小村寿太郎 - 近代日本外交の体現者 (中公新書 2141)
- 中央公論新社 (2011年12月17日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121021410
作品紹介・あらすじ
幕末に結んだ欧米列強との不平等条約の改正を目指し、一九〇〇年代に日英同盟、日露戦争、韓国併合を推進した外相・小村寿太郎。日向国飫肥藩の下級藩士に生まれた小村は、病弱で一五〇センチに満たない身長、非藩閥出身と恵まれない出自ながら、第一回文部省留学生としてハーバード大学に留学。抜群の語学力と高い交渉能力を身につけ、日本を「一等国」に引き上げた。帝国主義と国際協調の間を巧みに動いた外政家の真実。
感想・レビュー・書評
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本著から小村寿太郎の通史を知ることができる。
小村寿太郎は日記、手記等を残さなかったからか(当時は珍しいのでは)、彼に関する書物は意外と少ない。
歴史小説を含め。
その意味では貴重な本かもしれない。
小村寿太郎は藩閥でもなく、実力で外務大臣に上り詰めた。
また、彼を引き上げた陸奥宗光も非藩閥の実力者。
明治という時代は少数精鋭の時代ともいえるが(多くの優秀な人材が幕末で亡くなったという意味で)、彼のような実力者が登用されるという風土があったことが、時代のひとつの特徴ともいえるかもしれない。
ちなみに、”特徴”ということは、現在に学ぶべきこと、という意味も込めて。
(ただ、日清戦争時に、山県、桂から目をかけられ、特に桂内閣で外相に抜擢されることを考えると、長州閥、陸軍閥の意向は自ずと受けていたのかもしれない)
歴史を振り返ると、彼の指向が、韓国併合等帝国主義的で好戦的というネガティブな評価もあるのだろうが、米国、中国、イギリス、ロシアの公使を歴任したことを考えると、当時としてはグローバルな視点で日本の立ち位置を客観的に捉えることができた数少ない人物であったことには間違いない。その観点で、当時の判断としては、理に適う判断だったのだろう。(頭から批判できないし、歴史とは、人を理解して時代を知るのではなく、時代を理解して人を知るべき)
当時の日本の外交はまさに弱肉強食の帝国主義の時代をどう生きるか。端的にいえば、英仏独ロアメリカの大国と、どのように自国の帝国主義化(韓国の植民地化、中国での利権確保)を渡り合うか、ということ。
その関係は時と共に変わり、柔軟な姿勢と一貫性が求められる。
この観点では彼の外交手腕は成功したのだろうし、この外交で最も重要なことは、もしかすると外相や外交官の個人レベルでの手腕かもしれない。(国力に委ねるのであれば、日本はずっと劣勢だった筈)
それは対等に議論できる能力、胆力、知力で、小村にはそれが理想に近い形で備わっていたのだろう。彼は滞在国でその国のことを徹底的に学んだようだ。特に語学力があった故に、様々な文書に接することができた。交渉において、相手のことを相手以上に知ることが如何に重要なことか。
今の日本は相応の国力があるが、それに甘えて、個々の力が無くなっている感があり、その点で小村等を通じて明治人に学ぶことはあると思う。
彼は56歳で亡くなる。陸奥もそうだが、当時は、時代に身を投げうって、国家のために身を削りながら生きてきたのであろう。
それもまた、明治人の生き方でもある。
以下引用
・(少年時代より)優れていた記憶力は、のちに外務省に入ってからも仕事で活かされ、彼がメモを持っているのを見たことがないという逸話が残っているほど有名になる。
・陸奥は、外交官および領事館試験の新しい制度を作成するように指示した。翻訳局長の小村は、栗野慎一郎政務局長とともに、立案担当の原敬通商局長を支えて、試験改革を進めていく。
結果、20歳以上の念連であれば、出身学校なのの経歴や財産を問わず、実力のみで判断されることが定められた画期的なものであった。(→外務省を非藩閥化)
この試験制度が、原や陸奥、栗野、小村といった非藩閥出身者の手で成し遂げられたのは、偶然とは言えないだろう。
・日清戦争後の下関条約締結において、小村の意見書で最も力点が置かれていたのは、清国における日本の通商特権の拡大である。(開港場の開設、鉄道の敷設、汽船航路の拡張)
・小村は、実のところ憲法や議会はどうでもいいと考えていた。国益の追求こそが重要だったのである。彼は、アメリカ留学中から民主主義に否定的だったが、特に議会や政党を嫌悪していた。
・小村と陸奥には微妙な距離があった。これは、陸奥派の三羽ガラスと言われた、陸奥外相期の原敬通商局長、林薫外務次官、加藤高明政務局長・駐英公使と比べると明らかである。
・小村の強硬な反対によって、桂ハリマン予備協定覚書は潰れた。このとき南満州鉄道の日米共同経営が実現していれば、満州を巡る日米対立や1940年代の日米戦争は起きなかったという説もあり、小村の評価が分かれるところである。
