日本恋愛思想史 - 記紀万葉から現代まで (中公新書 2193)

著者 :
  • 中央公論新社
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感想 : 17
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  • Amazon.co.jp ・本 (243ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121021939

作品紹介・あらすじ

日本人はどのような恋愛をしてきたのか-。記紀万葉の時代から公家文化、武家文化、町人文化の時代を経て、近代の恋愛結婚至上主義、戦後の純潔教育、性の解放へ。恋愛研究の第一人者である作家・比較文学者が、古今東西の文献を博捜し、古典的名作から戦後の通俗小説、映像作品まで目配りしつつ圧倒的なスケールで描く、比較恋愛思想史の決定版。『"男の恋"の文学史』以来一五年におよぶ研究の集大成。

感想・レビュー・書評

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  • 小谷野節炸裂。
    何故に自分のツボに嵌るのか。
    考えます。

  • 恋愛、結婚、性への放埓性の価値観は時代によって変遷している。
    現代は近代に確立した自由恋愛による恋愛結婚至上主義の価値観が強い。恋愛弱者につらい時代になっている。
    やはり明治以降の日本での価値観の変遷が面白かった。

  • 相変わらずの本である。小谷野節と言えば聞こえはいいが、ぬめりとした嫌みがそこかしこにある、というか本人はあまり嫌みとは思ってないからこうなんだろうけれども、まぁ、しかしこれも芸のうち。
    ひたすらに積み重ねられた文学の数々は全体としてはよく分からないが、ミルフィーユと思えばざっくりいただくのがよろしかろう。

  • フェミニズム、江戸時代礼賛の傾向に辛辣な批判、だけでなく文豪や有名な学者を次々にバッサリ。人のケンカは見ていて楽しい。むむっ「源氏物語」より「めぞん一刻」への言及のほうが多いぞ。アッパレ。

  • 筆者の知の総体は底が知れない大きさであることは間違いがないだろう。
    だが、中には首を捻りたくなる知識も幾つか含まれている印象。

    たとえば『万葉集』の防人歌を貴族の戯作、とされているのは如何か。
    選者とされる家持は兵部少輔だった際に、実際に防人たちに接する機会があり、採集の機会があったという。
    よってこれらの大部分は防人自身によって歌われていた、というのが定説だったはずである。

    こうした曖昧な知識が時折見られてしまうと、我が無知ゆえにその他の膨大な情報もどこまで正確であるか、信じていいのかわからなくなってしまい、ひいては筆者の主張すら怪しく見えてきてしまう。

    また、少々話がそれがちで、概念図を書こうとしない限り論旨が見えにくく、結局私には「恋愛至上主義はもてない男を無視している」以上の主張が読み取れなかった。
    もう少し論点を整理して書いて欲しい。

    ##以下を書き直しました##

    筆者の読書量は驚嘆に価すると思う。
    だが他の方もレビューで指摘されているように、中には不正確なものも多く含まれている印象。

    中でも『万葉集』の防人歌を貴族の戯作である、と断言しており瞠目した。
    選者とされる家持は兵部少輔だった時に、実際に防人たちに接する機会があったと聞いている。
    これらの点から、これらは防人自身によって歌われていた、というのが定説、と私は大学の日文科で習った。

    こうした曖昧な知識が混ざっていると、作者の主張を支える膨大な知識のどれも疑わしいものに思えてしまう。

    また、少々話がそれがちで、論旨が見えにくく、結局私には「恋愛至上主義はもてない男を無視している」以上の主張が読み取れなかった。

    この点、本書を著者のいう、“学説”とするには少々無理があるだろう。根拠が不正確で、何を言っているのか分からないからである。

    読者としてはひとつひとつの批判点を整理して書いて欲しい。

    (また197頁後半は、文章として何を言いたいのか分からなかった。ここは特に修正を頂きたいと思っている。)

    • tonton1965さん
      防人歌については再検討します。「瞠目」は感心した時に使う言葉です。197pは、いったい何が?「ふぞろいの林檎たち」を知らないと分からないかも...
      防人歌については再検討します。「瞠目」は感心した時に使う言葉です。197pは、いったい何が?「ふぞろいの林檎たち」を知らないと分からないかもしれませんが、『もてない男』に詳しく書いてあると思います。
      2014/06/14
    • あるぷさん
      > tonton1965様
      コメントありがとうございます。
      197頁については少々お待ち下さい。現在手元に貴著が無いため、再読してご返答...
      > tonton1965様
      コメントありがとうございます。
      197頁については少々お待ち下さい。現在手元に貴著が無いため、再読してご返答させてください。
      「瞠目」についてですが、たしかに『日国』には〈目をみはること。見て驚き、感心感動すること〉とありますが、『現代日本語書き言葉均衡コーパス 少納言』を検索する限りでは、必ずしも「感心した時に使う言葉」ではなかったのではないか、と存じます。
      ともあれ、暫しのご猶予を賜りたく存じます。
      2014/06/16
    • あるぷさん
      > tonton1965様
      該当箇所、確認いたしました。
      ご指摘の通り、私が『ふぞろいの林檎たち』を見ていないことが文章を読みにくく感じ...
      > tonton1965様
      該当箇所、確認いたしました。
      ご指摘の通り、私が『ふぞろいの林檎たち』を見ていないことが文章を読みにくく感じた原因かと存じます。ただ、それを踏まえてもやはり該当項の第2パラグラフの最後の文の後半、
      〈……疎んじられて離婚を迫られているという古風な背景があり、最後は、母親に対して断固として妻を擁護する小林を、若者たちが見て「私もこんな恋愛したいママ」と感動する筋書きである。〉(2012/11/25発行初版)
      の箇所の、〈こんな恋愛〉とは何かがよくわからず、かつ本筋(「学歴が理由でモテない」という認識)とは微妙にずれている、と存じます。
      よろしくお願い致します。
      2014/07/06
  • 内容の充実さは最高です。知識をぎっしり詰め込んでいて読んでて楽しかったです。

  • 「恋愛の本質は片想いである」 読み始めですが、面白くて止められません!

