- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121022059
作品紹介・あらすじ
聖書の記述には、現代の我々からすると荒唐無稽に思えるエピソードが少なくない。いったいどの程度まで史実を反映しているのだろうか。文献史料の研究にはおのずと限界があり、虚実を見極めるには、遺跡の発掘調査に基づくアプローチが欠かせない。旧約聖書の記述内容と考古学的知見を照らし合わせることにより、古代イスラエルの真の姿を浮かび上がらせる。本書は現地調査に従事する研究者の、大いなる謎への挑戦である。
感想・レビュー・書評
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『歴史学者と読む高校世界史』の第01章が面白かったため、長谷川修一の過去作として手に取った。旧約聖書の記述の全てを原理主義的に信じることは(信徒でないこともあり)元からしていなかったが、では実際にはどこまでなら史学的・考古学的に一次史料から確かめられるのか、という点について良い概説を提供してくれた。ダビデあたりの伝承が境界例であり、分裂王国時代以降に少しずつ考古史料が増えてゆく過程について学ぶことができた。読んでいて興味深かったのは、聖書考古学におけるシュメール文明とアッカド語の重要性の高さ。古代ヘブライ語や古代ギリシャ語以外にも、アッカド語が読めるかどうかが、古代オリエント史におけるイスラエルの民の歴史を追跡するうえで重要であることが、史料活用の中で伝わってきた(同じ著者のちくまプリマー新書『謎解き 聖書物語』でもそうした史料活用のようすを確認することができる)。
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ノアの方舟はアララト山に漂着したという話も一時期あったけど、そういう神話レベルの話が実在のものなら面白いよね。そのような聖書の歴史的資料としての側面を、極めて論理的に検証する学問、書物で、大変興味深かった。しかしやはりユダヤの民の由来を伝えるため(時の為政者たちの都合も?)のものだから、物語としての面が強いんだろうな。でもそれ故に地方の一民族であった彼らが数千年を経てもユダヤ人としてのアイデンティティーを保ってこられたのか。しかしこうなると常にイスラエル王国と近接していたアッシリアにも興味が湧いてしまう。
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聖書はそれが史実であるかはともかく、その時代に書かれ人々に共感された事実に価値と面白さがある。
私の日頃の思いもまさにこれである。
この観点を踏まえて考古学と照らし合わせるのが本書のやり方で、聖書を暴くことは意図されていない。
発掘資料から推察されるイスラエル近辺の歴史と聖書の記述に相違があれば、ではなぜそれが書かれたのか、人々の心を打ったのかを追究する。
ただいくら考えても世界中に論者がおり、決定的な発見がない限り真相は闇の中である。
というわけで、これを読んでも何も答えは出ないのだが、単純に紀元前の歴史を追うのが面白かったし、照らし合わせで嵌る深みからは浪漫が溢れかえる。
聖書に出てくる人物や出来事が、エジプトやアッシリアの碑文に出てくるか。
いや全然出てこない。
出エジプトはさすがにしたのだと思っていた。
それさえ怪しいとなると、旧約聖書フリーザ編的なあの盛り上がりは一体誰の意図で書かれたのか。
エジプトが悔しくて歴史を闇に葬ったのか。
モーセたちの夢物語なのか。
そして真実でなかったとしてもユダヤ人の心に共通の祖への思いが宿り続け、
20世紀に建国に至ったという壮大すぎるこの事実。
何があったんだよ、いやむしろ何もなかったのかよ。何を過越祭してるの。
列王記なんて真面目に読んだことがなかったが、もしかしてめちゃめちゃ面白いのかもしれない。
持ち歩ける分厚さなら良かったのに。本棚ででっぷり座り続ける聖書よ。
興味や価値観が合うと思ったら、母校が同じだった。
文章のところどころに見える、ロジカル風で思いが勝っちゃっているところも何かありがちでわかる笑。
私は院卒ではないが時々出会う先輩の本を読むと、学んだ時期は違っても刷り込まれる大学ナイズはあるとしみじみする。 -
世界史で聖書の存在を知ったとき,あるいは実際に聖書を読んだとき,「どこまでか史実なのか?」という疑問を抱くと思う。全てが史実なわけではない,かといって全てが空想でもない。
本書は,考古学の視点から聖書と史実の関係について概説したものとなっている,学問としての線引きについて知っておくと良いだろう。族長時代から新約時代,とはあるが,実際メインに扱っているのはアブラハムからダビデまでで,旧約聖書のモーセ5書と歴史書が該当する。 -
聖書の事象の証明、確認に科学的手法・考古学からアプローチする面白さと難しさがよくわかる。
一気に読める読みやすい好著。 -
古事記も引き合いに出し、旧約聖書を成立させた動機は、仮説だが、説得力がある。
その後は、地域限定の古代史そのもの。年代特定方法も含めて、考古学的。
逆説的になるが、現代まで連なるユダヤの民を見るに付け、「正典を持つ」威力を感じた著作であった。 -
聖書考古学
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2013-3-20
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これはなかなかいい本だと思う。著者自身がイスラエルの発掘調査に携わっていたこともあり、よく仕上がっていると思う。