・小村は、特定のイデオロギー(政治信条)に左右されることがなかった。彼は、純粋にパワーポリティカル(権力政治的)な観点のみで、国際政治を観察することができたのである。だから、日露戦争時の外相でありながら、アメリカに対抗するために、第二次日露協約でロシアと関係を強化することを厭わなかった。
・小村の外交は、まさに帝国主義外交そのものだった。だが、小村の没後、そのやり方だけでは通用しなくなっていく。第一次世界大戦中から、アメリカが、帝国主義的な勢力圏外を否定する「新外交」を打ち出しつつあったからである。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
陸奥宗光と並ぶ大日本帝国の傑出した外交官、小村の活動を本人、周囲の言動、歴史的事象をもとに記載している。
現代の価値観では帝国主義の申し子のように批判を受けることもあるが、
当時の価値観では至極まっとうな現実主義者であった。
列強がそれぞれの勢力範囲を主張し合い、外交戦を繰り広げ、それに負ければ没落し、弱小国として一流国の風下に追いやられ、独立すらも危ぶまれる情勢下において、
小村の活躍は、三流国であった当時の日本を一流国へ押し上げる一助になったのは間違いがない。
小村の活躍、考え、また当時の情勢をも理解するのに役に立つ一冊だった -
歴史に名を残している本を頑張って読みなさいとの言葉が印象的でした。
また、著者の経歴からくる説得力の凄まじさを感じました。 -
日清、日露の激動の帝国主義の中に生まれた豪腕外務官僚。この時代だからこそ活きた人間だったと思うのだけど、政党に左右されずに一貫してポリティカルパワーのみで動いた姿勢は今でも参考になるに違いない。
朝鮮を確信的利益の土地としてロシア、英国とも渡り合い、最後は併合してしまったという事は朝鮮人からすると憎くてたまらない人間なんだろうね。
しかし、携帯電話がないこの頃の(今もそうかもしれないけど)外務大臣って本当に全権を委任されて条件を譲歩しながら交渉して妥結まで持って行ってるんだねとシミジミ思った。個人の力量が国を左右していたのだなと。いゃぁ、すごいね。 -
【大きな、それは大きな鼠でした】外務次官、そして外務大臣を務め、さらには主要国の公使や大使を歴任するなど、近代日本の外交を考えるにあたって避けては通れない人物、小村寿太郎。近代日本の悲願であった不平等条約改正や日英同盟等の小村が携わった外交案件をたどることにより、その時代の日本の外交の輪郭をも浮かび上がらせる力作です。著者は、関西外国語大学の専任講師等を務められた片山慶隆。
睦奥宗光があまりに大きな存在なので、どうしてもその影に隠れてしまいがちなのですが、改めて本書で小村寿太郎の足跡を考えると、小村が果たした役割というのもとんでもなく大きいものであることに気づかされます。そしてその役割の大きさの裏にある不遇の時代がしっかりと描かれることにより、本書の中での小村に非常に立体感が出ているように思います。
国際社会をとことんパワー・ゲームとしてとらえることから生ずる小村の外交スタイルは決して人気が出るものではないと思いますが、現下の外交政策を考える上で、否が応でも念頭に置かなければならないことなのかも。果たして小村が「新時代」の外交に適応できたかは当然知る術もありませんが、時代に合致したスタイルを貫き通した人物として小村をとらえることができるのではないでしょうか。
〜超人的な英雄ではなく、多くの苦しみや悩みを経験した小村の姿が伝われば幸いである。〜
伝記でありながらさらっと読めるところがイイネ☆5つ -
本書は、明治後期の「小村寿太郎」という近代日本を代表する外交官の本であるが、読みやすい上に、この時代をよく理解できるものである。
本書は、「小村寿太郎」の紹介を通して、その時代の日本についてもよくわかる構成となっており、この時代の歴史書としても高く評価できるが、この時代をよく知ろうと思うと、これでもまだ粗いのではないかとも思えた。
この時代の日本は、現在から見るとまったく別の世界の国のようなもので、知らなければならないことは数多い。
著者はあとがきに「本書は概説書であり、大学生などの初学者を読者に想定する入門書として執筆した」とあるが、まさにこの時代を知ろうとすると次々に疑問が湧いてくる。
この時代はむき出しの「帝国主義」が激突する激動の時代である。1895年(明治28年)「隣国の王妃を自国の公使が暗殺する閔妃暗殺事件」後の「駐朝公使」時代の詳細な活動は、あまりにも暴力的・衝撃的である。
また、「日英同盟」内容の両国の交渉経過詳細な経過を読むと、国益をかけて両者が実に緻密なせめぎあいを行っていることがよくわかる。
「韓国併合」が「ロシア・イギリス」の同意を得て行われたことなども初めて知ったが、一国の外交とはこのように行われているのかと驚嘆する思いを持った。
しかし、この時代に推し進められた「朝鮮・大陸政策」は現在の視点から見て、どう評価されるべきなのだろうか。
