説書の慣例化
第四章 脅威はカトリックから「西洋近代」へ
第五章 別段風説書
第六章 風説書の終焉
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江戸時代の日本は一般に「鎖国」をしていたと言われているが、歴史的には決して国を鎖してはいない。長崎、対馬、薩摩、松前の「四つの口」によって規模は小さいがはっきりとした外国との交易がなされていた。そのうち長崎口は、オランダ及び唐人(中国を中心とし、東南アジアも含む)を相手に交易を行っていた。交易は単に商業上の目的に留まらず、情報収集の役目も果たしていた。日本人の外国への渡航、外国からの帰還、許可された場所と国以外の接触禁止が発令された1630年代以降、外国に関する情報収集はほぼ交易を通じて行う以外になかったのである。
本書は、幕府の指示によりオランダ商館から毎年提出された「風説書」について、その性格や実態、取り扱われた情報や提出された情報の質量など、多岐にわたって論ずる。
従来の研究史では「風説書」の作成にあたってオランダ商館から提出された原本から和訳されていたとされているが、著者はそうではなく、通常の「風説書」については原本は存在せず口頭による報告をオランダ通詞が聞き書きするものであったとする。また、この時にオランダ商館長と通詞が協議の末長崎奉行に報告する内容を恣意的に取捨選択していたこと、さらには通詞の独断で取捨選択も成されたことを明らかにする。
また、「風説書」のオランダにとっての意味合いについて、著者は17世紀の段階では交易上競合する他国(カトリックの西洋諸国)の情報を日本に伝え、その結果他国を排除することを主眼に置いているとする。18世紀には、オランダはイギリスなどの勢力拡大を受けて低迷していたが、日本においては多大な信頼を得ており、「風説書」何を言っても日本が信じるような状態であった。19世紀にはオランダの衰退著しく、場合によっては虚偽の報告が必要なほどに苦慮していたのである。
本書は江戸幕府の対外政策にとってどのような情報が必要だったのか、また当時西洋世界との唯一の窓であったオランダは日本に対して西洋をどのように伝えたのか、そしてそもそも「風説書」とは何であったのかについての、最新の研究結果である。
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【図書館】 -
オランダという国に興味があったので読んでみた。
風説書がなんなのかはよく知らなかった。けれど、鎖国する日本にとって世界情勢を知るためには必要だったもののようで。当時の日本のせこい感じがよく伝わってきた。鎖国がどうこういう気はないけど、国を閉じる気が本当にあるならアジアとも貿易しないべきだし世界情勢なんか知る必要ない。その辺の中途半端な感じが腹立つ。欧米の何がそんな気に入らなかったのか、今の俺ではわかり兼ねるけれど、平和な江戸の250年は開国によって世界の荒波にのまれていくことになったというのは疑いようがない。
龍馬やなんかの開国派が正しいとは言わない。国を開かなければ世界レベルの大戦に巻き込まれず、二度も原爆を投下されることもなかったのかもしれない。勿論科学の進歩も相俟った部分が大きいけれど、当時大国にはなっていなかった蛙の日本が出来ることなど限られていた。戦争を経て大きくなった日本も今また蛙に戻りつつある。それは一時の発展で大きくなっても、時代とともに世界も大きくなるからで、それに合わせて進化しなければ取り残されるのは自明。GDPで見る世界の中での日本の規模はそれこそほんとうのドメスティック。
パナとソニーを足してもサムスンに足らないと言ったらどうだろうか。GDPとか一人当たりGDPとか言っても寄せ集め感が否めない。国内コンテンツの小ささが世界で勝手に鎖国状態になる原因だとは思わないだろうか。
小さいのは政府だけにして欲しい。
とはいえ、今のオランダの一人当たりGDPは日本や、かつてオランダが追いかけたイギリスを上回っている。思うに、オランダの自由なイメージや開けた国というのはそれだけで国力が上がるのではないかと。長期的に。
本書は風説書についての本であるが、風説書が何かというだけなら何も本一冊読む必要はない。しかし、自分の知識に風説書が絡むことで新たに見えてくるものがあると思うなら読んでみるのもいいかもしれない。 -
近代以前、海外の情勢を知る手段は限られていました。まして、貿易を経済の礎にしていた国でもなければ、土地から離れた遠い世界の出来事に関心を持つことも少なかったはずです。実際、鎖国的な体制をとった東アジア圏の国々で、オランダ風説書のような仕組みができたのは日本くらいらしいです。そこがおもしろいところでもあるのですが!
本書は、歴史上の細かい出来事ももらさず書いていながら、全体を通してのメッセージもしっかりしています。知識不足で、文章の雰囲気くらいしかわかりませんでしたが、オランダ風説書の魅力が感じられるよい本だと思いました。高校で世界史をやった人も、日本史をやった人にもオススメです。こういう複眼的な見かたができると歴史も楽しいです。 -
2010.04.18 朝日新聞に紹介されました。
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「ここでいう『日本文字で美しく書かれ、商館長による署名がなされ』た文書が、オランダ風説書である。風説書は、オランダ人が眼にした数少ない正式な日本文書であった。江戸では老中、ことによると将軍さえ見るかもしれない。そのためとくに緊張感をもって、ていねいに仕立てられた。」(はしがきより)
江戸時代に200年にわたって長崎から江戸に届けられた世界の出来事に関する情報「オランダ風説書」について書かれた本。非常におもしろかった。幕府が世界の情報を熱心に収集しようとしていたという事実と、その意義、あるいはその限界について書かれた本。いろいろ考えさせられた。