いじめとは何か: 教室の問題、社会の問題 (中公新書 2066)
- 中央公論新社 (2010年7月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (207ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121020666
作品紹介・あらすじ
一九八〇年代にいじめが「発見」されて以来、三度にわたる「いじめの波」が日本社会を襲った。なぜ自殺者が出るような悲劇が、繰り返されるのか。いじめをその定義から考察し、国際比較を行うことで、日本の特徴をあぶり出す。たしかに、いじめを根絶することはできない。だが、歯止めのかかる社会を築くことはできるはずだ。「いじめを止められる社会」に変わるため、日本の社会が、教育が、進むべき道を示す。
感想・レビュー・書評
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故あってしばらく、この関係の本が続くかも。
現代社会を背景としていじめは発生している、だからこそシティズンシップ教育を軸に据えて、学校も公共化していかなければならないという話。
学校で出来ること、育てていくことを見放さない、良い本だなと思う。
現代社会が私事化し、自己責任が強まる一方で、私たちはインターネットというサイレントマジョリティの力を見出した。
むしろ、見えない私は、思う存分に善意を振るうことだって出来るようになった、と言える。
この構造は、さて、これまでのいじめにどんな影響を及ぼすのだろう。
いろいろと想像ができてしまう。
シティズンシップ教育の内容として、愛着、コミットメント、社会的役割への自認、巻き込み・インボルブメントを挙げている。
これも予防的な視点では知っておくと良いように思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
先に読んだ内藤氏のイジメに関する著作と合わせて読むと、双方の限界点が見えてくる。
内藤氏は、あくまで学校という共同体を信奉する限り、いじめは深刻化するという。
森田氏は、学校という、社会性(市民性)を育む場の可能性について、言及している。
つまり、両者では学校に対するスタンスが180度違うのだ。
森田氏は諸外国のいじめ対策について詳しく、そこから、傍観者と観衆を市民として育成した欧州各国の取り組みが功を奏していることについて記述は説得力がある。
しかし、短期的な視点、言い換えると、今、苦しんでいる子どもたちをどう励ますのか?という切実さは感じられない。
森田氏は政策的、教育的な視点に立ち、内藤氏は社会心理的な視点に依っている点から、お互いカバーできていない部分があることに気づく。
これらを比較検討して、両論を止揚していくことが、私の課題か。
自我の暴走をくい止め、個性が開花する公共空間の創造が求められている。 -
371.4-モ
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いじめについての社会学的考察。面白い内容だが、私事化がいじめ生成の背景にあるというのはどうも納得し辛い。そもそもいじめには群れの掟に反いた逸脱者を利他罰にかける側面が少なからずあるはずで、市民性教育によってどこまで抑制できるのかは未知数なのではと思う。その証拠に、日本のいじめの場合はコミュニケーション操作系のものが多いはずである。
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371.42||Mo
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SDGs|目標16 平和と公正をすべての人に|
【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/685410 -
個人的な問題に帰結されがちないじめという問題を社会学の見地から問い直した本書。いじめ問題の歴史的経緯から政策、国外の状況、システム、対応策に至るまで幅広く扱われており、いじめ問題の入門書と言える。
文章も平易で読みやすい。いじめの悲惨さにフォーカスしすぎて読むのが辛いということもなく、あくまで客観的視座から書いてあるため、好印象だった。 -
ホンシェルジュに寄稿しました。
http://honcierge.jp/users/646/shelf_stories/54 -
いじめの問題について、先進諸国と日本を比較した上で問題と現行の解決策を示す。全体的にまあ確かにそうだよねって内容で細かい学術的な部分についてはよく分からなかったけども。
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「いじめ」という現象は、社会集団における力関係のアンバランスとその乱用から生じる、というのが本書の立場です。
社会学者である著者は、「力関係のアンバランスは、(中略)人間関係があり、集団や組織の関係があれば、避けることができ」(p.73)ず、むしろそのような「力関係のアンバランスがあるからこそ、私たちは関係を結び、集団や組織を作って運営できる」(同上)と示し、私たちの暮らす社会において非対称的な力関係が偏在すること自体は、異常なことでも問題のある事態でもないと述べます。
しかしながら、このような人間社会の実態があるからといって、「『いじめ』という現象が生じるのは然るべきだ」と主張しているのでは、決してありません。著者が問題としているのは、そのような構造的に生成された非対称的な力関係を乱用することによって「他者への攻撃やハラスメント、虐待へと転化」(p.72)してしまうことであり、この一連の流れによって「いじめ」という現象が生じると分析しています。
本書は、私たち人間が避けて通ることのできない「社会の病理」としての「いじめ」が生じる構造を、社会学的な視点から分析し、わかりやすく記述した「いじめ学」の金字塔。そして、時として人の命をも奪う「いじめ」に歯止めをかける社会、すなわち「いじめを止められる社会」への可能性を模索すべく、日本の社会が、教育が、進むべき道を示すことを試みた良書であります。「いじめ」という「社会の問題」について考えてみたい方、是非本書を手に取ってみてください。
(ラーニング・アドバイザー/教育 SAKAI)
▼筑波大学附属図書館の所蔵情報はこちら
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1479355 -
<石上浩美先生コメント>
いじめの定義,構造について,教育社会学の立場からわかりやすく分析した名著。
<閲覧スタッフより>
「いじめ」の根絶は難しい。けれど歯止めのかかる社会をつくることはできるはず。“いじめを止められる社会”を目指して、「いじめ」の定義、国際比較、日本を襲った「いじめの三つの波」を検証します。
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所在番号:新書||371.4||モリ
資料番号:10200273
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言うまでもなく、昨今の教育界の最大の関心事はいじめである。いじめへの対応は、おそらく教師としての力量がもっとも試される場面であり、また教師を目指す者にとっては教育に対する姿勢がもっとも問われるテーマである。したがって、教員採用試験でもいじめに関する問題は必出とされている。教育学部学生、および教師志望者は本書を熟読し、いじめ問題についての幅広い視野を持つとともに、教育に関する識見を高めることに努めてほしい。
教育学部 N.A
越谷OPAC : http://kopac.lib.bunkyo.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=1000800063 -
学校の課題図書でした。でも読んで考えさせられる点が多々あったので登録。
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『いじめとは何か―教室の問題、社会の問題』(森田洋司、2010年、中公新書)
本書は、学校で起きるいじめという現象について社会学的な検証をした上で、その対策を論じたものである。
まず、筆者はいじめを「川の表層にできる渦」とたとえた上で、いじめの原因となる重要な要素として「力関係のアンバランスとその乱用」があることをあげている。
そして我が国においていじめが社会的にどのように認知されてきたのかについて3つの流れがあったと説明した上で、現代を「私事化」の時代である指摘し、この時代においていじめの被害を最小限に食い止めるための方策として「ソーシャルボンド」(共同性へのつながりの意識)をあげている。
教育者に、政策立案者に、学齢期の子どもを持つ親に、本書は役に立つと思う。
(2010年9月6日 大学院生) -
第三章いじめの「定義」について、さらには「シティズンシップ」教育の提案の内容が興味深い。