本書で読む「明治後期」の歴史は、日本の朝鮮・満州への進出が、「侵略」という単純な帝国主義的思想によって進められたわけではないことがよくわかるが、 「明治日本」の苦闘と選択の中で、その時点の国家の力関係を考えると当時としては最善の方向を目指そうとしたということなのだろうか。
歴史の後知恵であるが「1945年の帝国の瓦解」がこの時代の選択の結果として起きたことを考えると・・・。
日本のその後の「大陸政策」の進行における「ポイント・オブ・ノーリターン」は、1900年(明治33年)の「義和団事件」であったように思えるがどうだろうか。
本書は、明治後期の「坂の上の雲」の時代の日本がどのような課題を持ち、どのような選択をしていったのかがよくわかる良書であると思うが、司馬遼太郎の小説のようなロマンは感じない。現実とは、こういうものなのだろう。
本書のリアルな現実の歴史を読むと、「小村寿太郎」は、「歴史上の人物」であっても「時代のヒーロー」ではないとも思えた。
本書は、読者にもっとこの時代をもっとよく知りたいと思わせる本であるが、「日清戦争「日露戦争」を含む激動の時代全体を扱うにはちょっと紙数が足りないとも思えた。 -
伝記的資料の乏しいと言われる小村の一生を、わかりやすくまとめた一冊。
彼が生涯を通じてどのような思想を持ち、どのような外交政策を行ったのかを知るには良著だと思う。
とりわけ、小村の社交性の無さ、徹底した帝国主義者の一面などは興味深かった。
外交は時として人物に帰結するといわれる。その意味においても、日清・日露期の外交政策に携わった小村の人物像を知る意義は大きいだろう。 -
小村の業績を中心に紹介しつつ、
不器用ながら勤勉だった「人間・小村寿太郎」の片鱗がしのばれる構成。
初学者向けの外交史を意識したとあって、割合読みやすかったです。
社交ベタなことがかえって、どの国に対しても冷静かつ適度な距離感を保てたことに一役買ってたって見方もできるのかなあー?という想像をかきたてられました。
(※小村について、この新書一冊の解釈しか知らない時点でです) -
関西外国語大学国際言語学部専任講師(日本近代史)の片山慶隆(1975-)による、外交官・小村寿太郎(1855-1911)の評伝。
【構成】
序章 二つの視角
第1章 維新の激動のなかで
第2章 外務省入省-官僚への転身
第3章 日清戦争の勃発-駐清・駐朝公使時代
第4章 「ねずみ公使」として-義和団事件への対応
第5章 日英同盟と日露戦争-1901年、外相就任
第6章 戦時外交と大陸進出-「満州問題」の発生
第7章 同盟国の外交官-駐英大使として
第8章 米中の狭間で-第二次外相時代
終章 小村外交とは
小村寿太郎と言えば、ポーツマス条約の全権大使、日米通商航海条約の改正による関税自主権回復といった業績で日本史の教科書に必ず記されている。そのような近代日本史における最重要人物ではあるが、これまで本格的な評伝は無かったとのこと。
小村は飫肥藩出身であり、つまりは薩長藩閥の外からのし上がったことになる。面白いことに、最初から外務省一本で進んだわけでもなく、司法省で平凡な一官吏として過ごしていたところを友人達の推挙で外務省に転じた。
そして、その外務省にあっても長らく閑職にとどまっていた。そこを陸奥宗光に引きあげられて、日清戦争前後から海外に駐箚する外交官としての頭角をあらわすことになった。
小村という人物について、これまで傲岸なイメージがあったが、それは小村自身が叩き上げで出世したという点、そして刻苦勉励によって身につけた豊富な国際情勢についての知識に裏付けられた自信があるのだろう。
いわゆる社交性や個々人からの情報収集という点では劣るものの、ハードな交渉においては抜群の実力を発揮する外交官。それが小村だったのだろう。
だからこそ、陸奥の三羽ガラスと呼ばれた林董、加藤高明、原敬という錚々たるメンバーを差し置いて、外務大臣のイスに座り、史上3番目の在職期間を全うすることができたのだろう。
本書は小村のパーソナリティに焦点をあてる部分(特に前半)は多いが、後半にあっては日清戦争から韓国併合、条約改正まで、朝鮮半島・満洲をめぐる日本の近代外交史のエッセンスを描いている。
とくに、第1次日英同盟協約(1902)、露清満洲還付条約(1902)、第1次日韓議定書(1904)、第2次日英同盟協約(1905)、第1次日露協商(1907)の流れの整理は見事なものである。韓国の保護国化を確実なものとするための帝国主義外交を貫く小村の姿勢とともに、日本、ロシア、韓国、清、イギリス、アメリカといった利害関係国の思惑が浮かび上がっている。
本格的な外交史研究であれば、条約交渉の政治過程や個々の修正案の意図の緻密な分析が入るのであろうが、本書はそこまでは踏み込まない。初心者向けの新書であるので、それによって読みやすくはなっていはいるが、反面、小村の意図と小村以外人物・組織の意図が十分区別されずに論が進められてしまっているように感じた。この点はより詳細な研究書の出版を計画されているとのことなので、期待したい。