    【紙の本】金城学院大学図書館の検索はこちら↓
    https://opc.kinjo-u.ac.jp/

  • 源氏物語にえがかれた恋愛から
    最近の恋愛事情まで
    小説などをもとに考察してます。

  • いやもうその圧倒的知識の量と縦横無尽、これでもかこれでもかという書きっぷりに夢中になり、一気に読んでしまった。
    何となく江戸のダイナミズムで子安宣邦に対する西尾幹二を彷彿させるようなパンチラインというか、あ、ここでキマッタなと思えるものが多かった……最後の「『恋愛のポストモダン』などと書いた人もいるが、一夫一婦制の理念も崩れ去らなければなるまい。恋愛思想の近代は終わってはいないのである」とか、あとがきの「上野は『おひとりさまの老後』で、「ごろにゃんする相手くらい確保しておきたい」などと書いてから、もはやお笑いの人と化していたのだが、ここまで来るとお笑いというより、フェミニズム系恋愛論の無残な末路と言うほかない」とか。
    また、徳川文化も、「末期浮世絵の低俗さは、あたかも西洋で、ルネッサンスから中世へ逆戻りしたかのようである」とか、近松に対する評価とか、頷ける。私は近松を読もうとしたが、まったく面白くもなんともなく、とても読めない。ただ、文系のかわいい女の子が近松さんを観に行きたいとか、近松よかったとか会話をしているので、話題についていくために読みたいぐらいだ。ほんとは新猿楽記とかのイカれた人物紹介のほうが「人間変わらないなぁ」と思えて面白い。

    「~という考え方はなかった」「~は作られた」とか、そういったものは一度冷静になって、外国はどうなのか、古典作品にそれってすでに書かれてないか、表現されてないか調べる。「人間ってそんな狭い考えなのか」、「人間なんだから、文明は違っても、文化や心情はそんな違わない」もしくは、遊女=聖女といった江戸幻想や「無意識にしてしまっている誤った賛美・崇拝」に対しては、「人間ってそんなに簡単にそう言えるものなのか。ぶっちゃけ遊女があんな良いわけないだろ。コンドームもないんだし、性病もあるし」という、常識的なブレない姿勢と懐疑が大切で、その著者のスタイルが索引付きで集大成された恐ろしい本です。
    内容が分厚すぎて果てが見えません。
    でも明快な答えが示されています。
    自分をその時代に実際に置いて考えてる感じがする。
    133ページの「それでも、梅毒は恐ろしい病気だと言えるので、「近代恋愛」というものも、もしかすると、梅毒の副産物だったかもしれないのである。中世以前の性的放埒から、近代的な一夫一婦制と純潔の世界へ、ということである。さらに言えば、コンドームが普及した結果として、中世以前へ回帰するということもありえるのだが、実際は、恋愛結婚至上主義はなかなか根強く残っていて、とても「ポストモダン」どころではないのである」が良かった。

  • 著者さんの文章の中心となる主張

    ・「性の解放(公言された学術用語ではないですが「乱れ」「活発化」「自由化」とも)」による
    脱近代化・ポストモダン化は起こっていない、なぜなら、
    今もなお近代から続く恋愛結婚は、国内の大部分を占める人たちによって
    最重要視されており、また巷では実際に恋愛格差なるものが存在しているから。

    ・「恋愛」は近代以降の輸入品ではない、
    なぜなら近世より前の中世、古代には、
    時代によって、さらに身分の階級区分によって
    形のちがう恋が存在していたとかんがえられるから。

    ・性の問題.遊女神聖化の否定.
    売春禁止法以降,性のはけ口としての
    強姦,少女買春(援交など)をはじめ性関連のさまざまな問題が増加
    (ただし書中では,大きく議論されていない)
    この本の話の内容全体が、
    過去から現代までの比較恋愛研究に関してや
    文芸、娯楽などに関して、
    幅広いスケールで展開されているので、整理するのに難しいです。だけれど,とても面白かった。
    これまで断片的にしか知識をもっていなかったために,
    中途半端が一番よくないというのは本当で,
    日本人の恋愛観史を誤解していた点が多かったことに気づかされました。
    圧倒されるのは,参考引用文献の数の多さ.

    しかし,恋愛観というのは,思想的な部分を持つものだとは思っていましたが,
    想像以上に思想的でおどろきました.こんなに,時代と人ともに,
    変遷してきていたなんて.

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著者プロフィール

小谷野 敦(こやの・あつし):1962年茨城県生まれ。東京大学文学部大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了、学術博士。大阪大学助教授、東大非常勤講師などを経て、作家、文筆家。著書に『もてない男』『宗教に関心がなければいけないのか』『大相撲40年史』(ちくま新書)、『聖母のいない国』(河出文庫、サントリー学芸賞受賞)、『現代文学論争』(筑摩選書)、『谷崎潤一郎伝』『里見弴伝』『久米正雄伝』『川端康成伝』(以上、中央公論新社)ほか多数。小説に『悲望』(幻冬舎文庫)、『母子寮前』(文藝春秋)など。

「2023年 『直木賞をとれなかった名作たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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