- Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121021588
作品紹介・あらすじ
日本"固有"の民族宗教といわれる神道はどのように生まれ、その思想はいかに形成されたのか-。明治維新による神仏分離・廃仏毀釈以前、日本は一〇〇〇年以上にわたる神仏習合の時代だった。両部・伊勢神道を生みだした中世を中心に、古代から近世にいたる神道の形成過程を丹念にたどっていく。近代における再編以前の神をめぐるさまざまな信仰と、仏教などとの交流から浮かび上がる新しい神道の姿。
感想・レビュー・書評
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古代から近世までの神道の変化について,仏教との関わりを中心に書かれており,新書だがかなり読み応えのある内容。
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神道はどのように生まれ、その思想はいかに形成されたのか? 両部・伊勢神道を生みだした中世を中心に、古代から近世にいたる神道の形成過程を丹念にたどる。【「TRC MARC」の商品解説】
関西外大図書館OPACのURLはこちら↓
https://opac1.kansaigaidai.ac.jp/iwjs0015opc/BB40163891 -
神道を中心に据えて、古代から近代までを解りやすく網羅した本。細々な神社のなりたちというよりは、神道という宗教の背景にあった歴史の流れを解説したもので、現在に続いている神道の古来というものが、再構築されたものであることが丁寧に説明されている。歴史そのものというよりは、歴史の背景に言及した本といえるかもしれない。
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本書は現在「神道」という名称で理解されている日本の民俗宗教に関して、その成立から現在の形に至るまでの思想の形成過程を通史的に追って解説しています。初学者にもわかりやすく、仏教など他宗教との関わり合いの中から日本の「神道」像を説明しているため、日本の思想史に興味のある方にもおすすめです。
◎信州大学附属図書館OPACのリンクはこちら:
https://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB08972029 -
生まれ育った町に日本でも有数の規模の神社があったり、ちょっと足を伸ばせば有名な神社にいけたりしたこともあってなんの疑問もなく初詣などのお参りをしてきたが、ふとそもそも神社とはなんであって神道とはどういう宗教なのか、という疑問が湧いたためちょうど相応しいタイトルの作品があったので手にとってみた。わかったことがいくつかあった、まずは神、という言葉が問題ではないかと。つまり一神教の絶対的な存在である「神」と日本の神道における「神」はかなり異なっている、ということ。また基本的には江戸の後期に至るまで仏教のおかげで存在し得たものである、ということがよくわかった。遠藤周作がその作品において日本人はなんでも自分たちに都合よく作り変えてしまう、というようなことを言っていて自分も賛同していたのだが神道が仏教の要素をうまく取り入れて生き延びてきた経緯をこうしてみてみると日本人の作り変える力というよりは仏教の融通無碍さが際立っているように思う。面白いのは神道に於いても釈迦が最上位にいて日本のいろいろな神は日本人に仏教を教えるために仏が姿を変えているのだ、としているところであっさり自分たちの神々を外来の宗教の下位に入れて取り込んでしまっている。廃仏毀釈はいわばその反動ということらしい。日本は神国であるというのも辺境国家であるので仏がそのままでは教えが伝わらないので様々な神に姿を変えて人々を導いているのだ、といういわば劣った国、のようなニュアンスがあったらしい、というところも興味深い。現在の仏教的な要素を排した神道は太古からあったものではなく中世から近世つまり室町時代から江戸時代にかけて様々な言説が出た結果、なんとなく成立したようなものらしい。だからといってくだらないとか意味がないという気は毛頭ないが成り立ちや背景事情を抑えておくことは無駄ではないという気がした。非常に面白かった。
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日本人なのに、神道のことも仏教のこともいかに知らないかということに気付かさせる。
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古代から近世にいたるまでの神道の歴史をコンパクトに解説している本です。
しばしば日本民族に固有の信仰として語られる神道ですが、そのような枠組み自体が近世の国学のなかで形成されたものであり、それに先立つ両部神道や伊勢神道をはぐくんだ中世の神仏習合的状況が、現代にまでつらなる神道のありかたを規定していると著者は主張します。そうした立場に立って、本書では「固有」や「不変」ではなく、「変容」する宗教として神道を位置づける試みがなされています。
その後、吉田神道や垂加神道による神道の体系化の試みがおこなわれ、国学者たちによって神道に「固有」の教義が求められるようになったプロセスについて、完結に叙述されています。
教科書的なスタイルで神道にまつわる歴史的な事実についての説明がつづくので、ややとっつきにくい印象はありますが、宗教学的ないし民俗学的なアプローチとは異なり歴史的なアプローチにもとづく神道の入門書として、充実した内容の本だと思いました。 -
神道の流れをざっと掴めればと思ったのだが、詳細説明がちょっと…。
もともと神を祀るのは天災等の災いを防ぐためにその土地や社会のために行う儀式であり、決して個人のためのものではなかった。
また祭祀に携わる者も専門の人間ではなくその地域で祭祀の時にその役を受け持つ者がいただけ。
当然感性が強く、モノに憑かれやすい人がその祭祀では大きな役割を持つので、若い女性などが自然と所謂巫女となって神との通信係りとなった。
仏教の伝来によって個人の幸福や安全がその信仰の目的になり、神々は仏が様々な姿になって現れたものと理解されたり、神の代わりに人間が仏のための修行を行うことが尊ばれたりして神仏混合が始まった。
中世以降は祟る個人が神格化されたりして、次第に仏は外来の神に過ぎず、日本古来の神々こそ尊ぶべきものという考えも現れ、室町後期にできた吉田神道は成り立ちの経緯や資料はほぼでっち上げだったにもかかわらず、その概念自体が別個の一つの宗教としてそれ以降も継続し、それが明治維新での廃仏毀釈から戦前までの負の側面を助長した原因になっていった印象を受けた。
いわゆる神道という概念は中世に端を発しながらもそれほど古いものではなく古来からの自然崇拝や天災への怖れという内容とは違うもの。
これが一緒くたになって受け入れられているのが現在で、神社での儀式等は実は歴史が浅いもの。
人間にとっては古代から根付いている自然への畏敬の念だけが大事なのではないか…宗教や思想は結局頭での後付け。
人間が作ったものに人間が依存し振り回されることはおかしいと思うのだが、それだけ人は弱いものであるということか…。 -
卒論準備に。