- Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121020970
作品紹介・あらすじ
荻生徂徠、安藤昌益、本居宣長、平田篤胤、吉田松陰-江戸時代は多くの著名な思想家を生み出した。だが、彼らの思想の中身を問われて答えられる人は多くないだろう。それでも、難解な用語の壁を越え、江戸の時代背景をつかめば、思想家たちが何と格闘したのかが見えてくる。それは、"人と人との繋がり"という、現代の私たちにも通じる問題意識である。一三のテーマを通して、刺激に満ちた江戸思想の世界を案内する。
感想・レビュー・書評
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<人と人との繋がり>という現代人にも通じる問題意識に共通基盤を見出し、その連続性を解き明かそうとする試み。近世→近代→現代の各々に、断絶があるのか、連続性があるのかは議論が分かれるし、決着のつかないテーマだろうが、どうやら最近は連続性に着目するのがブームのようである。
内容的には序章+12章というかなり細かい章立てとなっており、網羅性があり概観するには優れているものの、その分個々の記述にはどうしても物足りなさが残る。本書から興味をもったテーマや思想内容を深堀していくしかないだろう。
日本はこれから成長する事は望めず、人口減少と共に停滞するのは明らかである。だからと言って、平和で豊かな社会を築く事は不可能ではなく、そういう意味では江戸の思想史から学ぶべき点は多いのかもしれない。ただし、江戸と令和の違いは「鎖国」の有無であり、外国との交際は避けては通れない。またIT社会の進展により<人と人との繋がり>は流動性が高まり、質的に大きく変化もしている。よって、これらの差異を見据えた上での令和の思想構築が求められていくのかもしれない。 -
#再読
#実家に送ってた本シリーズ
本文だけだと山川倫理の引用文多い版の域を免れない印象もあるし、記述の中で著者が自ら再論にあたっての作戦を貫徹できた印象もあまりない。ただし、著者が漠然とながら「江戸という、人同士が長い期間で共在し始めた時代において、ひとびとが人の関係を捨てない新しい思想を求めようとしていたのではないか」という直感がなんとなく潜在しているような印象は受けた。そのような観点から見直すと、江戸の儒学者は、シカゴ派社会学の誕生がシカゴのスプロール化に抗するものであったことに似たような発生過程を経ていたと言い直せるのかもしれない。儒学の都市化とでもいうか。 -
そのタイトルに劣らず、近世日本思想史を適度なバランスで幅広くかつ、十分な分量で概説してくれる良著。仁斎の愛、徂徠の道など、もっと勉強してみたくなる本である。一番の収穫は平田神学の中で、のちの柳田民俗学に連なるような祖先の霊魂の話が出ていたことであり、国学と民俗学の系譜という事で、興味深く読んだ。各論はいつ見ても参考になると思うのであえて触れない(!)
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江戸時代の思想の博覧会。朱子学から国学、蘭学さらに天理教などまで及ぶ。どこかで聞いたことくらいはある思想、人名が多いのだが、改めてこうして総ざらえにされると、江戸の世に百花繚乱の思想があった様がよく分かる。あとがきに、思想に寄り添いすぎて批判的に読むのが苦手、と記してあるがたしかにその通りみたいで、正反対な志向を持つ思想を取り上げてもそれぞれの長所を誉めてしまう。厚くはない新書にこれだけ幅広く詰め込んでいるので細部の突っ込みはあまりないのだが、初心者には好適の見取り図。てんこ盛りすぎて消化不良のきらいはありますが。
元禄ルネサンスなんて言葉をどこかで聞いた記憶があるが、この様子にはルネサンスを思わせるものがある。戦乱の中世を抜けて、はじめは武士のあり方を模索したりしているが、やがて都市に文化が花開く。仁斎や徂徠は、朱子学を突き抜けて孔孟に帰ったという点で古典復興と呼べるだろう。徂徠や富永仲基、吉見幸和のテキスト分析の実証性や白石にみられる合理性、古いドグマを振り払って蘭学等々の実学が生まれるのもルネサンス的と思える。
だから何なのか?都市で束縛の少ない、より匿名的な社会関係が生まれると思想もそういう方向に向かうのかも。本書は序章でそういった社会条件を列挙しているが、そこと思想の関連性をもっと問うと面白いかも。
