- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121020505
感想・レビュー・書評
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新歴史学の名著
本書は歴史学において20世紀後半から21世紀に台頭した潮流を扱っている。政治や経済を中心に据える戦後歴史学に対するアンチテーゼであれば、人口学やジェンダー論なども新たな視野もある。著者はこれらの潮流を3つに大別しているので、私の叙述もそれによることにする。一つ目は、ソフトな人間生活や現実を主題とする「大きな物語の排除」であり、旗振り役はアナール学派であった。二つ目は新たな視点の導入、ジェンダー論的な見方や歴史人口学の刷新などであった。三つめは、非西欧地域の台頭という現状認識から従来の一国史観ではなくグローバルな歴史の見方をしようとするものである。
本書では、ウォーラ―ステインやアンダーソンなど、有名な著作も含まれているが、それらの単なる概説ではなく、歴史学の潮流の中での位置づけがわかるという点においてほかの概説書との差がある。中でも、近代世界システム論へのアンチテーゼとして、ヨーロッパ内部の諸要因からイギリスや西ヨーロッパの台頭を説明する(「大分岐論」とも親和性が高い)オブライエンの著作が取り入れられていることは注目に値する。コッカの「歴史と啓蒙」も、実はアナール学派(第三世代)に対するアンチテーゼと読み取ることも可能だろう。
歴史学とは科学としての抽象的な歴史と再現不可能な具体的な歴史の鬩ぎ合いである。いささかヘーゲル的な見方だが、歴史学の歩みはそれらの止揚によって発展してきた。また、そうする見方も一つの歴史の見方なのかもしれない。人間とは切っても切り離せない過去に対する態度を追求する歴史は人間が現在を生き、未来を創る気概を持った動物である限りにおいて色あせることはない。
最後に、歴史を、単なる老人の昔話から区別するうえで重要であると思われるコッカの章を引用したい
“たいていの場合、行為と意図には巨大な割れ目が口を開いている、それぞれの時代に生きて人々の経験や意識のうちに自覚的に存在していたのは歴史的現実の一部でしかなく、過去の知覚と経験の再構成だけでは総体としての歴史を十全に理解することはできない。むしろ、過去の庶民の主観的な知覚・経験をそのまま再構成することに歴史学が終始すれば、歴史学がそうした「歪み」を倍加して示すことにもなりかねない”p224詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1750年頃まで、世界の中核地域であった中国の揚子江流域、日本の畿内と関東、西ヨーロッパの経済は、平均寿命、綿布消費量、識字率などの点でほぼ同じだった。商業的農業斗プロト工業による市場経済の発展がみられたものの、人口増加に対する土地の制約に直面して、森林の枯渇や土壌浸食による食糧・繊維原料・燃料・建築資材などが不足する事態に陥った。西ヨーロッパは、消費地に近接した炭鉱地帯からの石炭の利用と、新大陸との貿易の拡張によって克服することができた(ポメランツ「大分岐」)。
<紹介されている主な本>
「近代世界システム」I.ウォーラーステイン
「オリエンタリズム」エドワード・W.サイード
「もうひとつの中世のために」ジャックル・ゴフ
「敗北を抱きしめて」ジョン・ダワー
「帝国主義と工業化1415~1974」パトリック・カールオブライエン
「想像の共同体」ベネディクト・アンダーソン
「無縁・公界・楽」網野善彦
「日本中世の非農業民と天皇」網野善彦
「近代移行期の人口と歴史」速水融
「近代移行期の家族と歴史」速水融 -
この本を一冊読んだとしても、ここに取り上げられた名著を読んだことにはならないのが悔しい。
しかし、読みやすいブックガイドだと思う。現代の世界、社会構造の成り立ちを自分の頭で理解したければ、本書で取り上げられたどの本でも一度チャレンジしてみたい。
梅棹の「文明の生態史観」だけが既読。
ウォーラーステイン「近代世界システム」、サイード「オリエンタリズム」、ダワー「敗北を抱きしめて」あたりに、いずれチャレンジしてみるか。