カラー版 地図と愉しむ東京歴史散歩 (中公新書)

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 44
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121021298

作品紹介・あらすじ

文明開化、関東大震災、空襲、高度成長…建設と破壊が何度も繰り返された東京だが、思わぬところに過去の記憶が残っている。日比谷公園の岩に刻まれた「不」の記号、神田三崎町に残る六叉路、明大前駅の陸橋下の謎のスペース、一列に並ぶ住宅など、興味深い構造物、地形を紹介し、その来歴を解説する。カラーで掲載した新旧の地図を見比べ、現地を歩いて発見すれば、土地の記憶が語りかけてくるだろう。

感想・レビュー・書評

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  • なかなか本格的な、古地図好きの人向けの本になっており、タイトルほど柔らかい内容ではありませんでした。
    著者は長年雑誌『旅』で編集を担当していた人。知識と探究心の深さが文面から伝わってきます。
    土地に詳しいだけでなく、普段まず使わない「供出」「喫緊」といった難しい言葉が文中で使われており、少し緊張しました。

    上野の山は江戸時代から桜の名所だったそうです。
    ただ、将軍家の菩提寺の寛永寺があるということで音曲も飲食も禁止で、日没で閉門されたという、かなり制限された花見だったようです。

    上野は京都そっくりの名所が作られた場所だとは気がつきませんでした。
    清水観音堂は清水寺、不忍池は琵琶湖、弁天堂は竹生島で、東叡山、寛永寺は比叡山延暦寺と対をなしていたそうです。
    言われてみれば、そうなのかもしれませんが、言われるまでは気付かない程度です。

    上野の大仏は、戦時中の金属回収令で供出の憂き目を見たが、顔だけは、寛永寺の僧侶が境内の檜にくくりつけて隠したため、鋳つぶされずに済んだとのこと。
    顔だけ残った大仏の顔さえも、そんなに大変な思いをして守り抜いたとは。
    将軍家菩提寺とはいえ、寛永寺も歴史に翻弄されてきたことがこの本につぶさに記されています。

    井の頭という名前は、まずは水道道路についた名前だというのも初耳でした。
    名付けたのは近衛文麿で、それから通りの名にもなったそうです。
    井の頭通りがずっと直線なのは、水道道路だからだという説明に、納得しました。
    さらに、井の頭線の途中、明大駅辺りのクランクまで、幻の東京山手急行電鉄だったという説明もありました。

    『ホワイトアウト』はテロリストのダム爆破事件の話ですが、実際にドイツでダム爆撃が起こり、国民が多数溺死したそうです。
    それを受けて、日本でもダム防衛が喫緊の問題となり、堤のかさ上げ工事を行いました。

    その甲斐あって、空襲の時にもダムは決壊せず、大きな被害は出なかったとのことです。

    文京区小石川の播磨坂だけ、復興都市計画通りの工事が施行され、石川栄耀(ひであき)が意図した道路上の公園構想による桜遊歩道となったという話も初めて知りました。
    もう少し早くにこの本を読んでいれば、桜を見に行けたのですが。

    また、自動車社会が到来するまで、物流の主役は水運で、終戦までの東京は水の都といえる風情だったとの説明がありました。
    多数あった堀割は、戦災のがれき処理のために、まず外堀の大部分が埋められていったとのこと。
    がれき処理対策として埋められたとは。
    また、オリンピックを控えて急きょ首都高速が整備された時期に道路用地として埋められたりもしたそうで、今でも残っていたら東京は水路による発展があり、観光も発達したことでしょう。

