聖書考古学 - 遺跡が語る史実 (中公新書 2205)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121022059

感想・レビュー・書評

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  • 聖書はそれが史実であるかはともかく、その時代に書かれ人々に共感された事実に価値と面白さがある。
    私の日頃の思いもまさにこれである。

    この観点を踏まえて考古学と照らし合わせるのが本書のやり方で、聖書を暴くことは意図されていない。
    発掘資料から推察されるイスラエル近辺の歴史と聖書の記述に相違があれば、ではなぜそれが書かれたのか、人々の心を打ったのかを追究する。
    ただいくら考えても世界中に論者がおり、決定的な発見がない限り真相は闇の中である。

    というわけで、これを読んでも何も答えは出ないのだが、単純に紀元前の歴史を追うのが面白かったし、照らし合わせで嵌る深みからは浪漫が溢れかえる。

    聖書に出てくる人物や出来事が、エジプトやアッシリアの碑文に出てくるか。
    いや全然出てこない。
    出エジプトはさすがにしたのだと思っていた。
    それさえ怪しいとなると、旧約聖書フリーザ編的なあの盛り上がりは一体誰の意図で書かれたのか。
    エジプトが悔しくて歴史を闇に葬ったのか。
    モーセたちの夢物語なのか。

    そして真実でなかったとしてもユダヤ人の心に共通の祖への思いが宿り続け、
    20世紀に建国に至ったという壮大すぎるこの事実。
    何があったんだよ、いやむしろ何もなかったのかよ。何を過越祭してるの。
    列王記なんて真面目に読んだことがなかったが、もしかしてめちゃめちゃ面白いのかもしれない。
    持ち歩ける分厚さなら良かったのに。本棚ででっぷり座り続ける聖書よ。

    興味や価値観が合うと思ったら、母校が同じだった。
    文章のところどころに見える、ロジカル風で思いが勝っちゃっているところも何かありがちでわかる笑。
    私は院卒ではないが時々出会う先輩の本を読むと、学んだ時期は違っても刷り込まれる大学ナイズはあるとしみじみする。

  • 旧約聖書に書かれた物語はフィクションなのか史実なのか。
    本書は考古学を用いてその謎に挑んでいます。

    でも、紀元前の世界史にあまり興味が無い人にはちょっと読むのが厳しい本だと思います。

  • 旧約聖書のとあるエピソードはラクダが家畜化された年代と合わない「時代錯誤」であることから後世の創作であることがわかる、といった時代考証が面白かった。
    出エジプトも旧約聖書の記述から一応の年代を特定することができるが、時代考証上、事実と異なるだろうと。というか出エジプトがいつ頃の話かってわかってないんだ。

  • 思ったほど聖書関係ない。
    何の話をしているのかわかりづらく、ちと退屈だった。

  • 宗教・信仰という、ある意味最も強固なバイアスから決して逃れられない領域での展開を宿命付けられた「聖書考古学」。宗教的・学問的に"中立である"ということが、これほど困難な分野もないだろう。さらに、イスラエル・パレスチナという複雑な政治情勢の特性上、遺跡の発掘が制約を受ける状況下では、聖書の記述の真偽それ自体を議論することは不可能なばかりか不毛でもある。
    本書はそれよりも、聖書に描かれた伝承が「なぜそこに記されなければならなかったのか」に焦点を据え、主にローマ統治時代以前のユダヤ人の歴史を、「聖書」と「遺跡」を縦横の糸として解説してゆく。少々駆け足が過ぎる気もするが、我々日本人とは比較にならないほど複雑なユダヤ人の歴史に思いを至らせるには十分。

    年表がついていなかったので、イスラエル大使館のHPからプリントアウトして参照しながら読んだ。

  • 聖書─それも主に旧約聖書において、その中に書かれた歴史と
    それが書かれた時代について、考古学という観点から何がわかり
    何がわかっていないかを丁寧に解説してくれている。

    もっとも、日本の天皇陵がいっこうに発掘調査されないことでも
    わかるように、宗教がらみだと(しかも中東では社会情勢という
    難敵も存在する!)掘りたくても掘れない場所が多すぎ、わかって
    いることはほんの一握りの事実なのだな、と実感する本でもあった。