宣長のニヒリズムには魅力を感じるが、国学の自国中心主義はさすがに少し鼻白む。さらに神がかった感のある篤胤がもっとも多くのフォロワーを各地に残したというのは面白い。天理教などの新興宗教をあわせ考えても、分かりやすさ、受け入れやすさは重要な要素だと分かる。
中国・朝鮮との比較。大陸では儒学が官学で、科挙により儒学者が支配者層になる。日本でも官学は儒学だが、支配者層は武士で別に必ずしも学問をやっているわけではない。儒学者は在野に多くて、そういう層から新しい思想が生まれる。儒学に限らないが医者が多いというのは興味深い。
横井小楠のワシントン褒めとか面白い。
経験主義的な白石や玄白をやっぱり近しく感じます。
徂徠は、その主張はつまらなく感じるが、方法論がすぐれている。そういうのもあり。主張だけ言うなら仁斎の方が腹に落ちる。 -
国文学系の読解力がないと、少々読みにくいかも知れない。
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【目次】
はじめに [i-iii]
目次 [iv-viii]
序章 江戸思想の底流 003
内藤湖南と網野善彦/恐怖の闇から世俗生活へ/世俗的な秩序化/イエ/出版/商品・市場/「日本」意識性・差別
第1章 宗教と国家 021
宗教一撲への憎悪/権力者の自己神格化/「神国」イデオロギー/キリスト教の「神」観念の衝撃/「釈尊御領」の論理
第2章 泰平の世の武士 039
朝鮮通信使の観察/中世武士の思想/武士は何のためにあるのか――山鹿素行の問い/『三河物語』と『葉隠』――忠をめぐって
第3章 禅と儒教 053
「無心」と「自由」/縛られない「心」/鈴木正三の教え/中江藤樹と太虚皇上帝/山崎闇斎の禅学批判/藤樹と闇斎が追求したもの/経世論の創始者、熊沢蕃山
第4章 仁斎と徂徠①――方法の自覚… 073
朱子学の構造/仁斎と古典/まず「血脈」を理解せよ/朱子学を全否定/徂徠による訓読批判/古文辞学
第5章 仁斎と徂徠②――他者の発見、社会の構想 087
「愛の理」ではなく「愛」/他者性の発見/「四端」の拡充、「卑近」の尊重/徂徠の朱子学・仁斎学批判/「道」は聖人が作った/『政談』/歴史を学び、今を相対化する/徂徠学派
第6章 啓蒙と実学 107
貝原益軒/宮崎安貞『農業全書』/新井白石と世界/合理的な歴史観
第7章 町人の思想・農民の思想 119
新たな社会イメージ/上層農民の思想/安藤昌益の聖人批判/二宮尊徳――「人道」と「推譲の道」
第8章 宣長――理知を超えるもの 133
国学の成立/宣長による国学の大成/「もののあわれ」を知る/不可思議でおおらかな神/ニヒリズム/「皇国」の優越/「委任」論の誕生
第9章 蘭学の衝撃 151
『解体新書』の翻訳/蘭学と漢学・古文辞学/富永仲基の「加上」説/三浦梅園の方法論/司馬江漢の社会批判/都市の知識人たち
第10章 国益の追求 169
海保青陵――売買は天理/本多利明――カムチャッカ国家建設/佐藤信淵――中国・朝鮮の支配構想/富国・強国・脱亜への志向
第11章 篤胤の神学 181
「霊の行方の安定」/生者と死者との交わり/日本中心主義と天皇/地域に生きる平田神学
第12章 公論の形成――内憂と外患 195
大塩平八郎の乱/後期水戸学/会沢正志斎と「民心」/忠孝の一致/祭祀と儀礼/佐藤一斎と門人たち/佐久間象山――東洋道徳・西洋芸術/横井小楠の視界/吉田松陰が向き合った「国」
第13章 民衆宗教の世界 219
如来教/天理教/金光教/冨士講/民衆宗教とナショナリズム/民衆宗教の特色
おわりに(二〇一〇年晩秋 田尻祐一) [232-239] -
江戸時代の思想史を概説している入門書です。
本書の冒頭では、応仁の乱以後の日本を連続的なものとして捉える内藤湖南や網野善彦の議論が参照されています。中世の日本人が異界に近しい生活を送っていたのに対し、近世に入ると社会が安定し世俗的な秩序が整えられるようになります。江戸時代の思想は、そうした社会的条件のもとで形成されていきました。本書では、朱子学の諸概念がこの時代の思想を明確にすることに役立ったことを指摘しつつも、近世以降の日本人が直接的に触れることになった問題を、江戸時代の諸種の思想のうちに読みとっています。
同じ「中公新書」には、伝統的な思想のなかに土着の近代性を見るという立場をとる源了圓の『徳川思想小史』があります。本書は、源とは異なる観点から日本近世思想史の全体を見通すことのできる、優れた入門書だと思います。 -
特に心に残ったのは二宮尊徳。これといった強力な宗教や思想があったわけでもない日本で、人々を労働へと導いた二宮。彼が用いたのは「暴力」でも「宗教」でもなく「言葉」であった。