    読んでいく上での軽い楽しさよりも、内容の深さ、詳しさが際立った本でした。

  • 行ったことある場所が出てくると前のめりになって読んでしまう。もっと色んなところに行っておけばよかったとやや後悔。
    公園の変遷が一番興味深かった。

  •  新旧の地図を見比べながら、「何の案内板もなく、忘れさられたようにたたずむモノのもつ輝きや、一見何の変哲もない街からにじみ出る魅力」(p.i)を紹介したもの。カラーで地図や写真が載っている。
     おれは最近でも結構JRの「駅からハイキング」というイベントに参加したり、大学生の時からウォーキングコースが載っているガイドブックを見ながらあちこち歩いたり、コロナの時はいろんな区を一周して歩いたり、元旦に山手線一周したり、とにかく歩くのが好きで、それなりにあちこち歩いた。けれどだいたい何らかのメジャーな「みどころ」があって、さすがに上京して20年になった今となっては、特に駅ハイなんかは、またこのコースか、みたいな感じになって、あんまりワクワクしなくなったというのも事実。なので自由に何かマニアックな面白い場所に歩いて行くことに興味があるので、そんなおれには思ったよりも面白い本だった。
     気になった部分のメモ。まず「公園」という言葉は明治6年のことらしく、それまで「遊園」という言葉はあっても「公園」はなかった(p.20)らしい。そして当時は「現代人がイメージする都市公園ではなく、芝生の園地のなかに伽藍が点在している奈良公園のような雰囲気」(p.19)ということで、やがては「昭和二十年三月十日の東京大空襲以降、東京の公園や空き地や寺の境内は戦災で死亡した市民の仮火葬場となった。その数七一ヵ所、埋葬遺体は七万八六一人にのぼった。上野公園では、園内北東隅(現忍岡中学校跡地)が仮埋葬場所となっている。」(p.27)って、じゃあ今も遺体が公園や学校の下に埋まっているということなんだろうか。あと多磨霊園の近くに住んでいたことがあるが、その多磨霊園も、戦時中「霊園南部の三・四地区には三式戦闘機『飛燕』が秘匿された。翼があたるために道路沿いの墓石は倒されていた。そして兵士たちは、暇を見つけては、霊園に生えている赤松から燃料用の松根油を採取していた。ただ、そうした活動は上空からでも識別できたにちがいない。多磨霊園もアメリカ軍艦載機の機銃掃射を何度か受けている。」(p.48)という、そんな歴史があったことが意外。あとは、スパイのゾルゲの墓があるなんて知らなかった。そんなスパイで処刑された人の墓なんて作るものなのかなあ?人口増加とともに墓地も飽和状態になって「東京は死者だらけの都」(p.3)ということだけど、世界の「都」も同じ事情はどうなってるんだろうか。この本で一番印象に残っているのは、「玉川上水と淀橋浄水場」の話。というのも、今住んでいる場所が「水道道路」の近くで、そもそもなんで水道道路なんだろうとか、特に幡ヶ谷付近は水道道路に向ってそれなりに急な坂になっているところもあって、そうなっている理由、経緯が書いてあったので納得。京王線で笹塚~代田橋で見える変な?施設も「和泉給水所」という、「玉川上水の旧水路と新水路の分岐点に設けられた」(p.56)もの、ということが分かった。同じページに「芝給水所」の写真もあり、この門は淀橋浄水場から移設されたもの、ということらしいが、見たことなかったなあ。行ってみたい。そもそも「六号通り商店街」とか「十号通り」とか、その数字の意味も分かった。淀橋浄水場から数えた橋の数、ということで。橋を架けるのとは逆に、低地部分ではトンネルを掘って上水道の下をくぐらせる、ということでそういうトンネルが今でも2つ残っているということだから(本町隧道と本村隧道p.58)、ちょっと通ってみたいなあ。家の近くにあるのに行ったことなかった。東京の東の方は、あまりなじみがないのだけど、何かの本で旧中川が中川で…、みたいなややこしい歴史?を知り、この本でも荒川放水路に関して色々経緯が書いてあるが、読み終わって一か月以上経った今となっては全然覚えていない。けど「昭和初期には荒川放水路と旧中川との間に小名木川閘門や小松川閘門が整備されており、両河川の間を船舶で行き来することが可能だった。閘門とは、水位の異なる下線や運河などの水路の間で船を往来させるための設備である。世界的にはパナマ運河が有名だが(略)」(p.89)ということで、テレビで見たような「閘門」というのが日本にもあった、というのが驚き。小名木川閘門の写真も載っているので、ここも行ってみたいなあ。それから国立近代美術館工芸館って行ったことはないけどなんであんな立派な建物なのか、と思っていたら「近衛第一師団司令部」だったらしい。北区中央図書館(p.121)の写真があるが、全く図書館に見えないこの建物も軍用地に合った赤煉瓦倉庫、ということだそう。p.142の「播磨坂」の桜の写真はすごい綺麗だが、「文京区小石川にある四〇〇メートルほどの道路は、播磨坂として知られるが、ここは環状三号線の一部である。不思議な公園道路となっているが、それはここだけ復興都市計画どおりの工事が施工されたからなのだ。」(p.141)ということで、こういう「計画や建設途中で中断した路線」を「未成線」(p.145)と鉄道ではいうらしいが、それの道路版ということで、首都高にもこういうのがあって、「新富町ランプの先には、築地川跡沿いに未利用のトンネルが放置され、公園や駐車場になっている」(同)場所が、中央区築地にあるらしい。「この遊休地が道路となり、首都高速道路晴海線の晴海と新富町が結ばれる日が仮にやって来るとすれば、平成三二年(二〇二〇)の東京オリンピック招致が実現し、晴海にメインスタジアムが建設されるときだろう。」(同)とあるが、残念ながら実現しなかった。あとは、「首都高速道路羽田線の一部として平成二年に開通したにもかかわらず、わずか八年で供用中止にいたった羽田可動橋も不思議な存在である。供用中止後は、海老取川を通る船舶のため、二四時間開放した状態なのにもかかわらず、今も地図には、なぜか羽田可動橋がつながった状態で記載されている。これも一種の地図のウソである。東京モノレールの昭和島駅から三〇分ほど歩かなければならないが、一見の価値はある。羽田可動橋はまちがいなく東京一の無用の長物である。その無用ぶりが愛らしい。」(p.146)という、これは見ずにはいられない。この本の中で一番見たいもの。ここにチラッと書いてある「地図のウソ」も、この感想では触れられなかったが、面白い話だった。
     ということで、ところどころ原文?の資料のところや固有名詞が並ぶところは読みにくいし、そもそも東京を知らなければあまり読んでも面白いものなのかどうかは分からないが、おれみたいな買い物するでもなくただ歩き回るのが好き、という人には面白かった。あと「ブラタモリ」好きな人とか?(23/03)