    わかりやすく丁寧に書かれてはいるが、聖書に関して多少は知識が
    ないと、読んでいても面白くないと思われ。

  • 聖書の歴史的正当性はともかく、聖書がユダヤ人のアイデンティティの維持に貢献し、今日までユダヤ人を民族としてまとめてきたという事実は興味深い。

    かといって現在のユダヤ正教徒が聖書を根拠にパレスチナ人を迫害していい訳ではない。中東に和平が訪れることを祈る他ない。

  • 新聞に書評があったので、購入。

    ユダヤ教やキリスト教についての本を僅かばかり齧ったが、ある本は一神教はモーゼの発明とあり、別の本はモーゼの実在性に疑問を呈していた。
    よく判らない聖書について、何か教えてもらえればと思い読み始める。
    考古学の立場で、はっきりした証拠がない限り断定は避けている。出エジプトはエジプト側に資料がないそうである。文献記録のほとんど残されない時代かもしれないが、これも仮説の域を出ないと書かれる。

    この後のカナンの征服期では山地に住んでいたユダヤ人と平野部に住んでいたカナン人は民族的にも言語的にもかなり近い民族であったらしいと記される。ユダヤ人が自らをユダヤ人と自己規定していく中で古代イスラエルが生まれたとの見解が現在主流とのこと。
    つまり、本書ではそこまで断定していないが、アブラハムも出エジプトもモーゼも恐らく虚構。唯一神との契約もカナン人との衝突のなかで自己規定することから生まれたものらしい。そうした虚構がどうして、どうのように生まれたかは考古学の範疇でない。が、こうした考古学の成果と聖書の文献分析に隔たりがあるのではと、過去の読書体験から疑問を感じてしまったのだ。

    発掘された多くの街が戦争で破壊された跡を留めているとされる。多くの民族が滅び、また混血し、当時の種族は今存在しない。現在のユダヤ人も当時のユダヤ人とは民族的にはまったく別の民族と云っていいのではないか。しかし、自分をユダヤ人、イスラエルの民と規定する人々が現代に存在し、困ったことに世界紛争の種となっている。

    読後はユダヤ教の発生過程に大いに疑問が残っている。
    さて、何か良い本ないかな。

  • キリスト・ユダヤ・イスラム教に精通とまでは言わないまでも、もう少し知識があればもっと楽しめた本ではないかな。
    内容のほとんどが事実の断言ではなく可能性への言及に終始、そこにもしかすると物足りなさを覚える人もいるかもしれないが、著者の学者としての良心の表れかと思う(もしかすると政治・宗教が絡む題材だけにきな臭いものもあるかもしれないが、わざわざ冒頭で断りを入れているし)。
    何せ卑弥呼の時代よりずっと昔の話、当たり前と言えば当たり前の話だが。
    しかしユダヤという民族の生命力は凄い、改めて感じる次第。

  • 聖書で書かれていることを遺跡の発掘で検証するという聖書考古学の解説書。旧約聖書の記述がすべて史実とは考えていなかったが、モーゼの存在も出エジプトの事実も全く証拠が無いとの指摘には驚いた。数々のエピソードで、旧約聖書の記述を考古学的に証明することの困難性は良く理解できた。未発掘の遺跡が多数残っているが中東の政治情勢がその調査を困難にしているらしい。発掘調査が進めば、ユダヤ人、ユダヤ教が周辺諸部族に対して相対化され、パレスチナ問題解決に役立つのではと妄想した。

著者プロフィール

1971年生まれ。立教大学文学部教授。筑波大学大学院博士課程単位取得退学。テル・アヴィヴ大学(イスラエル)大学院ユダヤ史学科博士課程修了。専門はオリエント史、旧約学、西アジア考古学。 主著に『聖書考古学』『旧約聖書の謎』(中公新書)、『ヴィジュアルBOOK 旧約聖書の世界と時代』(日本キリスト教団出版局)、『歴史学者と読む高校世界史』(共編著、勁草書房)、『謎解き 聖書物語』(筑摩書房)など。

「2020年 『旧約聖書 〈戦い〉の書物』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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