  • 方向音痴兼地図アレルギーを改善したいと手に取った本。
    歴史は知れば知るほど日常が面白い

  • 2021年1月期の展示本です。
    最新の所在はOPACを確認してください。

    TEA-OPACへのリンクはこちら↓
    https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/opac_details/?bibid=BB00494989

  • 自分が東京をよく知らないという思いがあり、あちこち歩いてみたいのだがやはり夏場はきつい。まずは本でも読んで。

    身近な場所、よく知らない場所とも薀蓄が満載で面白い。

    刊行から9年を経て、虎ノ門ヒルズがまだ計画段階だったり、築地から豊洲への市場移転もまだだったりと、街が変わり続けていることも感じられる。

  • 新旧の地図を比較しながら、そして現地を訪ね、現代の東京に残る「過去の記憶」を紹介した本。1章から水準点に注目するなど、その切り口はなかなかマニアックだ。
    この本を片手に出かけてみるもよし、じっくり読んで歴史に潜る面白さを味わうもよし。見知ったはずの「東京」の新たな一面が見られることだろう。
    (情報工学系情報工学コース M2)

  • 東京の街の歴史的背景
    ・愛宕山は江戸時代には周囲を見渡す高さを誇り、1925年に始まったラジオ放送のアンテナもここに作られた。また明治5年に始まった測量の三角点の一つも設置された。
    ・上野公園の清水観音堂、不忍池、弁天堂はそれぞれ京都の清水寺、琵琶湖、竹生島を模している。そもそも江戸の鬼門に設置された「東叡山」寛永寺自体が京都の鬼門鎮護の目的を持つ比叡山延暦寺と対をなしていた。1868年の上野戦争で寛永寺は大伽藍のほとんどを焼失し、その後上野の自然を生かして公園とされた。これが日本で最初の「公園」であり(1873)、上野・浅草・芝・深川・飛鳥山が選ばれた。
    ・1886年のコレラの流行は東京に近代的な水道を建設するきっかけとなった。また当時の神奈川県西多摩郡の多摩川上流で川に汚物を流したという話が問題になり、三多摩地域の東京への編入を促した。
    ・荒川の下流部は人工の川であり、1910年の大洪水をきっかけに作られた。右岸の堤防の天端の幅は左岸より広く、都心側を守る意図があった。
    ・かつて山手線の外側を走る環状線の構想があり、井の頭線の新代田−明大前の折れ曲がりはこの環状線との乗り換えを見越して作られた。
    ・根津権現の門前の大路の本郷区根津八重垣町にはかつて遊郭が軒を連ねていたが、東京帝国大学の設置に伴い明治21年に洲崎(現在の東陽町)に移転された。

  • 先に『都心の謎篇』を読んだが、本シリーズで総論とも言うべき本書をようやく読めた。読み始めればあっという間で、面白さの余韻が残る。几号水準点探しや五公園に出掛けたくなった。鉄道の話題も良かった。「未完の帝都復興道路」では、現代にこそ必要な都市計画道路ができる好機を逃し、後に日本橋や掘割の上に首都高速道路を建設しなければならない無様な姿をさらすに至った経緯を知り、何だか歯がゆい思いを抱いた。ブラタモリで紹介された場所が多く、これも読んでいて楽しめた要因だろう。

  • ホントはこれ読んで、街歩きしようかなと思って手にしたんですが、結局1年積読して東京を離れてから読了。
    明治の古地図、近代地図、今の地図、そして航空写真も交えながら、東京の発展の記録を振り返る。
    俺の生活圏だったエリアのネタは少なかったけど、それでも、あの道はそんな歴史があったんだってちょっとした発見も。

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著者プロフィール

1963年愛知県生まれ。文筆家、歴史探訪家。
地図や鉄道、近現代史をライフワークに取材・執筆を行う。
著書に『妙な線路大研究 東京篇』(実業之日本社)、『鉄道歴史散歩』(宝島社)、『ふしぎな鉄道路線』(NHK出版)、『地図と愉しむ東京歴史散歩』シリーズ(中央公論新社)など多数。

「2021年 『妙な線路大研究 首都圏篇』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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